さくら

第26話:繋がるもの



それまで隠れていた白い鴉が空に舞う。それを眺めていると、背後に見知った気配が現れた。

「勝手に行くんじゃねぇ!」

憤慨したヒサメがサクラへ詰め寄ろうとするのを、ナギが慌てて止める。だが彼が怒るのも無理はない。死鴉の森へと通じる結界内に入ったと思ったら、すぐに飛び出してきた上にそのままどこかへ走り去ってしまったのだから。自分達がサクラを見失ってしまったという失態もあるが、今まで里内を散々走り回った身としては、少しばかりの恨み言も言いたいものだ。
だが。

「守…」

地平線に落ちていく夕日のせいで、はっきりとサクラの顔を見ることはできない。だが、二人は気づいてしまった。彼女の目の下が、別の意味で赤くなっていることを。
一体何があったのだろう。
二人は目線だけで疑問の声を上げるが、その答えがサクラから返ってくることはなかった。

「…一人で悩むなんてらしくないんじゃねぇのか」
「別に私は…」
「さっさと顔を洗ってこいよ。話はそれからだ」

くるりとサクラが振り向くと、初めてヒサメはサクラの前で面を取った。口調や姿から想像していたのとは違う…男の子の割には大きな目で、さぞ小さいころは可愛いかっただろうと想像できるような…

「…お前今何考えた」
「え?な…何ってぇ…」

あははは〜と笑いでごまかすサクラを睨み付けるヒサメ。横では同じく面を取ったナギが二人のやり取りに苦笑している。

「俺達に何かできることがあれば言って下さい。…サクラ様」
「!」

サクラが驚いてくると、ナギは照れくさそうに笑う。

「ほら。お前の方が先に呼んだじゃなねぇか」
「…うるさいな、ヒサメ」

くすくすとサクラが笑うと、二人はようやく安堵した表情になる。ひとしきり笑い終えた後、サクラは大きく息を吸った。

「二人とも…手伝ってくれる?」

その願いに、否と答える声はなかった。



何かを捜しては、ごそごそと動き回る。腕の中で高くなっていく本を見ながら、ヒサメは情けない声を出した。

「あのよ…さっき聞いた事情にこの本が何の役に立つんだよ…」
「いいから!これも持って」
「っと…重いものばっかり渡すなっ!!」
「男なんだもんこれぐらいで文句言わないっ!」

こちらも見ずサクラにそう言われ、ヒサメは深い溜息を吐いた。そう言えば相棒の声を聞かないなと、ヒサメがぐるりと首を回せば、ナギは部屋の中央に置かれている椅子に座り、何事か調べているようだった。

「何やってるんだ?ナギ」
「うん…ちょっと頼まれて」
「何を?」
「ヒサメっ!」
「…はいはい!」

ナギの方へ行こうとしたが、それを断念し、ヒサメは止めとばかりに乗せられた本の重みに情けない声を出した。

「んで?何を捜してるんだ?」

へばっているヒサメを横目に、サクラとナギは先ほどから本を捲り続けている。だが二人とも熱中しているのか、答える様子もなくヒサメは些かむっとしてきた。この『闇鴉』の蔵書がある所に着いた途端、サクラはナギに何事か耳打ちすると、次々と本をあさり始めた。『闇鴉』の部隊長の一人と連絡が取れないのだと聞いた時は、すぐさま『死鴉の森』に赴くか、救出行動に出るかと思っていたヒサメの予想は大きく外れた。ぱらぱらとすごい早さで本を捲るサクラの横顔を見ながら、ヒサメは後ろからのぞき込むように声をかける。

「おい」
「うぎゃ!ちょっと!!びっくりするじゃないっ!!」
「人を無視するな!!」
「まぁまぁ…ヒサメ落ち着いて」
「何をするかお前はわかっているからいいけどな!こっちは落ち着かねぇんだよ!覚眠様の救出に行かないで何でこんなところにいるんだ!?本を読んでいる暇があったら他の闇鴉達にも…」
「他の人の手を借りるのは無理よ」

手を休めず、静かにサクラは言った。訝しげなヒサメに、ナギは僅かに目を伏せて頷いた。

「他の闇鴉達は動かない。私の頼みなんて聞いてくれないわ。だから他の人達には頼めないの」

何の感情も込めずそう言ったサクラだったが、その横顔には少しだけ寂しさを感じた。確かに、自分達より長い間『闇鴉』にいる者達は、サクラのことを容易に認めることはしないだろう。だが、仲間の団結は固い。誰かが捕まったと聞いたなら、嫌々でも協力するのではないか。

「…甘いわよ。ヒサメ。もし今私があそこに顔を出したら、ぎりぎりのところで不満を抑えているイル…ううん、夜斗さん達が押さえ切れなくなると思う。だからこそ夜明さんはあそこで私を待ちかまえて伝えに来たのだと思うの」
「押さえられない…?」
「『守座』を里の犬だと思っている彼らは、きっと里に対する不満を一気に爆発させてしまう。そうなってしまったら、最悪木の葉は内紛状態になってしまうと思うの。そうさせるわけにはいかないから…私はあの人達に手を借りることはできない」

だから覚眠を救出するのは自分でやらなければいけないのだと、サクラは言う。そこまで頑ななのかと、改めて気付かされたヒサメとナギだったが、でもねと続けたサクラの声に顔を上げた。

「二人が居てくれて良かった。私一人だったら、きっと諦めてた。絶対無理だって、何もしないで逃げていたかも」
「そんなことは…」
「あるよ。ナギ。だって本当は今でも怖がってるのよ?私」

ただ必死なのだ。それだけで、自分を保たせている。でも後ろにこの二人が居てくれるから。そして自分を信じているイルカが居てくれるから。

「だからね…二人が居るから調子に乗ろうと思っているの私」
「……はぁ?調子に…?」
「まぁそれは置いておいて!ナギ見つけたわよ!これだわ!」

サクラは本のあるページを大きく広げた。そこに書かれていたのはある建物の見取り図。

「私の予想通りだとすれば、きっとここに覚眠さんは居る。ここで軟禁されている筈だわ」



今日で何日目になるのか。
部屋に一つしかない窓をぼんやりと見ながら、カクギは乱雑に机の上に広げてある紙へと視線を移した。
『闇鴉』へ来た任務要請を断ってから、カクギは作戦の立案という名目でこの場所へと移された。だが、これが事実上の軟禁だということは、とうにカクギも気付いている。毎日毎日渡されるのは、経験を積んだ中忍でも十分務まりそうなうな簡単な作戦の立案。簡単だが、持ち込まれる量は半端ではなく、疲れて手を休めれば、二人居る上忍がこちらへと意識を向ける。

(外にも居るのだろうな…)

自分が軟禁されている理由は、至極簡単だ。自分達の要請を聞かなかった闇鴉達への報復。だが、自分を痛みつければ闇鴉達が黙っていないということで、連絡も取れないようにここに移し、闇鴉達が接触してくるのを待っているのだろう。考えてみれば幼稚な報復だ。しかし闇鴉達を慌てさせることはできる。

(やれやれ…)

カクギのこと覚眠は確かに闇鴉の一員だが、忍としての技術が彼らと同率の位置にあるとは言えなかった。カクギが中忍と言ったように、彼の腕はそのレベルだろう。良くても特別上忍ぐらいか。だが、そんな彼が闇鴉の、第五部隊長に何故なれたかと言えば、その並はずれた頭脳にあった。下忍時代から、注目され数々の城を落とした。誰もが不可能と思われた任務を可能という言葉に変えて見せた。一度の失敗もなく、中忍に認められて、すぐに上忍に昇格されるだろうそんなことが囁かれている中、ただ作戦のことばかりに頭が言っていて、周りを見ていなかったことが災いした。
ある日カクギの立てた作戦が大敗したのだ。それを聞いたカクギが信じられないと、確かめにいったその任務地で。知らされたのは、この作戦を立てたのは全く別人だということ。だが、それはカクギということになっていた。馬鹿なと同じ作戦部の上忍達の前で開かれた査問会。だが、その誰もがこの作戦を立てたのはカクギだと言った。

気付かなかったのだ。優秀すぎるカクギが妬まれていたことに。手柄をたてて、火影からも目をかけられるカクギを疎ましく思っていたことに。
ただ作戦をたてていればいいとそれだけでいいのだと思っていた。
もっと周りに目を向けてなくてはいけなかったのに。だから知らなかった。それまでもずっと自分の名で立てられた作戦が、全く違う人物が立てたものだったことに。
愚かで。何も知らなかった。知ろうとしなかった。その結果が。すべての裏切り。

もうどうでも良くなった。誰も自分の声を聞かなかった。それ以来、カクギは作戦部から引退した。作戦をたてなければ、カクギの行く場所などどこにもない。そうしてたどり着いたのが…闇鴉だった。

自分が捕らえられたと知って仲間は助けに来るかもしれない。だが、カクギに取ってそれはどうでも良いことだった。駒として使い捨てにされても、見捨てられても、どうでも良い。だからこそ、『守座』の変わりに人質となってここに来たのだ。

(…ん?)

カァと、聞き覚えのある声を聞いて、覚眠は窓の外を見た。木しか見えないその場所にいち羽の鴉が止まっていた。

(あれは…)
「どうした。手が止まっているぞ」

上忍の一人が、窓を見続ける覚眠を訝しんでやってくる。だが上忍の目に入ったのはただの鴉で。

「なんだ……」
鴉かと続けようとした時、ドアから煙が入ってきた。

「なんだっ!?」
「敵襲かっ!?」

言い終わらないうちに、ドアが乱暴に破られた。続いて上忍達が構えたが、すぐに彼らの視界がぐらりと揺れる。

幻術かと、煙を吸い込まぬよう気をつけながら、辺りを伺う覚眠の前に人影が現れた。

「お迎えに参りました。覚眠様」
「…ずいぶん派手だけど。いいのかい?」
「はい。貴方様がこれ以上ここに居る理由はございません」

闇鴉達しか知らない呼び名に、覚眠は頷き彼の後をついて外にでる。久しぶりに吸う新鮮な空気を味わいながら、辺りを見れば見張りの忍達が気絶していた。そこにはもう一人の闇鴉が居り、覚眠に向かって軽く頭を下げる。

「ガァ!」
「…『覚眠』…」

自分の対となる鴉が肩に乗り、何度も何度も体をすりつけてくる。窓を見た時はまさかと思った。あれほど森に居るようにと言い含めていたのに…と。

「覚眠様。行きましょう」
「ああ」

まだ年若い闇鴉達の後を追う。『死鴉の森』へと通じる場所に近づくと、『覚眠』が甲高く鳴いた。結界の前に立っていたのは一人の少女。サクラ色の髪をなびかせて、覚眠が来るのを待っている。覚眠が彼女の前に降り立つと、少女は深く頭を下げた。

「ごめんなさい…」

そう謝られたが、覚眠も言葉を返さないため、沈黙の時が流れる。ゆっくりと少女の頭が上がり、少女は言った。

「無事で本当に良かったです」
「…ああ、そうですね」

実感の沸かない声で答え、覚眠は結界の中に入っていく。

「いいのですか?」
「うん。とにかく無事で良かったから…あ!華式!」

舞い降りてきた白い鴉を腕に治め、サクラは労をねぎらう。

「さてと…じゃあ、帰るかな」
「え?行かないのか?」
「実はさっき帰ってみたら、任務が入っちゃって…」
「なに―――!お前昨日帰ってきたばかりだろうが!」
「しょうがないじゃない。医療部隊は年中人手不足なんだから!」
「んなもん断れっ!!」
「できるわけないでしょっ!!!」

ぎゃあぎゃと、迷惑そうな言い合いに、ナギは一人頭を押さえる。

「ぐわっ!」
「…うるさい」
「…」

取りあえずヒサメの頭を殴って黙らせたナギに、サクラは沈黙を返した。

さくら (2004.5.23)