約束だよ。 あの時向けられた笑顔が痛かった。 撫でられた頭が痛かった。 抱きしめられた体が痛かった。 痛い。 痛い。 痛い。 生かされた自分が痛い。 約束に縛られている自分が痛い。 「ぐあっ!!!」 ひゅうんと空気を切る音が響き、それに連なる叫び声。 あっという間に目の前の敵が倒れていく。自分が誰に倒されたのか、全くわからぬまま彼らは地面に倒れ二度と動かないものとなっている。 「これで終わりか」 木立の奥、闇のまた闇に包まれた場所からつまらなそうな声がした。月明かりもない夜は、いつもより彼の存在を覆い隠している。 倒すべき敵の姿がなくなったことを確認し、ようやく姿を見せたのは、白い面を付けた男の姿。 彼の着ている服は木の葉の暗部に連なるもの。彼は面の下からもう興味も失せてしまった敵の姿をただ見下ろしていた。 「…………機嫌悪そうだな」 そんな彼にぼそりとかけられた声。聞こえた声は少年のものなのに、それと共に吐き出された声が妙な大人臭さを出していた。少年は自分を無視し、ただ突っ立っている彼から返答が来ることを諦め、同意を示すように隣に座っている少女へと顔を向ける。 「私何となく予想がつくわ…」 「…つーことは、俺達がへまをやらかしたってことじゃねぇな。まー楽をできるってのはいいけどよ…今日俺らが来た意味ねぇ…」 二人は彼と同じ格好をしているところから、彼らも暗部に属していることがわかる。ただ今日はその装束に相応しい働きを何もしなかったのだが。 「えーと。見学ってことで…どう?」 「すげー十分な理由で」 本来、この任務はこの二人が行い、彼は自分達のサポート役だった筈なのだが。一体何があったのか、集合場所に集まった時から彼は機嫌が悪く、たまには動かないと腕がなまるとか言って、一人で任務を終えてしまったのだ。 二人の脳裏に浮かんだ文字は。 八つ当たり。 ………まぁ自分達にされなかっただけいいのだが、取りあえず少年は少女が知っているらしい理由を聞くために口を開いた。 「で?」 「………今日卒業試験あったでしょ」 「ん?ああ…それがどうしたんだよ」 昼間少年も受けた試験を思い出しながら、少女の続きを促すと、ようやく諦めたのか少女は深い溜息をついて話し始めた。 「私の班の上忍師と顔を合わせて…………思い出したくないわ。はぁ」 「………喧嘩でもしたのか?」 「ふ…喧嘩の方がまだマシよ。狐と狸なんて可愛いわね。蛇とマングース。犬と猿?ともかく…あれは天敵よ」 「はぁ?」 何だよそれはと続けようとした少年の口が止まる。二人がゆっくりと顔を上げれば… 「帰るぞ」 不愉快チャクラ全開の青年が立っていた。二人は同時に頷くと、走り始めた青年を追いかける。 「…あんな先生始めて見たわ。周りも思いっきり引いてたもの」 一体全体何があったのだろう。 少年はそれ以上聞かない方が身の安全だと正しい判断を下したのだった。 うみのイルカは子供達から人気のあるアカデミー教師だった。 大声がうるさい、拳骨が痛いなど、一部子供達が嫌う部分があるものの、彼の人間性を嫌っている子供達は誰もいないほどだった。 それは同僚達も同じで、彼について答える時、大抵の人がいい奴だと言うだろう。 だが。 ある日それが見事に崩れ去った時を、不幸にも目撃してしまった人達がいる。 しぃんと静まりかえった受付所。 手を差し出したままカチンと固まっているイルカや子供達。注目されるのは、この場の雰囲気など気にせず一人いつもの態度を崩さない忍。 顔の半分以上を隠し、斜めにつけている額当て。その風貌から里内でも有名な忍。そして今まで断り続けていたスリーマンセルを始めて受け持った忍。 はたけカカシ。 その名を畏怖や羨望、様々な感情を込めて人は呼ぶ。それほど有名な忍だった彼は。だが。 「…あ…えっとすみません。余計なことでした…」 「そうだね」 ぴしりと再び周りが固まり、イルカも顔を引きつらせる。しかし当のカカシは何事もなかったように唯一見える右目を眠たそうにしていた。 「…………カ…カカシ先生〜もう行こうってばよ」 この場の雰囲気をどうにかしようと、ナルトがくいくいとカカシの袖を引っ張った。元気が取り柄で、いつも騒動を起こすナルトもこのままではまずいと思い至ったに違いない。それにサクラも急いで乗った。 「そ…そうよ!もう報告は終わったんだし!私疲れちゃったわ。ね、サスケ君も早く帰りたいわよね!」 「………ああ、そうだな」 固まる大人達とは裏腹に、子供達だけがこの事態を何とかしようと必死だった。いや、これをどうにかできる大人の方が少ないに違いなく、動けない大人達は逆に子供達にエールを送っていたりする。 「………そうだね〜、じゃ、行こうか」 「うんってばよ!!んじゃ!イルカ先生っ!!」 「お先に失礼します!」 「…」 カカシをせき立てるように子供達は受付所を出ていった。そしてカカシの姿が消えた途端、受付中から安堵の溜息が漏れる。 「…助かったなぁ………イルカ…??」 まだその場から動かないイルカを見て、同僚の一人が声をかけたが…彼の顔を見てぎょっと身を引いた。 「………なぁ、俺変なことを言ったか?」 「い…いや…そうは…なぁ!」 「お…俺に振るなよっ!!無いと思うけど…」 「そうだと…思うぞ…うん」 イルカの顔を見た全員がこくこくと頷く。そうか…と呟いたイルカだったが、その顔は笑っていなくて。 「…だったらさ…子供達をよろしくと言って…『アンタには関係ないでしょ』って言われなくちゃいけないんだ?」 「えっとそれはだな…きっとほら!上忍は気むずかしいからさ!」 「『暇だね』とかさ…」 「始めて子供達を持つから気が高ぶってたとか!」 「『過去は過去でしょ』とかさ…」 どんどん目が据わっていくイルカに、同僚はカカシを弁護することを諦めた。その答えが無言。 「………俺に喧嘩売ってるのか………?」 その後、受付所に訪れた忍達がイルカを見て怯えたことは言うまでもない。 『イルカ先生ーー!俺受かったってばよ!』 『本当か!?やったなぁ!ナルト…あ、すみません上忍師の方ですよね、俺こいつらの担任だったうみのイルカです。こいつらのことよろしく御願いします』 本当にそう思ったから、深々と頭を下げた。 別に上忍の機嫌を取ろうとかそんな思いはなくて、ただ子供達のことを頼みたかったから。それが気に入らない上忍もたまにはいたが、それでもあそこまで言う人はいなかった。 『……アンタに頼まれる覚えはないけど?』 『………え?』 『アンタには関係ないでしょ?それとも担任だった奴はいちいち頭を下げるの?……暇だねぇ』 『あ…いえ、そんなつもりは。ただ俺は…アカデミーのこいつらを見てたので…』 『ああ…俺昔のことはあんまり気にしない質なんで。所詮過去は過去でしょ』 アカデミーを卒業すれば、繋がりは消えるのだと、そう言われた気がした。 子供にとってもう自分は過去の産物しかないのだと。その産物がいちいち口を挟むなと。 「………何様だよ……てめぇ………」 「「………」」 後ろを走る二人がちょっとだけ距離を開けた。少年はげんなり、少女はああ…と絶望したような声を出している。 「当分荒れるぜ」 「付き合わされるこっちの身になってよ…」 しかし彼にそんな声は届かない。 胸の内にふつふつとわき上がったまま、治まる気配のない怒り。後ろにいる二人には悪いが、彼らを気にかけている余裕なんてなかった。 「……「飛ぶ」か」 「「えっ!?」」 呟いた彼の言葉に、二人は驚き彼との距離を一気に詰めた。それでもこちらを見ようとしない彼に、少女が慌てたように言う。 「「飛ぶ」って先生無理よ〜今の時期に!」 「そうっすよ?俺達だって「飛ぶ」のは無理なんだし…」 「俺が任務を受けても可笑しくないだろう」 「だけど私たちが「飛ぶ」時って…」 「じゃないと気が静まらない」 我が儘言わないでよ〜と少女が困ったように呟く。聞く耳持たずの彼に少年は深い溜息をついた。 「火影様も許さないと思いますけど?先生はまだ里にいなきゃいけない筈っすよ」 「………面倒だな」 「任務ですよ」 少年に宥められ、彼はようやくその考えを諦めたようだ。滅多に機嫌を悪くしない彼だが、ひとたび不機嫌になれば宥めるのが非常に難しい。 「……がんばれよ」 「言われると思ったわ」 この中で一番疲労しそうな少女は、明日からのことを思ってげんなりとしていた。 そんな会話が交わされている中、別の場所では。 「……聞いたぞ。何やってるんだ?お前は」 「だって気に入らなかったんだもん。仕方ないでしょ」 「仕方ないって…中忍虐めはやめろ。ったくよ…」 ぷかぁっと煙を吐いたアスマは、隣にいるカカシを横目でちらりと見たが、考えを改める様子はない。 何が彼の気に障ったのだろう。 (お陰で俺も…ああ…めんどくせぇ) 何故彼があんな態度を取ったのか、大方の予想はつくが。あれは幾らなんでも。 「……過保護野郎」 「るさいね」 どうやらいつもより口数が少ないのは、すでに仕置きを喰らったかららしい。味方が必要なのにわざわざ敵を作る。不器用な守り方しかできないカカシに苦笑が漏れる。 「あやまっとけよ」 「それは嫌」 「………てめぇ反省してねぇだろ」 「してるよ?してるけど〜あの中忍は嫌。あの能面を張り付けたような笑顔が嫌い」 「…はぁ?」 どうやらアスマが思っていた理由であんなことを起こしたわけではないらしい。しかし考えて見るも、あの中忍の笑顔に嘘を感じたことはなかったが。 「あいつは憎んでるよ。気付かない?」 誰を。 聞くまでもなく、その人物はわかる…わかるが… 「思い違いじゃねぇのか」 「アスマも気付かないなら、誰もわかんないよねぇ…」 ふんと小さく鼻を鳴らして、屈めていた腰を伸ばす。どうやら待ち人が帰ってきたらしい。 「無事みたいだな」 「当然」 暗闇しかないその先だが、二人には何かが見えているらしい。どこか安堵したような気配が漂う。その中、カカシはアスマに背を向けた。 「会っていかねぇのか?」 「まだ怒ってるだろうしねぇ。今日は大人しくしてるよ」 ふっと消えたカカシ。アスマはそれを見送りながら、カカシが何故そんなふうに思ったのか考え続けていた。 「あいつの勘は当たるからなぁ」 白い煙が闇夜に消えた。 黒揚羽(2004.4.23) |