さくら

第47話:闇への誘い



大事にして大事にし過ぎて、相手と己を見失う。
目を閉じて、静かな場所でもう一度考えよう。

一体自分は何をしたいのか。


自分がすると決めたのは何か。


サクラは小さな滝の音しかしない場所で一人佇んでいた。朝の冷たい空気が彼女の神経を目覚めさせ、森の気配と一体化する心地よさをサクラは存分に味合う。

サクラは一人過去へと遡っていた。
中忍の自分、闇鴉と会う前の自分、下忍としてスリーマンセルを組んでいた頃へと。

あの頃は幸せだった。
無知という愚かで甘い時間。
厳しくも優しい時間。
心の置ける仲間と師に囲まれて、彼等に守られて忍の世界を生きていた。

その幼さの中で知ったこと。
自分の力でできることは限りがあるのだと思い知った。今思えばそれも甘えの一部だったのかもしれない、驕ってと言ってもいい。あの時の自分はあれが自分のできる最善の策だったと思っていたのだから。

(愚かに愚かを重ねた結果が今の自分)

あの時、見守る立場をとった自分は本当に正しかったのか。口出しすることではないとそんな生意気な口を聞いて。

「って…後悔ばっかりしてたって何もならないわよね」

自己嫌悪に陥る為に来たわけではなにのにと、ため息とともにその気持ちを吐き出して、サクラは冷たい水の中へと手を入れた。そして背後に隠れている相手へと、手裏剣を投げつける。

「ちょっと付き合ってね?ヒサメ」
「…強制かよ」
「ついてこないでって言ったのに来た罰よ」

サクラの言葉にうっと小さなうめき声を出したヒサメは、聞こえよがしのため息をつく。だが態度は面倒と見せても、本来面倒見の良い(サクラ限定らしいが)彼は、否と言うことなくサクラの傍に降り立った。指を二本たて、森に溶け込むような軽い結界を張り、準備万端で居るサクラへと向き直る。

「行くぞ」
「お願いします!あ、早々昼からデートがあるからそれまでには終わらせてね」
「!?何!」
「じゃ、行きます!!」

説明しろと叫ぶヒサメに構わず、サクラは体術を繰り出した。無論それは軽く受け止められた挙げ句に横に流されてしまい、サクラはむっと口を結ぶ。

「ちょっと!真面目にやってよ!」
「五月蠅い!人の質問に答えろ!!」
「え?何のこと!!」
「だっ…だからっ…!!デートの相手だよっ!!」
「…?何でそんなこと気にするの?」

ばしばしと組み手を繰り出す間にそんな会話をする二人。サクラは真面目なのだが、ヒサメはかなり気が散っているようでいつものスピードが見られなかった。

「ヒサメ!!」
「だから人の質問に答えろって言ってるだろっ!!」
「だからどうしてそんなこと気にするのよっ!!!」

成り立っているようで成り立っていない会話を繰り出しながら続けられる修行は、昼少し前まで続いたのだった。


「…何でそんなにぼろぼろなんだ。任務でも受けてたのかよ」
「違うわよ。修行よ修行。私真面目だから」

待ち合わせの場所にいたシカマルが、呆気にとられた顔をしているのを見て、サクラは容赦どころか滅茶苦茶に相手をしてくれたヒサメを恨む。

(何なのよ今日のヒサメは!!腹立つわねっ!!)

結局約束の時間ぎりぎりまで修行が続けられ(サクラが話さないから)、泥だらけの服を着替える時間しか取れなかったサクラは、赤い痣やいつもよりぼさぼさになっている髪に内心うめき声を上げていた。だがそんな乙女の心などシカマルはああの一言で終わらせ、昔から変わっていない気怠げな声を出して歩き出す。

「で?今日は何を付き合えばいいって?」
「日用品を揃えたいの。色々切れてるものがあるから」

シカマルの横に並んで歩き出したサクラは、木の葉の里でも大きく物が一番揃っている店へと向かう。もともと口数の多いわけではないシカマルは、サクラが話しかけないと口を開くことはなかったが、のんびりと話を合わせてくれる。

「ところで、そっちはどうなの?新しくなったところは慣れた?」
「まー慣れたってか、そこそこにな。仕方がねぇからなぁ」
「…相変わらず面倒な口ぶりね」

肩を竦めてサクラの批判を交わしたシカマルは、店に着いたと顎を引いた。そして店の壁によしかかる彼に目を細め、その腕を無理やり引っ張った。

「おいっ!!」
「ここで楽しようって言ったってそうは行かないわよ。ちゃんと中でも荷物持ちしてもらうわ」
「あのなぁ…」
「ご安心を!心配するようなものはないですからね!!」

女性に必要なものが色々あると変に頭を働かせたシカマルを叱咤し、サクラは容赦なく彼を店の中へと引っ張り込んだ。彼の顔に浮かんだ諦めの表情を見て、勝利の笑みを浮かべたサクラは喜々としてドアを開けたのだった。


(ったく何で俺がこんな目に…)

女の買い物は長い、重い、面倒だと言って憚らないシカマルだったが、腕の中に一抱え分も買った荷物にうんざりとした顔をした。だがこの店は頼めば後で配達してくれるので、それだけは感謝する。買うまでに荷物を持たされて、怠くなった腕をさすっていれば、その手続きを終えたサクラが満足げな顔でこちらに向かってくる。

「それじゃ、行くわよ。シカマル」
「…まだあるのかよ…」
「はぁ?何言ってるのよ、用があるっていったのはそっちじゃない」

まだ他の店に行くと思ったのだが、サクラの用事はこの店で終わったらしい。むっとした顔のサクラに悪いと一言言い置いて、シカマルはう〜んと頭を掻いた。

「じゃ、この前のとこ行くか」
「どこだっていいわよ」

そうしてこの前の場所に着いた二人。サクラはどこからか棒を見つけて地面にガリガリと音を立て始める。

「それじゃ今度は闇の中の任務と行きますか」
「お前作戦部じゃないのに良く次々と出るな…」
「失礼ね、医療忍者としてそれなりに任地へ行ってるわよ、そっちこそ現役なんだから失望させないでよね」

つんと顎を上げたサクラは地面の図を完成させる。と言っても書かれてあるのは一つの家だけだが。

「今回は館への潜入よ。時間は…」

二人は真剣な顔を付き合わせて、状況の変化を産みだしていく。時間が経つにつれて家の図は複雑になり、敵の登場、目的のものの配置、時間制限まで書かれていった。

「……まぁ、それなら任務の成功させてもいいかもね」
「……まぁって…ずいぶんと頭の痛い状況作ってくれたもんだな」

何とかサクラの任務をクリアしたシカマルは、こいつの相手をしたら疲れるなとごろりとその場に寝ころんだ。同じ作戦部の同僚を相手にしてもここまでの者はあまりいない。疲れたがどこか心地よいとさえ感じる疲労感に浸り、シカマルは静かに目を開けた。

「春野」
「?何?」
「お前って何者?」
「はぁ?」

唐突な質問にサクラが本気で戸惑っていた。しかしシカマルはずっと考えていた。この前の任務の時の彼女の強さを。自分が今まで抱いてきた違和感。そして辿りついた突拍子もない、勘がだけが告げるその言葉を。


「『闇鴉』」


ヒヤリとした空気が流れたように感じた。シカマルを見下ろす目も、雰囲気も何も変わっていないのに、何故か冷ややかな空気がその場を包む。

「…ねぇ。シカマル突然何を言うわけ?それって例の部隊のことよね」

何故か白々しく聞こえるサクラの声。声の高さも言葉の感覚も何一つ変わっていないと頭が判断するのに、シカマルはそう思ってしまった。隣に座るサクラを感じながらシカマルは目を閉じる。視界から彼女を閉め出したかったわけではないのに、今サクラの顔は見たくなかったのだ。

「勘」
「勘?」

呆れた笑い声だけがシカマルの耳に届く。そして興味深そうなサクラの視線。そして次に感じたのは柔らかさ。

「…おい」

寝ころぶシカマルの上に、サクラの上半身の重みがかかる。サクラはまるで恋人達が戯れるように寝ころんで、間近になったシカマルの顔を見下ろしていた。普段から冷静さを言い聞かせているシカマルは、己の胸の上にある柔らかさに少し狼狽しつつ、ゆっくりと目を開ける。

真っ直ぐな緑色の瞳が、これ以上にないぐらい傍にあった。

シカマルは同年代の男達よりも女性に興味はない方だった。女性は面倒で口うるさいとの意識が強い彼は、任務をしていた方がマシだと言って憚らない。しかし女の子達を綺麗や可愛いぐらいは思ったりはする。特に好きな男の話をする女の顔は、見知っている筈の幼なじみの顔と雰囲気を変えてしまうほどの効果があることを知っている。

知っているが、それとこの顔は同じなのかとシカマルは思った。

自分を見下ろすサクラの顔。
周りの男達の話を聞けば、彼女は可愛いのだと言う。そしてシカマルもそうだろうとは思っていたが意識はしたことはない。だが今の自分を見つめる顔には、その言葉すらも越えてしまう別の感情が入ってきそうな感触をもたらした。
可愛いとか、微笑ましいとか、好きだとか、そんな軽くて穏やかで笑えるようなものではなく、怪しげで、感情ではなく本能に訴えて来そうな、自分の意識を支配されそれに従わされてしまいそうな。

そんな目。

気付かぬうちにサクラの手がシカマルの首に伸びていた。端から見れば今にも口づけを交わしそうな、そんな間近で互いの顔を見つめて。

「…シカマル」

サクラは彼の耳に触れそうなほど、唇を近づけて。息が動くその感触に震えようになるシカマルのことなど気にせずに、言葉を続ける。

「貴方は生きたい?死にたい?」

愛でも呟くように囁いた。

さくら (2006.10.31)