何故こんなことにと言いたいのはイルカの方だった。 仕事帰りに、今日はカカシを見なくて機嫌が良かったイルカは、近道にと居酒屋が並ぶ店通りを通ったのが失敗だった。酔った男達にぶつかり謝罪したものの、素直に謝ったのが気に入らなかったのか、絡み始め土下座して謝れと言い出す始末。そんな時に、一人の男が狐を可愛がっていた担任かと言い出したもんだから、話がややこしくなった。 (ってく…もう俺は担任なんかじゃなぇよ…) そう言える筈もなく、黙っていればそれを良いことに暴力へと訴えかけてきた。殴られて、蹴られて(痛くもなかったが)、突き飛ばされた拍子に足を切り散々な目にあった。しかもだ、顔を上げればイルカを見たことを後悔している顔をしたカカシが立っていた。 何て日だ。折角気分良く帰れると思ったのに。 八つ当たりも籠めて、そして五月蠅い男達を追い払う手段としてカカシの名を使ったのは失敗だった。予想通り男達は逃げたが、まさかカカシのアパートに連れてこられるとは。 (何考えてるんだ?) 係わりたくない癖に、わざわざ人を連れてきて。評判を落としたくないとほざいていたが、あんな男が評判を気にする人でないことはイルカだとてわかっている。何か言いたいことがありちょうど良い機会だと思ったのか。 「…ちょっと人の家の玄関に、血だまり作るわけ?」 何時までも中に入らないイルカに業を煮やしたのか、カカシが救急セットを持ってやって来た。ちなみにもうベストは脱ぎ、どこかくつろいだ雰囲気を持っている。 「…ではここで。手当をさせて頂いたらすぐに帰りますから」 「い〜から入ってよ。俺寒いの嫌い」 「…」 何を考えているのか、手に持っている救急セットと一緒に中に入ってしまうカカシ。何時までもアンタの傍に居るのが嫌なのだと、何故気付かない!とイルカはカカシを罵りながら、血をこれ以上垂らさないよう注意しながら家の中に入った。 カカシの家は、本当に必要なものしか置いていなかった。 ベットと机、後は数冊の本。台所はあるものの、殆ど使われた形跡もない。 部屋の中央には新聞紙が引かれていて、傍には座布団が置かれていた。ここに座れということなのだろう、イルカは低姿勢な素振りを装って座布団の上に腰を下ろした。 「あ…カカシ先生!後は自分で…」 「……いいから、手邪魔」 イルカが怪我をしたのは、太股の横側。ビール瓶でもあったのか、ざっくりと切れており先ほどより収まったものの、血が乾く気配はなかった。カカシは、はさみで傷の周囲のズボンを切り、消毒液を浸した脱脂綿傷を押さえる。染みる痛みに眉を潜めたものの、案外丁寧なカカシの手つきに、イルカは正直驚いていた。 (直接消毒液とかぶっかけて、乾いたら包帯とか巻くような感じなんだけどな) 「…何」 「い、いえ別に」 カカシは真っ赤になった脱脂綿を取り、傷の中に破片などがないことを確認すると、何かの薬を塗りガーゼを当てた。するりと包帯の白が舞い、あっという間に太股にまかれ手当は終わる。 「あ、ありがとうございました」 「…ドウイタシマシテ」 儀礼上の言葉を返し、カカシはさっさと救急セットを片づける。イルカが新聞紙などを片づけようとすると、いいからと止められそこに座っていろと言われた。何だか、妙に親切すぎるカカシにイルカの警戒心は高まるばかり。 (何が目的だ…) カカシの背をみながら、ナルト達に近づくなとでも警告するのだろうかと、イルカは思う。何しろ初対面で喧嘩をふっかけてきた相手だ、何を言い出すのかわかったものではない。これはさっさと退散するべきだ、イルカがもう一度礼を述べ、部屋を辞しようとした時、ねぇと声をかけられた。 「アンタさぁ…料理できる?」 「………は?」 「簡単な調味料はあるから、火も多分つくでしょ、何か作ってくれない?」 「………は?」 「アンタを連れてきたせいで、何も買えなかったから。手は平気でしょ、よろしく」 そう言って、本を手に取り窓の近くに座り読み始める。脳がカカシの言葉を理解するのに数秒有し、イルカは顔を引きつらせた。 (怪我人に料理させるか?普通…) 巫山戯るなと言いそうになるのを何とかこらえ、イルカは立ち上がった。痛みは大したことないが、何となく足は不自由だ。引きずるのも大げさだし、平気で歩けばカカシに嫌みを言われそうな気がする。たかが怪我一つでこんなに気をつかうなんて…とやり場のない怒りに打ち震えながら、冷蔵庫を開けたのだが。 (…馬鹿にしてるのか?) これは嫌みの続きなのか、それとも自分に対する挑戦なのか。 冷蔵庫に入っていたのは二つの卵と缶ビール数本、そしてチーズと数切れのハム。一体コレで何を作れというのか。米もないしパンもない、どんな食生活を送っているんだこの人はと、イルカは噴き上がる怒りを抑え、取りあえずハムと卵を焼いた。というか、これしかできないだろう。 (人に料理を作らせるなら、せめて材料ぐらい揃えろ。上忍なんだから、貧乏ってわけでもない癖に) 「あ、いい匂い。できたんですか」 「…は?」 いつの間にか台所に立つイルカの隣に来ていたカカシはフライパンの中にある卵とハムを見てそう言った。何となく変だなと思いつつも、皿に入れるとカカシは箸を取り、礼も言わずそれを持ち上げ、窓の傍に戻っていく。そしてあっという間に食べ終えた。 「…」 行儀悪いという一言で済ませて良いものか。何となく白けた目でカカシを見ていると、彼はとってつけたようにごちそうさまと言ってきた。 「どうも、久しぶりにまともなものを食べました」 「…あれがですか?」 「ええ。米以外を食べたのは何日ぶりだったかな…」 考え込むカカシを見ているうちに、これ以上聞かない方が良いと誰かが言う。この男の食生活など知りたくもないイルカは、そうですかと言って今度こそ部屋を後にするべく頭を下げた。ひらりと一度手を振っただけでそれに答えたカカシは、もうイルカを見ていない。カカシの部屋を出て、扉を閉めると溜息が出た。 (…早く帰ろう。帰って寝る) そうすればこれは夢だったと言えそうで、そんな僅かな逃避に浸ろうとするイルカだった。 黒揚羽(2005.5.11) |