さくら

第16話:その先の道



「あいかわらず…平和だね〜ここは」

薄暮れの闇を何をするでもなく眺めていた男は、久しぶりに足を踏み入れる故郷を見て、懐かしそうに目を細めた。木の葉の里の門を警備していた忍はその言葉を聞いて、そうでしょうと苦笑する。

「お久しぶりですか?はたけ上忍」
「そうだね〜あんまり変わってないね」

町の風景だけは。
その言葉を飲み込んで、今しがた任務から戻ったカカシは軽く手を上げると、歩き始めた。
里を離れて一年。一つの任務が終われば、すぐに別の任務についていたため、休息も何もなかった。
しかしそれはカカシが望んだことだった。里には…いたくなかったから、そんな任務ばかりを請け負っていた。幸い、おあつらいな任務にはことかかず今日までこうしていたのだが…そんな身体を酷使続けるカカシに、火影命で強制的に里へ戻らされてしまったのだ。
はぁっと口から出るため息は重い。

さっさと終わらせて、任務に行こう。
ここは…あの人の思い出が多すぎるから。



決して花が咲くことのない、枝垂桜。
病気を持っているわけでもなく、木が死んでいるわけでもないのに、何故か花をつけることがない。誰もが首を傾げる七不思議のひとつ。だが、一度だけ、その花が咲くのをサクラは見た。

その木の前に立ちながら、サクラは挑むように木を見上げる。
するりと手首から紐を外し、木の枝に結びつけた。

「出てきなさいよ」

初めて桜の奇跡を見た日の懇願とは違う、命令。あの時のことは、夢だろうと何度も何度も思ったけれど、皮肉なことにイルカのことを知った途端、あれが幻ではなかったと断言できてしまう。

自分を憎めといいながら、助けが必要な時に紐を結べという。カカシの時と同じ、手を差し伸べて、引っ込める。

「…私を…馬鹿にするつもり?」

いつまでたっても変化のない、薄汚れた紐は、風に吹かれて力なく揺れる。

「…願えばって言ってたわよね。だったら、願うわ。あの人を連れてきて。私の目の前に、アナタの前の持ち主を」

サスケの無事を願った気持ちとは正反対の、どす黒い憎しみの気持ち。憎しみ…いや、違う怒りだ。
怒りで目の前が爆発しそうだ。

「私の願いを叶えるつもりがないのなら、私にお前は必要ないわ。2度と姿を見せないで」

いつまでたっても変化の兆しも見せない紐に、サクラは見切りをつける。こんな所でぐずぐずとしてるより、火影のもとへ直談判に行った方が早い。無論、簡単にイルカの存在を教えるとは思っていない。だが、自分には切り札があるのだ。

カカシという切り札が。

口を出すなと、何故教えなかったのかと、怒られるかもしれない。だが、イルカが死んだと聞いてから光を失ったような目をした男は、あんな形でイルカと別れて後悔しているのは幼いサクラでも十分わかっていた。
イルカが生きている。
そう聞けば、どうするだろう。
いや、そんなのはわかっている…彼はイルカを探すだろう。どんな手を使っても、火影を脅してでもイルカを探し見つける。それだけの力と実力、そして無視することのできない存在なのだから。
だから、自分も迷わない。

桜から下りたサクラは、紐を残したままその場を去ろうと足に力を込めた瞬間。

カァ。

心細げな鳴き声に、サクラはゆっくりと振り返る。

光に包まれた満開の枝垂桜。
そして、その枝に止まる白い鴉。

うな垂れるように力なく首を下げる鴉は、冷たい目で自分を見るサクラの許しを乞うようにもう一度鳴いた。

「願いを」

すっと腕を上げて、鴉を誘う。白い鴉は差し伸べられた腕を見て、翼を広げた。

「私の願いを叶えて。でなければ、私は2度とお前に関わらないわ」

許されたと思った鴉は、サクラの腕に降りることが許されず、宙で羽ばたいたまま悲しそうに鳴く。だが、サクラはその目に絆されることはなかった。サクラの機嫌を取ることに精一杯で、白い鴉は彼女の言葉の意味を理解していないようだった。
サクラは鴉を視線で射抜いたまま、腕を鴉へと伸ばす。しかし、鴉は硬直したようにその場を動かず、鳴き続けるだけだった。

「お願い」

サクラの中には怒りが渦巻いていたが、それと同じぐらい悲しみもあった。
話を聞きたいと思った。
イルカが何を恐れ、すべてを捨てたのか。あの時追求できなかったことを聞きたかった。そして、自分に託したものの意味を、教えてもらいたかったのだ。

「お願い」

サクラの目が懇願に変わったのを見て、鴉は我に返る。伸ばされたままの腕に近づけば、その手が鴉に優しく触れた。

「お願い」

サクラの泣きそうな目を見て、鴉はようやく力強く鳴いた。
バサリと風を切る翼の音が空に舞う。
すぐに闇の中に消えた白い体。それを見送り、サクラは枝垂桜の根元に座り込む。再び沈黙した桜の木。だが、包み込むような暖かさを感じる。
サクラは膝を立てるとそこに顔を埋め、眼を閉じた。次に目を開いた時、そこに真実があることを願って。



白い体が風を切る。
真下に広がる深い森。鴉は躊躇なくそこに向うと、自分の到着を知っている鴉達の合間を縫い、目的の人物を見つけると、乱暴とも言える荒々しさで男の肩に止まった。

「な…なんだ」

それに驚いたのは周りにいた男達で、肩にとまられた夜斗は微動だにしない。すっと白い鴉が姿を溶かし、紐に戻った。

「どうしたんだ…?」

顔を強ばらせた夜斗に、夕闇が声をかける。夜斗は何でもないと軽く首を振りながら、家に入ろうとした。

「夜…」
「出てくる」
「おい待て!まさか…」
「お前の危惧していることじゃないよ…ただ時が来ただけだ」

今は何も聞くな。
無言の拒絶に夕闇達は何も言えず、彼が暗部の姿に身を包み、飛び出すのを見送っていた。当然とばかりにいち羽の鴉が夜斗の肩に止まる。

「…一緒に来てくれるのか」

カァと鳴いた鴉に、夜斗は面の下から優しい眼差しを送る。その先にある、さらけ出される真実に、怯えている自分を感じながら。



大きなサクラの根本で膝を抱える一人の少女。
気配を完全に殺しているので気付かれることはないが、それでも夜斗は近づくことができなかった。
人工の灯りが一つもない場所。夜を照らす月さえも、周りの木に遮られ、その光を完全に地上へと落とすことはできない。なのに、夜斗の目には少女の揺れる桜色がはっきりと目に映っていた。

「夜斗様」

サクラの護衛にと残された、ナギとヒサメが夜斗に気付いて傍に降り立つ。

「何かありましたか」
「…いや」

昼間命を受けたばかりなのに、再び姿を現した彼に、2人は緊急事態かと気色ばんだが夜斗は首を横に振った。

「…悪いが、少しばかり席を外してくれないか」

あの少女と2人だけになりたいと、暗黙に告げる夜斗にナギは間をおきながら頷き返した。だが、ヒサメは昼と同じようにすぐに納得はしなかった。

「あの少女に『守座』は務まりません」

きっぱりと、だが確信してヒサメは言う。彼の目には膝を抱えている少女は、頼りないどころか非力だと写っているのだろう。自分達どころか、木の葉の忍としてもまだ未熟すぎる者。
あれが、自分達を唯一動かすことのできる『守座』になるなど絶対に認められなかった。
しかし返ってきたのは静かな声で。

「…お前達は何か勘違いしてないか?」

夜斗は守座を知らない2人へゆっくり見た後、再びサクラへと視線を動かした。

「守座は俺達と同じである必要はないんだ。俺達と同じ力を持つ必要はない」

求められるのは…

「守座に必要なのは、俺達の失ったものなのだから」

突然夜斗の持っていた紐が光を帯びて、白い鴉へと変化する。

「華式(かしき)が…」

枝垂桜に結びつけられたわけでもないのに、勝手に姿を持ち始めた式神。作られたはずの命なのに、何百年と生き続ける桜の気を受け続けていたせいか、自我を持ち始めた白い鴉。

(まるで焦れていたようだ)

夜斗を呼び出した後、もう用はないとばかりにサクラの元へと飛んでいく鴉。その翼の音に気付いたのか、サクラは顔を上げ嬉しそうに鳴く鴉へと腕を伸ばした。

戻ってきた鴉をサクラは満面の笑みで迎える。
それを見たナギとヒサメの肩がびくりと揺れた。面で隠されているため、彼らがどのような顔をしているかわからない。だが、あの表情は彼らが昔になくした物だった。

「行け」

夜斗はそう命令すると、その場から姿を消す。あとに残された2人は、何かを耐えるように無言を選ぶと、闇の中に消えていった。



相手をすべて知っていたとは言わないが、本当の姿は知らないものだらけだった。
完全に隠し通し、すべてを欺き。
それを忍の中の忍と呼ぶべきか。
だが、貴方はそれでどこに行くのだろう。たった一人でずっと闇を歩き続けるのか。
孤独という闇の中を。



鴉の鳴き声に目を覚ませば、飛びだった時より以上に元気の良い姿。まるで初めてのお使いを見事果たした子供の顔に見えて、サクラは笑ってしまう。そんなサクラの微笑みに誉められたのでも思ったのか、白い鴉はサクラの腕にそっと止まる。甘えてくる鴉を優しく撫でていると、鴉の来た方角から人の気配を感じ取りサクラはゆっくりと顔を上げた。

桜の下にいる自分から10歩ほど離れて佇む人。
暗部姿に身を包み、顔には動物の白い面。そして肩には鴉をいち羽止まらせていた。
いつも頭の上にあった黒髪がなかったけれど、その人から感じる気配は自分が知っていたものより冷たく感じたけれど、それでも間違えることはなかった。

「お久しぶりです。イルカ先生」

一人になっていた待ち続けていた短い時間に、サクラはいつもの冷静さを取り戻していた。立ち上がり、かつての恩師へと頭を下げる。

「よく…わかったな。サクラ」

ようやく認めた言葉とともに、仮面が外される気配。それを受け止めるべく、顔を戻せば見覚えのある鼻筋の傷。あの頃と同じ笑顔はなかったけれど、それでも瞳の中にある慈しみはまだ存在していた。

「私を助けてくれたでしょう?あの時、先生のチャクラを感じましたから」
「…そうか。だが…」
「アカデミー時代、木から落ちた私を助けてくれた人と同じチャクラ。間違えるはずありません」

きっぱりと断言するサクラに、イルカは困ったように微笑む。いたずらをしでかした後、良く見せていた笑みと同じような…
だが、それに流されるサクラではない。懐かしそうな顔をしているが、今はそれに浸っている時ではないのだ。それをわかっているくせに、決して自分から話を始めないイルカ。

(…どこまでも…)

これが忍というものなのか。
どこまでも逃げを選ぶイルカに、サクラは唇を上げる。

「サクラ…?」

どうした?としらじらしい心配の声を出すイルカ。この状況でどうしたもないだろうに。
自分が何を知りたいか、すべてわかっているのに。
それとも、これは慈悲なのだろうか?ここでさよならと背を向ければ、イルカの事情に関わることもないという、サクラへの優しさ?

これだけ巻き込んで。
これだけ自分を侮辱して。

それでなお、自分の『先生』を続けるつもりなのか。

「…先生」
「…なんだ?」

ようやく顔を上げたサクラは、イルカを笑顔で見ていた。そのあまりに綺麗すぎる顔にイルカが僅かに動揺する。罵るとでも思っていたのか、だがそうイルカの思惑にばかり乗ってやるものか。
サクラには一つだけ決めたことがある。自分を貶めたイルカに復讐すると。自分を侮辱した罪をあがなわせてやると。

「貴方は最低です」

緑色の瞳がイルカを貫く。息を飲み込んだイルカは、苦しそうに一瞬だけ眉を寄せたが、サクラはその表情させも非難するような目で、イルカを射抜き続ける。
互いの肩にいる鴉が不安そうに首を動かした。イルカは視線を下に落とし、サクラの言葉を正しいと認めた。

「俺は…自分勝手だ。あれだけサクラを巻き込んで、姿を消した。それも死んだとまで偽って…事情を知っていながら、それを心に封じ続けなくてはいけないサクラのことなど考えもせずに」

誰にも言えない思いで苦しんでいたくせに、それをサクラに与えて…自分は安全な場所へと逃げ込む。ただ、あの時の思いから逃げたくて、何もできなかったと少女の心に一生の傷を残すようなまねをして…
更に彼女へと重い責任を了承もなしに押しつけて。

「相変わらずね…先生は」

呆れたようなサクラの声に、イルカはえ?と視線を上げた。彼女の言った言葉の意味がわからなかった。許してもらえるとは思っていなかった。だが、言葉の中に含まれる嘲りは理解できなかった。

「サクラ…?」
「何もわかってないわ。先生、私がどうしてこんなに不機嫌かわかっていないでしょう?理解できていないでしょう?」

自覚してない分なお悪い。自分が何をしたか、どれだけのことをしたかわかっていないのだ。

「…この話は後にします。それよりも、先生は私に話さなければ行けないことがあるはずです」

白い鴉を指さして、再び強張ったイルカの顔に説明を求める。

「先生は私を何に巻き込んだの」

咲くことのない桜から生まれる白い鴉。そして暗部という場所に身を潜めながら、自分を助けるために敢えて光の中に出てきた意味を。

「私に聞く権利はあるはずです。答えてください。先生は私に何を押しつけたのですか。イルカ先生」

気遣いの言葉など何一つない、刃物のような言葉。イルカは今更ながら、彼女に与えた罪の重さを感じ取っていた。

さくら (2003.3.31)