いつかこんな日がくることを予想できた筈だった。 彼の苦しみの深さを知っていたのに、いや…知っていたつもりだったのに、実際目の前に突きつけられるまで気付かなかった。何だかんだと理由をつけてイルカのことを先延ばしにした結果がこれだ。 (…私は…馬鹿だわ) 死んだと思われているイルカが危険を侵してまで、里にあるサクラの家に来たあの日。あの時の涙を…何故放って置いたのだろう。 (イルカ先生…ごめんなさい) 誰もイルカの苦しさを知らず、サクラは何もしない。イルカは自分の苦しさをどんどん胸の中にため込んで、それが納まりきれなくなったて。 悲鳴の代わりに戦いを。 ただ一人のことを想う代わりにその身を傷つけて。 (…馬鹿よ…私…これで守座だって言うんだから笑っちゃうわ…) くっと唇を噛んで、サクラは潤み始めた目を風で乾かすように出口に向かって速度を上げた。後から護衛の二人の慌てた気配を感じたが、振り返る余裕などない。 どうすればいい?何をすればいいの? だが、実際どうすれば良いのかなんて、サクラにだってわからない。どんな方法を取るの一番なのか。 彼が望む光の中へ返してあげられるのか。 「おい!」 自分達を無視して走り続けるサクラに痺れを切らしたヒサメが、苛立った声をかけたが、前を見るサクラの鋭い眼差しに言葉を飲み込んだ。まだ夜斗のことで怒っているのだろうか。事情を聞いた時、サクラから怒号とも言える真っ赤なチャクラを見たような気がしたヒサメは、その時を思い出して冷や汗を出す。 「ね、皆ついてきてくれると思う?」 「は?何だよいきなり…」 「勿論ですよ」 突然話しかけられてヒサメは思わずびくついてしまったが、ヒサメと同じくサクラに並んだナギからは力強い返事が返ってきた。 「皆貴方を認めています。それは…もうおわかりでしょう?」 「う〜ん、ちょっと都合がいいかな〜とは思ってたけど」 「んなことねぇよ。謙虚も度が過ぎればうっと惜しいぞ」 イルカを除けば、一番最初にサクラのことを受け入れてくれた二人の言葉にサクラは照れくさそうに微笑んだ。年が近いせいなのかもしれないが、この二人と話す時は構える必要もないほど、身近な存在として感じ始めていた。 「そっか。なら自信持とうかな!」 サクラは二人の顔を見て、嬉しそうに笑うと一つの決心を胸に秘め、森の出口に向かってスピードを上げた。 「お帰り〜アスマ君。任務終了ご苦労様〜」 「…カカシ…気持ち悪いからやめろ」 「うわっひどっ!そういうこと言うかな〜」 上忍専用の待機所に足を踏み入れた途端、ソファに転がるカカシを見て家に帰って寝るという選択は諦めたアスマだった。長椅子に寝そべるカカシの足を蹴り落とし、深く腰掛けたアスマはカカシの文句を聞き流し、ようやくタバコに火をつけた。 「だだの報告なのに長かったね」 今までアスマが居たのは火影の執務室。任務の経緯や前指揮官を含めた死亡した忍の数、後始末などを報告は予想以上に木の葉に打撃を与え、火影の機嫌を損ねていた。勿論その中には、作戦部の忍のことも含まれており、木の葉に帰るまでずっと火影に口添えしてくれと言っていた彼のその後は知る由もない。だが、アスマが執務室に止め置かれていたのは、彼が取った作戦の内容の為だ。 闇鴉。 火影でさえその存在を掴み切れていない彼等と正式なコンタクトを取ったのはアスマが初めてだった。アスマからの要請で任務依頼を送ったものの、彼等がそれを受けてくれるのかは綱手でさえもわからなかった。何しろAランク任務以上は絶対に承諾しなかった。その彼等が初めてSランクに同意したのだ。それを知った時、綱手でさえもすぐに信じられず、何度も「諾」と書かれた一文を読み返したほど。 そして何よりも驚かせたのは… その任務に『守座』が現れたとアスマから報告されたことである。 「どうだったのさ」 「…てめぇ。何で知ってる」 いつの間にか起きあがっていたカカシは、組んだ足をぶらぶらさせてアスマへ質問した。一見ぼーっとしているようだが、アスマの言葉を何一つ聞き逃さないと耳を澄ませているのは明らかだ。じろりと睨めば、隠した唇がにやりと笑ったのがわかった。 「俺の情報網舐めないでよね〜」 闇鴉のことは他言無用と部下達に厳命したアスマだったが、耳ざといこの男のことだ暗部の情報網を駆使して捕らえたのだろう。綱手からも口止めはされている為、カカシ以外の人間から聞かれれば白をきり通したが、この男が相手ではそうも行かない。何しろ火影の依頼で、彼等の存在を見つけようと走り回っていたのだ。居たくもないこの里の中で。 「…会った。奴らの頭にな」 ふぅっと吐いた煙の影で、カカシが目を開いたのがわかった。まさかそこまでの人物が出てきたとは思っていなかったのだろう、僅かな間の後にへぇ…と呟いた声からその驚きの大きさが伺い知れる。 「だかよ、カカシ。それ以上に驚いたのは…」 膠着どころか追い込まれていたものを勝利へと導いた彼等の強さ。圧倒的な力の差に、恐れにも似た感情がアスマの中を駆け抜けた。こんな奴らが里に居て、火影でさえも手に余している。敵に回せばどんなことになるのか、考えたくもない。 そしてそれを率いているのが、子供だとは。 「…危険だねぇ…」 「ああ」 「でも何でアスマの要請に応えたんだろうね。俺はそっちの方が気になるよ」 「ああ?何でだよ。んなの偶然か気まぐれだろう?それまで小さい奴ばかりだったからな、そろそろ…ってことだったんだろうさ」 「そうかね。俺はそうじゃないと思うけど…ま、んじゃね」 聞きたいことだけ聞いてさっさと居なくなったカカシ。彼の気まぐれはわかっていたものの、アスマは深い溜息をついた。 「……俺だからってことかよ」 そう考えて見て、ふと闇鴉のことを教えてくれたシカマルのことを思い出す。彼は自分より早くに里に戻っている筈だ。 「ち…めんどくせぇな…」 疲れた体にむちうって、アスマは歩き出した。 何故だろう。戦うたびにあの人の姿が遠くなるのは。 近づけないとわかっていても、手を伸ばす。だがあの人はどんどん行ってしまう。 ………で。 身勝手な言葉だとわかっていても、そう呼びかけて。 お願い……だから。 …………で。 「カァ」 イルカが目を開けると、待ちわびていたように『夜斗』が鳴き翼をばたつかせた。イルカは飛び回る『夜斗』をぼうっとした目で追った後、今まで自分は何をしていたのかと、まだ鈍い頭で考え始める。 「ようやくお目覚めか」 「………夕闇?」 「言っておくが別に見舞いに来ていたわけじゃないぞ」 何故か変な言い訳をする彼にイルカは首を傾げ、起きあがろうとするが体中から痛みが走りイルカはうめき声を上げた。 「まだ寝ていろ。包帯だらけだぞお前」 「包帯…?」 「覚えてないのか。ずいぶんと珍しいことをしたんだってな」 暗闇に包まれている室内では、夕闇の顔をみることはできなかったが、言葉の中に面白そうな口調を滲ませていた。その言葉の意味をようやく理解したイルカは息を飲み、こちらの顔が見えないことをいいことに視線を落とす。 (生きていたか…) 自虐的な笑みを浮かべるイルカの気配を感じ取ったのか、『夜斗』が静かになりイルカのもとへすり寄ってくる。ふぅっと息を吐いたイルカは、静かにこちらを見つめる夕闇に気付いて、眉を潜めた。 「…なんだ」 「…守座が怒っていたらしいぞ。ま、俺はさっき任務から帰ってきたばかりなので良くはしらないが」 「来られたのか…しまったな」 失敗したと笑みを見せたが、夕闇は何も言わずに背を向けた。話の流れからしてもう少し上手くやれと言われるだろうと思っていたのにと、イルカは取っ手に手をかけた夕闇に慌てて礼を言う。 「気にさせてすまなか…」 「お前の顔を見た後、顔色を変えていたそうだ。何に気付いたのかは知らないがな」 「何…?」 己の気持ちを押し隠しているイルカは、ギクリと体を強張らせたが夕闇はそのまま外に出ていった。イルカは誰も居ない扉を見ながら、何時も一生懸命な少女のことを思い出す。 「…ごめんなぁ…サクラ…」 聡い彼女のことだ、何故自分がこんなことをしでかしたのか、気付いたのかもしれない。 彼女が怒るのも当然だ…でも…この苦しさのやり場がないのだ。どこにぶつければ開放されるのかわからない。 「ごめん…サクラ…」 もう彼女は自分だけを見ているわけにはいかないのに。 それでも縋ってしまう自分が醜いとイルカは思った。 さくら (2005.6.29) |