さくら

第46話:傷ついても



風呂で体を休めた途端襲ってきた眠気に逆らうことなく、サクラはベットに身を沈めた。部屋に入った早々、姿を現した華式はサクラの傍にいるだけで満足なのか彼女の枕元で丸くなり、同じように眠りにつこうとしていた。

「クワ」

首を挙げ、飛ぶように窓枠に近づく。カーテンを潜るように進み窓の外を見た華式は、そこにナギの姿を認め、咎めるよう小さく鳴いた。華式の許可が無ければ部屋に入ることはできないと、困った顔をする彼の横に、珍しい人物を見て華式は声をあげた。それに答えるよう肩に乗っていた対の鴉がサクラの様子を知ってか、クワクワと小さく答えた。

「……クァ」

不承不承という態度で華式はサクラの枕元へと戻り、彼女の髪を引っ張る。だが疲労に抱かれている彼女はなかなか目を覚まさなかった。仕方がないと華式は彼だけの入室を許可する。肩に乗る鴉がカァと答え、その人物だけが部屋の中へと滑り込んだ。
彼が見下ろす少女は、年相応の顔で眠っていた。彼女が忍びの世界にいること自体、信じられぬような気さえする安らかな顔だった。だがそんな感傷をいつまでも抱く彼ではない。

「守座」

 自分の気配を少し広げ、居ることに気付かぬ少女を咎めるように呼べば、サクラは目を開けると同時にベットから飛び降りる。

「……あ、れ?覚眠さん」
「本当に忍か?守座」
「え?」

 自分の部屋であることを確かめ、サクラはカァと申し訳なさそうに鳴く華式を眺めた。

「夜中に乙女の部屋に入るなんてっ!」
「では、夜這いとでも言えば満足するか?」

すっぱりと切り替えされたサクラは言葉を失う。覚眠から冗談が聞けるとは思わなかったと、気持ち悪そうに彼を眺めれば覚眠は眉を潜めた。

「すまない、ありえない冗談だったな」
「………ちょっと、その言い方はないと思うんですけど」
「そうか。それよりも話がある」
(さらりと話と変えるところがもっと腹立つんですけど…!!)

確かに彼に気付かなかった自分にも問題があるが、ありえないなんて言葉をつけなくては良いのではとも思う。複雑な女心を抱えながらも、サクラは彼に頷き返すと警戒態勢を解いた。

「その前に、無事ご帰還されたこと嬉しく思うと言っておこう」
「…はぁ。ありがとうございます」

棒読みでそんなことを言われてもなと思いつつ、取りあえず礼を述べれば覚眠の中ではすでに終わった話となったようだった。

「で、戻った早々のお話は?向こうで何かありましたか」
「…あったというのか。それともずっとあったというべきか」
「はい?」
「…長くなると思うがいいか」

自分に確認する覚眠に目を剥いて、だがそれ故に話の重みを感じたサクラは頷いた。すでに頭はすっきりとしており、昼間の疲れなどどこかに飛んでいた。サクラは冷蔵庫からお茶を出し、二人分カップに入れる。それを手渡すと短い礼があり、サクラは座るように勧めた。覚眠は床を選びそこに腰を下ろす。そこは玄関からの死角でもあり、例え窓から覗かれてもベットが邪魔になって見えないだろうという忍らしい選択だ。敢えて明かりをつけないのは、夜中では目を引くものになってしまうことと、二人ともそれがなくとも闇の中を動くことができるから。

「それで、お話とはなんですか?」

向かい合うように床に腰を下ろし、サクラが話を促したが彼はしばし沈黙した。

「我々の存在は里にとって歓迎されるものではない。だが行き場を失ったと思った忍にとっては最後の場所だ」
「…」
「ここから出ていける者達がいないのも、落ちるところまで落ちたからだ。後は里への復讐を誓うか、己の命を消し去るのみか。そんな選択肢か残されていなかった我々はだからこそ、ここに踏みとどまる為の結束を守る。互いの事情など知らぬ。ただこの里を想う気持ちは同じだと、それだけを想って」

闇鴉が生まれた謂われはサクラも知っている。ここに属さざるを得なかった忍達のことも。それをわざわざ覚眠が言うのは、この気持ちを知らぬサクラに改めて言い含めようとする故なのかと。まだ仲間になりきれていないと目を伏せるサクラを余所に、話は続いていた。

「だからこそ、それをまとめる部隊長は重要だ。限られた人数の中とはいえ、己と部下の重みを背負う柱なのだから。我らは誰かに依存することはない。だが、背を預ける相手は必要なのだ。その主軸が部隊長」
「覚眠さん…?」

話が考えていたことと違う方向へ向かっている。サクラは彼の真意がわからず声を出したが覚眠は答えない。互いの存在はわかっても、この深い闇の中ではその表情まで推し量ることは出来ない。いつものように淡々と話す彼。だがその表情が暗いと感じるのは気のせいなのか。

「部隊長が壊れれば、部下の心にもヒビが入る。それは闇鴉の骨格を揺らす」

それは誰のことを言っているのか。

「部隊長は部下には見せてはならない」

サクラにははっきりとわかった。
沈黙を選んだサクラに、覚眠の眉は潜められた。訝しげに、そして驚きに瞬時に変わった瞳だったが、それは闇と冷静さが覆い隠した。だからこそ、次に出た言葉は。

「気付いていたのか」





「はい」





サクラは小さいながらもはっきりと答えた。

「だったら」
「気付いていても、何かができるとは限らないんです」

何故放っておくという言葉は遮られた。覚眠の耳に、水が喉を通った音が届く。

「何かをしたくても、解決したくても何が最良なのかわからない。チャンスは一度しかないから、いえそれすらあるのかわからないから。私は…」

慎重になりすぎて身動きが取れなくなるのだ。
覚眠は無言で立ち上がった。それを非難と受け止めたサクラは、はっと顔を上げる。だが落とされたのは静かなる声だった。

「我らは、仲間であっても互いの過去は語らない。詮索しない。それは無言のルールでもあり、掟でもある。だが、それを唯一許される人がいる」
「え…?」
「聞くべきではないのだろう。尋ねるべきでもないのだろう。だが、人は不思議なもので、時に知って欲しいとも願っているのだ。愚かな甘えに縋り、それを分かち合って欲しいと」
「覚眠さん…」
「それを彼に願うのは貴方だからこそ許される。いや、それが証というのだろう。何故なら」





彼が選んだのは貴方だから。





するりと入った夜風はすぐに部屋から消えた。手を付けず、床に残されたカップだけが夢ではないと語る。覚眠は責めなかった。いや困難さを感じ取ったからなのかもしれない。だけどそれを解決できるのは自分だけだと教えてくれた。

その方法も。

向かい合うことなど考えていなかった。
それはただ彼を傷つけると恐れていた。
だけど時には必要なのだ。


彼の心を暴くことも。


それをしていいのも、しなくてはいけないのも自分だけ。




サクラ。
助けて。




彼の声が響いた。

さくら (2006.8.31)