さくら

第28話:彼女の真意



それから一ヶ月。何事もなく月日は過ぎていく。
闇鴉達も覚眠が戻ってきたことにより、幾分落ち着いてきたようだった。何も変わることのない月日に安堵している彼らだが、一部の者達の心境は複雑だ。
死鴉の森の中で一人物思いに耽っていたイルカは、傍の木に止まっていた『夜斗』が首を上げたのに気付き、その方向へと視線を巡らす。

「夜明」
「…一人で修行か?こんなところで」
「あそこにいても体が鈍るだけだからな。何か用か?」

夜明はイルカの傍に来ると、何かを話すのでもなく、寄り添う二羽の鴉を見上げる。世間話でもしているのか、互いの体をつつき、じゃれ合っているかに見える『夜斗』と『夜明』。二羽に限らず、他の鴉達は仲が良い。いつも互いのことを想い合い、信頼し、気にかけている。自分達の対である鴉達が当然のように築いている関係。だが、人間の方はいつまで立っても猜疑心の固まりだ。

「『守座』様は…?」
「…何も。西の任務からはとうに帰ってきている筈なのだが…」
「護衛の二人からも連絡がないのか?」
「ああ」

心配していると、夜斗から伝わってくる気持ち。だが、彼は敢えて自ら動こうとはしない。あれほど気にかけて、『守座』という存在にした夜斗が、何故動かないのか、時々夜明はわからなくなる。

「放っておいていいのか?」
「…来る気がないのを無理に呼ぶわけにはいかぬだろう…何がしらの理由があるのだ…きっと…」
「……俺は話を聞きたいがな」

はっと顔を上げた夜斗に、夜明は鴉を見ながら言った。本来ならば、それを夜斗から言うのが筋だったのに。闇鴉の中で一番発言力が高く、誰からも認められている夜斗こそが。

「『夜斗』ナギかヒサメを呼んできてくれないか?」
「カァ」

夜斗の言葉に頷き、飛んでいく鴉を見送りながら、こんな簡単なことなのにと思う。

「ここに来るのが嫌なのだと、知るのがただ怖かった…全く情けない」

ぽつりと呟いた夜斗の言葉に、夜明は何も言わなかった。


一刻後、ナギはやって来た。その場にずらりと並んだ部隊長の前に膝をつき、頭を下げる。

「久しぶりだな、ナギ」
「はい」

死鴉の森に帰ってくることなく、ずっとサクラの護衛をしている彼にねぎらいの言葉をかけようとしていたイルカだったが、夕闇がさっさと用件を言ってしまう。

「『守座』様はいかがしている?」
「ただいま任務に赴いております」

歓迎している、していないにせよ、彼女のことを気にかけていたのは誰もが同じだったようだ。ナギの言葉に夕闇は眉を寄せ、朝飛は首を傾げた。

「まだ西の任務に行ったままってことか?」
「………いえ、別の任務に赴き、里にはいらっしゃりません」
「へぇ?顔を見せる暇もないんだ。忙しいんだね」

くっと夕闇が笑い、夜斗は咎めるように彼へと視線を送るが、それを気にした様子はなかった。
幾ら『守座』と呼ばれても所詮こんなもの。顔を見せることができないほど、忙しいとぬかす。ぬかして…理由をつくり自分達と関わりあいたくないのだと、夕闇は思う。その場にいた全員が夕闇の笑った意味を掴み取った。だからこそ、イルカでさえも無言なり…ナギは言った。

「はい。西の任務からご帰還され、今赴かれている任務を入れれば五度目となっています」
「五度目…?」
「現在医療部隊は人手不足のため、駆り出されているようです。守座様も里に戻ったとしても、長くて一日しか滞在されておりません」
「ずいぶんと…無茶な使い方をされているな」

ぼそりと夜明が言い、それを聞いていたイルカは内心穏やかではなかった。任務に行くということは、つねに命の危険を伴う。まだ未熟なサクラまで、休む暇もないほど駆りだされるということは、医療部隊が出払っているか、大きな犠牲が出たのか。そんなことを思っていたからか、ついイルカは言ってしまう。

「止めなかったのか」
「…それは我々が口を挟むべきことではありません」

聞き方によっては、サクラがどうなろうと構わないと聞えるだろうが、ナギが言った意味は全く逆だった。そんなに心配ならば、何故自分達で止めようとしなかったのだ。一ヶ月も何の連絡も取らず、放って置いたくせに。

(俺達が反対しなかったわけはないのに…)

だが、がんとしてサクラは譲らなかった。これは木の葉の忍として受けた自分の任務だからと。そう言って任務に言ってしまったのだ。

「まぁ、いいさ。いないなら仕方ない」

夕闇が背を向け立ち去ろうとする。そんな時、覚眠がぼそりと言った。

「…何をした」
「…は?」

何の主語もない問いに、ナギを含めた全員が怪訝な顔になる。

「最近…里が静かだ。前までは、連絡係りのいない闇鴉へ繋ぎを取ろうと必死だったのに」
「そういやぁ…前までは五月蠅いぐらいに伝書を持たせた鳥を放って来たのに…」

朝飛はずっと無言のナギへと視線を送る。見かけは何気ない視線の送り方だったが、その眼光は鋭い。自分達に黙って何をやっているんだ。こそこそと動き回っているサクラに、朝飛は不快感を覚えたが、それはナギの回答によってより深いものへと変わった。

「里との連絡はすべて守座様が行っております」
「…何だと?」
「それは…どういうことだ?ナギ」

イルカも眉を寄せながら問い返す。気配を殺気立たせた朝飛を牽制する意味もあったが、サクラが何をしようとしているのか良くわからなかったのもあるからだ。他の者はどう思っていても、彼女は闇鴉達を苦しめようとすることはない。それをイルカは信じているが…自分に一言も相談がなかったということが、イルカの不安をかき立てる。

「覚眠様のことで、守座様は闇鴉との窓口をすべて自分で受け持つことに決められたようです。今里からはほぼ五日おきに里へ残した鴉から任務の要請が来ておりますが、すべてお断りされているようです」
「断る?俺達が動かないんだ断るしかないだろう?よくもまぁ…」

夕闇が小馬鹿にしたような笑い声を響かせるが、覚眠は何かを考え込む。そして彼と同じ疑問をイルカも夜明も持った。

「守座は…任務に出ているのだろう?」
「里からの任務は私が受け取り、飛ばしております。守座様はそこでそれを確認し返答を返します」
「任務中にか?」
「守座様にはヒサメがついておりますので、彼が返答を飛ばし私が里へと送っております」

聞くだけではとても効率が良いように受けるが、それは違うとイルカはサクラの身を案じる。ただでさえ、任務中は神経をすり減らせる。一時の気も抜けないその場所で、身体と神経をすり減らしているというのに、その任務地で闇鴉へと返答を求める書類の回答をするのだ。闇鴉への任務はほぼSランク。しかも返答の相手は火影。下手な文を書けば容赦なく噛みついてくるだろう相手に、サクラは一時も気を抜けない。しかしそれは、彼女が盾になる決心をしたのだと。自分達を守るために火影との間に入る盾となったのだと、イルカは気付いた。

(それなのに…俺は…)

ここに来ない彼女の真意をただ恐れて、そうなってしまうのが怖くてただ待っていた。そんな間にも、たった一人で彼女は動いていたというのに…

「…お帰りはいつだ」
「まだ連絡は入っておりません」
「そうか。連絡が入ったら教えてくれ」
「わかりました」

イルカに頭を下げ、ナギは消える。静かに見送るイルカを残し、その場にいたものは思い思いの方向へ消えていった。



盾となれ。
闇の中を彷徨い歩く者達に差し伸べられる手はいつも冷たい。
それを間違って取らないよう、いつも目を光らせよ。
引きずり込もうとする手から引き離し、そこに立ちふさがる者となれ。
圧倒的な力にも耐えうる精神を持ち、彼らを守る最後の砦となれ。

彼らを守る守護者となれ。


ある日、華式から託された巻物に、そう書かれていた文字は、闇鴉に対する深い思いやりと、悲しみが込められていた。これを書いた人は本当に彼らのことを思っている。思って何もできない自分を憎んでいる。だから願う…守座に。彼らを守ってくれと。託された手紙だった。


あの後に火影との間に交わした約定のことも書かれてあれ、サクラはこの時本当に覚悟を決めたのだと思う。もう迷ったりしない。もう嘆いたりしない。もう運命の川に足を踏み入れているのだ。そのままただ流されるのか、逆らって泳ぎ続けるのか…それとも自分で泳いでいくのか。

(…そう決めたのに…)

はぁっとサクラは深い溜息を吐いた。自分の身体を見れば、あちこち泥だらけ。連日髪をすく暇もなく忙しく駆け回っている身としては、それも仕方がないと思えるが…

(どーしてこう任務ばっかり重なるかなぁ。お陰で死鴉の森に行けないじゃないっ!!)

今、木の葉は大きな任務を幾つも受けており、医療部隊はそこへ優先的に派遣されている。そのせいで、それよりも小さな任務は人手が足りなくなっており、サクラのような中忍とはいえ、新米に近い忍も連日駆り出されているのだ。

(そういえば…ヒナタも最近任務ばかりって言ってたわね…あの子開発部なのに)

それほど手が足りないのだろう。それはいい、自ら望んだことだし。愚痴は言いたくても文句はないのだが…

「おい。さっさと返答をよこせよ」
「うるさいわね…ヒサメ。少し黙っていてよ!」

五日とも開けずにやってくる火影からの手紙。これを返答するのにどれだけ睡眠時間を削っていることか。

(あ〜もうまたこんなもの!!もう嫌がらせとしか思えないわっ)

密かに今の火影に憧れていたサクラは、ここ最近彼女に対する印象を変えつつあった。ヒサメに結界と見張りを頼んでいる間に、サクラは隠し持ってきた巻物を開いて必死に回答に役立ちそうなものを捜す。毎度毎度頭を十回以上捻らなければ出ない答えを求めてくる火影。これが来るたび任務でも任務でなくても徹夜をしなければいけないのだからたまってものではい。それでも、明け方近くつまり任務再開一時間ほど前に何とか返答を書き上げ、ヒサメに渡すとサクラはばたりとその場に倒れ込む。

(…私持つのかしら)

難しい任務というより、過労死するのではないのか。忍らしかぬ死に方だけはしたくないと思いながら、サクラはすぐに眠りについていった。

任務が終わったのはそれから一週間後のことだった。

「…おい大丈夫かよ」
「……寝るわ…帰ったら何が何でも…雨が降ろうが槍が降ろうが…シャワーに入って寝る…絶対寝る…」
「…」

呪詛のようにぶつぶつと、サクラは目の下に隈を作ったまま呟き続ける。前を走る仲間には聞こえないようにしているらしいが、耳の良いヒサメには筒抜けで、時々声をかけるも返ってくるのは返答とも思えぬ呟きばかり。

(これは相当重傷だな)

ふぅと溜息をつきながら、ヒサメは彼女が帰ったらすぐ死鴉の森に来て欲しいと伝言が来ていたことを思い出すが、せめて一日猶予を与えられないかと思う。自分の任務の以外に、闇鴉という重圧を一人背負っているのだ。小さな体であれだけの気力が続いているのは不思議だと思うヒサメ。目を瞑ればすぐにでも眠ってしまいそうな、あんな状態で良く走れるのだと思う。そんなサクラの様子に、一緒に任務を受けた忍達も気にかけているのか、彼女の足に合わせたスピードしか出していない。連日医療忍者として動く彼女を見てきたからだろうが…それでもサクラが弱音を吐くことは一切ない。それが一番すごいのだとヒサメは思う。…しかし、そんなヒサメの願いは叶わず、里で待っていたのは。


「第二部隊が姿を消しました」

そんな言葉。

さくら (2004.6.22)