「最近俺腕がなまっているんだよね」 勝手に飛び出したと思ったら、突然スピードを落とし、自分の横に並んだ少年はそう言い放つ。 (手出しはするなってことか) この少年には、無理矢理加わったのだという意識がないらしい。自分の意見を述べた途端、再びスピードをあげてさっさと言ってしまった。 (……どいつもこいつも) 苛ついてるのはこっちだって同じだと、イルカは面の下で不機嫌な顔をしたまま少年を追いかける。アカデミーでも任務でもどうして子供の面倒ばかり見なければいけないのだろう。 (ああこうなったらゆっくりと見学させてもらうよ) そうすれば無駄な体力も使わないだろうし、帰ってさっさと寝よう。そう決めたイルカの耳に音が届いた。 「…もう始めたのか」 気の早いことだと、イルカは肩を落とす。そして後ろへと意識を向けた。 (…追いかけてきている奴がいるな) 気配は二つ。敵か味方かは知らないが、里を出てからずっとだ。 「……苛つく」 鬱憤晴らしをしたいのはこっちの方だ。いい加減にしろと叫びたい気持ちを殺し、イルカは戦闘の始まった場所へと走り続けた。 小さな手が動くたびに、悲鳴が上がる。まだ力が劣る分をスピードで補いながら動くそれは、まさしく一流の忍だった。実力は上忍。相手にしている殆どが中忍クラスとはいえ、30人ほどいた敵を10分足らずで半分にも減らしたのには素直に賞賛するが。 (…あの二人ならもっと早い) つい擁護する発言が出るのは己の手で育てているからか。だが同じぐらいの年ならば、この先どうなるかはわからない。 火影にクオンと呼ばれていた少年は、襲い来る敵を交わし、術で翻弄し、仕留める。無駄のない、正確な動き。だが。 (確かにこれが普通の任務であれば、彼一人で十分だろう) しかしここにあの二人が居れば、クオンのようにすぐさま攻撃を仕掛けることなどしなかった筈。 「…まだまだだな」 クオンが暗部に身を置き、どれほどのキャリアを持っているかは知らないが。 この任務に何故自分が選ばれたのか。 誰の任務を横取りしたのか。 「その身で知るといい」 火影直属の影。 【常世の番人】 人数も性別も一切不明。特別追い人部隊、里内の静粛者。様々な名で呼ばれていてもその実体を掴んだものは誰も居ない。ただわかっていることと言えば、彼らが恐ろしく強いことと「蝶」の呼び名を持っていることだけ。 そんな彼らに与えられた任務が生半可なわけもなく。 ざしゅりとクオンの腕にクナイが掠った。思ってもいない方角からの攻撃に、彼は一瞬体を強張らせたのが見えた。 ざわりと空気が変わる。 イルカが倒さなくてはいけない本当の敵が出てきた。クオンもそれに気付いたのか、油断無く辺りを伺っている。集まった敵を殆ど撲滅しておきながら、敵に囲まれ窮地に陥っている少年。彼を囲む複数の気配。 すべてクオンと同等の力を持つ忍だとイルカは感じ取っていたが。 イルカは動かない。 ただずっと気配を殺したまま、少年の望み通り木の上で見ているだけだった。 (な…んだ…!) 掠った傷口が熱くなり、同時に目眩が襲ってくる。毒だと気付いた時にはそれが体中に回っていくのが感じ取れた。 (なんだこいつらは…) 大した実力もない抜け忍をほとんど始末していたが、決して気を抜いていたわけでもないのに、死角からの攻撃を避けるのがやっとだった。気付けば、何人かの忍に囲まれてしまっている。それが皆、上忍クラスの忍だから始末が悪い。 (じじい…) 盗み見た任務書には書かれていなかった。諜報部の手抜きかと、殺意を覚えるクオンであったが、その怒りはお門違い。本来任務を受けた忍に日付と場所さえ教えれば、この任務は終了する筈だったのだから。それを知らず、勝手に任務に赴いたクオン。そしてこうなることを予想し、クオンのことを頼んだ火影であったが、頼まれた忍が予想以上に機嫌が悪かったことが災いした。 クオンに手助けする様子はない。 「ああ?たった一人にやられたのかよ…つかえねぇ…」 「というより、たった一人で来るなんでいい度胸してるなぁ」 くすくすと嘲笑の声が響きわたる。その中には、クオンの無謀さと彼しか派遣しなかった木の葉の里への怒りが含まれている。 「まぁいい…手駒はいつでも集められる」 「それが面倒なんだけどな」 さすがは上忍クラス、警戒しているのか姿を現さない。そのまま、動けないクオンを倒す腹づもりのようだ。 「死ね」 「…そうはいかないよ〜」 ぶわりと木の葉が舞う。クオンへと投げられていたクナイを弾き飛ばし、そのまま隠れている敵へと向かっていく。くぐもった悲鳴と動揺する気配。だがその気配もすぐに消え去っていく。 「……お前達…」 「ったくよぉ。無茶ばかりするな」 がさりとわざと音を立て、茂みから出てきたアスマは僅かな血臭を漂わせていた。彼らが来たことで少し気を抜いたクオンは、その場に膝を落とす。 「毒か。即効性ではないようだが」 「…触るな」 「ここでそれはないでしょ。いい加減にしないと怒るよ〜」 とんっとクオンの前に降り立ったカカシは、傷を隠そうとするクオンの手を払いのけ、アスマへと傷を見せた。 「麻痺系だな。取りあえず少し抜いて縛って置く。帰ったら医療班へ行け」 「こんなもの…すぐに…」 「明日動けなくなっても困るでしょ」 「…」 カカシの言葉に詰まり、クオンはしぶしぶ小さく頷いた。それを見てようやく安心した二人。 「ところでよ。今日の任務二人って聞いたんだけど…死んだのか?」 「上忍でも一小隊必要なのに二人なんて無謀だよ?火影様も何を考えておられるのやら…」 アスマが一服とばかりにタバコを吸う。それを何となしに見ながら、クオンはぼそりと言った。 「一人だ」 「……ああ?」 何がとクオンを見下ろしたアスマ。その声につられてカカシもクオンを見たが、何故か彼はきょろきょろと視線を動かしている。 「この任務はあいつ一人で行う予定だった。…そいつはこの辺で見学してるだろ。俺が手を出すなと言ったからな」 「なんだとっ!?」 「アスマっ!!!」 クオンの言った言葉に驚いたアスマは、カカシの警告に遅れて気付く。背後からわき上がった殺気。自然と体が動いたが、どこかに怪我をすることを覚悟した瞬間。 風が鳴った。 唐突に動きを止めた敵。目を開き、アスマ達も驚いている中、体が揺らめき地面に落ちる。 「な…んだ?」 ひゅうっと鳴った音にカカシが目を細め、ばっと背後を振りかえる。 そこに彼が居た。 闇の中に浮かぶ白い面。木と木の間に身を潜め、静かにカカシ達を見下ろしている。 「あれは…」 誰だとアスマが続ける前に、カカシが戦闘態勢を取り飛び上がろうとしているのを見て、クオンが叫んだ。 「そいつは味方だっ!!」 「んなことはわかってるよ〜」 のんびりとした声。だがカカシが纏っているのは間違いなく殺気。 味方だろうが、関係ない。クオンが窮地に陥っていたというのに、手を貸さない奴など…味方ではない。 敵だ。 「よせ!カカシっ!!!」 アスマの警告もむなしく、カカシはクナイを握りその忍へと飛びかかった。 クナイが体にめり込む。 殺ってしまった!とクオンとアスマが顔を強張らせた瞬間。 闇が散る。 カカシの横を飛び抜け、空に舞う。 ひらり、ひらり。 それは…無数の蝶の群れ。 「そんなに大切ならば、里内で飼っていろ」 侮蔑の籠もった声が容赦なく落とされた。 人の任務に首を突っ込み、好き勝手なことを宣言した挙げ句、助けなかったと責められる。 腹立たしいことこの上ない。 「手綱でもつけておけ」 黒い蝶が彼の元に集まって行く。その一匹を指に止まらせると、彼は背を向けた。 そして蝶とともに闇の中に溶けていく。 「な…んだよ…あいつ…」 姿を見せていたというのに、気配が感じ取れない。その不気味さに数多の戦場を経験しているアスマさえ身震いが起きた。ごくりと喉を鳴らしたアスマに、じゃりっと土を削る音が聞こえてきた。 「おい…」 「誰が…飼われるだと…!!巫山戯るなっ!!!」 ばっと白い面を取り外し、クオンは彼の消えた方角を睨み付ける。 『手綱でもつけておけ』。もう勝手な行動はさせるなと…始めて会った忍から受けた侮辱。クオンは唇を噛みしめる。 「……蝶……」 ぼそりとカカシが呟いた。くるりとクナイを治め、クオン達と同じく彼の消えた方向を見たが…頭にあるのは昔聞いた噂。 あれは本当だったのか。 それならば、今日の任務も一人だった理由がわかるが… 「でもさぁ。許せないけど」 どんな奴でも、クオンを見捨てようとした。それだけで殺す理由になるのだ。 それが例え…【常世の番人】でも。 黒揚羽(2004.4.28) |