さくら

第29話:帰ってきて



闇鴉の存在を知って、一番最初に案内された場所。里でも手に入りにくい本を揃えているこの場所の前に来ると、待ちかまえていたように四つの影が現れる。

「ご無事のご帰還お慶び申し上げます」

他の人もいるせいなのか、夜斗としてやって来たイルカは、そうサクラへ固い挨拶をする。それにありがとうと小さく答え、サクラは先ほどナギから伝えられたことを彼らに問う。

「その通りです。夕闇率いる第二部隊が死鴉の森から姿を消しました」
「抜けたということですか?」
「それはないだろう。『夕闇』がついていきました。木の葉を抜けるなら、そこに住む鴉は彼らを見放します」
「…そうなんですか。何か思い当たることは」

夜斗、夜明、朝飛、覚眠の顔を順に見たサクラ。自分よりつき合いの長い彼らの方が夕闇のことを知っている筈だ。だが、返ってきたのは朝飛の不機嫌そうな顔だけだった。
一体何を考えているのだろう。サクラには夕闇の考えがわからなかった。彼が部隊長の中でも一番自分を嫌っていることはわかっていたが、そのせいでこんなことをするほど短慮な人ではないだろう。彼一人ならともかく、部下として第二部隊に所属している他の闇鴉達も連れて行ったのだから。

「…お前が余計なことをしてから、機嫌が更に悪くなったようだがな」

ぽつりと朝飛がサクラに向かって言う。夕闇の行動がそれほどショックだったのだろうか、朝飛はサクラに対する敵意を隠しもしないでそう言い放った。それまで使っていた敬語もすべて飛ばし、サクラをお前と呼んだところからもその深さがわかるというもの。

「朝飛」
「余計なこと?」
「…知らないとでも思っているのか?覚眠が里に軟禁されていたのを助けただろう。俺達に何も言わず」

眉を寄せていたサクラは、そのことかと肩を力を抜いたがそれが夕闇が消えたことと何の関係があるのだろう。

「その際、里との連絡をアンタがしてるんだろ。それで?何をしたんだ?決めたんだ?どうせ俺達を思い通りに使える算段でも見つかったか?」
「…何を言っているんですか」
「里の犬の密談に気付いてないと思っていたのか!!」

ぶわりと朝飛が殺気を放ち、サクラを睨み付ける。一瞬そのすさまじさに震えそうになったが、彼の言葉の意味を理解すると頭がかぁっと熱くなった。

(……んですってぇ…)
「俺達が望み通りに使えないから、火影に泣きついたんだろう!そうしてどんな算段を立てた!闇鴉を始末する算段でも立てたのか!?やれるものならやってみるがいい!お前達のように温い場所に使っている忍ごとこに闇鴉を消せるものかっ!!」
「朝飛!!!お前なんていうことをっ!!!」
「夜斗!お前もだ!!第一部隊の隊長か何だかしらないが!こんな子供に何ができるっ!!それともずっと里に居続けて、奴らに首輪でももらったのか!!」

それは、夕闇が居なくなったことで溜まっていた心情が爆発したと言って良いだろう。それまで守座を否定はしていたが、夕闇のようにいちいち食ってかからず傍観者の立場も貫いていた彼がはっきりとサクラのことを非難したのだ。
しかし、朝飛の言葉は言い過ぎだった。守座に相応しい人物を捜すために里に居続けた夜斗は、侮辱されてまで黙っている人ではない。彼から立ち上った殺気に一種触発の気配を感じ取り、夜明が止めようと口を開こうとしたが…その前に爆発した。

「ざけんじゃないわよーー!!人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよっ!!!しゃーんなろーーーー!!」
「「「「………」」」」
「貴方がね私をどう思おうと、どう言おうと勝手だけどっ!!!イ…じゃない!夜斗さんまで疑うってのはどういうことっ!!貴方達は里なんかに居たくないって思ってるんでしょ!その里に夜斗さんは何年居たと思ってるのよっ! それなのになにっ!?そんな簡単なこともわかってないで、今まで傍観ばっかりしてたくせに、夕闇さんが居なくなった途端不満をぶちまける態度って何!?それで夜斗さんに不満を延べようってのっ!?甘いってのよっ!!!」
「な…なんだと…」
「どうだこうだ話している間に夕闇さんがどこに行ったのか捜したのっ!?貴方は部隊長の中でも彼と一番親しげだったわよね!貴方がわからなければ他の誰がわかるってのよ!!!思い出しなさいよっ!!!」

……連日の任務と、火影の嫌がらせに相当ストレスが溜まっていたサクラに、止めとばかりに知らされた第二部隊の失踪。自分だけならば良かった。どんなに非難されても、己の不甲斐なさを十分自覚していたから。けれど、イルカだけは。イルカには責められる理由などない。きっと自分の知らないところで沢山庇ってくれているのだろう。なのに、朝飛にこんなことを言われるなんて。そう思ったら、ついに切れた。
ぜぇぜぇと肩を怒らせ一気に言い切ったサクラは、呆然と自分を見返す目によって今何をしたのか我に返った。あまりに静かすぎる空間がその場を支配する。

「………えっとその…ということだから、何か思いだして欲しいんですけど」

そう言ってみたが、先ほどの怒鳴り声を聞いてしまった彼らに、通じる筈もなかったが。

「……朝飛。本当に何か感じたこととか無かったのか?」

それでも、最初に我に返ったのはやはり夜斗だった。もともと彼女の過激なところを知っていたのかもあるかもしれない。まだ放心気味の朝飛に声をかけると、彼はどもりながらも、何とか自分を取り戻そうとしていた。

「そうだな…あったと言えば…覚眠を助けたのが守座だと聞いてから、何かイライラしていたような気はするが」
「イライラ?」
「確かに俺は他の奴よりは話していたと思うが、慣れ在うことまではしていない。俺も…夕闇も一定の部分での線引きはしていたからな」

その気持ちは夜斗も十分わかるから頷き返した。サクラはそれを聞いて、先ほどの反省もあり大人しく彼らが話すのを聞いていた。

(イライラって…ストレスのことよね…?そういう時ってどう発散するのかしら)

自分なら、ストレスが溜まったときは、イノとどこかの喫茶店にでも行って、ケーキを食べながら好きなだけ話し合う。すると、不思議なことに少しだけ心の遣えが取れるのだが…彼らのような忍は、そんなもので心の収まりはつかないだろう。
苛立つ心。
そのままでは…いつか自分にクナイを向けると夕闇は思ったのではないだろうか。

(クナイ…)

はっとサクラは息を呑む。いつだったかある任務で遭遇した敵忍が言っていた言葉。
道を塞ぐ自分達に、むかつくと言って笑いながらクナイを振るっていた者がいた。自分の心を落ち着かせるために、敢えて戦場へと赴いたような言葉に、あの時サクラはぞっとしたのだ。
まるで人を殺すことでしか、自分の心を落ち着かせることができない彼らに。そして、それでしか静められない彼らに。
もしかしたら、夕闇も同じだったのではないだろうか。

「…ナギ!」

サクラが声を上げると、瞬時に彼女の傍へと降り立った一人の忍。夜斗達が何事かと、こちらを見ている中、サクラは聞いた。

「確か今日あたり、火影様の任務要請がきている筈よね?」
「はい」

ナギが差し出した巻物を開き、やはりとサクラは眉を顰める。

「笠木という場所で今大きな任務を受けているの。勿論忍同士が戦う戦場に…夕闇さんは行っているのだと思うわ」

死と隣り合わせにいる状況で、彼らは血を浴び心の平穏を求めようとしている。
敵を減らすことが目的の場所に、第二部隊が紛れ込んでいても気付かぬだろう。

「夜斗さん!」
「はい」

自分の名を呼ぶサクラの声は、不安げな少女のものではなかった。その証拠に自分を真っ直ぐ見ている。イルカはそれに微笑みながら、膝をつく。

「夕闇さん…いえ、第二部隊全員を迎えにいって。全員で、この森に帰ってきて…御願い」
「承知しました」

ざぁっと辺りの葉が揺れ、風の音とともにイルカは消えていった。なびく髪を押さえながら、それを見つめていたサクラはその場所をずっと見つめている。

「…全員無事なんて、ずいぶんな命令だな」

そう呟いた朝飛にサクラは微笑む。甘いなとサクラの浅はかさを非難しているような言葉。

「でもそれが私の本当の気持ちですから」

全員無事に。それが如何に難しいか、忍という立場に身を置いている自分がよくわっている。だが、それでも願ってしまうのだ。闇の中に置き去りにされたまま、逝って欲しくないと。

「ちゃんと帰ってきて欲しい。ここに」

私を嫌いでいい。憎んでいい。認めなくていいから。
悲しいけど、苦しいけど、辛いけど、この森へ戻ってきてくれるなら。
この森に住む鴉達が受け入れたこの森へ。貴方達を守るこの森へ。決して裏切らないこの森へ。
帰ってきて欲しい。


だから、決して死にになんて行かないで。



腕を一振りすると、部下達が散っていく。久しぶりに嗅ぐ血の臭いと張り付けた気配。長年植え付けられた忍としての能力が、知らずのうちに体を引き締めていた。
目下で繰り広げられている戦いに彼らは手を貸そうとはしない。ただ願いという命令を遂行するためにこの場にいるのだから。

「見つけました。あそこに第二部隊が」

目のいい部下の指し示した場所に、見慣れた気配。思わず面の下で眉を潜めた夜斗は、憮然となった。

彼らがいるのは今回の任務の尤も厳しい最前線。ただ敵を斬り殺し、数を減らすことだけが任務となっているところ。そんな場所にどうやって潜り込んだのか。ただの「兵」と成り下がり何を求めているというのか。

「戦局に隙ができたら動け。第二部隊を守れ」
「…守る…ですか」
「どうせ、夕闇と同じく無茶な戦いをしているのだろう。説得できるなら、それにこしたことはないが?」
「承知しました」

ざっと散っていく影。
夜斗は部下達が散った後もその場に留まり、第二部隊の動きを目で追っている。
死んでも構わぬ、ある意味捨て身の戦い方。それでも死なないのは、忍のスキルの高さ故。どうでも良いといいながら、プライドの高い為に自分より弱い者に討たれることを望まない。そして勝手に動く体が彼らを死なせない。なんて不器用な生き延び方。彼らのクナイが振るわれるたび、敵の中に身を躍らせるたび聞こえてくる声。

その声をどうか聞き止めてほしい。

ぐらりと夜斗の体が揺れ、木の上から落ちていく。
ザァッ…!!!
巻き起こる風が体を包み、目的の場所へと誘う。闇で色は見えずとも、臭いでわかるその者のもとへ。
血で染まった夕闇。

「……夜斗」
「迎えに来た。夕闇」
「……いらん」
「そうは行かない。守座様の命だ」

高揚している夕闇の精神に、殺気が加わる。

「守座様が待っている」
「……なるほどね…あのガキの命か…だろうなぁ…」

何が可笑しいのか笑い続ける夕闇。その声に傷ついた響きがあるのは何故なのか。

「勝手な行動はするなってか?人が折角俺達を、里から守ってやってるのにってか?そんなのは余計なお世話なんだよ!あいつなんて居なくても、俺達は俺達だけでやってきた。これからだってやっていけるんだよ!」
「…夕闇。俺は行った筈だ。迎えに来たと」
「ああ?」
「守座様は、お前達の帰りを待っている。全員無事で帰れとのご命令だ」
「はぁ?そんな甘っちょろいことをいつまでも…」
「お前達が無事で帰還することを願っている」
「…あんなガキに願われるなど、俺も落ちたものだ」

多分、これ以上自分が言ってもサクラの言葉は届かない。逆にムキになって言えば言うほど、夕闇は反発するだろう。

「部下を殺す気か。死にたいなら一人で死ね。だが、部下を連れて行くことは許さない」
「…来たい奴だけって言ったら全員ついてきただけだ」
「そう言って、付いてこない奴がどこにいる」

行きたくなくても、直接言われればそれは強制になる。それを本人もわかっていたことを夜斗は見抜いていた。

「『夕闇』もそろそろ限界だ。お前の思考に引きずられ始めている。それ以上「死」を願えば共倒れになるぞ」
「…」

ザッとクナイを振れば、忍び寄っていた敵が地面に倒れる。夕闇はそれをじっと見た後、その場から飛び去った。

「『夕闇』」

近くの木に隠れていた『夕闇』が降りてくる。何かに興奮しているように鳴き続ける鴉を見た後、夕闇は撤退の笛を吹いた。

瞬く間に、その場へ夕闇の部下達が戻ってくる。同じく夜斗の部下も戻ってきたが、彼らには疲労の色が見えた。

「戻るぞ」

その声に従い第二部隊が消えていく。夜斗は第二部隊を守るのに手こずったであろう部下達をねぎらい、戦場を後にした。

さくら (2004.7.8)