さくら

第25話:その人の為



(…………えっと)

サクラは困っていた。というより、この状況の意味がわからなくて困惑していた。
ようやく今日任務から里に帰って、一休みできるなぁと思っていたのに、家の前に待ちかまえている人影。
しかも一部の人は怒りの表情で。

「………ただいま」
「ただいまじゃないわよーーーー!!何を考えてるのよっ!サクラっ!!!」
「そうだってばよ!!!サクラちゃんっ!!!」

イノとナルトが叫ぶ。横にいるヒナタはおろおろと、サスケはあきれ顔で。口ごもりながら、取りあえずサクラは笑ってみたがそれは前者の二人を怒らせるだけだった。

「開発部からわざわざ医療部隊に行くなんてっ!何を考えてるのよっ!」

そう怒鳴ったイノは、サクラにぎゅっと抱きついた。僅かに震えているイノの体に気づき、サクラは何ともいえぬ気持ちになる。

「…お帰りサクラ」
「ただいま。イノ」

そう微笑んで、顔をあげれば、泣きそうでいてほっとした顔のナルトがいる。きっとイノと同じくサクラのことを待っていてくれたに違いない。…かつての自分のように。

「ただいま。ナルト、サスケ君…ヒナタ」
「…お帰りってばよ」
「…ああ」
「お帰りなさい!サクラちゃん!」

全員の笑顔でむかられて、体の疲れもふっとぶほどの安堵感が胸に満ちる。

(…帰って来たんだ私…)

泣きそうなぐらい嬉しかった。



ばさりと羽音を立てる、久しぶりに現れた白い鴉。

「華式。ずっと呼べなくてごめんね」
「カァ」

任務中は一目があるため、ずっと紐の姿で居た華式は、サクラに撫でられるのが嬉しいのか、気持ちよさげに目を細める。

「守座様。そろそろ…」

森へと向っていたサクラにどこからかかけられた声。わかってると頷いたが、辺りを見回しても姿を見つけることができない。

(…やっぱり実力の違いよねぇ)

はぁっと小さなため息をつけば、心配そうな気配が伝わってくる。帰還途中でも、サクラが疲れた様子を見せると、いつもナギは声をかけてきた(勿論他の人たちには聞えないように)。どうやら彼は相当な心配性らしいと、サクラは彼の性格を決め付けているが、それが自分だけに対してという部分は気づいてない。

「行きたくないのか?」
「そういうわけじゃないけど。な〜んか。ほら、あそこに行くには心構えが必要というか…」

わかるでしょう?とそんな意味合いを含めて木立の間を見上げれば、わざと気配を開放しているナギとヒサメから、沈黙が返って来る。

「…まぁな」
「…ですね」

先日までその原因の中に入っていた自分達。ちょっとばつが悪い思いで、面を被っているというのにサクラから目を逸らしていた。

「あそこは気が抜けないから…仕方が無いんだけど。じゃ、ナギお願い」
「わかりました」

サクラの要請を受けて、ナギがこの辺りにかけられている幻術を解いていく。ぶわりと辺りの景色がゆれ、奥へ奥へと続く小道が現れた。

「それじゃ、行ってくるね…そうだ2人にお願いがあったんだ」
「?なんですか?」
「なんだ?」

困惑する2人に、サクラはつんと顔をあげて言った。

「私ねずっとズルイと思ってたの。何で私は2人のことを名前で呼んでるのに、私は呼ばれないのか」
「…はぁ?何言ってるんだ。当たり前だろう」
「当たり前じゃないわよ!ずるいじゃないっ!」
「…ずるいとかそういう次元ではないと思いますが」
「ずるいの!!」

びしっと彼らがいる(らしい)場所へと指差して、サクラは宣言した。

「他の人たちの前はともかく…私たちだけの間の時に守座なんて呼んだら、以後!返事はしません!口は聞きません!無視をし続けます!!決定!」
「は!?馬鹿か!?」
「…ええとそれは…」
「いいわね!」

一方的な宣言をして、サクラは走り出し2人の前から消えていく。残された彼らはこれをどう取ればよいのかと、顔を見合わせたのだった。

(…だって嫌なんだもん)

ずっとずっと嫌だった。彼らが守座としか呼ばないことが。
ちゃんと名前があるのに。そう思ってしまった瞬間、沸いてきたのは恐れだった。
守座としての自分しかいらない。
そんな存在にはなりたくない、ちゃんと自分を認めて欲しい…ようやく話し合うことができた2人には。
それは一種の甘えだと思う。彼らに受け入れられた存在になりたいと、勝手に主張しているようにも思えるが…

(できれば彼らだけには)

その気持ちを少しでも受け入れて欲しかった。

一直線に『闇鴉』達のいる『死鴉の森』へ向っていたサクラだったが、その先に人影を見つけて立ち止まる。

「貴方は…」

いつも無口で、他の人たちの影にいるように佇んでいる人。夜明。
夜明はサクラに軽く頭を下げる。彼の肩に乗っている鴉が一度鳴いた。

「無事のご帰還心よりお喜びいたします。…しかし、今あちらに行くのはおやめになった方がよろしいかと思います」
「どういうことですか?」
「…貴方様が里を離れている間、問題が起きました」

ただ真っ直ぐに見つめる瞳が、淡々と事実だけを述べていく。僅かに息を呑んだサクラに、その前にと夜明が手で制した。

「貴方様がどれだけ『闇鴉』のことを知っておられるのか。お聞きしてもよろしいでしょうか」
「どういうこと…ですか?」
「『守座』が何をする者かを」

怪訝そうに首を傾げたサクラに、夜明はこれまでと全く違った『守座』の見解を述べる。

「『守座』は…里の犬。火影に忠実な飼い犬。火影の命令をどのように『闇鴉』に遂行させるか。そして我らにはここに居ることができるという餌をちらつかせて。両方の顔色を伺いながらも、火影のために動く存在…それが『守座』だと我らは思っている…夜斗以外は」

何と言えばよいのかわからない。
イルカから聞いていた話とは全く違う…彼らの見方。それが本当ならば。夜明の言っているのが本当の彼らの思いならば。
自分とは一体何なのだろう。

「…貴方が『守座』になった時、本来ならばすぐさま火影へと伝えられる筈でした。しかし…夜斗がそれを止めました。また心積もりのできていない貴方を、里と我らの重みに潰させるわけにはいかないと…ですが、その代わりに我らの仲間が里へ行くことになる。我らが裏切ることがないと伝えるために。貴方の代わりに人質として…その役目を負ったのが覚眠。あの者は貴方が任務へ赴いてからずっと連絡が途切れています。そのことに一部の者達が反発をし始めました」


私は…何?


がらがらと今にも足元が崩れそうで。夜明の話が耳に届いているのに、その声が酷く遠くに感じられて…

イルカは言った。自分達を救って欲しいと。
だが、他の『闇鴉』達は自分を必要としていなかった。

人として光を失ってしまった自分達を救い上げて欲しいと。
しかし『闇鴉』達は『守座』にそんな期待はしていなかった。

それどころか犬とまで呼び…軽蔑していたのだ。

自分は…どうしてここにいるのだろう。

イルカの役割を理解したつもりだった。少しでもそれに近づき、やがては彼らに笑顔を取り戻してやりたいと。イルカもそれを望んでいたし…それが何もできなかった自分の贖罪と思っていたから。
ナギとヒサメとの間にも少しだけ心が通じ、自分を名で呼んで欲しいとそんな甘えまで告げて。ちゃんと戻ってきた自分を彼らに見せたくて。裏切ることなく、ちゃんと彼らのもとに生きて戻ってきたと。
そうしたら認められる気がしていた。

だがそんな『守座』は、ただの幻だった。

ぽたりと、うつむくサクラの顔から何かが落ちた。華式が一声鳴き、『夜明』も喉の奥で心配そうにサクラへと視線を送っている。だが、何も言えないサクラは、夜明ひ軽く頭を下げ、来た道を全速力で引き返していった。

(…酷だったか)

しかし夜明に言ったことは間違いではなかった。事実、一部…いや大部分の『闇鴉』達がそう思っているだろう。『守座』という存在を。里への忠誠心はないのに、里から離れられない『闇鴉』。だが、何もせずにそこに居続けることは許されないから、その代わりに過酷な任務を受けざるを得ない。それを伝えに来るのが…『守座』という存在だ。唯一『闇鴉』に接触する者。そう思っているのだ。

(だがな。お前の言っていることも本当だろう…夜斗)

彼がどう『守座』というものを伝えていたのかは知らないが、それは夜斗自身の希望でもあり…そういう存在になってほしいとの願望でもある。それは夜明自身の夢でもあったが…

「カァ」
「?どうした?『夜明』」

相方の鴉が、翼を広げ地面に降りる。そしてぴょんぴょんと飛びながら、サクラがいた辺りまでカァと鳴いた。
そこにあったのは。

一滴の血。



走って走って、胸がつぶれるまで走って。体中が悲鳴をあげても更に走り続ける。どこへ行っていいのかわからない、誰を頼っていいのかわからない。それでもサクラは走り続けた。そして気づけば、なつかしい演習場に立っていた。

日が暮れ始めているせいか、誰もいない演習場は寂しくて、まるで乾いた風が吹き荒れる自分の心のように寂しい。
サクラのすべてが崩れていく気がして。それまでがんばっていたすべての気持ちが否定されたようだった。

「…私は…何をしてるんだろう…」

自分のしてきたことがすべて無駄だったように思える。いや…そもそも忍になろうとしたのがいけなかたのかも知れない。秀でた実力もなくて、ただ少し頭が良いだけ。たったそれだけの女の子。
何も知らなければ良かった。忍に慣れたと喜んでいた…無知な自分のままでいられれば。

「こんな…ことで…悩む必要なんて…なかったのに」

ぼろぼろと涙が溢れ出す。夜明から聞かされた時泣く事ができなかったのに、何故今更…噛みしめた唇だけが…とても痛くて…

「馬鹿…みたい…」



「サクラ?」

ふらりと体の力が抜けた瞬間、懐かしい声が彼女を受け止めた。後ろを振り返れば、そこには…

「カ…」
「どうしたんだ?何かあったのか?」

涙を流した少女を気遣って、カカシはサクラをしっかりと立たせると下から覗き込むようにしながら一言一言をゆっくりと言う。

「…カカシ…先生…」
「サクラ?」

カカシに抱きついて、ひっくとサクラは声を漏らした。



「おい。あれお前が担当したガキの一人じゃねぇか?」
「え?」

アスマと二人で、かつて見た月夜の人物を探すべき、里を回っていたカカシは、アスマの指差した方向を見て声を詰まらせる。そこは、カカシが初めて担当したスリーマンセルを認めた場所。真っ赤な夕日の中に、その内の一人は静かにたっていた。酷く脆く、今にも崩れそうな雰囲気で。

慌てて駆けつければ、サクラは涙を流して…カカシに縋って幼い子供のように泣き続けた。



「一人でこんなところにいたら危ないぞ?」

落ち着いたらしいサクラに忍犬を使って買わせた暖かい缶コーヒーを渡す。のろのろとした動作でそれを受け取ったサクラは、ぺろりと顔を舐めた犬へと小さく笑みを漏らした。

「あったかい…」

濡れた頬に缶をつけて、目を瞑るサクラ。ぷしゅっとカカシが缶を開けた音がする。続いて喉を通る音。それが終わっても一向にカカシは何も言わなかった。カカシは待っていてくれるのだ。サクラから話し始めてくれることを…焦らせないで、サクラが考えを纏めてくれるのを待っている。

「…私ね。ある人に言われたの。お前なら絶対できるって」

知らぬうちに巻き込まれていたことを知ったあの日。

「私は無理だと思った…その人が望んでいることなんてできないって。でも…その人は何度もそう言ってくれて、皆もそう思ってくれているって…だからがんばってみようと思ったの。少しでもそれに近づこうって…でも…」

救ってくれと。闇の中に迷い込んでいる人々を。里に裏切られて悲しんでいる鴉たちを。

「でもね…皆はそんなこと望んではいなかったの…誰もそんなこと願ってはいなかったの…」

誰一人そんなことを自分に期待してはいなかった。嫌…逆に憎んでいた。あんな小娘が、火影の意向を告げに来る犬なのかと。
こんな…中身もよくわからない話をカカシにしても仕方が無いとわかっている。わかってはいるが…誰かに言いたかった。言って…やっぱり自分には無理だったのだと確信したかった。しかし、カカシが言ったのは…逃げを許さない優しい言葉。

「それは違うんじゃない?」

僅かに顔をあげたサクラの頭を撫でて、言葉の意味を理解させるように丁寧にゆっくりと。

「だって、できるってサクラに言った最初の人は、少なくともその人だけは信じてるんじゃない?サクラにはできるって」

はっとサクラが息を呑む。カカシから笑っている気配が伝わってくる。

「それともサクラは全員からそう言ってもらえないとできないの?全員から認めてもらわないと…しないの?」

そう…だ。私は何を勘違いしていたのだろう。
サクラは、カカシに言われて『守座』になったわけを思い出す。

私は…イルカ先生とカカシ先生をもう一度出会わせるために『守座』になったんだ。

何かを恐れてカカシの前から姿を消したイルカ。自分を死んだことにしてまで、それまで大切にしてきた人たちをすべて裏切ってまで。そんなイルカに腹が立って、悲しくて、自分が情けなくて…でもイルカがまだカカシのことを想っていると知って。
あの時決めたのではないのか。
卑怯者と呼ばれようとも、構わないと。
どんものを利用しても…自分は…

「それにね。今サクラに何も期待していない人たちも。その人の為にがんばるサクラを見て変わるかも知れないじゃない?」
「…カカシ先生…」
「って…これがサクラの悩みを解決する助言になっているかどうかはわからないんだけどね〜」

あはは〜と笑うカカシに、サクラは思い切り首を振った。

「ううん…すごい…役に立った。ありがとう先生…」

サクラは少しぬるくなってしまった缶の蓋を開け、一気に喉へと流した。いつもは苦いと思えるこの味が、今はとてもちょうど良い。

「やっぱり…先生はずっと私の先生ね」
「うん?そう言われると照れるけどなぁ」
「ちょっと怪しくて、変態の気はいつまで立っても変わらないけど」
「…サクラ君?それは喧嘩を売っているのかな?」

少し低くなったカカシの声にもう一度笑い返して、サクラは立ち上がった。

「本当にありがとう!カカシ先生!愚痴言ってごめんね!」
「もう遅いし送っていこうか?」
「平気っ!それに送ってくれる人の一人や二人私にだっているんだから!」
「おや〜?それは失礼を」
「あっ!信じてないっ!!」

怒った振りをして、もう一度笑い合って。サクラはくるりと背を向けた。

「それじゃ!カカシ先生もいつまでもうろうろしてないでね!怪しいんだから!」
「はいはい」
「…今日は本当にありがとう…カカシ先生。カカシ先生は…いつも私に教えてくれる。だから…」
「ん?」

サクラの最後の言葉が聞き取れず、カカシがもう一度問い掛けたがそれに答えず小さな背は消えていった。まぁいいかと、昔の教え子が元気を取り戻したことに安堵したカカシ。

「よう。てめぇが慰めるなんて珍しいこって」
「ひどいね〜それは」
「こんな怪しい奴に相談なんてよっぽど思いつめていたんだろうな」
「…死にたい?アスマ」

タバコを口にくわえているアスマは小さく肩を竦ませる。

「大事にしろって言ってるんだよ。幸せで居て欲しいなんて言う奇特な部下はざらにいねぇからな」
「…幸せ?」

カカシはアスマの言葉を反芻して、サクラの消えた方角へと顔を向けた。アスマの言った言葉はカカシの聞き取れなかった部分だろう。しかし…何故サクラはそんなことを言ったのだろうか。

(俺が…幸せになんてなれないって知っているはずなのに)

里へは帰って来たくなかった。そう告げた意味を…十分わかっているだろうに。

「おい。どうする?」
「…ああ…今日は一回りでやめるか」

了解との声がかかり、アスマは一足先に見えなくなった。カカシはどこどなく引っ掛かりを覚えながらも、アスマの後を追ったのだった。

さくら (2004.5.16)