どうかこの闇を消してください。 俺の前から永遠に。 今更光の中に出られるとは思わないけれど、どうか。 この闇を消してください。 そして… 俺も一緒に消してください。 永遠に。 ぶるりと震えた体を抱きしめて、イルカはぼんやりと闇の中に浮かぶ月を見上げた。 月に従う星の光さえも消し去る静かで絶対的な光は、何者にも負けないほど強く輝いているように見える。 「カァ」 「…『夜斗』」 イルカの肩に降りてきた夜斗は、相方を気遣うように身を寄せ、イルカの頬を艶やかな羽で撫でた。その仕草に小さく微笑んで、夜斗の体を撫でると、夜斗は小さく鳴いて手の方にすり寄ってきた。 「お前にはわかるんだな…」 「カァ…」 「心配かけてごめんな」 そう謝るイルカに小さな相方は心配げな眼差しを送ってくる。このままでは駄目だとわかっているのに、胸の苦しさが消えることはない。 あの日からずっと。 夜空の月を見上げるたびに思い出す。 愚かな己と愛しい人の面影で、イルカの心は傷ついていく。声に出さず、涙も見せず、悲鳴を封じ込めて毎日を過ごす。 「…疲れた」 すべて自分のせいだとわかっているから、傷を負うのも当たり前だと思うけれど。 開放されたいと思うほどイルカは追いつめられていた。 ざくざくと、忍らしかぬ足取りで歩くサクラの顔は険しかった。 今すぐ駆けつけたいのも確かだが、それよりも到着するまでこの怒りを静めるのが先だと敢えて時間のかかる方法を選ぶ。 夜斗が怪我をした。 昨夜ナギからその報告を得て、サクラは自分の部屋と飛び出しそうになったが、何故そうなったのか、その状況を聞いて心配よりも怒りの方が勝ってしまったのだ。 任務はそれほど難しいものではなかった。 領地を巡って争いを続ける兄弟に憤慨した妹が、自分が領主となることを宣言したのだ。 そこの領地は火の国でも珍しく、男よりも女の方が発言力という場所だ。特に領主の一族はそれが強く、一族の女性の言葉は神の言葉に等しい物として扱われる。ただ、一族の女性は領地の山奥にある社(やしろ)に入るのがしきたりで、一定の年齢と資格を取らない限り俗世に出てくることはできない。俗世に出てきても、社での祭事が有るたびに戻らなければならず、領主としてこの地を治めることはなかった。 今回、木の葉の里へ依頼を出したのは瑪瑙(めのう)という争いを起こしている兄の妹だった。彼女は一族の慣例に従って、幼い頃から社に入り、俗世とは一切関わらず今日まで過ごしてきた。そしてようやく外に出たと思ったら、彼女を待ち受けていたのは、地獄とも思われる光景に絶句したという。ただ、彼女はこれを見て悲痛にくれるのではなく、二人の兄の代わりに何とか国を維持している重臣の元へ赴き、何をどうすればこの争いを治めることができるのか相談した。そして出た結論が、己が領主となるというものだった。彼女はただちにこれを通達する為に兄へと文を送ったのだが、睨みあっている両者が疑心暗鬼になっている挙げ句、頻繁に諍いを起こすので使者がたどり着けずにいた。そこで彼女はこの文を届ける役と当分の間の警護を木の葉に依頼していきたのだった。 警護役は木の葉の忍達が行っているが、使者の役目は闇鴉に回ってきた。サクラがそれを読んだ時、暗部で十分の任務なのに何故こちらに回ってきたのかわからなかったが、それは後から届いた情報によって知ることができた。 何でも両者は様々な国の忍を雇っているらしい。 木の葉を含めた五大国に依頼はしなかったが、抜け忍や小さな忍里などは手当たり次第に引き入れていたらしく、手紙を届ける為には様々な忍達を相手にしなければならないのだ。その困難さからこちらに回ってきた依頼書に、サクラは部隊長達の同意を得て引き受けることに決めたのだが、その時自分が行きたいとイルカが言った。 表向きは体が鈍るからということだったが、イルカに限らず他の部隊長も森に居続けるより、任務を受けたがっていることをサクラは知っていた。なので、片方は第一部隊に、もう片方は第三部隊に人選やその他もろもろのことを任せて送り出したのだ。そして数日後、第三部隊は予定通りに戻ってきたのだが、第一部隊が戻ってこない。サクラが心配し始め、部隊長達も何かあったのかと思い始めた頃、イルカと一緒に任務に向かった忍が、血だらけのイルカを抱えて帰ってきたのだった。 「…守座様」 イルカが居る家の前で立ち止まったサクラは、声をかけてきた青年へと視線を向けた。どんよりとした生気のない瞳と、気落ちしたような彼は、イルカと共に任務に赴いた忍だった。 「貴方のせいではありません」 「…しかし」 「いえ…それよりも逆に感謝しなくては。あの戦場から夜斗さんを連れ帰って来てくれたことに」 「…」 サクラは今だ治まらぬ怒りを必死に押さえて、彼を真っ正面から見て微笑んだ。しかし、彼はサクラの言葉を受け入れられないようで、下を向いたままだ。 「傷を負った夜斗さんを抱えて戻って来るには大変だった筈です。普通なら置いて行かれても可笑しくない怪我でした…それなのに貴方は一緒に帰ってきて来てくれました。ありがとうございます。そして…貴方も無事で良かった。お帰りなさい」 最後の言葉にはっと目を剥いた彼は、唇を僅かに上げる程度の笑みを見せた。そして小さく頭を下げると、この場から消えた。 「…サクラ」 「わかってる。わかってるわよ、ヒサメ」 彼を見送った後も動かないサクラに声をかけたヒサメは、ナギと視線を交わしこの場から消えた。 (…行かなきゃ) ふぅっと息を吐いて、サクラは一歩一歩イルカの元へと歩き始めた。肩に居る華式が身を寄せてきたが、サクラの怒りは静まることはなかった。 「まだ眠ったままです」 入ってきたサクラを向かえたのは覚眠。彼はサクラの表情を見て何かを悟ったのか、それ以上は何も言わずサクラを中へと導いた。窓の傍には、夜明が腕を組んで壁によしかかっており、サクラを見て一度離れたがすぐに元の体勢に戻った。 「夕闇さんはまだ戻らないのよね」 「はい。予定では3日後」 「そうですか…夜斗さんの具合はどうですか?」 「朝飛の話しでは、命には別状ないとのことです。ただ傷が酷かったので治療した彼はチャクラを使い切ってしまい、当分起きないでしょう」 「わかりました」 第四部隊長である朝飛が直々に治療し、その上寝込んでしまったほどの傷。それだけイルカの傷が深かったということだが、命に別状がないと聞いて取りあえず安心したサクラは、机の上できゅっと目を瞑り、丸くなっている『夜斗』に気付いて、そちらに向かう。 「大丈夫よ『夜斗』」 「……カァ」 「『夜斗』に心配かけさせるなんて…仕方がない人ね」 サクラの肩にいた華式が飛び立ち、『夜斗』を慰めるように首を押しつけた。『夜斗』は目を開き、その温かさに礼を言うように鳴いたが、すぐに目を瞑ってしまった。 「…聞いてますか?」 「ええ。夜斗が敢えて戦闘を望み、立ちふさがる敵を次々を殺し回ったということを。あの人らしくない」 「…夕闇ならわかるが、夜斗は戦闘を避けるタイプだ。加えて今回の任務は戦闘を避けて行くべきのもの。夜斗らしくないな」 「…はい」 そうサクラがずっと怒り続けていたのは、イルカが怪我をした理由。先ほどサクラに頭を下げた彼が報告したのは、隠密に行動するどころか、逆に戦火を拡大しかねないものだったのだ。 「何故…夜斗さんは…あんなことを…」 当初、領地に入った二人は身を潜めながら目的地に向かっていた。敵に遭遇しないように細心の注意を払って移動していたのだが、偶然二人が潜んでいる傍をどちらかに雇われたと思われる忍の一団が通りかかったのだ。勿論気配を消し、彼等が居なくなるまでやり過ごすつもりだったのに、何を思ったのか突然イルカは気配を開放し、当然それに気付いた 一団は自分達の敵だと思い襲いかかってきた。 『行け!!』 『はっ!?』 援護しようとした彼をイルカは押しとどめた。一瞬意味が解らず固まってしまった彼に、イルカは再度怒鳴った。 『ここは俺が引き受ける。行け』 『で…ですが!』 戦闘に気付いた忍達が次々とこちらに向かってくるのを感じ、彼は一人では無理だと首を振ったのだが、イルカは彼の意見など聞く耳を持たないように、敵を引き連れる形で移動してしまったのだ。 『夜斗様!!』 ボンと煙が視界を塞ぎ、彼はイルカに茂みの中へと吹っ飛ばされた。そして気付いた時には、イルカの姿はなく、命を失った敵の屍しかなかったのだった。 「…一緒に行ったのが河南(かなん)で良かった。あいつでなければ、任務を終えた後、夜斗を探しだし連れ帰ってくることはできなかった筈だ」 夜明はイルカへ視線を送り、サクラと覚眠へ小さく頷いた。先ほどの青年が第一部隊の副隊長を務めていることを聞いてはいたが、名まで知らなかったサクラは彼のことを思い出すように、窓へ顔を向ける。河南は本当にイルカのことを心配していた。部隊ごとの結束の強さを聞いてはいたが、第一部隊は特にその傾向が強いという。戦闘で背を預ける相手なのだから、信頼も高くなければならないが、イルカ自身の人徳もあるのだろう。 (…そういえば、アカデミーでも一番人気の先生だったけ) 女の子達が憧れるような美形タイプでもなく、毎日大声で怒鳴り、容赦なく拳骨を落とし、時々失敗などもしでかす人なのだが、彼の周りにはいつも子供達が集まっていた。それは、彼が裏表のない、大らかで、何でも受け止めてくれる人間だと子供ながらに気付いていたのだろう。 誤魔化しも、嘘も、切り捨てもしない、真っ正面から受け止めて答えを返してくれる人。そんな人だから、子供達も慕い、闇鴉達からも信頼されている。だけど… 彼にも苦しむことがあることを知っている人は少ない。。 「…っ…」 「夜斗さん!?」 うめき声を出したイルカに駆け寄ったサクラは、彼が目を覚ますことを固唾を呑んで見守った。 「……シ……さん……」 「!?」 だが、イルカに目覚める様子はなくすぐ深い眠りの中に戻ってしまった。覚眠と夜明はふぅっと息を吐き視線を外したが、ふと覚眠はイルカを見下ろし固まったままのサクラに気付いて眉を潜めた。 「守座様?」 声をかけられてビクリと肩を振るわせてしまったサクラは、我にかえり拳を強く握った。そして何でもなかった顔を取り繕い、覚眠を見返したが、じっと自分を見つめる視線に耐えきれなくて、サクラは立ち上がる。 「…そろそろ戻らないと…夜斗さんのこと、よろしくお願いします」 サクラはそう行って、イルカに背を向けた。彼が何故あんな無謀なことをしてしまったのか。 その理由がわかったから。 さくら (2005.6.14) |