さくら

第48話:悪魔の秘密



「『闇鴉』」

そう告げたシカマルの言葉をサクラは動揺することなく受け止めた。しかし彼女は上手くそれを見せなかったというのに、異質の気配が辺りに立ちこめてしまう。

「ねぇ。シカマル突然何を言うわけ?それって例の部隊のことよね」

寝ころんだシカマルを見つめながらそうは言ったものの、サクラは今の言葉が彼の中で確信という文字になっていることに気付いていた。彼は疑っている時には不用意な発言はしない。だからこそ、勘と言ったシカマルが可笑しかった。そして同時に、彼が今どれだけ危険な立場にいるのか理解する。

(…私じゃなくてそっちがばらすってどういうことよね)

自分達を見ている二対の目へ心で呆れながら、サクラは寝ころぶシカマルの上に己の上半身を乗せた。途端に不機嫌そうなシカマルの声と、冷たい空気の温度が更に低くなったのを感じ取る。

さぁ、どうしよう。

シカマルを見下ろして、サクラは僅かに微笑んだ。彼の首に手を当てて、このまま力を入れようかとさえ思う。実際、上の二人はすぐそう動くつもりだったのだろうが、サクラがこんなことをしたせいで手が出せないのだ。

どうしよう。

もう一度心で呟いて、シカマルの耳へと口を近づける。同期の忍とか、気安い仲間とかそんな意識はなくて、『闇鴉』を守る為なら彼の死をも覚悟している自分が何だか不思議だった。ただ、死なすのは勿体ないとは思っていて。

『闇鴉』に『守座』に侵されている自分に初めて気付いた。


「貴方は生きたい?死にたい?」

だったら彼の生死は彼に決めさせよう。サクラの呟きに僅かに震えたシカマルは、今の言葉が言葉通りの意味を示すと気付いた筈だ。そして彼の言葉を肯定したということにも。

「…生かしてくれるのか」
「私の条件を呑むならば」
「…俺は里は裏切らない」
「別に私達の為に働けとは言ってないわ。手助けならお願いするかもしれないけれど」
「手助けねぇ…」

疑っているのか、それともサクラの言葉を吟味しているのか、シカマルは明確な答えを出さない。だが彼の答えなどわかっている。

「シカマルは何をしたいの?」

自分の身を案じるならば決して口にはしなかっただろう。好奇心を満足させるだけで自分の身を脅かすなど愚かな話。彼が求めているのは。

闇鴉を知ることだろう。

「最近楽しいことが少ないからな。たまには満足したいんだよ」
「それは珍しいことね。明日雷が降ってきそう」
「…予報は晴れだ」

微妙にずれている会話をする二人は、他人が見たら腹を立てそうなほどの呑気さを漂わせていた(すでにヒサメとナギがその状態だった)。サクラは彼の胸より少し上に頭を乗せて、どうしようかな〜と子供のように足をバタバタさせて呟く。

「ねぇシカマル。貴方さ…共犯になる気ない?」
「…あ?」
「色んなこと関係なくて、私個人の共犯になる気ってない?」

ふわりとサクラの髪から漂う涼やかな香りにシカマルは目を細めた。今彼の視界を塞ぐ桜色の髪の主は一体どいういう意味で、そう言ったのか推し量るように。

「私が貴方の考えたものになった理由。知りたくない?」

くるりと顔をシカマルに向けたサクラは微笑んでいた。穏やかで、柔らかい、まるで本物の桜の下で満開の花びらを一人見上げているような、そんな気分。

「言いたいのか」
「うん」

思わぬほど素直な言葉にシカマルは毒気を抜かれる。だがこの顔と言葉に警戒していた気持ちはすべて吹き飛んだ。

「…俺でいいならな」

ぽろりと出た言葉にサクラは目を丸くして、そして満面の笑みを見せた。それは何かから開放されたような、ほっとした顔にも見えてその中に隠されたものへと、シカマルは眉を潜める。


近づくサクラの顔と。

耳元への吐息。


体が痺れるような感覚に頭がくらりとなる。
だが、ゆっくりと動いた唇が吐き出した言葉は、それ以上の感覚をシカマルに与えて。



マジかよ。



こんな秘密を抱えていた少女の顔が、悪魔に見えた瞬間だった。




ふんふんと鼻歌を歌う一人の少女。子供のように大きく手を振って、今にもステップしそうなほどの勢いで道を歩く。そんな彼女の後ろを…ではなく、頭上から追い掛ける二名は、彼女の機嫌とは反対にイライラとした気配を出来るだけ押さえつつ、彼女が人気のない場所に行くのを今か今かと待っている。

(何て今日はいい日なのかしらっ!こんなに気分が良いのはサスケ君に会った日以来よねっ!)

うっとりとした顔のサクラは、すれ違った人からぎょっとされたことにも気付かず家への道を辿る。ちなみにシカマルは先ほど別れたばかりだ。彼の足取りがよろよろとしていたのはサクラの最後の言葉にどれだけ衝撃を受けたか、ということなのだが今のサクラにそれを気付けというのは無理なことだった。

(でも問題はシカマルが消されないようにしなきゃいけないってことよね)

シカマルが自分と闇鴉の関係に気付いたのを知るのは二人だけだ。妙な気配を振りまきつつ自分を追い掛けてきてるので、まだ森に居る者達は知らないが、このことが知られればシカマルの命はあっという間に消される。彼等は自分達のことについてはかなり保守的で用心深い。彼等の背景を考えれば当然のことだが、それでは困るのだ。

(夕闇さん辺りが真っ先に突っ走っちゃいそうなのよね…)

その想像があながち間違いでないことにぞっとしながら、彼もそうだがイルカと覚眠を納得させる理由も考えねばならない。しかしこちらの方は以外とすんなり行くかもしれないとも思う。

前からサクラは里の情報が欲しかった。
こんなことを言えば警戒されそうだが、里が闇鴉のことをどう考え、どう利用していこうとしてるのか知りたいのだ。一介の忍がこの里を率いている火影がどんな人物なのか確認することは難しい。今は自分の存在を隠したまま彼女との関係を続けているが、それも時間の問題だ。自分が火影を見定める時が来る。その時に自分が、『闇鴉』がどうするのか、それはサクラが考えなくてはならないことだ。

その判断材料として情報が欲しい。
そしてそれを得る為に、シカマルという人物はとても都合がいい人なのだ。

彼の在籍している作戦部。
彼等は火影と接する機会が多く、今里にどんな任務が来ているのか有る程度把握できる立場にある。もし『闇鴉』に任務要請が来た場合、隠された情報なども彼から得られるかもしれない。危険な任務を割り振られるならば、その情報がどれだけ自分達の命を守ることになるか、それはサクラでも十分わかっている。今だ自分達を良く思っていない者達が危険な情報をわざと隠しているという事態を防ぐ為にも、彼は必要な存在なのだ。

そしてもう一つは。
息詰まっている自分に手を貸して欲しかったから。

(…すっごく驚いてたわよね)

彼の耳元で囁いた瞬間、顎が外れそうなほど口を開けたシカマルの顔など誰も見たことがあるまい。何事も受け流し、予め予想していた事柄を常に持っている彼でもこれは驚き以上のものだった筈。だが、同時に頭の中ではこのことが引き起こす事態を色々考え始めただろう。

自分が何故『闇鴉』になったのか。
それを口にしなくても、彼はわかった筈だ。




イルカ先生、生きてるの。




自分の願いと共に。


「…そろそろ、こちらの世界に戻って来ていただきたいんですが…サクラ『様』」
「…ナギ。びっくりした、急に目の前に現れないでよ」

いつの間にか人気のないところに居て、面を付けた青年が一人居たら誰だって驚く。はぁっと大袈裟にため息をついて見せたサクラだが、ナギの気配はぴくりとも変わらない。
…いつもなら乗ってくれるのに。

(やっぱりシカマルのことよねぇ…)

ナギの尋常鳴らざる様子にヒサメも恐れを抱いているのか、彼は木の上に腰掛け見物としゃれ込んでいる。彼も夕闇と同じく、突っ走るタイプなので姿が見えないことにヒヤリとしたのだが、取りあえずサクラの意見を聞いてからという様子が伺える。
何にせよ、イルカ達に説明に行く前に彼等を納得させる必要がありそうだ。

「彼に手出ししたら怒るわよ?二人とも」
「理由をお聞かせ下さい」
「彼が必要なのよ。私達の為に」
「里の忍の力など誰が借りるか!!」

説明を続けようとしたサクラの言葉をヒサメが遮る。やはり様子見というのは彼の性格ではないらしく、面を外した彼は怒り心頭の顔でサクラを睨んだ。

「俺達に里の忍の力など必要ないっ!俺達のことは俺達でやれる!そうだろう!!」
「そうね、貴方達ならそうなのかもね、でも私は違うわ」
「…どういうことです」

面を外したナギは、何時もと違って厳しい雰囲気を漂わせてサクラを見ていた。怒りをそのまま現しているヒサメといつもの顔を見せながらも、心の中ではサクラを非難しているだろうナギ。二人は全く違うタイプだが、考え方は似ているのでヒサメ動揺ナギもシカマルに対して納得してないことが伺えた。

「私は『闇鴉』を守らなきゃいけないの。どんなことをしても」

『闇鴉』達より弱い自分が、使える方法は限られているのだ。

「力も知力も『闇鴉』の人達には敵わない私ができる方法は、里の忍でもあるという利点を生かすこと。里の忍達が何を考えて、私達をどう思っているのか、私はそれを知りたい。シカマルはそれらを一番得やすいところにいるの、彼は私の知りたいことを一番知っている、知ることができる。だから彼が必要なのよ」
「里の考えなど我らには必要ない。そんなものがなくとも、我らは我らのしたいように生きていけるでしょう!」
「そうかしら?本当にそう思っている?ナギ」

自分の口から言わなくとも二人にもわかっている筈だ。

里から、ここから完全に離れて生きていくことなどできないと。
ここが嫌ならさっさとどこかへ行けばいい。彼等の実力なら追ってからも逃れ、別の道或いは別の里へ行っても十分やっていける。だがそれをしないのは、この里に「木の葉」に未練があるからで。

「だけど私達は私達の想いを貫かなければいけないとも思うの。後手に廻っていつの間にか里に絡め取られて、言いなりになるのは嫌。私達の想いが無になるのは絶対に嫌なの。私はね里が嫌いで、でも好きな『闇鴉』皆を守る為に入るの。その為には協力してくれる里の忍も力も必要なの。その為に私は彼を巻き込む。彼を巻き込んで、情報を手に入れて私達が『闇鴉』らしく生きる為の手段とする。…それが力のない私ができる『守座』やり方なの」

里の一部に組み込まれても、自分達を貫き通したい。
この愛しさ故に憎んでいる里を、離れがたい故に留まっているこの里を。

「私は私なりに『闇鴉』を守りたいと思っているのよ。ナギ、ヒサメ」

そう微笑むサクラを二人は無言で見る。
きっとこれからも自分の取る方法の中には、気に入らないものもあるだろう、受け入れがたいものもあるだろう。でも自分を信じて欲しい思う。『守座』を受け入れた時から、自分も『闇鴉』のことを想う一員であることを。

「…お前が守座であり続けるならば」

いつの間にか傍に降りてきたヒサメが腰を少し屈め、サクラの目線と合わせてきた。

「その責務を果たそうとする限り、俺はお前を守る。それは同時に闇鴉を守ることになるからだ。だから…お前は好きにすればいい。俺は…俺達はその背を守り続けるだけだ」
「ありがとう、ヒサメ」
「…達と付けたのは上等だね、ヒサメ」

先ほどまでとは違って、柔らかい気配に変えたナギがいつものように笑みを浮かべてサクラを見ていた。彼にもありがとうと口にして、サクラはほっと力を抜く。自分でも気付かぬ間に緊張していたらしい。


「ようやく自覚が出てきたということでしょうか?」


「覚眠さん!?」

サクラだけでなく、ナギとヒサメもぎょっとして声の聞こえてきた方を振り向けば、彼だけではない他の部隊長達も顔を揃えていた。

「もしかして今の…」

聞いてた?と顔を引きつらせていれば、イルカが困った顔を見せて。

「俺達に隠し事するなんて百万年早いんだよ、てめぇら」

夕闇がドスの聞かせた声で縮こまっている三人へと殺気を放ち。

「という夕闇を止めるのに一苦労だったがな」

ぼそりと呟いた夜明の言葉にサクラは頭痛を感じ。

「これからどうなるか見物だが」

疑いを込めた朝飛の声が届く。
地獄耳…とサクラが内心呟けば、ふんと誰かが鼻を鳴らした。サクラが彼等に隠しごとをするのは、まだまだ修行が必要なようである。

「…で?皆さんがお揃いなのはどうしてかしら?」

まさかそのことだけで雁首を揃えていたわけでもあるまい。少し不機嫌な顔でそう言えば、イルカがこくりと頷いた。

「ああ。そろそろ闇鴉も本格的に動かす時期に来ているからな。それについて話し合った方がいいと思ったんだ。役割分担等もそうだが、守座に紹介していなかった部隊のこともな」
「え。そうなの!?まだそんな部隊がいたの!?」
「部隊と言えるのかわからないけどな、あの雛共」
「…??雛??」

夕闇の言葉に疑問符をたくさん浮かべたサクラ。後から連れて行くという夕闇の言葉が何だか不吉だ。

「あと詳しい我らの組織も説明しましょう。あと彼についても色々とね…」

楽しくなりそうだと呟く覚眠がちょっと怖い。朝飛と夜明は無言を貫き通し、イルカはどこか複雑そうな顔をしていた。きっと本心ではシカマルが自分達に関わらせるのは反対に違いない。だが守座としての決定には表立って反論できないのだろう。…させるつもりもないが。

「でも守座様」
「?ナギ?」
「非常に言いにくいのですが。彼にあのような接し方をするのは良くないかと思いますが」
「あの…?ああ、シカマルの上に乗っかったこと?」

きょとんとした顔で言ったサクラに、数個の強張った顔が向けられる。

「…乗っかる?」
「だってシカマルが寝転ぶんだもん。話をするには顔を近づけ…」
「はぁ!?」

なんだか皆妙な顔をしている。
もしかしたら言い方が悪くて誤解をしているのかも…と思ったサクラがもう少し詳しく説明すれば。

「いい機会に逃げられるのもなんだったし、自分の上半身で抑えたの。それに大きな声で話せることでもないから彼の耳に近づけて…ってそれだけ…」

なんだけど。
どこから深いため息が聞こえ、皆呆れ顔。夕闇の額がちょっとぴくついているのは気のせいか。

「守座様」
「はい?夜斗さん」
「そういう体制はちょっとどうかなぁと思うけどね」
「え?」
「まぁ…何というか彼も年頃の男なんだし」
「…え?」

サクラは少し考えてぽんと手を打つ。そうか、皆はシカマルと自分が何かなってしまうと心配してるのか。

(いやね〜私にはサスケ君がいるのにっ!)

「変な心配しすぎ!私にはちゃんと心に決めた人がいるんだからっ!」

と安心させるつもりで言ったのだが、イルカがまずいといった顔をしてるのに気づき、サクラは己が墓穴を掘ったことに気づく。

「な、なんだとっ!!誰だっ!!それはっ!!」
「聞いてないですよ!守座様っ!!」
「お前達!!護衛していて気づかなかったのかっ!!」
「そんな奴を見たら俺達が黙っている筈ないですよっ!!」
「ということは貴方達の目を盗んで…」
「ななな、なんだと覚眠っ!?おい!そうなのかっ!!」

夕闇を筆頭に、ナギとヒサメが騒ぎ出し覚眠がさりげなく場を混乱させて楽しんでいる。

「お…落ち着けっ!三人共!!」
「お前は知ってたのか!?夜斗!!」
「えっ」

微妙に視線を逸らしたイルカを三人が見逃す理由もなく。

「夜斗!!」
「「夜斗様っ!!」」
「お、落ち着けってっ!!!」
(ごめんイルカ先生)

三人に追いかけてられているイルカに心で謝っていたサクラだが、この騒動を引き起こした彼女に何もないわけはなくて。

「で?どんな男ですか?それは」
「…やっぱり女の子ということか…」
「面倒なこと言ってくれたな。当分あいつらに言われるぞ。ま、お前が引き起こした種だけどな」

これはこれで怖いと思ったサクラだった。

さくら (2007.1.6)