さくら

第24話:託した未来



「どこに行ったんだ…あいつは」

久しぶりの自由を満喫していたが、ここ数日相方の姿が見えない。
自分と違い滅多に『死鴉の森』から出ない彼がどこにも居ない。

(…まさか)

嫌な予感を覚え、暗部装束に身を包み走り出す。
向かうは、西方の戦場。



(…はぁ。さすがに疲れたわ)

食事も忘れて怪我人の手当をしたサクラは、宛われたテントの中で一息ついていた。汗と泥でべとべとの体。里にいた時は毎日シャワーに入っていたというのに。

(う〜ん、さすがにちょっと懐かしくなったわ)

年頃とあってか、それだけは切に願う。取りあえず渡されたおにぎりとお茶を胃に収め、仮眠のために寝転がる。部隊の駐屯地にはぐれていた仲間と無事についたサクラは、すぐ仕事に追われる羽目となる。一息つけたのは次の日の夜。戦闘の疲れをとれなかった体はさすがに悲鳴を上げ、サクラの瞼はすぐに重くなる。

(あ…ナギは…大丈夫かな…そんな…心配…ないか…)

自分の独断で付いてきたと言ったナギは、サクラの説得も聞かず傍にいるのだろう(あれ以来姿を見ないが)。だが彼との間に細い糸がかけられたように感じる。それは喜ぶべきなのだろうが…

(眠い…)

そこまで考えてサクラは眠りの中に落ちていった。


「何をしている」

背後からかけられた声に、ナギはゆっくりと振りかえる。そこには見るからに不機嫌なヒサメが腕を組んで立っていた。面の下からは咎めるような視線。

「帰るぞ」

顎を動かし付いてくるように求めるが、ナギは動こうとはしなかった。苛ついたヒサメの気配に顔も向けずナギは言う。

「今は俺の自由な時間だ。どこにいようと関係ない」
「…何だと」
「ここへ来たのは俺の一存。お前は里に戻った方がいい」
「ナギっ!お前あのガキに…」
「ヒサメがどう思おうと、俺はあの方の傍にいると決めた」

座っていた木の上から立ち上がり、ヒサメと目の高さを合わせる。ヒサメから立ち上る殺気に、僅かにいた小動物が慌ててどこかに消えていった。

「あんな…里でぬくぬくと育ったガキにほだされたのかっ!見せつけるようにこんな戦場に来て、俺達の護衛はいらない?そんな大口を叩くような奴に!大して戦力にもならず、怪我人の中を走り回り苦痛を与えることのできぬガキに何ができるというんだっ!!」
「…お前がどう思おうと勝手だが、俺を前にしての侮辱は止めてもらおう。一つだけ言わせて貰うなら、あの方がお前のことを知らないように、お前もあの方を知らない」
「…何だと」
「何も知らない者が相手に何も言えぬなら、お前も同じことだろう」

これで話は終わりだとばかりに、ナギは別の場所へ移動していった。

「何が…わかるっているんだ…戦場を知らぬ…忍が…惨さを、苦しみを…」

そして。生きることの辛さを。
唇を噛みしめて、怪我人に囲まれている木の葉のテントを見下ろす。そこに同郷などという仲間意識はない。ヒサメの目にはただ生にしがみつく惨めの生き物にしか見えなかった。


「あのっ…これでいいんですか?」
「あ、うんそう。残りはね…これを混ぜればいいのよ」

誉めてやると、ほっとした顔をしてにっこりと笑う少年。彼はまだ10歳の下忍だが、組んでいるスリーマンセルと上忍師と共に医療の技術を買われて派遣されたという。下忍も2年目という話しだから、手際はいい。医術を勉強しているだけあって、薬草にも精通しているし、こちらの指示にも的確に動いてくれる。だが、顔見知りと離れているせいか、つねに不安そうに動いていた少年。何となくサクラが声をかけた日から、彼はサクラの周りで助手のようなものを務めてくれるようになったのだ。

(なーんかナルトに似ているのよね)

勿論本人のように、元気が有り余っている性格ではないが、嬉しそうに笑う時の笑顔がそっくりだ。部隊の移動や、配置のせいで見知らぬ場所でたった一人でいた少年は、幾ら下忍を2年しているとはいえ、心細かっただろう。まるで弟が出来た気分を味わいながら、サクラは彼とともに怪我人の手当に追われていた。そんなサクラと少年を見下ろす冷ややかな目。
そこへ緊張の走る伝令が飛んできた。

「すぐそこで襲われたっ!!!医療班はいるかっ!!」

その声にすぐさま立ち上がったサクラは、少年に手当の続きを頼み走り行く。何かの命令を受け、数人の忍とともに去った彼女を、小さな目が見送っていた。



「大丈夫ですかっ!?」

うめき声を上げる仲間を手当しながら、サクラは重傷を負ったものに、チャクラの治療を試みる。その治療により、何人かの忍が意識を取り戻した時、辺りを警戒していた忍から緊張が走った。

「来るぞっ!!!」

その声を合図に開始された戦闘。サクラも今し方治療を終えた忍の前に立ちふさがり、彼を守るようクナイを構える。まるで特攻のように責めてくる少人数の敵部隊。そのせいか、木の葉の忍が次々と倒れていく。
サクラも敵と応戦しながら、味方が辿りつくまでに何とか時間を稼ごうとしていたが…

「うわぁっ!!」
「えっ!?」

聞き覚えのある悲鳴に下を見れば、あの少年が敵に横っ腹を刺され、倒れる所だった。

(何で…こんなところにっ!!!)

まさか自分を追いかけて来た?

「邪魔…よっ!!!!」
「ぐふっ!!」

下から敵の顎を蹴り上げて、木にぶつけたサクラはすぐさま少年の元へと飛びだつ。

「守座様っ!?」

どこかで戦闘をしていたナギの焦った声。だが、それを気にかけている暇はない。
刺されたショックから立ち上がれない少年。満身創痍の敵の刃は、慈悲の欠片などなく少年へと落ちようとしていた。

「つあっ!!!」

その敵に体当たりをして、自分へと刀の方向を向けさせたサクラは、背を切られて苦悶の声を上げる。まだショックから立ち直れていない少年は、サクラの胸の中でガタガタと震えていた。
パニックを起こさないだけいい。逃げ出すこともできぬ少年を抱え、サクラはクナイで敵の刀を受けた。
ギィン!!
ギシギシと、押されてサクラの首に刀が近づいていく。前体重をかけて刀を押してくる敵が、血に濡れた歯を見せて笑う。

「あっ…うう…」
「行きなさいっ!!!早くっ!!!」
「で…でも…」
「行って呼んできてっ!!!命令よっ!!!」

その言葉に弾かれたように動き出した少年。しかし敵はそれを見逃さない。

ドォン!!!
(トラップ!?)

すぐ傍で起こってしまった爆音に、最後まで残っていた少年の生への執着心が消えてしまう。狙ってくださいとばかりに立ちつくしている少年。その彼の傍に見えた火花。

(まずいっ!!!)

渾身の力を込めて敵の刃を押し返し、サクラは少年の前へと躍り出た。その瞬間、炎が辺りを包み込む。

「守座様っ!!!」

最後の敵を倒したナギの声は、炎の中に飲み込まれていった。



何故助けたんだ。
そんなことをしなければ、助かったのに。
貴方達は助かったのに。


炎が身を焼くことを覚悟していたサクラだったが、いつまで立っても熱気が襲ってくることはなかった。
少年を抱きしめ、目を瞑っていたサクラはおそるおそる目を開ける。

(…え?何…これ)

炎に囲まれていたが、自分達のいるところだけはまるで避けられたように何ともない。一体何が起きたのだろう、自分にかかる影に顔を上げれば、一度だけ顔を合わせた相手が立っていた。

「貴方…」

言葉の続きを言わせないように、ヒサメは手を一振りさせる。すると風がないのに、炎が一瞬大きく膨れあがり、彼の意に従うように消えていく。炎がすべて消えていく中、サクラの元へナギが駆け寄ってきた。

「ご無事ですか!?」

サクラは頷き返したものの、自分を助けたヒサメの真意がわからずヒサメを見るしかなかった。それはナギも同じだったのだろう、背を向けたままのヒサメに無言の視線を送る。

「戦場で弱い者が死ぬのは当たり前だ。お前の行為は愚かとしか言えない」

振り返ったヒサメは、少年を助けたサクラの行為を責めていた。ぐったりと、ショックで気絶している少年と、己の身を危険に曝したサクラを。

「それは死ぬべきだった」

少年を見据えて言うヒサメに、呆然としていたサクラの顔が怒りに染まる。

「馬鹿を言わないでっ!!!」

背に受けた傷が声を上げたが、サクラは聞こえぬ振りをして立ち上がる。自分を気に入らないのはわかっている。しかし、この少年が死んだ方が良かったのだと言い放った彼は許せなかった。だが、怒りの形相で立ち上がったサクラを見る目は冷たいまま。

「お前とこいつの価値は違う」

たかが一介の下忍。闇鴉を率いる少女では。
どちらが生きるべきか判るはずだ。



激しい戦場の中で、必要とされる忍が誰なのか、幼い自分でもわかっていた。大して忍術も使えてない、仲間についていくのがやっとの人数合わせの自分。せめて足でまといにならないようにと、それだけを自分に言い聞かせていた。
だからわからない。
自分の居た部隊が窮地に陥った時、何故彼らは庇ったのか。

危ないと誰かが叫んで、気付いた時は誰かの胸に抱かれていた。
激しい爆音や轟音が耳をつく。その時にその人ごと飛ばされて、自分は気絶していた。

目を覚ました時、そこにあったのは仲間の死体の山。そして…自分を守ってくれていたのは同じ部隊の仲間だった。

何故だ。何故自分を庇ったんだ。
庇わなければ、この人は助かったのかもしれない。自分より経験も力もあって、これからの里に必要なこの人達。

なんで。

何の役にもたたない自分が。


生かされたんだ。


「こいつは死んでも構わない。代わりは幾らでもいる。それよりも今任務に必要なのは…」
「代わりなんていないわ」

ゆっくりとこちらへ顔を向けるヒサメを真正面から見てサクラは言う。気絶している少年の傍へ膝を落とし、彼の頭をゆっくりとなでて。

「この世界でこの子はたった一人。この子の代わりはどこにもいない」
「だったら、お前の代わりもいないはずだろう!!お前は『闇鴉』の守座!この子供の代わりにお前が死んでいいはずがないっ!!」
「…そうね」

感情をあらわしたヒサメの言葉をサクラは肯定する。彼の言いたい事は間違っていない。望まずとも『闇鴉』の守座になることを承諾したサクラの背には、彼らの生も背負っている。そのサクラが死ねば、彼らもようやく見つけた希望を見失い、再び闇の中に逆戻り。その代償をこの少年では払えることはできない。
けれど。

「…体が動いちゃったんだもの。この子を助けたいって。生きて欲しいって思ったから」

無意識のうちに、忍ではなくただ人の本能として。

「自分よりこの子の未来を守りたいと思ってしまったの」

人が死ねばその人の未来は消えてしまう。それは自分にも置き換えれることだけど、自分より小さな子供の死はもっと悲しい。もっと楽しいこともあったのに。もっと色々なものを経験するはずだったのに。
小さな手がつかみ取る筈だった未来を嘆いてしまう。

「確かに里にとっては経験豊かな腕のある忍が必要とされるかもしれない。だけど、子供達は里の未来を担って行く。沢山のことを経験して、泣いて笑って…そしていつかこの子達も新たな子供に託すんだと思う」

木の葉の里という故郷を。

「大事だから、自分の里が大事だから。未来に続く里と共に歩み守って欲しい願うのだと思う。だから価値のない人なんていない。死んでいい子供なんていない。だっていつかは大切な里を守ってくれる担い手になる人達だもの。だから私がこの子を守ったことは間違いなんかじゃないわ。絶対に」

里を託された。
そんなことは…思ってもみなかった。
ただ子供だから弱いから助けられたのだと、庇って…彼らの足を引っ張ったのだとずっとずっと思っていた。
もう二度とそんな失敗はしないと、強さだけを求めて、ただ力だけを磨いて生きてきた。その結果、誰からも敬遠され、恐れられていくようになっても。


「ん…」

子供のうめき声が聞こえ、ナギとヒサメはその場から姿を消す。ゆっくりと目を開けた子供にサクラは怒った顔をする。

「無茶したわね」
「………ごめんなさい…」

泣き出した子供を抱きしめて、落ち着かすようにサクラは背を叩く。

「無謀な勇気は勇気とは言わないんだからね」

頷く子供が反省したのを確認し、サクラは笑いかけた。


先ほどまで流れていた血臭がようやく感じられなくなった。襲撃を受けていた木の葉の部隊もようやく落ち着きを見せ、誰かが任務の終了を告げに飛び回っている。
それをぼんやりとナギとヒサメは眺めている。

「そろそろ…ご帰還されるな」

安堵した声に振り向けば、面を外したナギが満足そうな顔をして空を見上げている。『闇鴉』の一員となってからずっと彼と組んでいたが、こんな顔は始めて見た。ぼんやりとそんなことを思っていれば、突然ナギがこちらを見たので顔を背けそこなった。

「帰らないのか」
「…」

わかっている癖にわざわざこんなことを言うナギに、ヒサメは面の下で顔をしかめる。くつくつと笑う声が腹立たしく、横を見れば闇を照らす月が目に入った。

「…ずっと悩んでいた自分が馬鹿みたいだ」
「…そうかもな」

生き残った日からずっと苦しんできた思い。それがこんな一瞬で氷塊するなど誰も思わないだろう。たった一言、その時に一言がもらえなかったために長い間苦しんできた。
忙しく動き回る木の葉の陣営を見れば、その中にあの少女を見つける。

「守座…か。他の『闇鴉』達が何故それに固執するのかずっとわからなかったが…こうなってしまえば何も言えないな」
「俺達は『闇鴉』の頂点に立つ人だから…誰よりも強いそんな存在だと思っていたけれど…違ったんだな」

本当に欲しいものをくれる存在。誰もが知っていて、当然のような言葉を言ってくれる人こそが、自分達には必要なのだ。

「さてと…帰ったらどう言い訳する?夜斗様に」
「怒られるのを覚悟した方が早いと思うけどね」
「違いない」

高い木の上で笑い会う二人に、月の光が優しく降り注いでいた。

さくら (2004.5.4)