どうしてこんな時に。 目の前に現れた人物を見て、思わずイルカは小さく唸ってしまった。だが、それは相手も同じだったらしい、ちっと舌打ちの声がイルカの耳に届く。 (ちって何だよ…それはこっちの台詞だっ!!) 再び再燃した怒りを押し殺して、イルカは受け付け用の笑みを浮かべる。どうしてこんな嫌いな相手にまで笑わなくてはいけないんだろう、受付のマニュアルを破り捨てたい衝動にかられながら、それでも笑みを保ち続けているイルカだったが。顔は笑っていても目は笑っていないことにカカシも当然気付いていたらしく。しぶしぶと言った風体で七班の報告書を差し出してきた。 「お疲れ様です」 「……なんでさぁ。ここにいるの?」 「仕事ですから」 「そういう意味じゃないんだけどねぇ…やれやれ」 びきっと持っていたペンを思わず折ってしまうところだった。 (やれやれって何だよ!ああ、わかってるさっ!アンタが俺を避けてこんな時間に来たのに俺が居たからその理由を聞いてるんだろっ!俺だってな!好きでこんな時間にいるんじゃねぇっ!!!仕方が無く時間を替わったんだよっ!!) 普段、受付所の仕事はイルカの担当している授業の合間に受け持っている。そのため、今日のように夜半につくことは滅多にないのだが、同僚の子供が熱を出したとかで人の良いイルカは代わりを申し出たのだ。 そのつけがこれとは。 夜の受付所は通常二人体制で行われるが、イルカの相方は今弁当を買いに出てしまっている。まだ彼がいればこの気まずさもなかっただろうにと、イルカの胸に理不尽な怒りだけが蓄積していく。 「問題ありません。ご苦労様でした」 イルカが頭を下げるとカカシは何も言わずに踵を返す。さっさと出ていけ、イルカがそう思っていた時、突然カカシが振り返った。 「アンタ…疲れない?」 「は?」 「その顔」 ぱたん。 言いたいことを言って受付所を後にしたカカシ。イルカはその後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。 「な…んだよそれ」 『疲れない?その顔』 この顔?って何だ?いつも笑っていることか?仕方がないじゃないか、そうゆうマニュアルがあって… ぐるぐると言い訳じみた考えが頭を巡るが、どうしてだろう、カカシの言葉はそういうことを言っているのではない気が… 嫌な上忍にも笑顔を見せる中忍を嘲るのではなく、何かを抉り出すような目をしていた。 『疲れない?』 何が。 『その顔』 これがどうした。 まさかと嫌な汗が流れる。 ………気付いている? 『疲れない?』 すべてを隠しきって。 『その顔』 愛想のいい先生を装っているのは。 (駄目だ!これ以上考えるなっ!!) 「遅れて悪かったな!」 ちょうど良く同僚が戻って来たため、イルカは思考を中断させることができた。ぱっと笑顔を見せて、自分の弁当を受けながら、暇だなぁと同僚とぼやく。 だが、あまり食が進まないのは………本心を暴かるそうになったせいなのか。 先生はいい人。 お人好し。 親切で優しい。 頼りになる人。 いつも笑顔で、子供達に一生懸命、仕事も真面目、人受けもいい。 イルカの人柄を聞かれれば、必ずこの中の一つはあげるだろう。それほどイルカという人物は人から好かれていた。だがそれが事実ではないことを、本人が一番良くわかっていたのだ。 イルカは部屋に帰ると、すぐに髪を縛っていた紐を解く。途端にイルカの雰囲気ががらりとかわり、誰もが知っている「イルカ先生」はいなくなる。 「…くそ…」 目にかかった髪を払うと、そこから出てくるのは剣呑な瞳。その瞳に捕らえられれば誰もが射すくめられると思われるほど、冷たく一切の感情さえも探ることはできなくなる。 ベストをベットの上に放り出して、冷蔵庫をあさりビールを取り出し飲み干す。しかし一本ぐらいでは酔えず、逆に冴えてしまった頭にイルカは溜息をついた。 「何なんだ…」 知るものは少ないが、これがイルカの本来の性格だった。人となれ合うのが嫌い、寄り添うのも嫌い。集団行動なんて尤も苦手な分野で、本当は人気の多いアカデミーなど大の苦手なのだ。しかし敢えてそんな中にいるのは火影直々から下された任務のため。情報が集まりやすいアカデミーにいるのは都合が良いから。 アカデミーの教師になって五年。かぶり続けた仮面を見抜いたものは一人もいなかった。いや、気付いてもいないだろう。なのに。 「はたけカカシか………さすが暗部にいたことはあるな…」 『疲れない?』 あんな言葉をかけられる日が来るとは思わなかった。ぺろりと名残惜しそうにビールの口を舐めて、小さく鼻を鳴らす。 「実力は認めるけど?嫌いなことには変わりない」 人に媚びへつらったり、見下されるのも嫌いだが、会ったその日に偉そうにされるのも嫌いだ。 たかが上忍の癖に。 「……さっさと終わらないかな」 最近ではどんどんアカデミーの仕事が面倒になってきている。 そのせいなのかもしれない。カカシにあんなことを言われても、『上忍に大して失礼だったよな』の一言で終わらせることができなかったのは。 もう…何もかも。どうでも良いと思い始めている。 限界…か。 ふと窓を見ると、ちょうどいち羽の鳥が窓をつつくところだった。 火影からの呼び出し。 良い機会なのかも知れない。 イルカは押入を開け、白い面を取り出した。気持ちを落ち着けるように目を瞑り、すうっと息を吐く。 数分後、イルカは火影の元へと向かっていた。 そろそろだとは感じていた。 彼を見る度に、何かが変かしていると…いや戻ってきている部分があると感じていたから。 それは先日耳にしたカカシとのやり取りからも確信するものになる。 (無理じゃったか…) 煙管から煙を吐き出し、里の頂点にいる火影はこれから来る青年のことを思い浮かべ眉を寄せた。 気付いた時にはもう遅かった。 手を差し伸べた時には、彼の自我はもう完成していて変えることはできなかった。己の任務に忠実で、ただ一つのためだけに忍として生き続ける。そんな彼が痛々しくて、子供を育てるということで何かが変わればと思ったのだが… (五年はお前にとって長かったのか、短かったのか) それでも、あの二人を得たことだけは救いだろう。お陰で彼らを残してはいけぬと無理な戦いを望むことはなくなったのだから。 それで良しとしなければ… 「…来たか」 「お呼びと窺いましたが」 すうっと闇の中から溶けたように出現した忍。暗部の証である面を付けたまま、彼はその場に跪いた。 「うむ。お主に少し手を貸して貰おうと思ってな」 「何か」 「近くで抜け忍の集まりがあることを聞いての。蹴散らして貰おうと思ったのだが」 火影の言葉に忍は無言のまま立ち上がった。 「私が出る「意味」のままにと理解しても?」 「…この里のものもいるようでの」 「…承知致しました」 消えようとした忍がぴくりと顔を上げた。何かに気付いたように、火影へと顔を向ける。 「…火影様」 「実は…この任務に参加させろと言ってくるものがおっての。お前に頼もうと机の上に出して置いたのが悪かったらしい。読まれてしもうた」 「………は?」 何だそれは。 忍は思いも寄らなかった理由に、面の下で困惑していた。だが、それは彼でなくともそう思っただろう。どの忍が勝手に火影の執務室に入り、任務書を読んだ挙げ句にその任務をさせろと言えるというのだ。それがわかったように、火影は心の底から苦笑いを見せた。 「ですが私は…」 「わかっておる。だが、駄目だと言えば奴は勝手に出る。…単独で行かせる訳にはいかぬからの」 「邪魔です」 「…そういうな」 忍は内心苛ついていた。ここでこれ以上自分が否と答えられないことは十分承知している。しているが…火影の考えがわからない。自分の存在を他に知らしめようとする彼の意図が掴めない。 苛つく。 「じゃあ、アンタが引けばいい」 すうっと音もなく部屋に入ってきた声は、火影とのやり取りを聞いていたのだろうそう言い放った。忍が振りかえると、そこには小さな人影。忍と同じ暗部装束を着ている…彼の可愛がっている二人と替わらぬ年頃の少年だった。 (暗部にこんな少年も居るのか) ふぅんと面の下で納得したがすぐに興味は失せる。火影はこちらに来る少年に向かって、黙れと一言述べた。 「クオン。もともとこの任務はこやつが受けるはずの任務であった。しゃしゃり出てきたのはお前の方じゃ。口を慎め」 「最近外に行かせてくれないのが悪いんだろ」 「こやつが良いと言わなければ行かせぬ」 口調は厳しいものの、これではもう少年の意見を半分は聞いていることになる。後は忍次第。それがわかったのか少年は無言になった。 忍の返答を待つ火影の目が頼むと訴えてきた。何も任務まで子供のお守りをさせなくとも良いのに…と、忍は深い溜息をついた。 「…承知致しました」 「すまぬの」 「じゃあとっとと行こうぜ」 許可が出た途端、我が物顔でその場を仕切、すいっと来てしまった少年。もう忍は何も言う気がしなくなっていった。 「…知りませんよ」 「わかった」 この少年が火影にとって特別だと感じた忍はそう忠告する。だが、結局は火影の命令が覆ることはなかった。二人が消えた執務室。やれやれと安堵した火影の元に、別の人物達が顔を出す。 (次から次へと) 「この任務に行ったんですか?無茶しますね〜」 「勝手に見る出ない」 ぴしゃりとカカシの手を叩いたが、そんなことぐらいで怯む彼ではなかった。もう一人現れたアスマは火影の前とあって、それなりの態度は取っているものの、カカシを止める気配はない。 「どんな任務だ?カカシ」 「う〜んと上忍一小隊で確実かな」 「……で?この任務を請け負った人数は?何人なんです?」 「お前らは…本当にクオンのことになると目の色が変わるの…」 二人の視線を受けながら、火影は肩を落とす。 (…まぁ今回は特別とするか) 『知りませんよ』と告げた忍のことが気になる。どうなっても知らない。あの言葉は膨張でもない、真実の一端を述べている。 (それに…クオンの奴がああ言えばあやつは実行するだろう) 何もするなと言ってしまったら。 彼は本当に何もしない。たとえ…クオンが追い詰められたとしても。 「暇そうじゃな。ついでにお前らもこの任務に加えてやろう。追え」 突然の任務に二人は一瞬ぽかんと口を開けた。だが意味を理解すると上忍に相応しい顔になり、この場から消え去る。そんな彼らに火影は任務に赴いた忍の数を告げた。 「二人」 それが彼らに聞えたかはわからない。 黒揚羽(2004.2.2) |