日も暮れてきて、そろそろ夜営の場所を捜さなくてはいけないと思った頃、シカマルは自分でも分からない内に足を止めてしまった。 「どうしたんですか?」 ムスビが不思議そうに問いかけたが、シカマルはそれに答えずじっと前方を見たまま。何かあるのだろうかと、コウメがぎゅっと口を結んだ時、最後尾を歩いていたサクラが彼女の肩をぽんと叩く。 「大丈夫よ」 「は…はい」 振り返って彼女の笑みに安堵しようとした時、サクラは口だけを動かして彼女に警告する。 ユダンスルナ。 その言葉に戦闘の気配を感じたコウメは緊張の為か、ぶるりと震える。思わず引きつりそうになった頬に、サクラの手が触れた。 「あ。頬冷たいわね。冷えちゃった?」 先ほどと変わらない笑顔。 悟られるなと言っていた彼女の笑顔に答える為、コウメは一度唇を噛みしめた。 「大丈夫です。体力だけはありますから」 「そう。良かった」 二人のやり取りに首を傾げていたムスビと、サクラが何を伝えたかったか悟ったシカマルは止めていた足を動かした。 「行くぞ。ムスビ。後ろばかり向いているな。ちゃんと前を向いて歩け 」 「あ…はい」 突然の忠告にムスビは目を丸くさせ、慌ててシカマルの後を追う。しかし何度か実線を経験しているからだろう、シカマルの言葉に何かを悟り、ムスビはきゅっと表情を引き締めた。 「今日もゆっくり休まないとね!明日も毎日歩き通しなんだから」 敵が迫っているというのに、余裕を崩さないサクラをコウメは尊敬の気持ちを込めて見返した。時に医療忍者は前戦の中も走り回り、味方の治療をするという。そんな経験を沢山積んだからこそ、そうしてられるのかと彼女の心の中に小さな何かが芽生えた時。 風を切り裂く音。 無数の気配。 そして姿を現した者。 「…木の葉の忍者だな。その巻物渡して貰おう」 指揮官らしき男がシカマルに向かって手を伸ばす。 それは自分達の優位さからくる余裕なのか。 のこのこと姿を現し、自分から目的を告げたばかりか、取り囲んでいる者達も気配を隠そうともしない。 (…舐めてくれるじゃない) この状況に緊張している下忍二人を余所に、サクラは苦い笑みを浮かべていた。だがこれで遠慮をすることはない。 「…シカマル」 忙しなく頭で作戦を練っていたシカマルは、サクラの言葉に振り返る。だが彼女の表情を見て、眉を潜めざるを得ない。 何故そんなに余裕なんだ。 「突破でいいのよね」 確認の言葉はシカマルが導きだしたものと同じ。 巻物が最重要書物などでないとは言え、これを里に持ち帰るのが自分達の任務。 そして自分達は窮地に陥っているわけではない。 「ああ」 その返答は、戦闘の合図でもあり。 ムスビとコウメの顔が固くなる。 答えを聞いた敵はその選択に呆れた笑みを浮かべた。 「やれ」 取り囲む敵達が一斉に武器を放つ。 しかしその合図に動き出したのは彼等だけではない。 ひゅうぅっと人の耳に届くギリギリの音が、空気を切る。敵の放ったクナイや手裏剣が、目的の者達に届く前に何かに弾かれた。 「行くわよ!!」 それがサクラの手首で動く鋼糸だと、敵が気付いた時にはタイミング良くシカマルの炎の術が放たれ彼等を襲う。鋼糸が弾じきれなかったクナイをムスビとコウメが防いだ。続いてやって来た敵の人数を減らす為に、サクラは鋼糸を放ち彼等を牽制する。シカマル達に近づこうと思っても、思わぬ場所から攻撃してくる鋼糸に、敵は翻弄され陣形を崩される。結果そちらに向かうのは、僅かな隙の間に入り込めたわずかな者に制限されてしまい、人数が多く圧倒的有利だった筈の敵側は同格の戦闘を強いられていた。 「何をやっている…!!」 指揮官は責めあぐねている部下に叱咤し、己も術を放つため印を切ろうとしたが、それを察したのかどこからともなく鋼糸がやってきて、彼の腕を掠める。 「ちぃっ!!」 後ろに下がり、木の枝に身を隠したものの、一体どうなっているのか術を放とうとした瞬間どこからともなく鋼糸がやってきて彼の邪魔をする。 「あの小娘…!!」 その声が聞こえたのかは知らないが、サクラが彼を見て小さく笑った。激しく動いているわけでもないのに、鋼糸は自由自在に走り回り敵を混乱させていた。指揮官はにがにがしく舌打ちをすると自らクナイを持ち、最大の障害物を思われるサクラに向かって走り出す。 「春野!」 「わかってるわ!」 指揮官がやってくるのにシカマルも気付いたのだろう、彼の警告にすぐさま答えサクラは両腕で操っていた片方の鋼糸を外し、クナイを持つ。その瞬間一気に防御が手薄になったが、その辺りにやってきた敵をシカマルが足止めしていた。 ガァンと敵のクナイを受け止めたサクラの腕に衝撃のような重さが落ちる。敵が男性というのもあるのだろうが、それに加えて腕力が強いらしい。これ以上受け止めることができないと判断したサクラはすぐさまその場から飛び去り、体勢を低くして男に向かい合った。だが男はもうその場にいない。 (…!後ろ!!) 転がるように横に避けたサクラは、自分の居た場所にクナイを振る男の姿を目に留める。ちぃっとすぐさま舌打ちが聞こえてきたが、男はサクラに呼吸をさせる間もなく、再び姿を消した。 (腐っても上忍ってことね!) 先ほどまで自分達を襲ってきた敵とは、力もスピードも段違いだとサクラは目元を険しくさせる。ナギとヒサメの訓練を受けているとはいえ、自分がそこまで及んでいないことを理解しているサクラは、散々鍛えられた気配の捉え方と戦場での勘を持って彼に立ち向かうしかなかった。 (前っ…!) 咄嗟に鋼糸を持っている手を動かせば、クナイを鋼糸で絡め取られ動きを鈍らせた敵の苦々しい顔が目の前にあった。手を引き、クナイを持っている腕に鋼糸を動かすと、敵は早々にクナイを放棄し、すばやく印を組む。 「火遁…!!」 ゴウッと襲ってきた炎を阻むため、サクラは腕にチャクラを集めて地面を殴る。 バリバリ…!! 盛り上がった地面は炎を阻み、サクラを守る。 再びクナイを構え、走り出そうとした男は何かに躓いたように、足を取られてその場に転びかけた。 「なっ……」 彼の足に絡んでいたのは鋼糸。 そこから足を外そうとしても鋼糸は地面に縫いつけられたように動かず、男が動けば動くほど彼の足を捉え鋭い糸を持って傷つけた。そして首に巻き付いてきた鋼糸は。 「それ以上動くと首が落ちるわよ」 少し息を乱しながらも、敵の首に巻き付けた鋼糸を握りしめ、彼を見下ろしていた。 「そうか…先ほど放棄した鋼糸か…」 サクラが片方の鋼糸を外した時、防御が手薄になったと思ったがそれは作戦のうちだった。完全にしてやられたと、男は唇を噛みしめながらもふんと鼻で笑う。 「だが…俺がこんな屈辱を……がっ!!」 何か言おうとした男の口から悲鳴が漏れ、彼はその場に昏倒する。首に巻き付いている鋼糸を使って自害を図ろうとした彼は、背後から現れた者によって意識を奪われたのだ。 「…ありがとうナギ」 「最後まで油断は禁物をお教えした筈ですよ。特に上忍クラスではこの方法を取る者が多いのですから」 「…そうね」 上忍ともなれば、自里の重要な秘密が漏れるのを恐れ死を選ぶ者も多い。特に上忍としてのプライドが高いものは、拷問を受けるよりもそれを選ぶので、捕らえた時は最も気を付けなくてはいけない。 「…向こうも何とか凌いだようです。それでは」 結局は手助けしてもらったなと思いながらも、この場をやり遂げたことにサクラは安堵する。 心配げな気配を漂わせながらやってきたコウメは、サクラの座り込んでいる姿を見て叫び声のようにサクラの名を呼んだ。 「春野中忍!!」 「え?」 しかしその声にくるりと振り返ったサクラを見て、コウメはほっとした顔でサクラの傍にやってきた。そして意識を失っていると思われる敵を見て、きゅっと顔を引き締める。 「そっちは大丈夫だった?」 「は…はい。数人捕らえましたが、何人かは…今奈良隊長が里に連絡を取っています」 「そっか。ご苦労様コウメ」 「い…いえ!そんな春野中忍こそ!お一人で…」 「運が良かったのよ。偶然最初に外した鋼糸の所に敵が来てくれたから…かなり危なかったけどね」 ひやひやしたと笑うサクラだったが、身を守ることで精一杯だった自分に比べればとんでもないとコウメは首を振る。そんな二人の元へ、ムスビとシカマルがやって来た。 「疲れた…」 ずっと鋼糸にチャクラを流して戦っていたので、サクラの疲労は限界まで来ている。それでもここで倒れるような無様なまねはできないと、彼女は無理をして笑っていた。 「…ムスビ、コウメ。夜営の準備をしてくれないか」 「「はい!」」 シカマルの命令に走っていく二人。私もと立ち上がろうとしたサクラの肩を、シカマルは押しとどめた。 「お前はいい」 「大丈夫だって…」 「嘘付け。座っているだけで精一杯だろう」 シカマルに見抜かれていたサクラはぐっとつまり、回答を避けるように横を向く。 「夜営の準備は俺達でやる。お前をおんぶって帰るなんてできないからな。早く体力を戻せ」 「……わかってるわよ」 しぶしぶながらも自分の状況を認めたサクラを横目に、シカマルはまだ鋼糸がついたままの敵をロープで縛りにかかった。サクラのチャクラが流れていない鋼糸は、もはやただの糸でしかない。先ほどまで自分達をずっと防御していた鋼糸の動きを思いだしたシカマルは、空に向かって深い溜息をついているサクラを眺めた。 (…なんて奴だよ) あんな風に鋼糸を自在に操る忍者をシカマルは見たことはなかった。しかも、彼女が倒した相手は上忍クラス。チャクラをほぼ使い切り、もう身動きができなくなっているとはいえ、サクラの力には驚かざるを得ない。 一緒に任務に就いたのは初めてだったが、彼女がこれほどの実力を持っているとは思わなかった。戦場に出ることがあるとはいえ…後方任務に就くことが多い彼女が。 何故こんなに強いのだろう? 敵を縛り上げ、目覚めても自害させぬよう猿ぐつわを噛ませたシカマルは、こくりと顔を動かしているサクラをじっと眺める。彼女を見る度に思っていた違和感。すっきとしない疑問。 サクラから目を反らし、暗闇に覆われた地上を照らす月を見上げる。 その際、月を横切った何かの鳥。 それを見て、パズルのピースが嵌ったように感じたが、その感覚は形にするまえに消えてしまう。 夜営の場所を見つけたのだろうか、ムスビとコウメの気配が戻ってきた。シカマルは隊長としての責務を果たすために、眠りかけているサクラの邪魔をしないようにと、そっとその場から離れていった。 さくら (2006.1.30) |