さくら

第4話:想いの行方



やはり、こうなった。
俺が『幸せ』というものを手に入れることはできないのだ。

散々泣いて、泣いて泣いて。
その後は笑った。

自分の馬鹿さ加減が可笑しくて、一時でも人並みの幸せを手に入れようとした自分が可笑しくて。
喉の奥から出てくる声は、自分を嘲け笑う。

可笑しい。
可笑しい。
なんて可笑しいんだ。


すべきことを終えたのに、今の状況に縋っていた罰だ。
縋って縋って、目を背けていた罰。
このままでいられるかもしれないと、願った罰だ。

ああ、愚か。
愚かすぎて楽しい。

そうしているうちに、日が明けて窓から朝日が入ってくる。
台所には、作りかけの料理。
もう一緒に食べてくれる人もいない。
あのベットが暖まることもない。
この部屋に誰も入ってくることもない。


もう何もない。


コン。

朝靄の空から響く音。
のろりと目を上げれば、窓をつつく一羽の鴉。
重い足を動かし、窓を開ければその鴉はイルカをじっと見つめる。

「…ああ、お前がいたか」

何もかも終わった。
何もかも失った。
ここにいる意味もないと思ったが。

「『お前』がいたか」

イルカの言葉に、鴉がカァと鳴いた。

艶やかな羽根を何故、喉のあたりを撫でると、鴉は嬉しそうに目を細める。
イルカはしばしその感触を楽しんでいたが、不意に手を止めた。

「やはり俺は卑怯だな」

ふっと笑うイルカに、鴉は首を傾げる。
その目の奥に、自分を責める色がないことが何よりも心地よかった。
この鴉だけではない、きっと…

「『お前達』は俺を責めない…」

誰一人。
きっと。

カカシのことは信じられないのに、自ら裏切った彼らという存在を信じられるとは皮肉な話し。

「責めないな。『夜斗(やと)』」

鴉は自分の名を呼ばれた途端、ばさばさと羽根を広げ、イルカの肩へと飛び乗った。
鴉はわかっていた、自分の名を呼んだ意味を。
ずっと振れることを許さず、名を呼ぶことを戒めていた主の思いを。

「やはり、俺にはあの場所しかない」

すいっと腕を伸ばし、夜斗はその腕から窓へと飛びだった。
朗報を仲間に伝えるために。

それを見送ったイルカは目を閉じて、一つの決心をした。
顔を洗い、赤い目を冷やして、服を着替えベストを着ける。

「…サクラ」

最初に浮かんだのは、金色の髪の子供。それを皮切りに、友人や同僚達の顔が浮かび、最後には桜色の少女を思い浮かべる。
するりと、髪を結わえていた紐をほどき、ばさりと落ちてきた髪も気にせず、元は赤かったはずの色あせた髪紐を眺めて。

ごめんな?

きっと悲しんで、泣いて、自分を責めるだろう優しい少女に、心から詫びながら、髪を整え鏡に映る情けない顔をしている自分を見て。
イルカは部屋を後にした。
向かうは、今不在の火影の代わりを務め、そして唯一自分のことを知る『ご意見番』と呼ばれる二人の所。



たたたた…
まだ朝早く、道を駆け抜けるのは桜色の少女。
まだ集合時間には早い、だが用事を済ませるには、遅いかもしれない時間に、サクラは必死でアカデミーに向かっていた。

(もう、私の馬鹿〜!!!!)

本当はもっと早く起きて、向かっているはずだったのに、寝坊して、でも髪のセットや服のチェックは怠れ無いから、結局走るはめになってしまった。これでは、髪も服も意味無いわよっ!と叫び、サクラは一路アカデミーを目差す。
彼女の目的は勿論イルカ。
できれば、通勤途中で彼を捕まえたかったのに、これでは無理そうだ。

「あ〜もうっ!職員会議始まっちゃう!!!」

会議が終わるのを待てば、集合時間には間に合わない。そうしたら、任務が終わるまでイルカには会えない(例え、担当上司が遅刻するとわかっていても)。

「間に合ってぇ〜」
「何をそんなに急いでいるんだ?サクラ」
「えっ!?」

ぎゅぎゅっと急ブレーキをかければ、通り過ぎようとしていた河原に目的の人物を見つける。

「イルカ先生!!!」
「どうしたんだ?こんな朝早くに。今日は演習でもあるのか?」

少しくたびれたような格好のイルカは、あきらかに任務帰り。というか、火影の使いを終えて今帰ってきたようだった。

(わ、私って馬鹿〜!!!)

考えてみれば、明日帰ると聞いていたとは言え、それが昼になるのか夜になるのか、わからなかったではないか。なのに、もうアカデミーにいると考えていた自分は何なんだろう。あまりの間抜けさに、サクラは言葉を失っていた。

「サクラ?」
「え…あの…イルカ先生今戻ったんですか?」
「ああ。ようやく」

にこりと笑ったイルカに、ここで合わなければとんだ恥を掻くところだったと、サクラは真っ赤になった。だが、すぐに目的を思い出して、強ばった顔になる。イルカもそれに気づいたようだった。

「イルカ先生っ!私聞きたいことが…」
「カカシ先生とは別れたよ」

さらりと述べられたことに、サクラは絶句する。
やはりとかそんなとか、ぐるぐると色々な言葉が頭を周り、サクラは何も言えない。そんな彼女にイルカは静かに微笑むだけで、ついサクラはイルカを責めてしまう。

「どうしてですかっ!何でっ…だってイルカ先生は、あんなにカカシ先生が好きだったじゃないっ!なのにっ…」
「サクラ」
「カカシ先生だってそう言ってくれたんでしょう!?だったら信じてあげてよっ!イルカ先生っ!絶対カカシ先生もイルカ先生のことあの人なんかよりも…」
「サクラ、俺は臆病なんだ」

ふっと、すべてを諦めたような顔でイルカは笑う。
ああ、まただ。あの顔。
始めて彼らのことを知った時と同じ…

「だから、俺が信じられるところへ行く」
「え?」

今…イルカは何と言った?
信じられるところ?
行く?

「イルカ…先生?」
「サクラ。今は…これ以上何も聞かないで欲しい。だが、必ず話すから。話して…俺を憎んでくれ」
「…どういうこと…?憎むって…私が?」

なんで?
イルカは、すいっとサクラの横を通り、歩き始めた。
慌てて振り返ったが、そこにはもう誰もいなかった。

「イルカ…先生…?」

何か強い決意が見えた。
悲しい決意が…



(もう、私って駄目だな)

今日の任務が終わり、帰路についているサクラは、昨日の自分の態度に反省していた。
朝からずっとナルトとサスケ(ラッキーだと思ったが)に心配されて、本当にすまなかったと思う。こればかりは、彼らにも相談できないから、自分に注意するよう叱咤して、イルカとの会話を取りあえず気にしないようにはしているが…

「一人になるとこうかぁ…駄目よね私」
「何が駄目なの?」
「へっ!?カ…カカシ先生っ!?」

今別れたはずの彼が、目の前に立っていてサクラは心底びびった。

「し…心臓に悪いじゃないっ!カカシ先生っ!」
「あ〜ごめんごめん、で?何が駄目なの?」
「えっ!?」

思わずギクリと、体が強ばって、余計なことを口に出してないよね?と何度も己と確認する。

「なっ…なんでもないわよっ!」
「なんでもないわけないでしょ。最近ずっと可笑しいよ?このままじゃ、任務もちゃんとできないでしょ?」
「そ…それは…」

そうだけどと、カカシの言葉もわかるけど、言えるわけがない。

(あ〜もう私の馬鹿っ!)

どうやら、引いてはくれないカカシの様子に、サクラはどうにかせねばと追いつめられる。

「お…女の子には色々あるのよっ!女の子の都合なのっ!」
「…女の子?」
「そうなのっ!だから、私が自分で何とかしなきゃいけないの!明日からは気をつけるから!」

そう言って逃げようとしたのに。

「じゃあ、なんで泣いていたの?」

その言葉に、昨日見られていたのかと、真っ青になった。顔を赤くしたり青くしたりしているサクラを、カカシはじっと見ていた。

「…サクラ。俺じゃ役に立たないかな?俺じゃ、サクラの悩みを解決するのに手助けできない?」

…心から自分を心配してくれるカカシに、涙が出そうになる。
そんなことない。今自分が悩んでいるのは、イルカとカカシのことなのだ。だが、2人のことにサクラが口を挟む資格はなく、イルカと交わした約束も破れない。

サクラはカカシを見上げて、別れたよと話したイルカを思い出した。

カカシは一体どんな思いで別れを告げたのだろう。
イルカの気持ちを知っているのは自分だけ。
カカシのことが好きで好きで、愛しているけれど、カカシの心に住んでいるという存在にイルカは苦しんでいた。これを教えてしまえば、もしかしたら、2人は元に戻れるかもしれない。けれど、サクラの口は動かなかった。

「サクラ?」
「…ねぇ先生」
「なんだ?」
「先生って好きな人いる?」
「え?」

逆に質問されて戸惑ったカカシは、サスケのことを思い浮かべ、サクラが悩んでいたのはサスケのことかとげんなりした。

(あ〜もう心配して損した)

それで、泣いたりしたのか?…全く女の子は…
そう思いながら、カカシは今一番言いたくない言葉をどう濁すかと、考え込む。まだ今は…あの人のことを口にする勇気がなかった。
だが、サクラはあまり答えを当てにしてなかったようで。小さく溜息を吐いた。

「思いが伝わらないのって辛いね」
「………」
「それじゃ!カカシ先生!またね!私もう大丈夫だから!」

サクラを見送りながら、何だか自分の思いを言い当てられたような気がしたカカシだった。

さくら(2003.10.21)