やはり、こうなった。 俺が『幸せ』というものを手に入れることはできないのだ。 散々泣いて、泣いて泣いて。 その後は笑った。 自分の馬鹿さ加減が可笑しくて、一時でも人並みの幸せを手に入れようとした自分が可笑しくて。 喉の奥から出てくる声は、自分を嘲け笑う。 可笑しい。 可笑しい。 なんて可笑しいんだ。 すべきことを終えたのに、今の状況に縋っていた罰だ。 縋って縋って、目を背けていた罰。 このままでいられるかもしれないと、願った罰だ。 ああ、愚か。 愚かすぎて楽しい。 そうしているうちに、日が明けて窓から朝日が入ってくる。 台所には、作りかけの料理。 もう一緒に食べてくれる人もいない。 あのベットが暖まることもない。 この部屋に誰も入ってくることもない。 もう何もない。 コン。 朝靄の空から響く音。 のろりと目を上げれば、窓をつつく一羽の鴉。 重い足を動かし、窓を開ければその鴉はイルカをじっと見つめる。 「…ああ、お前がいたか」 何もかも終わった。 何もかも失った。 ここにいる意味もないと思ったが。 「『お前』がいたか」 イルカの言葉に、鴉がカァと鳴いた。 艶やかな羽根を何故、喉のあたりを撫でると、鴉は嬉しそうに目を細める。 イルカはしばしその感触を楽しんでいたが、不意に手を止めた。 「やはり俺は卑怯だな」 ふっと笑うイルカに、鴉は首を傾げる。 その目の奥に、自分を責める色がないことが何よりも心地よかった。 この鴉だけではない、きっと… 「『お前達』は俺を責めない…」 誰一人。 きっと。 カカシのことは信じられないのに、自ら裏切った彼らという存在を信じられるとは皮肉な話し。 「責めないな。『夜斗(やと)』」 鴉は自分の名を呼ばれた途端、ばさばさと羽根を広げ、イルカの肩へと飛び乗った。 鴉はわかっていた、自分の名を呼んだ意味を。 ずっと振れることを許さず、名を呼ぶことを戒めていた主の思いを。 「やはり、俺にはあの場所しかない」 すいっと腕を伸ばし、夜斗はその腕から窓へと飛びだった。 朗報を仲間に伝えるために。 それを見送ったイルカは目を閉じて、一つの決心をした。 顔を洗い、赤い目を冷やして、服を着替えベストを着ける。 「…サクラ」 最初に浮かんだのは、金色の髪の子供。それを皮切りに、友人や同僚達の顔が浮かび、最後には桜色の少女を思い浮かべる。 するりと、髪を結わえていた紐をほどき、ばさりと落ちてきた髪も気にせず、元は赤かったはずの色あせた髪紐を眺めて。 ごめんな? きっと悲しんで、泣いて、自分を責めるだろう優しい少女に、心から詫びながら、髪を整え鏡に映る情けない顔をしている自分を見て。 イルカは部屋を後にした。 向かうは、今不在の火影の代わりを務め、そして唯一自分のことを知る『ご意見番』と呼ばれる二人の所。 たたたた… まだ朝早く、道を駆け抜けるのは桜色の少女。 まだ集合時間には早い、だが用事を済ませるには、遅いかもしれない時間に、サクラは必死でアカデミーに向かっていた。 (もう、私の馬鹿〜!!!!) 本当はもっと早く起きて、向かっているはずだったのに、寝坊して、でも髪のセットや服のチェックは怠れ無いから、結局走るはめになってしまった。これでは、髪も服も意味無いわよっ!と叫び、サクラは一路アカデミーを目差す。 彼女の目的は勿論イルカ。 できれば、通勤途中で彼を捕まえたかったのに、これでは無理そうだ。 「あ〜もうっ!職員会議始まっちゃう!!!」 会議が終わるのを待てば、集合時間には間に合わない。そうしたら、任務が終わるまでイルカには会えない(例え、担当上司が遅刻するとわかっていても)。 「間に合ってぇ〜」 「何をそんなに急いでいるんだ?サクラ」 「えっ!?」 ぎゅぎゅっと急ブレーキをかければ、通り過ぎようとしていた河原に目的の人物を見つける。 「イルカ先生!!!」 「どうしたんだ?こんな朝早くに。今日は演習でもあるのか?」 少しくたびれたような格好のイルカは、あきらかに任務帰り。というか、火影の使いを終えて今帰ってきたようだった。 (わ、私って馬鹿〜!!!) 考えてみれば、明日帰ると聞いていたとは言え、それが昼になるのか夜になるのか、わからなかったではないか。なのに、もうアカデミーにいると考えていた自分は何なんだろう。あまりの間抜けさに、サクラは言葉を失っていた。 「サクラ?」 「え…あの…イルカ先生今戻ったんですか?」 「ああ。ようやく」 にこりと笑ったイルカに、ここで合わなければとんだ恥を掻くところだったと、サクラは真っ赤になった。だが、すぐに目的を思い出して、強ばった顔になる。イルカもそれに気づいたようだった。 「イルカ先生っ!私聞きたいことが…」 「カカシ先生とは別れたよ」 さらりと述べられたことに、サクラは絶句する。 やはりとかそんなとか、ぐるぐると色々な言葉が頭を周り、サクラは何も言えない。そんな彼女にイルカは静かに微笑むだけで、ついサクラはイルカを責めてしまう。 「どうしてですかっ!何でっ…だってイルカ先生は、あんなにカカシ先生が好きだったじゃないっ!なのにっ…」 「サクラ」 「カカシ先生だってそう言ってくれたんでしょう!?だったら信じてあげてよっ!イルカ先生っ!絶対カカシ先生もイルカ先生のことあの人なんかよりも…」 「サクラ、俺は臆病なんだ」 ふっと、すべてを諦めたような顔でイルカは笑う。 ああ、まただ。あの顔。 始めて彼らのことを知った時と同じ… 「だから、俺が信じられるところへ行く」 「え?」 今…イルカは何と言った? 信じられるところ? 行く? 「イルカ…先生?」 「サクラ。今は…これ以上何も聞かないで欲しい。だが、必ず話すから。話して…俺を憎んでくれ」 「…どういうこと…?憎むって…私が?」 なんで? イルカは、すいっとサクラの横を通り、歩き始めた。 慌てて振り返ったが、そこにはもう誰もいなかった。 「イルカ…先生…?」 何か強い決意が見えた。 悲しい決意が… (もう、私って駄目だな) 今日の任務が終わり、帰路についているサクラは、昨日の自分の態度に反省していた。 朝からずっとナルトとサスケ(ラッキーだと思ったが)に心配されて、本当にすまなかったと思う。こればかりは、彼らにも相談できないから、自分に注意するよう叱咤して、イルカとの会話を取りあえず気にしないようにはしているが… 「一人になるとこうかぁ…駄目よね私」 「何が駄目なの?」 「へっ!?カ…カカシ先生っ!?」 今別れたはずの彼が、目の前に立っていてサクラは心底びびった。 「し…心臓に悪いじゃないっ!カカシ先生っ!」 「あ〜ごめんごめん、で?何が駄目なの?」 「えっ!?」 思わずギクリと、体が強ばって、余計なことを口に出してないよね?と何度も己と確認する。 「なっ…なんでもないわよっ!」 「なんでもないわけないでしょ。最近ずっと可笑しいよ?このままじゃ、任務もちゃんとできないでしょ?」 「そ…それは…」 そうだけどと、カカシの言葉もわかるけど、言えるわけがない。 (あ〜もう私の馬鹿っ!) どうやら、引いてはくれないカカシの様子に、サクラはどうにかせねばと追いつめられる。 「お…女の子には色々あるのよっ!女の子の都合なのっ!」 「…女の子?」 「そうなのっ!だから、私が自分で何とかしなきゃいけないの!明日からは気をつけるから!」 そう言って逃げようとしたのに。 「じゃあ、なんで泣いていたの?」 その言葉に、昨日見られていたのかと、真っ青になった。顔を赤くしたり青くしたりしているサクラを、カカシはじっと見ていた。 「…サクラ。俺じゃ役に立たないかな?俺じゃ、サクラの悩みを解決するのに手助けできない?」 …心から自分を心配してくれるカカシに、涙が出そうになる。 そんなことない。今自分が悩んでいるのは、イルカとカカシのことなのだ。だが、2人のことにサクラが口を挟む資格はなく、イルカと交わした約束も破れない。 サクラはカカシを見上げて、別れたよと話したイルカを思い出した。 カカシは一体どんな思いで別れを告げたのだろう。 イルカの気持ちを知っているのは自分だけ。 カカシのことが好きで好きで、愛しているけれど、カカシの心に住んでいるという存在にイルカは苦しんでいた。これを教えてしまえば、もしかしたら、2人は元に戻れるかもしれない。けれど、サクラの口は動かなかった。 「サクラ?」 「…ねぇ先生」 「なんだ?」 「先生って好きな人いる?」 「え?」 逆に質問されて戸惑ったカカシは、サスケのことを思い浮かべ、サクラが悩んでいたのはサスケのことかとげんなりした。 (あ〜もう心配して損した) それで、泣いたりしたのか?…全く女の子は… そう思いながら、カカシは今一番言いたくない言葉をどう濁すかと、考え込む。まだ今は…あの人のことを口にする勇気がなかった。 だが、サクラはあまり答えを当てにしてなかったようで。小さく溜息を吐いた。 「思いが伝わらないのって辛いね」 「………」 「それじゃ!カカシ先生!またね!私もう大丈夫だから!」 サクラを見送りながら、何だか自分の思いを言い当てられたような気がしたカカシだった。 さくら(2003.10.21) |