ここにいるのに


X  Y  Z  


X

び…びっくりした。
カカシにもらったコーヒーを飲みながら、イルカはばくばくと鳴る心臓を押さえ込もうと必死だった。
カカシは何でもないことのように言ったが、イルカが彼の顔を見るのは初めてだったのだ。彼とは何度も酒の席に付き合ってはいたが、そんな時でも覆面を降ろすことはしなかったのに。部屋の奥にあるベットに座り、外を眺める横顔を惜しげもなくさらす姿に、イルカは戸惑うばかり。
にしても。

やっぱり、モテルの…わかるよなぁ…
薄暗い部屋に入るのは窓からのわずかな光。それも、今日のような天候ではわずかとしか言えないのだが、もともと暗闇を駆ける自分達にはそれほど気にするべきものではなかった。それなのに、彼の端整な顔はくっきりとイルカの目に映る。意外と細い顎のラインや…形の良い唇。普段は眠そうにしか見えない目は、陰りを写しているようで…

って!?何見惚れてるんだ!?俺はっ!!!!いくら珍しいものが見れたからって!!!!
と、自分を叱咤するも、目が釘付けになってしまうイルカ。そんなイルカの葛藤に気付いているのか、ふいにカカシが笑い出す。

「何一人で百面相やってるんです?」
「だっ…!!!誰がですかっ!!!」
「青くなったり赤くなったりころころ変わってますよ?」
「えええっ!?」

慌てて顔を抑えるも、こんなに暗くては顔の色までわからないことに気付き、イルカはからかわれた!と憤慨する。

「カカシ先生っ!!!!」
「いや〜素直ですね、イルカ先生は」

ともう一度カカシが笑うと、彼はで?と聞き返してくる。

「俺に用があったから来られたんでしょう?何ですか?」
「あ…えーと…」

何を悩んでいるんですか?
…なんて聞けないよな、アスマ先生じゃあるまいし…
彼と知り合ったのはつい先日。まだ付き合いの浅い自分がぶしつけにそんなことを聞いていいものかと、イルカは言いよどんだ。

だが…

「あー駄目だったわ。悪い。イルカ」

昼間がしがしと己の失敗を認めてやってきたアスマ。自分の一言のせいで、彼に迷惑をかけたことを詫びたイルカだが、アスマは自分もそう思うと言ってきた。

「やっぱ、あいつ変だわ」

だが、これ以上聞いても何も答えないだろう。申し訳なさそうな彼に首を振る。

「…そうですか…」
「ただ、あいつが悩んでいるのは誰かに対してだな。そして…何もできない自分に」
「何もできない…?」
「俺にもそれ以上はわからないな。後は…よろしくな?」



「イルカ先生?」
「え?あっ!すいませんっ!!!!」
「もう寝てしまったのかと思いましたよ。寝不足ですか?」
「ち…違います!!!」

またからかわれてる!
わかっているのに、何故か反応を返してしまう自分。いつもなら…もっと適当にあしらえるのに…
でも、今日のカカシ先生は何だかいつもと違って…覆面をしていないせいもあるのかもしれないけど…調子が狂う…

「あ、もしかしてアスマに言われたこと…ですか?いやですねぇ、先生あんな奴の言うこと…」
「俺、虫除けスプレーじゃないんですけど」
「いやだから…」
「すっかりカカシ先生に騙されましたよ。先生って真面目な顔で白々と嘘をつくそうなんですね。ははははは…」

目が笑ってない。というかイルカの体から、先ほどと同じ怒りのチャクラが感じられる。まずい。
たらりとカカシの背に冷や汗。

「す…すいません…」
「…やっぱりそうなんですね。はぁ」
「や…やっぱりって…嵌めました?イルカ先生…」
「俺としては半々でした。…ということで、例の約束は反故にしましょうね?もちろん良いですよね?」
「…はい」

ここまで言われて他になんと言えようか。
いまだ収まらぬ怒りのチャクラにカカシはひやひやもの。
はぁ。
カカシはまた自分によってくる奴らを払うめんどくささにため息をついた。それを見たイルカが再び怒りだしたようで、カカシは慌てた。だが。

「今日、カカシ先生にお会いしたかったのは、その理由じゃないんです」
「え…?そうなんですか?」

てっきり、自分を嵌めたなとあの大声で怒鳴られるかと思っていたのに。少し拍子抜けしたカカシ。

「俺がこんなことをお聞きするのは厚かましいのですが、先生何か悩みごとでもあるんですか?」
「…は?」

ふいにアスマの言葉を思い出す。

イルカがお前を心配していた。

…そのためにここに来たのかこの人は?

「おせっかいなのはわかっていますが…その気になってしまって…こ…子供達も心配してますし!!!」

子供…ナルト達も気付いてた…?いや…気付くほど…俺は態度に出ていたのか…?

「すっすいません!!!余計なことでした!!!!」

呆然としていたカカシをどう思ったのか、イルカが再び謝ってくる。それを静かに見下ろして、カカシは小さくため息をついた。
しばらく無言の時が流れる。それがじりじりとイルカの無礼さを責められているようで…

「イルカ先生は、嫌いと言われた人をずっと好きでいられますか?」
「え?」
「…大嫌いともう二度と顔も見たくないと言われた人を好きでいられますか?」

突然の質問に、イルカは戸惑う。だが、これがカカシの悩みの原因だと察したイルカは頷いた。

「はい。俺は…嫌いと言われても自分が好きだと思ったら好きであり続けます。傍にいられなくても、近くにいられなくても、絶対に変わらないでしょう」
「…では、その好きな人が…窮地に陥った時どうします?」
「窮地に…?」
「とても危険な状態で自分の助けが必要なのにその人は俺の助けを拒む。そして…俺も助けにいけない理由がある時は?」
「…俺は助けたいと思ったら、何がなんでも助けます。そのせいで余計嫌われても二度と会えなくても…その人を失うよりは良いと思いますから…ですが、助けにいけない理由とおっしゃいましたね。それはどういう場合を言うのですか?」
「………」
「カカシ先生?」
「すいません。こんなこと言って。変ですね俺」
「カカシ先生!」

何故だかカカシは話を終わらせようとしていた。だが、イルカはそれを許さない。ここまで聞いて…という気持ちもあるのだが、ここで引いたら絶対カカシは二度とこの話をしない。そして、その苦しい心に蓋を閉めてしまうのを感じたから。

「カカシ先生!!!」

黙れとうるさいと言われても、ここで引いたら駄目だと思った。イルカは立ち上がりカカシに一歩近づく。

「…昔、とても俺になついていた兄妹がいたんですよ」
「え…?」
「聞いてくれるんでしょ?先生」

顔を背けたままカカシは話しはじめた。

「ガキの任務の時に知り合ったんですが。何をどうしたのか俺のことを気に入って、結構付き合いが続いていたんですよ。と言っても手紙を出すぐらいですが。…ですが、ある日偶然彼らに会いましてね。俺は任務中で内容は要人の暗殺。ま、それは無事に終わりましたよ。ですが…気付いたみたいなんですよね。それ俺がしたってこと」

(2003.5.15)



Y

突然会いたいと手紙が来て。
自分も久しぶりだったし会いにいってみようと思った。

…それが間違いだったのだけど


「その要人は彼らが慕っていた相手だったらしく、面を合わせた相々それが俺の仕業なのか問いただして来ましたよ。俺の方は久しぶりに成長した彼らを見て喜んだのにね。お前の仕業だろう!お前がやったんだろうと」
「………」
「あ、無論そんなこと認めはしませんよ。任務内容なんて漏らせませんし、知らぬぞんぜぬを通したんですが…彼は自分の考えが間違っているとは思っていなかった…否定して欲しかったのかも、それを実際に会うことで感じたかったのかも…でも俺と会って核心したのはきっとそれが真実だったということ」


二度と…二度とお前の顔なんて見たくない!!!!
俺の大事な人を奪ったお前なんて…お前なんて大嫌いだ!!!!!


「そう言われて、ぱったりと手紙も途切れて…ああ、完全に終わったんだと思ってました。思おうとしてました」
「カカシ先生…」
「でもそれに結構堪えていたんですよ。しばらく…でも時が経つにつれて忘れてましたが」

はははと笑うカカシの声を聞いて、それは嘘だとイルカは思った。

カカシ先生は…そのことにずっと傷ついていた…
彼がずっと連絡を取っていたと言うぐらいだ。彼らに対して相当心を砕いていたのだろう。だけど彼らはカカシを否定した。忍は任務を断ることなどできない。彼はそれに従い、相手を消し去っただけのこと…だが…彼らはそれを認めることができなかった。
相手が親しかったせいもあるかもしれないが、人を殺したカカシをこれまでと同じように見ることができなくなった。忍のカカシを受け入れることができなかった。

「なのに…この間こんなものが届いたんです」

すとんとイルカの前に一枚の紙が落ちる。読んでもいいということなのだろうと、それを拾い上げたイルカ。そして息を飲む。


兄が重傷を負いました…毎日毎日命を狙われる日々が続いています…どうか…兄を助けて下さい…


「カカシ先生…」
「二人は火の国でも地位の高い家の子供でね。父親が死んで兄が継いだらしんですが、この機会に彼らを追い落とそうとする勢力が一気に膨れ上がっているらしんですよ。つねに失敗を監視する目と彼自身の命を奪おうとする力。精神的疲労も重なってか、油断した隙にばっさりと…」
「カカシ先生」
「…家来や用心棒もかなりやられてしまったようで、今そこの家の警備はぎりぎりどころか一気に攻められたら、容易く落ちるだろうと思われてるほど…切羽詰ってるんですよ。でも、彼らを助けようとする勢力は邪魔されて容易に動けない。彼らを助けるにも時間がかかる…」
「…その家は火の国でも地位が高いと申されましたね?ならば忍を雇う財力も伝手もあるでしょう。何故依頼をしないのですか?」
「そりゃ、俺のせいでしょ」
「あ…」
「大事な人を殺した忍なんかに助けは絶対に求めない――家臣に何度懇願されても首を縦に振らなかったようですから」

乾いた笑い。
…そこまで。そこまで嫌われているのかと。再び蘇るいくつもの刃。
上の立場にたつものならば、綺麗事だけでは世を渡っていけないと知っているはずなのに。父親に代わって政務を行っていたのなら十分理解していること。だが、彼は忍だけは認められなかったのだ。
大事な人を殺した。そしてそれをしたのが同じく大事な人だったから。余計に。

「でも…手紙を出してきた…」
「彼の妹からですよ。家臣に懇願されたんじゃないんですかね〜あの子も何を好んで俺なんかに手紙を出してきたんだか。それならいっそ里に依頼すればいいのに」
「…それは違うんじゃないですか?」

イルカはもう一度手紙を読み返し、小さく頷く。

「彼女はカカシ先生に助けてもらいたかったんですよ。他の忍ではなく…カカシ先生に」

真っ白な質の良い和紙に書かれた丁寧な手紙。一つ一つ、ゆっくりと思いをかけて書いたとわかる。
あのような別れをしてしまったことに対しての苦しむ心と詫びの気持ち。そして、まだカカシを慕っていると、胸の内を明かしていた。
その上で願っている。
勝手な願いだとそれでも助けてもらいたいと。他の誰でもなく…カカシに。誰よりも信頼している人に。

「…でもね?イルカ先生。依頼もないのに忍は勝手に動けませんよ?わかってるでしょう?忍は道具。この手一つ一つは俺のものであって俺のものではない。里に…利益がないことはしちゃいけないんですよ」

ね?と笑うカカシを見て、イルカは一気に頭に血が上った。そして、それと同じ早さで冷静になった。

「…それはずいぶんとカカシ先生らしくないお言葉ですね」
「俺らしくない…ですか?」
「ええ。そうでしょう?だって貴方言い寄ってくる人を追い払うために、あることないことでっち上げて俺を騙したじゃないですか?覚えがないとは言わせませんよ」

あれだけしつこく付きまとって、作り話をしてまで俺に首を縦に振らせた貴方が。里に利益がないことはできないだと…?笑わせてくれる。

「カカシ先生貴方はね…」
貴方がその気になれば、その兄妹を救う方法など簡単に作れるはず。裏から手を廻せば、そんなことはあっと言う間にできるでしょう?

「怖いんですよ」
なのにそれをしないのは。

「カカシ先生は…勝手なことをした自分がまた嫌われることが怖いんですよ」
再び突きつけられる現実から。

「逃げてるんですよ」
逃げたいだけなんだ。


「違いますか?」


ブワッ!!!!!

まるで突風が部屋を襲ったようだった。いや、その中に居続けているようだった。
すぱりと風の刃で体を斬りつけられているよう。

それはカカシの殺気。

イルカはがくがくと震えそうになる足を必死で押さえつけ、歯を食いしばりながら、見た目には静かなカカシを見返した。
それはわずか5分にも満たない時間。だが、イルカにはそれが何時間もに思えた。

「…言ってくれますねぇ?先生」

ふっと空気が軽くなる。イルカは座り込みたい気持ちを抑えながら、それでも目を反らさなかった。
カカシはベットの上から立ち上がり、イルカに近づいていく。

上忍に無礼な態度を取ったと、クナイで斬りつけられても文句は言えない。
イルカは拳を握りしめながらも、目はカカシの行動を追っていた。
カカシの手が上がり、イルカの首へ…

「…そこまで言うなら、協力してくれますよね?先生」
「え?」
「まさか俺にここまで言って置いて、後は勝手にどうぞなーんて言いませんよね?」

ぽんとカカシの手がイルカの肩を叩く。カカシはそのままイルカの横を通り、もう一杯コーヒーを入れに行った。

な…なんだ…
ふはぁぁぁ…と安堵のため息をついて、イルカはへたりこんだ。もしかしたら殺されるかもしれないと思っていたので、一気に気が抜けたのだ。

「どうしたんですか?イルカ先生」
「い…いえ…」
「なんか腰が抜けてる見たいですけど?」
「な…なんでもないって言っています!!!」

顔を真っ赤にしてどなるイルカの背後から、くすくすと笑い声が聞こえる。

この野郎…
とは思っても、実際その通りだから仕方がない。言い返せず口ごもるイルカは不機嫌そうに口を結ぶことで、それを肯定した。

「そんなに怒らないで下さいよ。コーヒー入れて上げますから」
「…結構です」
「そんなに膨れないで」

何だかいつもと反対の立場だ。イルカは差し出されたコーヒーをしぶしぶ受け取とる。もう真っ暗になってしまった部屋に、カカシは電気をつけた。
ぱちりと一瞬光で目が眩んだが、イルカの目はすぐその光になれた。イルカの隣に座り込んだカカシを見れば、いつものように覆面と額あてを付けていて表情を確認することはできない。だが、彼が何だか楽しそうなのは気配から感じ取った。

「で?どうするんですか?先生」
「…カカシ先生。何故そんなに楽しそうなんですか?第一俺が考えるよりも…」
「いやぁ。ほら、俺が考えるとまた逃げようとするかもしれないじゃないですか。だからイルカ先生が考える方がいいんですよ」

いけいけしゃあしゃあと言うカカシに、イルカはあきれた。だが、今ここにいるカカシはいつもの彼だ。どこかに心を飛ばし、気薄だったカカシではない…

きちんと俺の存在を見てくれている彼だ。

「仕方ないですね…じゃあ詳しいことお聞きしてよろしいですか?」

…自分の声が弾んでいる気がするのは何故だろう?

(2003.5.19)

Z

トントントン…
カカシの部屋から景気のいい包丁の音が響く。だが、それを握っているのは、部屋の主ではなく、黒髪を頭のてっぺんで一つに結んでいる、アカデミーの教師イルカだった。

…俺何やっているんだろう…

「イルカ先生こっちは用意できましたから〜」
「あっ!はい!!!今行きます!!」

刻んだネギを小鉢に入れて、包丁とまな板を水でさっと洗い流す。そして、カカシが待っているテーブルの上にはイルカが作り上げた夕食が並んでいた。

「それでは、いただきます!」

ぱくぱくと食べ始める上忍を、イルカは長いため息をついて見ていた。

何故か話の前に夕食を食べようということになり、外に食べに行くより作ってしまおうということになった。食事が終わればすぐ話に入れる利点もあったが、疑問はその夕食を何故イルカが作るかと言うことだ。
カカシ曰く、自分は料理が下手だから。
しかし、何でも器用にできるカカシに限ってそれはないだろう。おおかためんどくさいに違いないとイルカは当たりをつけていたが、これまでの自分の非礼さを詫びる意味も込めて、しぶしぶそれを承諾したのだった。

「へぇ、イルカ先生。料理うまいんですねぇ」
「そんなことないですよ。これぐらい誰にでもできますよ」
「そんなことないですよ?」

しぶしぶ作ったが、誉められると悪い気はしない。少し顔を赤らめながら、イルカも自分の腹に料理を詰めていく。
何だかいつもよりカカシが身近にいることを感じながら、食事の一時は終わりを告げた。



「その兄妹は華の宮家なんですよ」
「華の宮家?!それって火の国でもかなり身分の高い大名の所じゃないですか」
「そうなんですよ〜だから余計こんなことになるんですけど、簡単に背景を説明すれば、火の国には今保守派と改革派がせめぎ合っている状態で、華の宮家は保守派に入っているんですよね。改革派は文字通り、火の国を色々変えようとしている一派です。まぁ、色々古くさいことや不必要なことを排除しようとする目的を掲げているのは俺としても賛成ですけど、だからと言って、保守派がそれらに拘っているわけではない。彼らはあまりに早く火の国を変えようとする彼らに歯止めをかけようとしていると言った方がいいですかね」
「歯止めですか」
「ええ。彼らの理念は理解できますが、それがあまりにも急すぎるんですよ。一つのことを変えれば、必ずそれに連なる様々な問題がでてきます。それらも解決して始めて新しい国への一歩となるのに、改革派はそれもせずただ変えようとしているだけ。保守派はそれを懸念しているんです」
「そうですね、あまりに変えすぎると人々もついていけない。そうすれば国の混乱の元です」
「ええ。ですが、改革派はそれを理解しようとしない…その一派は若い者、そして今の身分に不満を持っている輩が多い…まぁそう言えばわかるでしょうが」
「早い話自分たちがのし上がって行きたい所が大きいのでしょうね」
「その通り。だからこそ世代交代した華の宮家を最初は取り込もうとしたがそれはできなかった…」
「で暗殺ですか…嫌な展開ですね」
「まぁ。権力はそういうものですから」

くいっと酒を一口含み、カカシはイルカに酒を注いだ。秘蔵の酒ですと言って出してきた少し甘めの酒はイルカに口に合い、際限なく飲みそうで少し怖い。

「兄がいなくなれば、妹が家を継ぐ。そうすれば自分たちが入り込む隙があるかも知れないと思っているのかもしれませんね」
「政略結婚ですか」
「ええ。でも保守派の大名が黙っていないでしょうがね。だからこそ、普通ならばこんな事態になる前に、彼らが手を貸してくれるのでしょうが…そんな余裕が今はない」
「何か理由が?」
「先日保守派の大名が一人捕まりました。容疑が麻薬でね。それに複数の大名が関わっていると言われているんです。無論、捕まった大名は否定してますが。そのせいで、保守派の大名達は監視の目が厳しく用意に動けないんですよ。怪しい動きをすればすぐ疑われる。そんな悪い時期にこんなことに。全くついてないというか…」
「目論見通りになってしまったか…ですか」
「その通りです。イルカ先生」

にこりとカカシの右目が笑う。
いくら政治を知らないとはいえ、裏の裏を読み動く忍ならば、その背景に隠された陰謀が見えてくる。華の宮家の力を削ぐために改革派がしかけた罠。
わかっていることとは言え、イルカは眉が寄るのを止められなかった。それに気づいたカカシが小さく笑う。

「背景はおぼろげながら理解しました。今の状況はどうなんですか?」
「手紙に書いていた通り、兄…名前は柳って言うんですが、彼がどこかに出かけた帰りに襲われ、重傷。その時、供をしていた家臣と用心棒の大半が殺られたようです。新たな人を雇いたくても、噂が出てるのか妨害されているのか思うように行ってないらしいですね。…この辺りで忍など出てくれば、簡単に落ちるんではないでしょうか?」
「…わかりました」

すくりと立ち上がったイルカ。見上げるカカシににこりと笑みを見せ、力強く頷く。踵を返したイルカにカカシが声をかけると彼は大丈夫ですと言ってくる。

「カカシ先生。必ずその兄妹を救いましょう」

何の保証もないのに、そう確約するイルカにしばし呆然としていると、イルカは一礼して部屋を去っていった。残されたカカシは遠ざかるイルカの気配にくすくすと笑い出す。

「お手並み拝見ですね」

こんな状況だと言うのに、何故かカカシは非常に楽しかった。



「…で?わしに何をして欲しいのじゃ?お前は」

目の前にいるイルカに問いかけて、火影はふーーっと煙管の煙を吐き出した。カカシが最近おかしいのは火影の耳にも入っていた。だが、自分がいくら聞いてもあの男は絶対に口を割らない。そう思っていたのに、その原因がイルカから説明されて少し胸をなで下ろしたものの、これから願われるであろう言葉に少しは予想がついた。

「…最近火の国がごたごたしてるのはワシも気にしておった。じゃが、我々と政治は別のもの。介入することは許されんぞ」
「別に介入をお願いしているわけではありません。ですが、ある方と連絡を取る許可を頂きたいのですが」
「草野の隠居か」
「ええ。あの方なら手を貸していただけるかと…」

引退はしたものの、まだ火の国の政治に多大な影響力を持つ隠居。一見、のどかな隠居生活を送っているように見えても、彼の持つ情報網は火の国すべてに及んでいると言われている。

「何を望むのじゃ」
「火の国が揺れている状況になっても、あの方は手出ししないでしょう。ですが、意は汲んでいただけるはずです。華の宮家を救うために、忍を雇う大名が一つぐらいはあるでしょう?」
「ふむ?それで?」
「華の宮家の窮地を心配された大名が、密かに忍を雇って護衛をした…忍の手を借りたくないと申されても、他の方の好意を無下にはできないと思われますが」
「…まぁ。我々が積極的に動いたとわからなければ良いが…イルカ。珍しいの」
「…カカシ先生が早く元に戻って頂かないと、困るんですよ。ナルトも心配してますし…」
「…まぁ良い。好きなようにせい」
「ありがとうございます」

ぺこりと頭を下げて去っていくイルカの背を見ながら、火影は小さなうなり声を上げる。

…それだけかの?
その問いに答える声はなかった。



ぶるり。
彼女は寒気を感じて、書き物をしていた机から顔を上げた。しとしとと外から聞こえる音に窓を開ければ、まだ冷たそうな雨が庭を濡らし始めている。

雨…
ふうっと小さな唇からため息を洩らし、彼女は立ち上がった。

「水螺様」
「兄上様の所へ参ります」
「…はい」

外で控えていた力のない家臣の声に反発するように、水螺と呼ばれた20歳前後の女性は、毅然と顔を上げ廊下に出た。
薄暗い廊下を歩いていると、よけいに気が滅入ってくる。いや、この廊下だけではない。この屋敷全体が今こんな状態だ。それもみな…主が床についているせいだろう。
兄、柳が暴漢共に襲われてからすでに一週間。生死の境を彷徨っているというのに、自分には何もできない。彼とともに、長年華の宮家に使えてくれていた家臣も沢山死んだ。どうしてこんなことに…と嘆きたいが、妹である自分まで悲痛にくれていたら、家臣達はますます自分たちの不甲斐なさを責めるに違いない。…主君を守れなかったという…
政治の世界のことは良く知らないが、父が死んでからこの家が微妙な位置にあることは感じていた。火の国を少しづつ変えようとする保守派と急激な変化を望む改革派。とあるごとに対立する二派だが、兄は父の志を継いでこの国を見守っていくことを選んでいた。どちらがいいか、悪いかなどはわからない。ただ、この国に住む人々が平和に暮らせればいいと思う…だが、権力という力を持つ者達はそれを忘れる。だからこんなことが起こるのだ…

「水螺様」
「ご苦労様です」

柳付きの医者にねぎらいの言葉をかけ、目で様態を聞くも、彼は首を横に振るだけだ。熱が出ているせいなのだろうか、顔は赤く

苦しげな声がとぎれることはない。胸から腹にかけ、刀で切られた柳は、いつ死んでもおかしくない状態だ。傍にあった手ぬぐいを水に浸し、汗を拭いてやる。

「兄上様…」

彼の苦悶の表情に涙が出そうになった。だが、泣くことは許されない。いや、泣いてもどうにもならないことを水螺は知っているから。…母が亡くなった時もそうだった。泣いても泣いても戻ってこない。死んだ人は帰らない。
ぎゅっと拳を握り、柳を見つめ続ける。ただ、彼の生命力…生きようとする力に望みをかけるだけ。

「水螺様」
「どうしたの?家老」
「はっ…今朝、また…」

言葉を濁す彼に眉よよせ、水螺は柳の元を離れる。

「また刺客がきたのね」
「はい。なんとか撃退はしておりますが…このままでは…」
「腕に覚えのあるものは集まらないの?」
「今の華の宮家の状況を知っているものが多く、思うように集まりません。金を積めばそれなりには出るでしょうが、身元調べもせず雇えばこちらの懐に敵を誘い込むおそれもあるため…それもできず」
「そう…」
「水螺様…」
「それ以上は言わないで。わかっているわ」

そう、わかっている。次に彼の言う言葉を。だが、それはできない…それは兄の絶対的な命令があるから。

忍を雇うことはできない。

しかし、もう華の宮家はぎりぎりの状態だ。屋敷を守る人も彼らの精神力も。兄の命令を無視してやるしかないのだろうか…。それで兄妹の絆を断ちきられても。

だが、自分はもうすでにそれに近いことをやっている…
届いただろうか。
勝手な話だとは思う、だけどもう自分にはどうすればいいのかわからなかった。誰にも泣き言も言えない立場で思いついたのは彼だけ…。もう一人の兄と慕うあの人…だけ。
傷ついたあの目が忘れられない。去っていく兄の背を見ていたあの人の顔が。
ごめんなさいと言うこともできなかった自分。知っていた忍という仕事を否定した自分。

何度も何度も筆を取ろうとしたけれど、それをする資格が自分にあるのかわからなくて、結局はできなかった…臆病な自分…

ごめんなさい…

それでも、願わずにはいられないのだ、助けてくれと。信頼の絆を断ち切ったのは自分たちだけど。

カカシ兄さん…

そう願わずには。

(2003.5.24)