毎日人が傷つき、倒れ、死んでいく。 そんな日常を合えて希望した少女は、戦場を駆け抜けていた。 命令が下ったわけでもないのに自ら希望してここに来た少女。 わからない。 わからない。 …わかりたくない。 「それはどういうことですか!」 イルカの怒りの籠もった視線。だがそれを前にしてもサクラは怯まない。 「今行った通りです。よろしくお願いします」 「それに納得できるはずがないでしょう!どうして貴方はっ!!」 そんな二人のやり取りを、他の部隊長達が無言で見守っている。夕闇、朝飛、そして第三部隊長夜明(やめい)。彼らはイルカとサクラの論議に参加せず、ただ傍観を決め込んでいた。 「貴方が任務を受けるのはわかります。ですが、自ら志願した上に配置外を願い出たとは!」 「行けませんか?」 「行けないって…!!」 イルカは戸惑っていた。何故、急にサクラはこんなことをしでかしたのだろう。この前『守座』になると、自らの口で言っておきながら、自分達を人にすると行っておきながら何故敢えて危険な道へと。 「…もう受理されたなら仕方ないんじゃないのか?夜斗」 「夕闇」 「だってそうだろう?今更取り消しは聞かないぞ?」 はーあと、溜息をつく彼は多分やっかいなことをしたと思っているのだろう。だが、サクラはそれぐらいで傷つかなかった。傷つくくらいなら…そんなものを望まなかったから。 「…まぁ、ナギとヒサメがついている。滅多なことにはならないさ」 そう朝飛が宥めるように言う。だが…と続けようとしたイルカだが。 「護衛は入りません」 その一言に全員の目がサクラに集まる。サクラはそれをすべて見返して、もう一度言った。 「任務には私一人で行きます。護衛は必要ありません」 「な…何をサクラっ!!」 ついにイルカから敬語が抜け、怒ったように彼は立ち上がった。それは明らかにサクラを心配している目で、同時に不安に満ちている目。何故かこんな状況なのに、サクラは嬉しくなり思わず視線を緩めてしまう。 「えーとそれはさすがにまずいんじゃないかな?ねぇ」 「当たり前だろう。『守座』様を一人にできるわけがない」 そう言い合う夕闇と朝飛。 何我が儘を言っているんだろうか。何もできない癖に。 二人の呟きからそう見える心の声。彼らが反論してるのは、サクラが『守座』だから。少なくともイルカが認め、連れてきたから彼の前で自分達の立場を貫いているにすぎない。 (そう…心配してるのではない。ただそう見せているだけ) 闇鴉の中でも自分を認めていないのは、この二人が筆頭だろう。先ほどから一言も発しない夜明は何を考えているのか知らないが…しかし彼らの反論を封じるだけの言葉は自分にだって持っている。 「任務に行くのに護衛がついている忍など聞いたことがありません。医療班は知ってのとおり、戦場へと身を置く部隊です。任務が降りるたびについてくるのですか?」 「仕方がないんじゃないですか?」 「この任務は私が受けた任務であって、それ以上の人は必要ありません。逆に私が危ないからと出てこられて、部隊に混乱をおこせば任務に支障を来します」 言外に邪魔だと言われ、朝飛と夕闇が眉をひそめ、イルカが慌て出す。 「私の任務は私の責任で行います。他の人は関係ありません」 そう言い切ったサクラに、夕闇が薄く笑った。 「…死ぬかもしれないのに?」 「夕闇っ!!!」 「私が死んだら、所詮この程度の『守座』だったということでしょう。次を探した方が懸命です」 「サクラっ!?」 何を言うんだと、イルカが叫ぶがサクラは夕闇と目を合わせたままだ。先ほど笑った彼の笑み、それが始めて見せた彼の本心だとサクラは確信していた。しばしの睨み合いの後、夕闇が笑う。 「…余程自信があるんだね。いいんじゃない?構わないよ俺達は」 「…だな」 「夕闇!朝飛!!!」 「『守座』様がそうおっしゃるんだその通りにしろよ夜斗。じゃ、俺は行くわ」 そう消えた二人。イルカは彼のいなくなった場所を見て、ふうっと溜息をついた。 「…サクラ」 「…ごめんね?イルカ先生。でもねこれは私が決めた道なの」 「だが…」 「先生。私を心配してくれるのは嬉しい。けれど私はいつまでも先生の生徒じゃないのよ」 息を飲むイルカにサクラは微笑んだ。 「私は忍なの。それだけは絶対に変わらない」 イルカはサクラの言葉を聞きながら、ふと昔を思い出していた。今の台詞は…かつて金色の… 「じゃぁ、そういうことでナギとヒサメに言って置いてね。そろそろ準備しなくちゃいけないから」 そう言ってサクラは去っていく。何故か…ぽっかりと胸に穴があいたような気分だった。 「…夜斗」 「あ…夜明?」 まだ居たらしい夜明は、項垂れるイルカの肩を叩く。夜明は先ほどまでサクラのいた場所を眺め、呟いた。 「…忍か…」 「夜明?」 「何となく…お前があの子を選んだ理由がわかったよ」 久しぶりに見た。笑顔というものを。 とっくの昔に笑うことを忘れてしまった自分。だからこそ、あの笑顔が心に突き刺さるのだと、夜明は思ったのだった。 「トラップに注意して!」 「はい!!」 隊を率いるくの一が、新参者のサクラに注意する。サクラは細心の注意を払いながら、背負っている荷の紐を握りしめた。 現在、サクラ達は別の場所で戦っている仲間の補給をすべく、そこに向かっている途中。面倒見の良い上忍のくの一と、父親と同じぐらいの年の中忍2人は、サクラを同じ忍として扱いながらも、未熟な彼女をフォローしながら進んでいる。 この前戦に来て一週間。ずっと医療を扱える忍として動き回るサクラに、疲労がないわけではない。それでも何とかやっていけるのは、前戦の後方を守る忍達がサクラを大事に扱ってくれているからだろう。というのも、医療を使え、優秀な忍である者はすべて隊の中に組まれ、出払っていることが多い。サクラのように、専門的な知識を持つ忍はほとんどいないのが実状だったのだ。だから彼女が来た時、部隊は歓迎した。そしてすぐさま怪我人の手当に当たる。治療方針を告げれば、その後は頼んだ忍の方が手際が良いという、サクラにとっては苦笑いしかできない状況でもあったが。 「止まって!!」 くの一の言葉に部隊は制止を余儀なくされる。僅かにでた舌打ちから、敵に囲まれてしまっていることが、他の忍にも伺いしれる。 警告を出すまでもなく向かってくる攻撃。サクラも使い慣れたクナイを取り出した。 はぁはぁと荒い息ばかりが耳をつく。 サクラは茂みに隠れながら、仲間の気配を探すが一向に感じることはできなかった。 (…はぐれた…) どうしよう。 思わずくじけそうになる気持ちに、首を振る。幸い大きな怪我はしていないから、血で気取られる心配がないのが不幸中の幸いだった。 戦場で仲間を助けたい。 そう思って来たが、そこは予想以上に酷い場所だった。 着いた早々から始まった治療。サクラが来なければ、適切な処置をされぬまま死んで至っただろう仲間達。敵の毒にやられ、全身を切り刻まれ、手足を失い、死の苦しみに必死に耐えていた。 決して衛生と言えぬ場所でも振るわなければならなかった未熟な腕。簡易の手術道具で彼らの体を開き、腐った部分を落とし、繋いだだろう。 血、血、血。 それでも、まだ敵と戦うよりはマシなのだ。少なくとも人を助けるべくそれに触れているのだから。 そう考えても、時に助からなかった命を前にしては、やりきれなさに悲鳴を上げそうになる。しかし、自分の殻に閉じこもる時間さえ、サクラには与えられていなかった。 だが、辛いのは自分ではなく、目の前にいる人達だから、そう思うからこそサクラは決して笑顔を絶やすことはなかった。 諦めない。 戦場に来るときに自分に定めた決意。 何が起ころうとどんな状況であろうと、絶対に諦めることはしない。諦めればすべてが終わってしまう自分も、目の前の命も。それでは、こんな自分に希望を見てしまった人達があまりにも哀れすぎるではないか。 行く先を見失った鴉達。 彼らは、すべてに諦めてしまっている集団だとサクラは感じた。里にも人にも自分にも。だからこそ、無気力な目、やりなげな言葉、他者の介入を拒む体。一つでもそれを侵そうとする者を許さない、それはサクラを始めて見た敵意で窺いしれる。彼らの傍に寄り添えるのは、同じ痛みを持つ者だけだ。だがそれは、闇を深くするだけで安らぎには決してならないだろう。それがわかっていても彼らは抜け出すことができない。抜け出そうとしない。 諦めてしまっているから。 (でも…私は約束したもの、先生と…) 笑っている顔しか知らなかった。 その裏にある苦しみなんて気付かなかった。気付こうとしなかった。 (知っていたのに…聞いていたのに…) 苦しいと訴えていたのに、未熟な自分は…その奥にあるものまで見ることができなかった。 (だからこんなところで死ねない!!) 光を見せてあげると約束した。それを果たすまで何が何でも生き残る。 そして彼らの元へ帰るのだ。共に戦っていく為に。 茂みからでたサクラを狙って降り注ぐクナイの雨。致命傷になるものを弾き返しながら、幻術の印を結ぶ。自分では敵すべてを相手にできないことは十分わかっている。少数を相手にするか逃げるか。どちらかの選択を選ぶしか今のサクラにはできないのだ。 そんなサクラの思惑を見透かしたように、サクラの目の前で鋼の光が一線する。 「っ…!!!」 間一髪で避け、悲鳴を上げなかった自分を誉めてあげたい。飛び退く間際に放った起爆札が張り付いた敵の刀から煙を上げる。ドンと爆発したが、当然その刀を捨てていた敵は無事だろう。しかし、まずいことにその爆発で目の前の木の枝が折れ、サクラの視界を一瞬塞いだ。 (しまっ…!!!) ふくらはぎに鋭い痛みが走り、サクラは地面に落ちた。 「くっ…!!!」 「まだまだだな…下忍か?」 侮蔑の言葉をぶつけながら、敵が目の前に現れる。サクラはクナイを構えたが、その前に敵が持っていたもう一つの刀がサクラの肩を切り裂いた。 熱湯でもかけられたような熱さがサクラを襲う。悲鳴を上げそうになる声をかみ殺したが、全身から吹き出す汗は止められなかった。 「はっ…あっ…」 呼吸が荒くなり、肩から流れるおびただしい血。どろりと伝わる感触が、死の恐怖を伝えてきた。 (冗談…じゃないわっ!!) 近づいてきた敵の足を睨み付けながら、それでもここで死ぬものかとサクラは隠し持っていた千本を指の間に構えた。ぐらりと揺れる頭を必死で保ち、その瞬間を狙う。 「じゃあな」 真上から敵の刀がサクラの心臓を狙う。サクラは何とか動く右腕で千本を放とうとした。 「ぐわっ!?」 (…え?) どさりと、今サクラを殺そうとしていた敵が地面に倒れる。苦悶の表情を浮かべた敵の顔から目を反らし、何があったのかとサクラが僅かに身を起こした。 「……貴方…」 手を貸すわけでもなく、ただサクラを見下ろす白い面。彼が敵の命を奪ったのだろうことは、刀についている血で窺いしれる。 「…何故貴方がここにいるの」 しかし、彼のお陰で助かったのは確かだが、サクラから出た言葉は感謝ではなかった。出るわけはなかった。 「一体どういうこと!私はいらないと言った筈よ!!!ナギっ!!!」 そこにいたのは、里でずっとサクラを護衛していた一人。闇鴉のナギだった。 屈辱感が体の中を駆け抜ける。 いや…これは侮辱だ。自分に対する侮辱。 確かに、彼が居なければ自分は命を落としていただろう、しかし、そんな場所に行くことを望んだのはサクラで、そんなサクラを見送ったのは彼らの筈だ。 死んだらそれまで。 それを承知で護衛を解くと頷き返したのではないか。それなのに…自分に内緒で護衛をつけて。 信じていない。 自分の言葉を、自分の思いをわかってくれない。 だったら自分は何なのだ。何故『守座』などに選んだ。ただ守られるだけの人形を彼らは望んでいるというのか。 冗談ではない、そんなものに自分は成るつもりはない。そんなのは自分ではない。 「帰って…!!!」 血を押さえながら、サクラは押し殺したように言った。その眼光に押されたのか、ナギの肩がぴくりと動く。 「帰って…!!帰って!!帰ってよ!!!」 結局はそうなのだ。誰一人自分を信じようとしない。自分を認めようとはしないのだ。 大切にしているわけでもないのに、そんな振りをして。 見下しながら、イルカの顔を立てるために格好をつける。 「これ以上私を侮辱しないでっ!!!」 悔しくて、悔しくて、涙が溢れそうになる。敵につけられた傷より何倍も痛くて、胸に突き刺さる。こんなに誰を憎いと思ったのは初めてだ。目の前の人物を消し去りたいと思うのは… サクラが唇を噛みしめながらナギを睨みつけていたが、彼は動こうとはしなかった。そして。 「…何故…貴方は笑えるんだ」 ぽつりと彼は問いかけた。怪訝そうなサクラの目が向けられるが、ナギはそれに気付くことなく呟き続ける。 「もう死ぬのに、駄目なのに、何故笑う。寝る間も惜しんで傍にいるんだ?手を握りしめて、声をかけるんだ?もっと手当が必要な奴がいるのに…何故…何故…」 見るからに虫の息。 そんな人物の傍に寄り添い続けるサクラ。怪我人の間を走り回り、疲労が溜まっているだろうに、開いている時間を見つけては、死の淵にいる人達の元へ寄り添い声をかけ続ける。 請われれば手を握り、頭を撫で、唄を歌う。 何故そこまでできるのか、ナギにはわからなかった。 「…当たり前でしょう?帰って来たのよ?体の一部を失っても必死で。そんな彼らをどう突き放せるっていうの?」 言葉に言えないほど酷い戦場から戻ってきた彼ら。 里を守るために戦った彼らに生きて欲しい、命を懸けてまで守り抜いた里に共に帰りたいから。 「人の温もりを感じて、懐かしい唄を聞いて、生きる気力が戻るなら何だってするわ。諦めたくないの、諦められないの、ただそれだけなのよ…本当に」 必死で生きることに足掻いている彼らを一人でも多く。本当は全員助けたいけれど、未熟な腕では助けることができない仲間。だから、後は彼らの精神力にかける。それしかできない、今の自分にできる精一杯のことだから。 「彼らが生きたいと望む限り、私は諦めないわ」 当然のことのように告げられる言葉にナギは打ちのめされる。 たった一人生き残った戦場。 無謀すぎる作戦で自分以外は全滅。その自分も戻ってきたものの重傷だった。 『もう駄目だ』 怪我の具合を見ていた忍がそう告げると、彼は治療の手を引いた。後ろから見ていた忍は、薬がもったいないと言い放った。身を包んだのは死に装束のような、薄汚れたボロ切れ一枚。彼らは背を向けると二度とこちらを振り向かなかった。 戦場だから、数少ないものを有効に使うために。 彼らの言い分は山ほど在り、それしか言えない気持ちも理解できる部分もある。だから彼らを責められないのもわかるのだ。 だが、ただ一言。 ご苦労だったとそう言ってくれれば。生き残ったことが罪であるような視線をむけられなければ、自分は安らかに逝けたはずなのに。 運良く届いた補給物資で助かったが、生きられたことに喜ぶ自分はもういなかった。 「ナギ」 肩を押さえ、下から見上げると、面の下にある悲しみに包まれた瞳とぶつかった。彼の苦しみはわからない。闇鴉となった理由もわからない。だが、何かに絶望してその闇から抜けられないことだけはサクラにもわかる。 「ありがとう…助けてくれて」 望む言葉もわからないけれど、サクラはそう告げる。死に行く人達と同じ目をしている彼に。 「ありがとう」 そう微笑んで。 ナギが息を飲む。 固い面を外した彼の顔は、予想以上に幼いものだった。怪我をしていない方のサクラの肩に額を押しつけて彼はぎゅっと目を閉じた。 ぽんと腕を優しく叩くと、少しだけ安心したように体の力を抜いたのだった。 さくら (2004.4.14) |