さくら

第36話:捕まらぬ鴉



テントの中に広げられた地図を彼はじっと眺めていた。現在、彼等の為に用意したテントには彼とアスマ、そして部隊長の一人が居るだけだ。表情が読めない面と、彼の暗部姿に、部隊長は居心地の悪そうな顔をしている。そろそろ沈黙が苦しくなって来た頃、彼は地図から顔を上げこちらを向いた。

「では、これまでの作戦内容と、現在の部隊等の人数、敵方の情報を詳しく教えて下さい」
「は…はい」

前指揮官より任務に携わっていた部隊長は、僅かに居住まいを正して話し始めた。アスマは男…いや覚眠と名乗った彼を離れた所からじっと見ていた。彼は思っていた通り、闇鴉の頭脳的存在のようだ。愛想よく話はするが、自分達のことになるとするりと話を逸らす話術は見事としか言いようがない。逆に直球にぶつけてみようかと思ったが、それでも同じことかと止めた。

(しっかしまぁ、捜していた相手が目の間にいるってのも変な気分だがな)
「わかりました」

思いの外、考えに耽っていたらしいアスマは、覚眠の声で我りようやく緊張の解けた部下を下がらせた。さて、沈黙している相手は何を話すのだろうと待っていれば、鼻で笑うような声が届く。

「どうやら人選の失敗ですね」
「なに…」

それはどういう意味だと目元を険しくしたアスマに構わず、覚眠は背後へと声をかける。

「内容は聞きましたか?では、伝えなさい。時間は10分です」
「はっ」

テントの外に居たらしい闇鴉の気配が消える。それを見送る間もなく、覚眠は紙と筆を引き寄せて、何かを書き始めた。

「まずはやっかいなトラップを。そしてそこに居る者達を排除。道ができれば後はお任せしますよ」
「言うのは簡単だがな」
「言ったでしょう。人選の失敗だと」

面の下から向けられる冷ややかな目は、アスマにではなく別の者へと向けられていた。

「愚策しか出せぬものは、さっさと排除するのが貴方達の為ですよ。前戦辺りにでも送れば、もう二度と会うこともないでしょう」
「…お前…」
「これだけの機会がありながら、それをことごとく潰す奴など邪魔なだけですよ」

そう言い切った彼に、アスマは返す言葉がない。最後まで闇鴉の手を借りることを反対していた作戦部の忍。

「…違いを見せて貰おうじゃないか」

にやりと笑ったアスマに、覚眠も笑ったような気がした。



「…10分?そんなこと言ったの?あの人」
「ああ。つーことで、さっさと作戦立てろ」

ヒサメの言葉にあの人は〜〜とサクラの脱力にも似た声が出るが、一つでも作戦を立てねば何が起こるかわからないので、必死に考えを巡らす。

(っていうか、最初は私もテントに行く予定だったのに)

折角ばれないよう髪の色と長さも変えて、声音も少し変化させたというのに、意気揚々とテントに向かおうとしていたサクラを無理矢理任務に加わった夕闇は勿論、護衛の二人、果てには他の闇鴉達もこぞって反対したのだ。覚眠などにしては、何馬鹿なこと考えてるんですかと言われるし。

(絶対守座なんて思ってないわよこの人達…)

密かに心の中で怒りを募らせているサクラだが、彼等に言わせれば彼女の変化など子供だましの延長もの。
幾ら体を隠す衣を纏っても、近くに寄れば少女であることがわかるし、チャクラの質までも変化させることのできない彼女では、顔見知りであるアスマに気付かれる可能性が高い。なのに、ほいほいと姿を現そうとする彼女の方こそ、何とかしてくれと彼等は言いたかった。

「はい!これっ!!」

どうせ難癖付けられるだろうが、取りあえず立てた作戦をヒサメに押しつけて、サクラはふっと息を吐く。僅かに動くと纏っている白い衣が揺れるのが見えた。この闇の中では白い衣はとても目立つ。闇の中で動く忍に取っては、忌むべき色だろう。なのに任務に出ようとしたサクラにイルカはこれを差し出したのだ。

他の闇鴉達が纏っている黒とは正反対。白の絹地の裾には紫とピンクの色が入っている。彼等とは違う華やかさ。戦闘には不向きの衣。
受け取るための手など伸びる筈もなく、立ちつくすサクラにイルカはそれを羽織らせた。

『代々の守座は白纏うことが恒例なのです』

それは闇で動く者達が、道を見失わないように、標となるように、守座は目立つ色を纏うのだと。

『待つ人がいる強さを私たちに与えてください』

戦いには出るなということかと、邪推した自分を恥ずかしく思いながら、サクラは衣を握りしめ、先ほど腕に入れた、闇鴉の入れ墨を手の平でそっと包む。
まるでその暖かさを感じたかのように、イルカは自分が纏っている衣の赤い字に触れた。
それは闇鴉達が復活させた忍文字。今の忍では解読できないであろう文字で、自分達の衣に名を刻んだのだ。


闇鴉と。




(って、格好のことを思い出している場合じゃないんだけど…)

少しばかり自分を諫めて、戦場の気を感じるために目を閉じる。多くの忍が死んだせいだからだろうか、あまりにも近く感じる死の臭い。

(…今からここに闇鴉達も加わるのね)

そう、後数刻もすれば彼等もここと一体となる…怖くないといったら嘘になる。自分ではなく、他人を向かわせるのはどうしても罪悪感と恐怖が付きまとう。
だが、彼等を統べる立場に居る者は、その重みと苦しみに耐えねばならない。それが『守座』と呼ばれる、自分の役目なのだから。

「『守座』様」

不安な気持ちをかぎ取られたのだろうか、護衛役を買って出てくれたイルカが真後ろに立っていた。ぽんと肩を包み込むように叩かれて、サクラはふっと笑う。

「大丈夫ですよ。夜斗さん」

ばさりといち羽の鴉が飛んできた。アスマと本陣に居る覚眠の鴉。
サクラの元へ降りてきた鴉の足から文を取りそれを一読し、サクラはそれを読み始める。彼女が立てた作戦よりもより精密な作戦を。実行部隊の隊長となっている夕闇に文を渡し、サクラは一同をぐるりと見渡した。

「任務を開始します」

作戦を実行する忍達が、一斉に頷いた。すでに面をつけ、気配を完全に断っている彼等は、もう忍─…
そんな彼等にできることは。

「いってらっしゃい」

微笑んでそう見送ることだけだ。

風の音が揺れて、まるで攫われるよう姿を消した彼等。置いて行かれたような気分になったサクラは、イルカとヒサメ、ナギを振り返る。

「戻ってくるよ。信じなさい」
「うん」

何よりも説得のある言葉に、サクラは笑った。



「ったく、疲れる作戦立ててくれるぜ」

これから突入する場所を眺めながら、けっとここには居ない覚眠へ文句を言う夕闇に、部下達はくすくすと笑った。口は悪いが、覚眠の作戦を信用し、どんなものでもそれを成し遂げる力を持っている彼。まだ笑っている第二部隊と必死に笑いを堪えている第三部隊をひと睨みし、夕闇は前を向いた。

そこに有るのは、木の葉の忍をことごとく退けていた罠の山…

「闇鴉初の大仕事…いや、守座様が赴いた初任務だ。失敗は…しないが、せいぜい見せつけてやろうぜ」

木の葉の忍として使えないとレッテルを張られ、或いは有りように絶望して、黒い羽根を持ってしまった自分達。羽ばたく先は闇の中しかなく、突然現れた手に首を掴まれ、無理矢理赤の世界へと放り込まれ続けていた。

羽根をもぎ取られ、嘴を封じられ、足は切られ。それでも戦えと言っていた木の葉の里。

そんな価値しかないのだと言い続けられていた。


「お前らが手に負える鴉じゃないんだよ。俺達は」

そう、ただの鴉ではない。自分達は自ら闇の中を飛び続けている鴉だ。お前達程度じゃ、捕まえもできない。羽根を切られても、嘴を封じられても、足を無くしても、それでも潰えぬ闘争心。

「行くぞ」

その価値を見て、知って、感じて。




恐れろ。

さくら (2004.12.31)