真っ暗な森の中、聞こえる鳥の声。あれは梟だろうかと、アスマは視線を落としたまま、耳だけをそちらに傾けていた。いや、傾けなければ、定評のある忍耐が今にも崩れそうだった。 「聞いておられるのですかっ!?猿飛上忍っ!!」 顔を真っ赤にして、先ほどから怒鳴り声を上げ続けている男に、部隊長達もウンザリ顔。一応、指揮官であるアスマを庇ってくれたのだが、頭に血を上らせた男に説得は通じず、アスマは放って置けと視線を送ったのだ。だが、そのせいで男の非難はすべて自分に降りかかる。 (…しくったか) はぁっと溜息を吐いて、アスマは男へと視線を送る。ようやく自分の方を向いてくれたと、男はふんぞり返るように胸を張った。 「先ほどから言っている通り!現時点でこれ以上の作戦内容はありません!!様々な方向から分析した結果、これが一番任務達成率が高いものなのです!!」 作戦部から派遣されてきた上忍は、どうしてここまで胸が張れるのだろうと思うほど、自信に満ちた言葉を言い放つ。 アスマが来る前から、今回の頭脳として派遣されて来た男。だが、この男の作戦で、前指揮官は息を引き取った。その作戦は、アスマが聞いても無謀、だが他には考えられない最高で最悪の作戦。だからアスマも責めるつもりはない、もし自分が同じ立ち場なら、前指揮官と同じ方針を取らざるを得ないと思うから。しかし… あの大敗を見て眉一つ動かさず、更なる最悪の作戦を立てる男を、どう思えば良いのか。 「猿飛上忍っ!!前の戦闘から時間をおくのは得策ではありません!今なら相手も油断している筈…少数部隊を組ませ、波状で攻撃しそして…」 「少数っていうけどな、生き残った奴らは重傷者も多い。それで満足は働きができるわけねぇだろう」 「木の葉の忍ならば、多少の怪我など乗り越えてみせます」 安易に捨て石にしろと、そう告げる男を殴りたいとアスマは心底思う。だが、その気をなんとか静め、アスマは腕を組んだ。 「そういうがな、連日の任務で憔悴しているものも多い…そんな体では任務を失敗するのも当然だ。戦場には波がある。今俺達に勢いがあるならば、怪我をおしてでも出て貰う。だが、今はそうじゃねぇ」 「しかしっ…!!」 「押されている中、のこのこと出ていくのはまともな奴のやることじゃねぇ。今は待つ」 「…っ!!」 自分の意見が受け容れられぬことに、男は唇を噛みしめる。ぎりぎりと睨む目は殺気を寸前のところで押さえているようだ。 「…待つとは。何をお待ちなのですか。援軍でも来ると…」 「ああ…要請を出した」 「この状況を打破できるものが送られてくると本気で思ってお出でか!?今までこの任務に何も関わらずにいた奴が…!!」 いい加減、男の相手をするのもつかれてきた。アスマは再び大きな溜息をつき、男にだけ聞こえるよう、一言呟く。 「鴉」 「な…?」 何のことか、わからず狼狽えた男だが、すぐにその意味を理解したのだろう、顔を青ざめ屈辱に震えた目でアスマを見返す。 「貴方は…!!!」 「失礼します。猿飛上忍。今し方このような文が…」 「おう?」 男の言葉が続く前に、伝令の忍が白い紙を届けてきた。里へと要請した承諾の文かと受け取ったアスマだったが、内容を目にした途端、待機と一言だけ告げて会議のテントを後にする。 (馬鹿な…早すぎる) まだ文を出して半日も経っていない。上忍でもずっと全速距離で何とか到着できるか、できないかの時間だ。ぶるりと武者震いにも似た感触が体を襲うのを感じながら、アスマは傷ついた忍達が転がる場所を通り抜けて、一人森へと向かう。憎たらしいほど鮮やかな月が、輝くその場所でアスマは足を止めた。 止めざるを得なかった。 目の前に現れた深い暗闇。 この森はこんなに暗かっただろうか。先ほど確認した月を思い出せば、ざぁっと風が鳴るような音が響き、視界が元に戻る。 (幻術か) 警戒しているのか、それとも試しているのか。握りしめた文がくしゃりとなる。 居るんだろうと、自分を呼びだした相手に声をかけようとした瞬間頭上から感じた複数の気配。弾かれたように顔を上げたアスマを無言で見下ろす複数の影。 自分も見覚えのある白い面が闇の中に浮かび上がっている。首から下が見えにくいのは、黒い衣を纏っているからだろう。しかし目を凝らせば、その黒い衣には文字のような赤い模様が入っていたがはっきりとはわからない。何人かの忍が衣の下から出している腕には、木の葉の暗部のマークが確認でき、ようやく敵ではなかったと安堵したアスマだが、彼等が気配を出さなければ気付かなかったその実力の差に、冷や汗が出る。 (おいおい…) アスマは自分を落ち着けるように溜息を吐くが、頭上に居る忍達は何も話そうとはしない。 (…何かを待っているのか) 彼等が待っていた忍であるとは予想がつく。だが、何故これ以上動こうとはしないのだろう。その疑問を解くために、アスマが口を開きかけると森の奥からやってくる別の気配に気付いた。アスマが警戒しながら待っていると、闇の中からするりと抜け出したように男が現れた。 「貴方が今回の指揮官。猿飛上忍ですね」 男は白い面をつけ、上にいる忍達と同じ黒い衣を纏っていたが、すっぽりと足下まで覆っている姿は、不気味さを増長させる。 「…おう。そうだ。ってことはアンタらが『鴉』ってことか?上の奴らは何にも言わないからな、確認できなくて困っていた所だ」 「それはご容赦を。何分実行部隊と指揮官が同格にお話になるのは失礼かと思いましたので。気分を害されたならば、一応謝罪しますが」 「…」 頭の上から降りてこない奴らがそんな気持ちを持っているものか。しかも、自分と話すこの男はどうどうと一応という言葉をつけた。 (…めんどくせ…) わざわざ喧嘩を売るようなマネをしている彼等だが、こうもどうどうとされれば怒る気も失せる。というか、先ほどまで散々やっていたので、その気力がないだけかもしれないが。 「別にいらねぇよ。それよりもさっさと任務の話しに移ってくれ」 面倒ごとはごめんだと、手を振れば男は面の下で僅かに笑ったようだった。 「その前に、我らが任務に参加することについての約定を知っておられますか」 「…全権をお前達に移すってことだろ。聞いてるぜ」 「では、会議の場としてテントを一つご用意下さい。正し、そこには貴方と貴方が信頼の置ける方数人しか落ちかづけにならぬように」 「それは構わないが…」 「我らは指揮の権限を一時的に譲り受けるだけです。めどがついた後は、早々に引き上げさせてもらいます」 『鴉』を使うにあたり、注意点があるとシカマルは忠告した。第一に、指揮権はすべて『鴉』達のものとなる。それに絶対従うこと。次ぎに彼等は自分達の存在を広めるのを良しとしないから、彼等に協力を仰いだことを最低限に押さえること。 (…徹底してやがる) 同じ木の葉に居ながら、そこまで警戒しているのかと複雑な気持ちになるが、彼等にもそれなりの理由があってこのことだろう。アスマはすべてに了解したと言えば、男は軽く頷き後ろへ声をかけた。 「すべて問題なく」 まだ誰かいたのかと、男の後ろへと視線を向ければ、自分達より数メートル離れた木の枝に、白い花が咲いていた。いや…咲いているのではない、それは白い衣だった。 暗部の者が纏うにしては目立ちすぎるその色は、彼等の存在とは正反対のように感じられる。だが、何よりも驚いたのはその人物の小ささ…衣で纏っているため体つきはわからないが、あれは少年か少女と言った年頃だろう。 闇色の髪を頭上で一つに結い上げて、木の枝に一人座っている。はっきりと見えないもどかしさを感じていた時、幸か不幸か月の光が鬱そうと茂る森の中に降り注いだ。そしてその白い衣も月に煽られたよう、ばさりと音を立て、まだ幼さの残る腕がアスマの視界を捕らえた。 その腕に刻まれていたのは、木の葉の暗部の証ではなく、羽根を示すような見たこともない模様の入れ墨。 (まさか…) 今までずっと捜していた、いや…だれも見つけられなかった存在が目の前に居る。 その事実を確かめたいと、無意識に一歩足を踏み出そうとしたアスマだったが、彼の気持ちを察したかのように、その人物の傍にゆらりと影が現れた。 いや現れたのではない、ずっとそこに居たのだ。だが、アスマの視界に入らないようにしていただけ。 表情を覆い隠す面が、それ以上近づくなと警告してきたかのようにアスマは感じた。我に返れば、自分を取り囲む『鴉』達の視線が自分に集まっているのに気付く。 (これ以上は…やべぇな) 「それでは、猿飛上忍、任務を開始致します」 「…ああ」 アスマを助けたのか、それとも時間が勿体なかっただけなのか、どちらでもいいが男の言葉は有りがたかった。男の言葉を合図に、頭上に居た忍達がどこかへと消える。肩の力を抜いたアスマは何とか落ち着きを取り戻し、問いかけた。 「あれが、あんたらの要か」 「…よくご存じで」 皮肉にも取れる言い方をした男は、後ろへ振り返った。 「我ら闇鴉にとって唯一無二の方。守座様だ」 その声はどこか誇らしげにも聞こえ、アスマは彼の視線を追った。もう誰も居ないその場所が、何故か光続けて見えるのは気のせいだろうか。 さくら (2004.12.10) |