黒揚羽

【思惑】


誰も、何も、自分の興味をかき立てることはなかった。
血にまみれるあの暖かさが心地よいなど、恩のある火影にも、無垢な存在として受け入れたあの二人も理解できないだろう。
あの暖かさが癖になりそうだなんて、落ち着くだなんで。
だけど。

あの男ならば、理解できるのではないか。

同類の臭いを持つあの男なら。
…だからと言って、あの男を好きになるわけではないが。

興味ぐらい覚えてもいいだろう?



ふさりふさりと、風に揺れて小さな花達が一斉に動き出す。
遠くからは授業だとわかっているのか子供達の笑い声と、そんな子供達へ注意を促がす怒鳴り声が聞こえる。イルカの足下にある小さな花は、この世の汚れなど知らないように、白い花びらを精一杯広げていた。たった数日の為にこの地に根を張り、雨風に耐えてそれでも生きている。己の足で踏みつぶされれば、すぐに消え去る程度の命なのに。

どうしてそこまで生きようと思うのか。
生きたいと思うのか、言葉が通じるならば聞いてみたいものだ。

「イルカ先生〜ちょっと来てください〜」
「わかりました!」

くの一クラスを担当している女性教師の呼び声に、イルカはにっこりと笑い足早に彼女の元へと向かっていく。
イルカが立ち去った後はそれまで通り白い花達が揺れ続けていた。


「ねぇ。イルカ先生って本当に強いの?」
「いきなりだなぁ」
「だって!万年中忍なんでしょ!」
「…どっからそんな言葉を覚えてくるんだ?」

まとわりついてくる子供の頭を撫でながら、そう言えばこの子の親は上忍だったことを思い出す。
上忍はどうしてもプライドが高い者が多い。それは強さの結果としての称号なのだから致し方ないと思うのだが、それを子供達の前で出して欲しくないと思う。彼等が中忍や下忍を見下せば子供達も同じ価値観を持ち、上忍以外は忍ではないと、他者のことを考えない忍になる。しかも、自分が上忍に慣れなかった場合、己の実力不足を認識するどころか、他人のせい果ては、里のせいにして抜け忍となることがあるのだ。

そうなった時、一人の忍を育てた時間、その忍が持っている里の技術、抜け忍を狩る手間がどれほど面倒なことかわかっているのか。上忍になる時、精神も鍛えさせろと火影に提案したが、そうすれば上忍となる者が居なくなると却下された。ならば、子供の時にその考えを取り除いてやればいいと言われ…

「イルカ先生?」
「あ?ああ何だ?」
「何か変な顔してたよ!お腹でも痛くなったの?」
「いや、大丈夫だ。心配してくれてありがとな」

危なく子供の前で素顔を曝す所だったと、イルカは内心冷や汗を出しながら、自分のことを心配してくれた子供の頭を撫でる。入学当初は、イルカ達教師に生意気な口を聞き、自分の親のことを自慢していた子供だったが、いつの間にか人のことを心配できる子供に変わっていた。さすがはイルカ先生ですね〜などと周りから言われたが、幼いうちに考え方を変えさせることなど案外容易いこと。

その子供にとって信頼できる人物になればいい。

声をかけ、心配し、さり気なく接することを繰り返していれば、子供は自分のことを気にするようになる。そして、その人に認められたいとまとわりついてくるようになれば、成功も同じ。後はゆっくりと導いてやればいい。

「で。イルカ先生強いの?」
「う〜ん…どうかな。サヤはどう思う?」
「サヤよりは強いと思うけど、お父さんよりは弱いと思う」
「きっぱり言うなぁ…」
「だってお父さんは強いもん!!」
「じゃあサヤが思った通りなんだろうな!」

そっか〜と納得したサヤは、余程父親が好きなのだろう。家族円満の為にそれをどうこう言う気はないが、人のことを万年中忍だとか言うのは止めて欲しい。いや別に言っても構わないが、そういうことを子供に言う親に限って、ぐちぐちとアカデミーの教育方針に文句を言う輩であることが多いのだ。

(もし、五月蠅くなったら消しちゃうかもしれないからな、サヤ)

目の前にある笑顔が曇ろうと自分には関係ない。いや、その方が子供の教育方針には良いかもしれない。そんなイルカの思いを知らずに、サヤは友人達の所に戻っていく。

久しぶりの課外授業に、楽しそうな声をあげる子供達。
なんて平和で、穏やかな時間。


ああ。イライラする。


何時までこんな所にこの身を置けばいいのだろう。
何時まで偽りの中で生きていれば良いのか。
無性に壊したくなる時がある…
その時、ふっと頭を過ぎった銀の髪。

…どちらが上だろうか。

己の狂気と比べてイルカは、そっと笑った。



カカシが何時もと変わらない様子で受付まで歩いていると、後からぽんと肩を叩かれた。

「おや。アスマ」
「よっ。謹慎解けた気分はどうだ?」

挨拶もなしにそう言われて、カカシはむぅと右目を細め不快げな表情を作る。だが、長年カカシの友人をやっているアスマには、それが演技であり特に堪えた様子もないことにつまらんと呟いた。

「つまらんて何よ。何で俺だけが割を食うわけ〜納得いかないんだよね」

任務中、攻撃を仕掛けてきた生意気な少女。それに腹が立ち、思わず切れてしまったのは自分が悪いが、何故自分だけが謹慎、減俸、おまけにただ働きと…そんな罰を喰らわねばならないのか。自分を止めてくれた基、味方だと思っていたクオンからも、まぁそんなところだなと言われて、カカシはちょっと不機嫌だったりする。

「お陰で寝不足。子供達の任務中寝れるからもってるようなもんだけど」
「…それでよく、怒らねぇな」
「最初の日はぎゃあぎゃあ言ってたけどね、諦めたんでしょ」
「いつも思うが、それで良く成り立ってるよなお前達…」

感心して良いのかわからないが、まぁねと得意げな顔をするカカシにアスマは肩を落とす。自分には関係ないと思いたいが、火の粉がかかることだけはゴメンこうむりたかった。

「んじゃぁ、今日も任務か?」
「いや〜今日は休み。久しぶりにゆっくりしてるよ。これ提出したら、さっさと帰る」
「真っ直ぐのご帰宅は珍しいじゃねぇか」
「うっさいよ」

今日は付きまとわないのかとにやにや笑うアスマを一睨み。付きまとい禁止令を出ていることを知っている癖に、そんなことを言うアスマの首を絞めたくなったカカシ。その気配を感じ取ったのか、アスマは軽く手を挙げ去っていく。すれ違い様に、二人で語り合うわという嫌みを吐きながら。

「ふ〜んだ、お前なんか相手にされないよ〜」

事情を良く知る者が聞いたなら、お前が言うなと突っ込まれそうな台詞。しかしカカシもその言葉の虚しさを感じたのか、先ほどより不機嫌になって受付に向かったのだった。



その道を通ろうと思ったのは、家に何も無いことを思い出したからだ。

「そういえば…朝、昼、何食べたっけ」

食事をとるということに執着しないカカシは、時々食べることを忘れる。お腹が空いたなと思った時は、2日も食べていない時もあり、よくクオンから怒鳴られたものだ。忍が栄養失調で死んだら恥だ!その台詞に確かに…と思うものの、なかなかその癖は直らない。

「う〜ん、おにぎりぐらい食べとけば怒られないかな」

怒られない為に食事を取る奴など聞いたことがない、アスマが呆れていたが、クオンが怒ったらどれほど怖いか知らないから言える台詞だと思う。その思考が根本的に違うということも気付かず、カカシはぶつぶつと心の中で呟きながら店に向かっていた。
その時、嫌な予感がしたのだ。

「…道変えようかな」

目と鼻の先にある店を見て、そう言ったカカシだったがその判断は少々遅かったようだ。カカシの前を横切った黒い物体と、事態に驚く悲鳴。物体が飛んできた方向を見れば、酔っぱらっているのか顔が赤い数人の男達。

(…左を見るのは嫌だなぁ)

数歩歩けばその物体と並ぶ場所に行けるだろう。だがカカシの足はそれ以上動かず、首も動くことを拒否している。このまま回れ右をしたい。いやするべきだと、カカシが心の声に従おうとした時その物体が立ち上がり、視界に入ってしまった。

(…あ〜何で今立ち上がるかね。もうちょっと後にしてくれれば、知らないで終わらせることができたのにさぁ…)

こうなったら見て見ぬ振りなどできぬではないか、いやしても構わないが後が怖い。どこか切れたのか血が地面に広がって赤い染みを作っていく。

「…忙しいようですね、アンタ」
「…こんな所で何をしておられるんですか?はたけ上忍」
「それはこっちの台詞なんだけどね」

イルカが呼んだはたけ上忍という言葉で、酔っぱらい達の頭は冷えたのかお互いの顔を見合わせ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。人の名前を虫退治に使うなと、視線を送ったがイルカは気付かぬ顔で切れた唇を袖で拭っている。服はぼろぼろ、ところどころ破れ見るも無惨な姿。足から出ている血以外は特に外傷もないようだが、何もこんなになるまで無抵抗で居ることもないだろう。そう、酔っぱらっていた男達は里人。忍が一般人に手を出すことは禁じられているが、素直に殴られているのも馬鹿だとカカシは思う。

「アンタの職業柄、あしらうのは得意でしょうに」
「…未熟者で申し訳ありません。お名前もお貸し頂き助かりました」
「…勝手に使ったんでしょうが」

話を終わらし、帰るのか動き出したイルカ。素直にそれを見送ろうとしたのだが、ふと、周りの視線が自分に集まっていることに気付く。

(…ああもう、何て日だよ、本当に)

カカシは深い溜息をつき、ひょこひょこと歩いているイルカを追い掛ける。ここでイルカを見送ったら、何て冷たい奴なんだと思われるだろう。別に他人に思われるのはいい、だがこのことが耳に入ったら非常に不味い。ただでさえ、最近自分を追い払う口実を捜されているのだ、黙って見過ごせばこれをネタにされること間違いなし。

「…何でしょうか」
「家遠いの?」
「ええまぁ…でも大丈夫です。一人で帰れますから」

腕を掴まれたイルカは、カカシの行動が不可解だと眉を潜めた。何しろ互いに良い感情を持っていないのに、カカシが支えるように腕を取り、おまけに送ってくれるような言葉を言ったのだ、勘ぐるのは当然だ。カカシも好きでやっているのではないと内心呟きつつ、適当な声を出す。

「アンタが人の名前言ってくれたんで、このまま見送ると俺の評判が落ちるんです」
「ああそういうことですか…それは申し訳ありませんでした」
「悪いと思うんなら素直に送られて…っていうか、俺疲れてるんだよね」
「はぁ?」

自分の評判を気にしてイルカを送ると言った傍から、面倒だと言うカカシ。一体こいつは何をしたいんだと、今だ掴まれている腕をイルカは不審そうに見る。

「ということだからさ、ちょっとこっちに来てよ」
「…何故ですか」
「言ったでしょ、疲れてるんだって」
「では、お帰り下さい。俺は大丈夫ですから」
「そういうわけにもいかないって言ったでしょ。いいから」

もう説明させるなと、怪我をしているイルカを気遣っているのかいないのか、無理矢理腕を引っ張っていく。痛みに顔をしかめながらも、仕方が無く引きずられていると見知らぬアパートの前でカカシは立ち止まった。

「…ここは」
「俺の家」
「は?」
「階段上れるよね。俺の部屋二階なんだ」
「いや、あの…」
「家に帰るより近いでしょ。手当てして帰ってよ。まだ血止まってないんでしょうが」

そう言い置いて、すたすたと一人階段を上っていくカカシ。イルカはこの状況に困惑しつつ、足をひきずりながらしぶしぶ後を追ったのだった。

黒揚羽(2005.4.19)