今、アカデミーの職員室は緊張に包まれていた。 ごくりと誰かの喉が鳴り、それすらにびくりと震えそうになる。音を立てるな、気配を殺せ、普通にしていろ。誰もが目を合わせ任務以上に息を殺している中。 「……今日は静かだなぁ」 あははと笑いながら、振り向いたイルカに同僚はびくりと飛び上がる。 「どうしたんだ?」 「い…いや何も!今日はいい天気だよな!」 「?曇ってるぞ?」 「あ…俺ぼけてるなぁ!」 あはははと笑い合って、同僚はくるりと背を向ける。それに倣うようにイルカも椅子を戻し、机へと向かったが周りは同じことを呟いていた。 目が笑ってないぞ…イルカ…… そう、何故か朝から妙なオーラを漂わせて出勤してきた彼に恐れを成した同僚達が、この雰囲気を出していたことにイルカだけは気付いていなかった。 「イルカ!火影様がお呼びだぞ」 「!わかった!」 慌てたように職員室を出て行ったイルカ。彼がいなくなった途端、一斉にため息が漏れた。火影からの伝言を伝えに来た忍は、その様子を見て首をかしげていた。 「ほれ。土産じゃそうだ」 「…これは阿儒庵の…」 「毎日10分で完売の饅頭じゃ。あの子達に感謝せい」 「…火影様」 むしゃむしゃと、饅頭をほう張る姿はただの老人と変わりない。だが火影を見つめるイルカの目は限りなく冷たかった。それを知ってか知らずか、火影は退出を促す。 「例の家に戻ってるじゃろうて」 「………失礼します」 それでも饅頭の箱を持っていったのは、さすがじゃな…と火影はわけのわからぬ関心をしていた。 「シカマル!サクラ!!」 「あ、お帰りなさ〜い」 「ちわっす」 バァンと大きな音を立てて入ってきたイルカに、二人の子供は片づけの手を休めないまま、首だけを動かした。そしてぱたぱたと駆け回り、あっという間に掃除を終えてしまう。 「…」 「どうしたの?先生」 二人に言いたいことは沢山あった筈なのに、顔を見ただけで安心してしまった。きょとんと目を丸くしたまま、首を傾げる桜色の子供と、眉を潜めて動かないイルカを心配している子供。 「もう先生仕事いいの?じゃ、お茶にしよ」 「あ…ああ」 伸ばされた小さな手に引かれ、シカマルが用意した座布団の上に座る。忙しく駆け回るサクラを見ながら、隣に座ったシカマルにぽつりと問いかけた。 「…今日の任務は?」 「7班と10班は休み。あれ?先生受付に行かなかったんすか?」 「え…ああ。今日はまだだったんだ」 朝の受付のシフトに組み込まれていたことをすっかり忘れていた。だが、そのことに誰も注意しにこなかったな?と内心首を傾げたが、実はイルカが怖くて同僚達が密かにシフトを変更していたのだ。 (…まぁいいか) 「どうぞ、イルカ先生っ」 「…ありがとう。サクラ」 この二人の時間の方が大事だと、仕事の途中で飛びだしたことも忘れてくつろぐイルカだった。 「…で、どうだったんだ?任務は」 ようやく聞きたいことを言いだしたイルカだったが、二人の反応は特にない。 「別に〜すぐ終わりましたし」 「殆ど何もしませんでしたよ」 「というかシカマルが手を抜きましたけど」 「一人で楽しようとするからだろ」 「だからって、式紙を使わせなくてもいいじゃない!もったいないんだからっ!!」 いつもと変わりない、やりとりに何だか安心したイルカ。しかし、何故二人は自分に黙って(起きなかっただけだが)任務に行ったのだろう。 自分の愛弟子として育てたシカマルとサクラは、すでに下忍のレベルを超えている。この年になるまでにすでに任務をこなし、自分の両腕となって上忍でも怯むような任務を幾つも経験してるのだ。だから彼らが任務に失敗するという不安はない。いや…不安なのは、自分と離れてしまうことか。 二人が傍にいないと安心できないのは自分の方。 自分は何時からこんなに弱くなったのだろう。 「先生?」 いつの間にか静かになっていた二人は、イルカへ心配そうな目を向けていた。なんでもないと、曖昧な顔で答えれば案の定二人は渋い顔。 「…また余計なこと考えてたんすか?」 「余計なことって…」 「どうでもいいやとか、自分は弱くなったとか。先生がそんな顔するときは大体後ろ向きなことを考えてる時っすから」 察しが良さ過ぎなのもどうかとイルカは思いながら、小さな溜息をつく。それが答えと受け取ったサクラは膨れた。 「もう、折角私たちがいるんだから、もっと楽しんでよ!最近じゃ、こういう機会も減ってきたでしょ?」 「だなぁ…下忍の任務なんてやってると、体力ばっかり使うからな。良くて家での予習ぐらいで、こうやって集まれなくなってきたしよ」 そう言ったシカマルは、まだ暗い顔をしたままのイルカをみて肩を竦める。こうなってしまえば、彼が本当に聞きたいことに答えなければいつまでも引きずってしまうだろう。別に対した理由ではないが、できれば言いたくなかった理由。 「…俺らが任務に出たかったのは、腕がなまるからですよ」 「そうそう。別に任務事態を馬鹿にしてるわけじゃないけど、やっぱり術とか仕えないし、新しいのも試せない。中忍になるまでの辛抱といえばいいんだけど…」 シカマルの意図にサクラは相槌をうつ。だが、二人にとってあの任務は腕ためしにもならなかったが。 「あとは…顔を拝んで見たかったんすよ」 「…顔?」 訝しげなイルカに、シカマルは冷めた目で、そしてサクラは膨れた顔で頷いた。 「俺らとおなじぐらいの歳で暗部にいる粋がった奴を」 クオンのことか。 イルカは二人があの少年を知っていることに驚いた。顔を拝みたかったと言っていることから、任務を一緒にこなしたのだろう。しかし、その言い方は…その前に知り合っているような言葉。 「ずいぶんと舐めたことを言ってまして。なら、ちょっと検分させてもらおうと思ったんすよ」 「…シカマル?」 いつも面倒だと口癖のように呟き、やる気を見せない彼がこんな表情を見せるのは珍しい。明らかに怒っている…一体何が彼をそこまで不機嫌にさせているのか。自分のことが原因だと全く思わないイルカはただ、驚くしかなかった。 「で〜先生。火影様のところでお土産頂いてきたということね」 「土産…?まさか…」 「第三の目的は、その饅頭!前にイルカ先生が大好きだっていってたから買ってきたんですよ!」 当たり〜と叫ぶサクラに、イルカはただあきれるしかなかった。 任務の途中で何をやっているのだとか、そんなことでいいのかとか、誰もが知っているイルカ先生ならそう言っただろう。だが。 「…ありがとうな」 自分のことを考えて買ってきてくれた土産。いつでも、どこでも自分が傍にいなくとも、彼らは自分を忘れてはいないのだと、そんなことがただ嬉しくて。 「よし!今日は新術の講義だ!」 「「…」」 褒美のつもりだったが、二人には嫌な顔をされた 黒揚羽(2004.6.29) |