さくら

第15話:残酷な侮辱



笑っている笑顔が好きだった。
振り向けば、いつもそこに立っていてくれるのだと知っていた。
優しく、時には厳しく。
微笑みながら背を押してくれる、足りない勇気を与えてくれる…そんな人。
だから私達は今でも貴方を慕うのだ。

ね…イルカ先生。



「サクラ!」
「サクラちゃんっ!!!」

目を開けた途端、飛び込んできた二つの顔。良く知る2人の目は、安堵と悲しみが入り交じり、滅多に見られないその表情に困惑する自分。

「…こ…」

ここはと声を出そうとした瞬間、喉が熱くなり痛みが襲って来た。

「無理して話すんじゃなわよ。ずっと喉を絞められてたんだから」

寝てるように促すイノの言葉に、サクラは自分がどんな目にあったのか思い出した。

「ここは病院よ。幸い後遺症とかはないらしいから安心して」

包帯の巻かれている首に手をやって、あれが夢でないことを確認すると同時に、自分の首を絞める上忍の目を思い出してしまい、サクラは恐怖を押し殺すようにぎゅっと目をつぶった。今思い出しても無謀な行動だったと思う…自分達より遙かに実力のある忍に、打開策も持たないばかりか、頭に血を上らせて相手を煽るなんて。
裏の裏を読めと、冷静さを求められる忍が、一時の感情に身をゆだねるなんて…

「ごめんってばよ!サクラちゃんっ!!!」

それまで黙っていたナルトが、サクラに向かってがばりと頭を下げてきた。
自分のせいでサクラを危険な目に遭わせた自分が許せないとばかりに、彼の両手は小刻みに揺れるほど、きつく握りしめられている。
そんなナルトをサクラは首に手を当てたまま、何も言わずに眺め続けている。誰も言葉を発しない時がしばらく流れ、サクラとナルトに視線を動かし続けていたイノが、ナルトを庇うようにサクラへ声をかける。

「私からも散々言ったからさ、サクラ…」

何か言ってあげてよと、イノは何とかこの状況を動かそうとする。そんな彼女の心境を読み取ってか、サクラはナルトから視線を外すと、ふうっと溜息を吐いた。

「…イノ。喉乾いたんだけど。何か買って来てくれる?」
「…アンタ私をパシリに使おうってんの?いい度胸してるわねー、ま今日ぐらいは素直に聞いてやるけど」
「ありがと」

病室の戸を開けて去っていくイノ。2人だけで話したいのだと、無言の願いに答えてくれた彼女の気配が消え去るのを待って、サクラは再びナルトへと視線を送る。

あの忍達との間にトラブルでもあったのか、ナルトが何故抵抗しなかったのか、聞きたいと思っていることは山のほどあるけれど。しかし、今ここで問いかけるべき質問ではない。

「ナルト」

他人の…大切な人の「死」というものに敏感でありながら、自分のことに対しては無頓着と言える行動。その心の奥底に突き刺さっている棘を知っているからこそ、サクラは伝えたかった。

「ナルトが、何故あんなことをしたのかは知らないわ」

…責めているように聞こえるのだろうか、ナルトの肩が小さく揺れる。ああ…きっと泣きそうな顔をしているのだろうなと、サクラはいじめっ子の気分になりつつあったが、これだけはどうしても言わなくてはいけなかった。

「でもねナルト、貴方が怪我をしたり、病気になったら私は辛いわよ」

死と隣り合わせの忍という世界に身を置きながら、こんなことを言うのも可笑しいのだけれど、だけど痛いのは同じ、苦しいのは同じ。

「ナルトが死んだら悲しむわ」

弾かれたように顔を上げたナルト。案の定、青い瞳に涙を溜めてぐっと引き結ばれた口。

「きっと…泣くわ」

わかってほしい、覚えていてほしい。
貴方は一人ではないのだと。
ナルトの心の支えでもあり、師でもあったイルカ先生。その存在がどれほど大きかったのかは、暗闇で膝を抱えていたナルトを見て十分思い知らされた。
けれど。
イルカ以外にも悲しむ人がいることを知って欲しい。他の誰か悲しまなかったのとしても、自分とサスケだけはナルトを思って泣くだろう。ナルトが自分達の存在を確かめ安堵するのと同じぐらい、ナルトを想っている自分達がいることを忘れないで欲しい。

「だから、大事にして」

自分達を大事にするのと同じぐらい、ナルトを大事にしている自分達の思いも。

「自分を大事にして、ナルト」

絶対に忘れないで。

「…サクラちゃん…」

ベットに横になるサクラの肩に顔を埋め、小さく嗚咽を洩らすナルト。ごめんなさいと繰り返す声と目の前で揺れる金色の髪をサクラは慈愛の籠もった瞳で見続ける。

「本当。いつまでたっても目が離せないわよね〜アンタは」

わかっているだろう。
そんな勝手な思いは、ナルトに通じない。無意識に自覚はしてるだろうが、彼の心まで届かせるには言葉が必要なのだ。

「ほら、さっさと泣きやまないとイノが戻ってくるわよ?」
「え!?ま…不味いってばよ!!」

ごしごしと目元を擦り、困ったように笑うナルトの顔はあの頃と変わっていなくて。

「オレンジジュースでいいわよね〜サクラ」
「…普通何が良いって行く前に聞かない?」

タイミング良く戻ってきたイノにそう切り返せば、彼女はこの状況を素早く見取ってくれたようだった。笑いがこぼれ、一頻りその中に身を置いていたが、サクラはふっと真顔に戻る。

「2人に聞きたいことがあるの」

当惑する2人を真っ直ぐに見て、サクラはゆっくりと口を動かした。

「私を助けてくれたのは、誰?」



今日ぐらい入院したら?と心配する2人を言い含めて、自分の部屋に戻ったサクラ。誰もいない部屋に入ると、電気もつけずにそのままベットに倒れ込む。

「…全く休みの意味なかったわ…」

主任の好意が無になってしまったと、少しばかりの罪悪感に浸りながら、慣れ親しんだ柔らかさに目をつぶる。しかし、疲れているはずの体はそのまま睡魔へと誘われることはなかった。

「…暗部…だったんだ…」

もしかしたら2人は見ていなかったのかも知れない。そう思っていたのだが、それは見事に外れ、サクラを助けた人は姿を見せていた。

(…そうだよね、だったらナルトが黙っていない)

どんなに取り乱していても、その人を見たらナルトは自分などに構わず追いかけただろう。誰よりもその存在を求めていたナルトが見過ごすはずはない。しかし、ナルトは自分の傍にいて…
暗部とイルカ。いつも笑顔でいたイルカを知っている人達ならば、繋げることのできない構図。しかし、彼を隠すには十分すぎる隠れ蓑。

きっとカカシも知らない。

しかし、何故という疑問は溢れるばかりだ。
暗部に所属する忍は、その姿を隠し、例え同じ里の忍もその正体を知られないようにする。…カカシのように有名になりずぎて顔を隠す意味もない例外もいるが、大体はそのことを隠しこの里で生きている。それは彼らの任務の特殊性と実力ゆえだろう、しかしそこにイルカがいたとしても驚きはするが、嫌悪される理由にはならない。

『俺が信じられるところへ行く』

カカシと別れたと聞いて、その理由を聞きたがったサクラを制し言った言葉。自分をさらけだせない、臆病だと言っていたイルカが、自分らしく生きられる場所が暗部だったというのだろうか。

『本当の俺を知った時の先生を…見たくない』

本当の自分とは何だろう。
暗部にいる自分をイルカは嫌っていたのか、だが、イルカはその場所へ戻った…のだと思う。自分が死んだことにしてまで、木の葉の里の居場所を消し去ってまで。
大切な人たちを置いてまで。

サクラは自分の手のひらをじっと眺めていた。
傷はないものの、クナイを振るうため普通の女の子よりは固い手のひら。そして人の命を奪ったことのある手。
しかし、医療班に所属するサクラなどは、サスケやナルト、他の人たちに比べてその手を汚した数は少ない。そして…ビンゴブックに乗っているほど有名なカカシなどに比べたら、その数など問題にはならないはず。
人の命を奪った自分を見せたくないとイルカは思ったのだろうか。だが、忍という職業についている者は、その手を一度ならずも血に染めているはず。考えたこともなかったが、いつも子供に囲まれて笑顔を見せていたイルカもそうだったのだろう…それはカカシでなくとも、自分だってわかる。理解している。

本当の自分。
本当のイルカとは何なのか。
暗部で任務を行うイルカは、自分が知っているイルカとそんなに違うのだろうか。
カカシに見せられないほど酷いものなのだろうか。

「…あれ…?なんか…可笑しくない?」

サクラは上半身を起き上がらせて、今考えたことを一から並べてみる。だが…可笑しい。何か変だ。いつの間にか…重要な部分が摩り替わりつつある…?

「えっと…イルカ先生がカカシ先生と別れたのは…カカシ先生の心の中にいる人に勝てないって思ったからよね…?」

自分が聞く話はいつもそれだった。もうわかっていることだと、決めるイルカに違うといい続けるのが日課のように…だが、あの気持ちはサクラの本心だった。自分が人としても忍としても尊敬するイルカが、誰かに負けるなど思わなかったから。
なのに、イルカはいつも悲しそうに笑うだけで…自分の意見を聞いてくれるようで…

「聞いてくれなかった…」

サクラは自分の胸のざわつきを押さえるように、息を整える。
何か見落としていた気がするのだ…とても重要なことを。

『だったら、信じてよ!カカシ先生を信じてよ!好きだって言ってくれるカカシ先生を信じて!』

何度あの言葉を叫んだだろう。しかし、その言葉がイルカの気持ちを変えることはできなかった。
それ以上のことを言おうとすれば…イルカが逃げるから。

「…もしかして…」

苦い思い出をおもちゃ箱に押し込むようにしていた。その時の記憶に、自分は何もすることができず、ただ傍観するしかなかったから。強引にイルカの手を引っ張る腕も、彼の思いを汲み取ってあげられる度量もなくて。
自分の先生達が互いに背を向けてしまうのを、ただ眺めるしかできなかった。だから、押し込めたのだ。子供のころ使わなくなったおもちゃ箱を押入れにしまうように。奥へ奥へ。
埃りまみれになって、忘れられる日まで。
だから気づかなかった。気づけなかった。

イルカが悩みを打ち明けているようで、打ち明けていなかったことに。サクラに話す言葉はいつもイルカの中で完結されていた。

こんな自分じゃ駄目なんだと。

そう決めて…サクラに話していたのではないだろうか。
だから、それ以上の話になろうとするとイルカは遮り自分の前から去ってしまう。
聞きたくない…いや、聞いてもどうしようもないんだというように。

それは…始からサクラの意見など必要としていないこと。

「それって…すごい…侮辱だわっ!!!何よそれっ!何よ何よっ!!!!」

カカシの心に別の人がいるから、悩んで自分に話してくれていたのではないのか。
その苦しい胸の内を、偶然とは言え、知ってしまったサクラへ相談してくれていたのではないのか。

「あたしをっ…馬鹿にしてっ!!!」

バァン!
クッションを壁に打ち付けて、サクラは喉の立ち上がり、まるでそこにイルカがいるように壁を睨みつけた。

「酷い酷い酷いっ!!!何よ私は真剣だったのにっ!!!真剣に話を聞いていたのにっ!!!何が…何が 勝てないよ!始めから勝つ気なんてなかったくせにっ!!!全部諦めていたくせに!!!何一つ手にしようとしなかったくせにっ!!!何が何が何がーーーー!!!」

ぽろりと涙が溢れる。
悔しくて、悔しくて。自分やカカシまでも必要としていなかったイルカに悔しくて。

「逃げると決めていたんじゃないっ!誰が何と言おうと!!」

どんな理由があるか知らないが、自分が愛されるはずがないと、勝手に相手の気持ちを決めて、理由を探して手を離す。そしてやはりこうなったと、傷つくのだ。

それがどれほど残酷か知らないで。

「見たくないじゃなくて、見せたくないんでしょう!!!それが一番大事なんでしょう!だったら恋人なんてつくらなければいい!!!」

ひとしきり叫んで、サクラは息を整える。もしかしたら外にまでこの声が聞こえてかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。

「許さない。絶対に許さない」

サクラは唇をかみ締めて、手首を滑り落ちた紐を睨みつけた。

「許さない。私は…許さないわ」

『俺を憎んでくれ』

「馬鹿にするのもほどがあるわよ…先生」

ぐっと顔をあげ、サクラは玄関へと向った。暗い部屋を一度も振り返ることなく、サクラは扉を閉じると闇の中を駆け始めた。

さくら(2003.12.22)