さくら

第37話:戦場の笑顔



キィンと張った罠から伝わった音に、見張りをしていた兵士は後ろで仮眠していた同僚を急いで起こした。

「また来たぞ」
「性懲りもなく…か」

敵が近くまで迫っているというのに、彼等の顔に浮かぶのは笑み。今まで誰もここまで来れたものは居ず、撃退して来た実績が彼等に緊張感というものを奪っていた。

ドォォォン!!!

「引っかかったな…」
「抜けられないってわかってるのによ。ご苦労様だぜ」

捨て身の戦法でもしているいのか、次々と鳴り続ける爆発の音。自分達が手を下さぬとも終わる戦いに、兵士の中には鎧を付けていない者も多かった。やがて、静まりかえった夜の森。
終わったなと、一人の兵士が仲間達へと薄ら笑いを浮かべた瞬間。

ヒュッ…

笑みを浮かべたまま、その場に膝をつく。

「どうし…!!」

声を上げた兵士がギクリと動きを止める。倒れた兵士の上に浮かび上がる白い顔…いや、面に。

「ひっ…!!!」

その声を合図に、兵士達を死の風が包み込む。声も手も、いや逃げ出すことさえできずに。最後の兵士が倒れた瞬間、彼の目に写ったのは、罠の山をくぐり抜けた人物の足下だけだった。



爆音は、待機していた忍達の耳にも届いた。一体何が起きたのかと、見上げた彼等の目には次々と光る赤い光。

「…爆発させてやがるのか」

避けるのではなく、あえて突っ込み罠を発動させていく。どんな罠がどれだけ仕掛けられているのかわからないというのに。

「そんなのは、関係ありませんよ」

アスマの後ろから光を見た覚眠は、当然のことのように言う。

「兵士の仕掛けたトラップならば、術ではない可能性か高いでしょう。相手の方にも当然忍が居るとは思いますが、貴方から聞いた情報から考えれば、トラップに精通した忍が居るとは思えなかった。だとすれば多少、力業に頼ってもそれほど問題はない筈です」
「…それはそうだが、その力業ってのが問題だろう」
「ああ…なるほどそれほどの力量の忍が居ないということですね。まぁ…上忍の中堅クラス以上ならば問題ないでしょうが…そのクラスの忍は指揮官と来ている。それでは難しいですね」

ようやく鳴りやんだ爆音。何が起こったのかとざわめく声が、本陣から少し離れたこの場所にも聞こえてくる。

(それでも、遠回りの手を使えばこの戦力でも十分落とせた…だが、今から行うには時間がかかりすぎる)

サクラが送ってきた作戦は、覚眠が敢えて取らなかった方法。まだ状況判断が甘いなと思いながらも、あくまでも危険性の低い作戦を考えたサクラの心情に目が柔らかくなる。

(闇鴉の力をまだご存じないのか、安全を考えたのか。守座としてはまだまだ未熟だな)

今頃、強硬な策を取った夕闇達を思って、心を痛めているかもしれない。だが…これがまだ序の口だ。

(我らの死に直面する強さを。貴方は持たねばならない)

自分の死を貴方に看取って貰いたいと思っていることを。


貴方はいずれ気付くだろう。


「カァ」

いつの間にか戻っていた『覚眠』がテントの中に入ってくる。彼の足に文が結ばれていることに気付いて、覚眠はおやと首を傾げた。

『怪我をさせたら、だだじゃおきません!!!』

サクラの精一杯の抵抗に思わず声を漏らせば、アスマが訝しげな目で覚眠を見て来た。

「な…んでもありません」

この作戦が正しいとわかっていても、書かずには居られなかった。

(そんな貴方だから…)

カァと『覚眠』がバサバサと翼を動かす。それはまるで、形にならなかった言葉に頷いているようにも思えたのだった。



次々と無言に成っていく戦場。一頻り刀を振り終えた闇鴉達は、率先して戦っていた隊長の元へと集まった。

「さてと。そろそろ時間だな」
「まだまだ戦い足りない気分ですけどねぇ」
「いいところを全部とったらあっちの顔が立たないだろ?譲ってやるさ」

くすくすと沸き起こる笑い声。その場にいる者誰一人怪我を負わず、唯一被害と言えば敵の返り血。木の葉を苦しめていたトラップを崩せば、膠着状態だった戦場も動いていくだろう。夕闇はクナイを収め、衣で体を覆う。終了の合図に部下達も同じように衣を纏い、飛びだった夕闇の後を追っていく。

バサバサ…

風の中を走る衣がはためき、翼のような音を立てる。
闇の中を飛び立つ黒い鳥の群れ。
戦闘を終えた場所に近づいた忍達が気付く前に、その姿は闇の中に溶け込み消えた。


闇を吸い込むように空が明るくなり、朝日が輝き出した頃、アスマは長く深くタバコを吸い込んだ。

(…本当に一晩で終わらせやがった。アイツら)

アスマに元に次々と舞い込むのは、任務の終了の言葉。あれだけ膠着状況だった戦場がたった一晩で180度変わった。まるで夢でも見ていたのではないかと、誰かの頬を抓りたくなる。

(これが現実…これがアイツらの実力)

くくくと喉から漏れるのは純粋な賛辞。
見事としか良いようがない。それは隣に居る人物も同感だろう。

まるで生気を抜かれた抜け殻。
彼等の何十倍もの時間をかけても戦局をひっくり返すどころか、悪化させるしかなかった作戦を立てた男。彼等と対面することはなかったが、この結果が格の違いを見せつけ、男のプライドを粉々にうち砕いた。

もう立ち直れまい。

(まぁ、良くて閉職に追いやられるってところか)

あれだけの同胞を死に追いやりながら、勝利へと導くことができなかった。失態どころか完全な失敗。彼をこの作戦に割り振った上司も責を問われるだろう。
それほど大きすぎる犠牲だったのだ。

アスマの元へ報告に訪れる忍達も、男へ話しかけることはない。視線も合わせず、横をすり抜け去って行く。彼を気にかける者は居ない。庇う者は居ない。
それが男の運命だとでも言うように。

「猿飛上忍。ただいますべての任務が完了いたしました」

その言葉でアスマの任務も完了したのだった。



「みんなお帰りなさい!」

バサバサと羽音のような音を立てて降り立った夕闇達は、白い衣を纏った少女に出迎えられた。面を外したサクラは髪の色も戻し、満面の笑み。ちらりと泳がせた視線は、怪我の有無を確認したのだろう。

「心配しなくても、あれぐらいの任務で怪我を負う間抜けはいないさ」
「べ…別に心配じゃなくて確認よ!えっと…そう!守座としてはね!」

夕闇達が帰ってくるまで、うろうろと落ち着かなかったことを見透かされたような気がしてサクラは慌てて言い訳したが、くすりと笑ったイルカの顔が答えだった。

「心配性」
「う…五月蠅いですよ!夕闇さんは!!」

辺りに広がる笑い声の渦に、サクラは真っ赤になりぷいっと横を向いた。肩に乗っていた華式だけが、慰めるように首を押しつけクアッと鳴いてくれた。

「まだこんなところに居たのか」
「覚眠さん!」

肩に相棒の鴉を乗せた覚眠は、何故かすっ飛んできたサクラに眉を潜めた。くすくすと笑い声が漏れる周りを見て、夕闇が何か言ったらしいと気付いた彼は、やれやれと肩を竦める。

「心配性」
「か…覚眠さんまでっ!!」

今度はイルカも加わった大きな笑い声が響き渡る。完全に頭に来たサクラは、面を被るとくるりと背を向けた。

「帰ります!!!」

心の中で覚えてなさいよと呟きながら、白い衣を着た少女を追いかける闇の鴉達。だが、サクラの口元にも笑みが浮かんだのは誰にも秘密だった。

さくら (2004.2.25)