「…暗部の中に特別な部隊がある」 イルカの顔から、すべての表情が抜け落ち冷たい人形のようになった。その変化に思わず息を飲むサクラは、それが暗部に身を包んだイルカの本当の姿だと知る。 「暗部の中でも精鋭と呼ばれるに値する忍達の集団。それが『闇鴉』と呼ばれる部隊。俺は…そこに所属している」 上忍クラスの忍がごろごろいるのだとイルカは言った。そんな人たちと肩を並べるほどイルカは強いのかと、サクラは驚きを隠せない。 「だが、俺達は今までほとんと任務に出ることがなかった」 「…え?何で?」 ぽかんという表情で口を開けてしまったサクラは、慌てて口を閉じるもそれを隠すには遅かったようだ。ばっちりとイルカに見られ、気まずくサクラはそれを誤魔化すよう質問を浴びせた。 「だ…だって、暗部の精鋭なんでしょ?そんな任務を受けないなんて…火影様がお許しになるはずはない…」 「俺達は火影の命を受けないんだ」 「…は?」 「俺達は火影の命など聞かない」 「…はぁぁぁ!?」 まさに驚愕としか言えなかった。思わず辺りに響き渡るような声になってしまったが、それも仕方がない。 木の葉の忍でありながら、そのトップである火影の命令を聞かないというのはどういうことだ。同じ忍として、それは信じられない…いやあり得ないことだった。イルカは驚かれるのを予想していただろうが、にこりとも笑わずその理由を述べる。 「『闇鴉』は里に見捨てられた忍の集う場所。そんな里を治める火影の命令など聞くはずがない」 「見捨てられた…?」 「ああ。見捨てられた…あるいは見限った忍達が集まってできたのが『闇鴉』。俺達は木の葉の忍でありながら、木の葉の忍ではないんだよ」 淡々と述べる事実は驚愕ばかりで、サクラは頭を回しそうになった。だが、必死でそれらの事実を整頓し、サクラは一つ一つイルカへと質問を浴びせ始めた。 「でも…火影様のご命令を聞かないなんて…普通は制裁を与えられるはずですよね?それに見限ったということは、里を捨てたということでしょう?なのに何故、追い忍とかがでないんですか?」 「里から言わせれば、任務上仕方がない、当然と言われるのだろう。だが、俺達は様々な理由でそれが納得できなかった。『闇鴉』にいる忍達は里への忠誠心を失っている。抜け忍となる一歩手前の集団と言っていいだろう」 「それなのに…」 「だが、失うにはあまりに惜しい集団だ。木の葉のように大量の任務をこなさなければいけない里にとって、上忍並の実力を持つ忍を、簡単に消してしまえるほど余裕がある訳でもない。それに…僅かに負い目というものもあるのだろう、原因を作った自分達に」 「…だから生かしている…でも、命令を聞かない忍なんて…里には必要ないでしょう?」 逆に内側から崩されかねない。 そんな危険性をはらんでいる集団を、何故里は黙認しているのだろう。 「そうだ。だが…その集団を動かせる者が一人だけいるんだ」 「…え?」 火影でも動かせない者を、唯一動かせる者が。 「『闇鴉』はサクラの言った通り、爆弾になりかねない集団だ。彼らに里への忠誠心はない。だが、愛着心はある。ずっと里で生きて里を守るために忍となったんだ。抜け忍となって、里を出ることもできるが、同時に失いたくないものもここにある」 自分達を見限った憎い里。 だが、抜け忍となれば二度とこの地に足を踏み入れることはできない。今まで培ってきた小さな思いで達を捨ててしまうか、それとも自我を殺し心を偽ってまで里への忠誠心を見せるのか。 忍としてしか生きられない自分達。里を抜けた末路は… 「その狭間で迷った忍達は、任務に集中できず殉職していくものが多かった。それと同時に精神に異常を来たし、殺戮の中に身を落とすものや、猜疑心に蝕まれ、同じ任務についている仲間も殺してしまうものまで現れ始めた。それに上層部もこのままにはしておけないと思ったのだろう。彼らを…帰還不可能な任務に次々と送り出すようになった。まるで死んでこいというばかりに」 お前達など、敵を沢山屠るしか価値のない存在なのだと。 そう安易に述べる里に彼らはさらに絶望して、死に場所を求めるように次々とその中に自ら身を投じるようになる。 すべてに裏切られたまま。 だが、そんな里に不信感を抱いた一人の忍が、声を上げた。それは人間のすることではないと。 同じ里の忍を、まるで使い捨てのように扱う権利があるのかと、そのことに胸を痛めていた火影へと食ってかかったのだ。 『彼らを裏切ったのは里の方。彼らの心をこれ以上抉る権利などない!』 だが、このまま里においては、新たなる火種しか生まれず、使い道もないのだとそう言い放った上層部へその忍はこう言った。 『里への忠誠心を失わせたのは我々の責任。そんな彼らを理解もせず、死地へ追いやるなど…同じ里のものとしてあまりにも非常。彼らは生粋の忍。彼らも本気で里を憎みたいなど思っていないはず…彼らの心を癒し理解しようとすることこそが、そこまで追い込んだ我らの償い』 命令も聞けず、任務も遂行できない忍は欠陥品だと。 忍としてのプライドを汚され、打ちひしがれ、己の心内と葛藤し絶望していた忍達は、ただ1人の味方となった忍に光を見出す。 仕えぬ道具だと、蔑み彼らを理解しようともしなかった中、それでも木の葉の忍としての誇りを取り戻そうとしてくれた人物に。彼らが失い、消し去り、忘れたものを与えようとしてくれたその人物に。 『貴方の為に木の葉の忍となろう』 それが『守座』。闇に落ちた忍達を守り続けるもの。 これ以上聞いてはいけないような気がした。 知りたいと思っていたはずなのに、何を聞かされても覚悟はできていると。だけど。 イルカから聞かされた話はあまりに突拍子もなく、大きすぎて。 自分の中に生まれた答えを認めたくない。 しかし、イルカは残酷にも告げる。 「…その『守座』とはお前のことだよ…サクラ」 最悪だ。 サクラは目の前が真っ暗になった。 憎め。 今までわからなかった意味。 だが、ようやく知ったそれは、思った以上に自分を打ちのめし… 憎むなんて、そんな一言で終わらせほど。 自分を…先の見えぬ暗闇へと突き落とした。 「待って下さいっ…!!どうして私がっ!?」 『闇鴉』そう呼ばれる暗部の特殊部隊。それを動かすことのできる唯一の人物『守座』。 それにどうして自分が関わらねばならないのか、サクラには理解できない。中忍に昇格したとはいえ、まだ経験不足、おまけに医療部隊という後方支援についている自分が、一体どこをどうしたら、そんなものになるというのだ。 「『守座』の証は…桜の式神『華式』」 イルカがサクラの肩に乗る白い鴉を指差した。久しぶりに自分の名を呼ばれた華式はカァと鳴いて、翼を広げる。 「華式は『守座』の言うことしか聞かない。なつかない」 「ちょ…っと待って!!!だってこれは…!!!」 桜のチャクラを使い具現化できる白い鴉。道理でと、不思議な現象から生まれる鴉に納得しつつ、サクラは淡々と話すイルカを振り返る。 「これは…貴方が私に渡したものですよ!?イルカ先生っ!!!」 年代を感じさせる、薄汚れた紐。華式の本体でもあるこれをサクラへ渡したのは、イルカだった。これの持ち主が『守座』だというならば、サクラを『守座』にしようとしてるのはイルカは『守座』だったということだ。 「俺は…『守座』ではない。ずっと預かっていただけだ。資格を有するものが現れるまで」 そう自分では駄目なのだ。仲間と同じように、使えぬ烙印を押され、『守座』に必要なものを失ってしまった自分では。 「『守座』に必要なのは、力ではない…他者を守り慈しめる強さを持つ者。人が本来持つ陽の心。そしてそれを見失わない人物…それが『守座』の証。我らを人の世へと繋ぎとめる最後の光となれるもの…それが『守座』。それをサクラはすべて供えていると思った。だから、選んだんだ」 「な…」 実力ではなく、人の心を失っていない者。それが『守座』。イルカの言葉を聞いて『闇鴉』と呼ばれる忍達がどれほど深い闇の中にいるか、おぼろげにわかったような気がした。 すべてに絶望してるのだ。生きることを不要だと思えるぐらいに死を渇望している集団。だが、そんな彼らを頼りない細い糸で救い上げているのが、守座。それにすがり付くように生きている彼ら。たった一つ…彼らの心に残された忍としての誇りを守ってくれる人に。 重い。なんて重い人なのだ。『守座』は。 そんな彼らを背に庇い、木の葉の最高権力者達に立ち向かう…そんなことはよほどの覚悟がないとできないだろう。 それを、自分に押し付けようとするのか。まだ、少女の自分に。忍だけでなく人としても未熟な…自分に。 自分の意見も聞かず、勝手に決めて押し付けて… 「貴方はっ…!!!」 言うべき言葉が見つからない。それほどサクラの怒りは頂点に達していた。だが、対峙しているイルカは静かだった。こんなことは予想済みだったのだろう。どんな罵倒を浴びせても、それを被り受け止める覚悟のイルカ。 自分の世界を根本から変えようとするイルカ。断りも相談もなく、相手の気持ちを無視して。 「私には無理です」 はい、なんて頷けるはずが無い。こんなこと、許してはいけない。そんなもの、受け取れるはずもないし、受け入れられわけもないーーー!!! 「…勝手なことだとはわかっている。サクラの気持ちも考えずに、だが、ずっと…次の『守座』を探し続けてようやく見つけたのはサクラだった。これがサクラを苦しませることはわかっている。だが、我々も…これ以上光を待つことはできない。待ち続けられない…」 『守座』を失って数年。闇を抱えている『闇鴉』たちも限界に来ている。もうすぐ現れるというそんな希望にすがり付いてきた自分達。 「サクラが『守座』ということは変えられない」 どんなに彼女が否定しても、拒んでも、自分達はサクラを『守座』としてみるだろう。自分達を救う存在として。 「後はサクラがどう受け入れるか」 イルカの姿が薄れ、闇の中に溶け込む。サクラが声を上げる前に、森の中から太陽が上がるのが見えた。 「受け入れるなんて…無理よっ!!!」 サクラはぺたりとその場に座り込む。イルカの勝手さにも腹が立つが、それ以上の重圧がサクラを襲っていた。 逃げられない。 本能的に分かる、もうイルカは選び、他の『闇鴉』も受け入れているのだろう事実を、自分が背を向けることはできないと。このまま、サクラが認めなければ、イルカの言うとおり彼らは再び狂いだす。そしてその命を無残に散らすのだ。 「なんで…」 他者の命を握っている。この手に幾人もの人の命が乗っているのだと、その中には…イルカも含まれていて。 「どうしてよ…私がどうして…」 この前まで未熟な中忍、医療部隊のひよっこだった。なのに一夜にして自分の価値が天と地ほどひっくり返ってしまった。 「私は…ただ…イルカ先生に言いたかったのに…1人ですべてを決めて完結している先生に…その世界を壊す勇気をもってほしいと…」 そして、もう一度幸せになってほしいと。 罰なのだろうか、人の心に土足で踏み込もうとした。 カァ。 サクラの肩に乗る華式が慰めるように鳴いた。 「ようやくかい、呼び出しをくらって何度目だと思ってるんだい?」 「ま〜色々急がしかったんですよ」 そう言い放つカカシに、綱手はふんと鼻を鳴らす。里の帰還命令も聞かずに、任務から任務へと渡り続けていたカカシ。彼のような実力を持つ忍の手はどこでも必要とされていたから、上層部も黙認していたようだったが、それが綱手の耳に入ったのだ。 (…何をそんなに憂いている) 一年と少し前からカカシの様子が可笑しくなったのには気付いていた。可笑しくなったと言っていいのか、昔に戻ったと言えばいいのか。暗部にいた頃のような鋭さを再びその身に纏いだしたカカシ。 (原因は…あいつか) うみのイルカ。 殉職し死体も残らなかった彼の名を慰霊碑に刻むことを許さない。彼らがどういうつき合い方をしていたかは知らない。…大方の予想はついているが。 あれ以来、カカシは里へと近づきたがらない、まるで思い出に捕らわれるのを恐れるように…だが、綱手は敢えてカカシを里へ呼び戻した。カカシのことを心配している理由もあるが…何よりも綱手が、彼ほどの忍を必要としていたのだ。 「…任務だ」 「?そのためにわざわざ…?」 休暇を取れと言われるかと思っていたカカシは、僅かに拍子抜けした思いで綱手を見返す。だが、任務ならば呼びつけず、式神でも飛ばしてくれた方が早いだろうに。 自分を名指しの任務か。 そう思っていたカカシだったが、その予想は大きく外れる。 「依頼人は私火影自身。そしてこの任務は私以外他言無用」 「…は?」 怪訝そうなカカシに構わず綱手は内容を伝える。 「暗部の特殊部隊『闇鴉』。それを率いる『守座』を探し出せ」 初めて聞く言葉の数に、カカシは目を丸くした。 さくら (2004.2.2) |