さくら

第21話:殺気の歓迎



(闇鴉…ねぇ)

里に戻って一週間を越えた。綱手の極秘任務を調べているカカシだが、彼女の求めているものは一向に掴めない。
暗部の特殊部隊『闇鴉』
一時期暗部に所属していた自分でさえ聞いたことのない部隊だが、何でもそれを動かせるのは『守座』という存在だけだという。

(本当にそんなのあるのかねぇ〜火影が二人いるようなもんでしょそれ)

今だ半信半疑のカカシは、この任務にいまいち乗り気になれなかった。それに拍車をかけているのは…里にいるせいかもしれない。

「しけた面してるな、お前」
「暇だね…アスマ」
「飲み屋の帰りだよ。誰がてめぇに会いにわざわざ来るってんだ」

アスマはほのかに酒の香りを漂わせ、いつものタバコを吸っていた。僅かに香水の匂いもする。それはカカシも見知った人物が付けているのと同じで。

「…紅?」
「…おう、絡まれた。ったく…お前はいないしよ、とんだとばっちりだぜ」
「ご苦労さんだね〜」

会話が終わっても立ち去る気配のないアスマに、カカシは小さく首を傾げる。何か用があるのかとアスマの顔を見れば、アスマはふうっと煙を吐き出した。

「てめぇ何で帰ってきたんだ?俺は当分寄りつきもしねぇと思っていたが」

この前はぐらかされた会話の続きか。カカシは目を細め、不意にこの前あった少女を思い出す。

(やれやれ〜聞きたいことは同じってこと?)

知っていたと謝ったサクラ。
あの頃様子が可笑しかったのはそのことかと、今になって納得できるが、だとしても彼女の顔色が冴えなかったのは何故だろう。もしかしたら、色々イルカから相談されていたのかもしれない。そう思い当たって、話を止めてしまったのは失敗したなとも思ったが、今更聞いてどうなると思い直し、あれ以来サクラには会っていなかった。
だってイルカはもういないのだ。
どんなに探しても、もうこの世にいない。それを聞いたとき、自分がどれだけ苦しんだか。
自ら手を離した後悔と、彼の気持ちを繋ぎとめられなかった不甲斐なさ。平気な顔をしていたイルカが憎くて、彼の目の前で、適当な女とむつまじい様子を見せていた…愚かすぎる自分。
戻らない。この手に二度と。
イルカという存在を感じられるすべてが嫌で、里も、可愛がられていた子供達も。だから長期の任務ばかり受けて…彼と同じように忍としての死を望んでいたのに。

死ねないのだ。
いつも生き残ってしまう…

イルカの傍に行くことを…許してくれない。

「おい?」
「ま、色々とあるのよ〜俺にもね」

背を向けたカカシはこれ以上の質問を拒絶していた。何を言っても無駄だと諦めたアスマだったが…

「ん?」

アスマの呟きと同時に、カカシの顔も動き、二人は同じ方角を見つめた。そして何も言わずに彼らは走り出した。



一斉に鴉が鳴き出した。
何事かと空を見上げる男達は、彼らの目差す方向を見て目が釘付けになる。
自分達の仲間である男に先導されてやってくる、明らかに異質なその存在。この場所にはあり得ない色彩を持つ髪を揺らし、一歩一歩進んでくる。
…息を飲む。
無数の決して歓迎されていない視線を受けても、顔を下げることなく前を向いて。
自分達より遙かに年下で、世の理など全く知らぬような少女。
自分達の歩いた道が如何に闇にまみれているかなど、知りもしない里で平和に育った少女。

初めて見るその少女に、目が知らずのうちに剣呑になっていく。まるで憎むべき里そのものがそこにあるように、男達には感じられた。
上忍でも真っ青になるような、殺気が辺りを漂い始める。全員から立ち上る殺気に、彼女を連れてきた男はその間に立ちふさがるように立ち止まった。それにつられて少女も止まる。

そして微笑んだ。

「初めまして、春野サクラです。どうぞよろしくお願いします」

僅かに顔を青ざめさせながらも、この少女はそう言って頭を下げた。


手の震えが止まらない。
ガチガチとなる歯の音。前にいるイルカがごめんと呟きながら手を握ってくれる。その温もりがあるからこそ…サクラは耐えた。あの殺気に。


イルカのこと夜斗の家に入った途端、サクラはその場に座り込んだ。あんな殺気は戦場でも感じたことはない。ただ見られるだけで殺されるのではないか、そう思った途端、震えは止まらなかった。ここにイルカがいなければ、自分はどうなっていたか。

「サクラ」

ここでの味方はイルカ一人。
何とか気持ちを落ち着けようとするも、心臓は早鐘を打ったままで静まることはない。無意識に外にいるだろう彼らを感じているのだろうか。

(でも…無様な姿は見せなかったわ)

彼らの敵意。
あそこで倒れれば彼らは自分を一生認めない。それがわかったからこそ、サクラは耐えたのだ。

「ご苦労様」

労ってくれたイルカの声に、ようやく体が動き出す。

「…先生」
「なんだ?」
「…紅茶が飲みたいな」

引きつらせながらも笑顔で言ったサクラに、イルカは笑い返した。


実際イルカも驚いた。
あれほど、仲間がサクラに殺気を向けるとは思いもしなかった。
次の守座の選定を任されたイルカが決めたことだから、主だっての不満は無かった。しかし、彼らの顔が納得できないと語っていたのは十分承知していた。しかし、もう決定されたこと、内心はどうでも表面には出さないだろうと思っていたのに。
サクラを見た途端溢れた殺気。
里の象徴のように睨んだ彼ら…だが、サクラはそれに屈しなかった。それどころか。

(…笑った…)

あれは曇の一点もない笑顔。
綺麗な微笑みだった。

「どうぞ」
「ありがとう。先生」

椅子に座ったサクラがカップを持ち上げる。まだ少女の指はかたかたと震えていて、それが彼女の気持ちを今だ動揺させているのだとわかったが、イルカはこれ以上何も言わなかった。

「カァ」
「あ」

突然天井から鳴き声が聞こえ、サクラが見上げると、そこには通り道のようにあけられた小さな穴からのぞき込んでいる黒い鳥。

「鴉?…そういえば、ここに来るまで思ったんだけど…この森ってずいぶん鴉がいるんですね」
「鴉がいるっていうより、彼らがこの森の支配者なんだ」
「支配者?」
「『夜斗』!」

イルカが呼ぶと、鴉は差し出された腕に器用に着地した。そしてサクラを見てお辞儀をするように首を動かす。

「うわ〜お利口ね〜もしかして先生の忍鳥か何かなんですか?」
「いや、違うよ。この森はね、もともと鴉達の森で俺達はここに住ませてもらっているんだ」
「どういうことですか?」
「つまり…ここにいる鴉達の許可がない限り、人間は勿論野生の動物たちでさえ入ることは許されない。不法侵入して来たものは容赦なく攻撃を受ける…そんな鴉達を『死鴉』と呼び、この森は『死鴉の森』と言われるようになったんだ」
「そうなんですか…あ、でも今『夜斗』って呼びませんでした?夜斗って確かイルカ先生も…」
「各部隊長には必ず一羽の鴉が寄り添うんだ。部隊長とその鴉で一つ。俺達は一人と一羽で【夜斗】なんだよ。これはこの隊がこの森に入ることを許されている証でもあるんだ 」
「そうなんですか…あ、そうしたら華式は何か関係…きゃぁっ!?」
「カァ!!!」

『夜斗』へと手を出そうとしていたサクラは、突然現れた華式に驚き悲鳴を上げた。さすがに椅子ごと後ろにひっくり返ることはなかったが、サクラはテーブルにでんと座っている華式へと非難の目を向ける。

「びっくりするじゃない!華式!」

声を上げたが、何故か華式は膨れたような顔でぷいっと顔を背ける。何が何だかわからないサクラを見て、イルカは笑った。

「サクラが『夜斗』に触ろうとしたから焼き餅を焼いたんだよ。サクラの鴉は自分なのにってね」
「ええ?」

唖然としながら華式を見ると、彼は顔を背けながらもちらりちらりと目をサクラへ向けている。まるで彼女が怒っていないか確認しているように。

「全く…しょうがないわね」

手を伸ばすと、しぶしぶに見せかけて華式が翼を動かす。その体を優しく抱いて、胸元にもってくるとサクラは華式の頭をゆっくりなでた。
その感触に気持ちよさそうに目を瞑る華式。

「それじゃあ、他の部隊長にも対の鴉がいるんですか?」
「ああ………どうやら、サクラに挨拶したくて来ているみたいだが」

外から聞こえる鳴き声に、イルカは苦笑した。



夜斗の家の周りは先ほどから鴉が飛び交っていた。空を覆う黒い影。男達はそれを複雑な想いで見上げる。

「暗いね〜お前達」

夕闇が仲間達にそう呟き、彼らと同じように空を見上げる。
その中に白い鴉が混じった。
真っ黒な鴉達とともに空を飛び交う一羽の白い鴉。まるで自分達のようだと思いながら見ていると、先ほど夜斗の家に入っていた少女が外に出てきた。

「うわぁ…」

空と地の間を飛び交う鴉達に漏れる感嘆の声。一心に空を見つめる緑色の瞳を夕闇は見つめた。と、不意にサクラが視線に気付いたように夕闇を見る。

「こんにちは夕闇さん」

空を見ていた輝きのまま向けられた翠色の瞳に一瞬息を飲みながらも、彼はいつもと代わらない顔で手を挙げた。

「いたのか」
「さっき戻ったんだ、お」

夜斗にそう返すと、夕闇の肩に鴉が止まった。どうやらそれが彼と対の鴉らしい。だが『夕闇』は対である彼の肩にいながらも、サクラに興味があるらしく彼女へとしきりに首をのばしていた。

「…行けよ」

許可をしたのに、『夕闇』は飛び立とうとはしなかった。まるで夕闇の気持ちを理解しているように。
鴉に手を触れながら夕闇が空を見上げると、白い鴉が下に降りてくる。

「華式」

差し伸べられた細い両手に舞い降りる鴉。彼女の小さな胸に抱かれ、気持ちよさげに目を瞑った華式。とても…安らいだ顔をしている…鴉。

「そろそろ…時間です」
「はい。それでは、今日は失礼します」

サクラは外にいる男達に頭を下げて、夜斗の後を追っていく。それを見送った僅かな闇鴉達は、胸に複雑な思いを抱きながら。



誰かを助けられるなんて、そんな傲慢な思いはもっていない。
ただ、少しでも笑ってくれれば良いとそれだけを思う。



気疲れのせいか早く布団に入ったサクラ。
その枕もとには白い鴉が寄り添っている。ナギは窓の隙間からそれを眺めると小さく溜息をついた。


サクラがイルカとともに結界から出てくると、ナギとヒサメは何食わぬ顔で護衛についた。ずいぶんと長く中にいたものだと思えば、サクラは『死鴉の森』に行ったという。
闇鴉の誰もが歓迎していない場所へ行きながら、彼女は笑顔のままで今日もお願いしますと頭を下げる。証拠隠滅と、ヒサメの術であの包みはすべて火に消えていたが、あの笑顔に何故か罪悪感を抱いてしまった。

「おい」

呼びかけに振り返れば、昼からずっと不機嫌なヒサメが腕を組んで立っている。何かに苛つき、口調が荒い。理由がわかっているナギは、サクラから視線を外し彼へと向き直った。

「ほだされてるんじゃねぇよ。あんなもん一つで」
「別にほだされているわけじゃない」
「だったら何でお前はあのガキばかり見てるんだ」
「…」
「俺達は護衛をしてればいいんだよ。死なないようにな。それが夜斗様のご命令だろ。それ以上は必要ない」

そう言い切り、冷たい目でサクラの部屋を見下ろすヒサメ。

「…そうだな」

もう誰にも心を許さない。唯一従うのは闇鴉の仲間達だけ。自分達と同じ苦しみを知っていて、必要以上の距離を保ってくれる居心地の良いあの場所に。
居続けるだけ。

…それだけだ。

さくら (2003.25)