T
…一枚の薄っぺらい紙が、頭から離れない。
破り捨てようとした手を何度も何度も止めて、震えそうになる手を止めて。 たかが、この。 風が吹けば簡単に消える、水に濡れれば簡単に溶けてしまうような、こんな紙が。
こんな紙が、今自分を追いつめる…
…最近カカシ先生が変だ。
イルカがそう思ったのは今日が始めてではない。最初にそう思ったのは…一週間ぐらい前だっだろうか。 受付所で報告書を持ってきた時、妙に彼がぼーーっとしているなと思った。
疲れてるんだろう、毎日毎日あいつらのお守をしているんじゃな。 そう思って気にも留めていなかったが、だが、いつものように誘われた酒の席でもぼーーっとしている。 いつも自分の話に愛想よく相槌を打ってくれるから気づかなかったけど、ふと話を止めて彼を見上げれば、いつも眠そうな右目がもっと眠そうで。 ぼんやりと『心ここにあらず』。
「カカシ先生…?」 「…はい?どうしました?イルカ先生?」
にこりと右目が笑うけれど、カカシ先生の手元の酒は減っていないし、料理の前に置かれている箸は割られてさえいなかった。まぁ、普段から彼が口に物を運ぶのをあまり見ているわけではない(何しろ覆面をしているから。彼は上忍らしい速さで、料理を口に運ぶといつも覆面を戻していたので素顔というものを見たことはない)。
「疲れてるんですか?今日はもう帰りましょうか?」 「いえ?大丈夫ですよ」 「でも…」
そう俺が言っても、カカシ先生は大丈夫だと言って、手元にある酒にようやく気づいたように手を動かし始めた。
そんなのが何回か続いたら、俺でなくとも気になるだろう?
「どうした?憂鬱な顔して?先生」 「あ、アスマ先生ご苦労様です。受付ですか?」 「おう、ようやくガキ共から開放されたぜ」
口は悪いが、彼が自分の受け持ちの下忍達のことをとても気にかけているのを知っているので、イルカは彼の言葉に苦笑を返す。自分より背が高く大柄で男らしい。そのどうどうとした体から発する気は紛れもなく上忍に相応しい。
「で?どうしたんだ?」
そして結構気を使う。めんどくさいと呟くも、彼のめんどうみの良さから、彼を慕っている中忍や下忍も多いらしい。無論、イルカもその一人だが。
「めんどくさいガキでもいるのか?」 「いえ、そういうわけでもないんですが…子供が教師をキリキリさせるのはいつものことですし」 「んじゃどうした?いかにも悩みがありますって顔をしていたぜ?」 「えっ…そっ、そんなに顔に出てました?うわっ…最悪」
アスマはにやりと笑って、タバコを取り出したが、それをイルカがじっ―――っと見ているのに気づいてやめた。
「…ここは禁煙だったな」 「思い出していただけて感謝します」
にこりと笑うイルカに苦笑して、アスマは歩き始めた。
「んで?先生は何を気にしてるんだ?」 「はぁ…まぁ個人的なことなのですが…」 「個人的…って言うとカカシのことか?」 「えっ!?」 「図星ってとこか。鬱陶しい、うるさい、わがまま、疲れるってか?あいつに振り回されたら寿命が縮むだけだぞ?早めに手を打っていい加減、あいつの頼みから開放されるんだな」 「開放…って、アスマ先生…!!!」 「おう、知ってるぜ?あいつがアンタを虫除けに使ってるってことはな」 「む…虫除け…で、ですが…」 「あいつに何て言われて丸め込まれたか知らねーが、あいつは自分の望むとおりにことを運ぶためならなんとでも言うからな」 「…そ、そうなんですか?」 「おう。あいつが神妙に話を始めたら対外『嘘』だからな。思い当たる節は?」 「……ありますね」
誰かを本気で好きになるために。 さめざめと頭を下げてまで言わなかったか?あの上忍は…!!! だまされたことに、ふつふつと怒りを沸き起こさせるイルカにやっぱりとアスマはため息。 何でばらしたと喚かれるかもしれないが、この人の良い中忍を都合よく使っているのを見せられるのは、珍しく良心が痛むのだから仕方が無い。
…めんどくせぇ…ガイの奴にでも相手させとくか それがいいと一人納得していたアスマだが、まだイルカの表情が冴えないのをいぶかしむ。 …?彼はカカシに悩まされてあんな顔をしていたのではないのか?
「イルカ…」 「アスマ先生。最近カカシ先生変じゃないですか?」 「…は?」
いきなり何を言うのかと、イルカの言葉を疑うが彼の目は本気だった。本気で…カカシを心配していた。
…おいおい…これだから、カカシに付け込まれるんだぜ?
「私の気のせいかもしれませんが…カカシ先生最近ずっと、ぼーーっとしていて…心がここにないような…」 「あいつがぼっ――っとしてるのはいつもだぜ?」 「それはそうなんですが…いつものとは違うというか…」 「…イルカ…」
それはそうだと肯定していいのか? 苦笑するアスマだが、イルカに言われた言葉に考え込む。 そういえば、いつもよりあいつはどっかを見ていることが多い…だが、話し掛けられれば受け答えするし、大して気にも留めていなかった。それを…イルカは気づいたのか?
「よくわからねぇが…一応頭には止めて置く。それでいいか?」 「あ、はい。すいません。あ!私は職員室に行きますので…」
頭を下げて走り去るイルカを見送り、アスマは考え込む。
心ここにあらず…か。 何に対しても執着しないカカシ。気にも止めないカカシ。 そんなあいつが心ここにあらずという状況を作るだろうか?
…まさかアレに関係してるんじゃねぇだろうな。 この間の任務のことを思い出しながら、ちっと小さく舌打ちしたアスマは、取り合えず報告書を出すために受付所へ向ったのだった。
(2003.5.2)
U
はらはらと花びらが散り落ちる。 もう桜の季節は終わり、夏の暑い時期へと進むために。
落ちる。 落ちる。 落ちて…ゆく…
「カカシ先生!終わったってばよ!!!」 「んー?ああ、ご苦労さん」
泥だらけでこちらに向ってくるナルトに頷き返し、カカシは今日の任務、川のゴミ拾いを完了させた第七班に終了の声をかけた。 ふーーっとサクラとサスケが息を吐く。ずっと川の中に入っていたので手足が冷たくなっているのだろう、しきりにタオルで擦っていた。
「…お前は大丈夫なの?」 「何がだってばよ!?」
きょとんとこちらを見返すナルトにカカシは苦笑するしかない。
元気が有り余っているのかね。 にこにこ笑っているカカシに、意味もわからず笑い返しているナルト。そんな子供が可笑しくて、カカシはナルトの頭をくしゃりと撫でた。
「あーー!もうぴりぴりするっ!」
夏に向っているとは言え、まだ川の水は冷たい。一応そのことを考慮して、何度か休憩をいれたが、手足の冷えはまだ治まっていないのだろう。サクラがぶつぶつと文句を言っている。
「んーーじゃあ、何か暖かいもの食べて帰るか?おごるぞ〜」 「えっ!?本当ってばよ!!!俺、俺ラーメンが良いってば!!!」 「またナルト!ラーメンばっかり言ってるんじゃないわよっ!!!…でも今日ぐらいはそれに賛成かしら?ね?サスケ君!」 「…ああ」
口には出さないものの、サスケも体を温めたいと思っていたのだろう。いつもはすぐに帰る彼が素直に頷いた。
「んじゃ!一楽決定ーー!!!」 「はいはい。わかったから、お前は少し静かにね」 「そうよ!騒ぎすぎ!!ナルト!!!」 「…ごめんてば、サクラちゃん…」 「ウスラトンカチ…」 「んだとっ!?サスケっ!!!」
どうやら静かに帰るということは無理らしい。 やれやれと肩を竦めるカカシの前に、最後の花びらなのか、よしかかっていた木の上から落ちてきた。
はらりと…
「…先生…カカシ先生ってば!!!」 「んーああ、何だ?ナルト」 「…ナルトじゃないってばよ…どうしたんだよ?先生…」 「?何が?」 「何がって…」 「そうですよ。先生。声をかけても全然反応しなくて…」 「あーそうか、すまん」
何かいつもと違うカカシに3人は顔を見合わせる。心配そうに見てくる三対の目に優しく笑いかけて、カカシは歩き出した。
「ほら、ラーメン食べに行くぞ〜」 「俺っ!俺ってば味噌ね!!!」 「だからうるさいって言ってるでしょ!ナルト!!!」 「……」
後ろから聞こえる声に小さく笑いながら、カカシは一楽へと彼らを導いて行くのだった。
忍は道具。 任務を果たすために生きている。 そこには意思も心も関係なく、ただ与えられたものをこなすだけ。
それは十分わかっっている。わかっているのだ。そんなことは。 だが…
たった…たったこの紙切れ一枚に。動揺する自分。 何もできない、どんなに一流の腕を持っていても。
…何もできない…
何も…してやれない。
何も…してやれない…
「おう、カカシ」 「?あれ、アスマ」
教え子達にラーメンを奢った後、一人報告書を出しに来たカカシは、受付所のベンチにいた顔見知りに首を傾げた。
「何?」 「結構です。お疲れ様でした。はたけ上忍」 「え?ああ」
受付の中忍に受理され手元から消えた報告書に頷き返し、カカシは自分を呼んだアスマのもとへのっそりと歩いて行く。
「何か用?」 「ん、今日暇か?暇だろ、付き合え」 「…なら聞くなよ…」
何が何でも付き合わせるぞという彼の言葉にため息をつき、しびしぶ了承するカカシ。
「もういいんだろ?行こうぜ」 「えー?今からぁ?まだ4時だろ…」 「ほう?お前に時間を気にする神経があるとは思わなかったな」 「うるさいね。わかったよ…」 「あら、もう終わったの」 「紅」 「よう、そっちも終わったのか」
二人と同じく、今年新人下忍の上忍となった美女がそうよと形のいい唇を動かす。
「飲みに行くの?私も混ぜてよ」 「お前もーー?」 「いいじゃん別に。ま、先に行ってるから」 「いつものところね」
ひらひらと手を振って受付をしている中忍の元へ向かう紅を見送り、カカシはアスマを振り返る。
「何?紅がいるとまずいわけ?」 「いや…そうじゃねぇがよ。ま、いいか」
ぼりぼりと頭をかきながら歩き始めるアスマに、わけがわからなくてカカシは首を傾げた。そのアスマが「あ」と呟きの声を漏らす。
「よう。イルカ」 「あ、アスマ先生…カカシ先生」
いくつもの書類の束を抱えたイルカが職員室から出てきた。イルカはアスマの後ろにいるカカシに向かってお疲れ様ですと、頭を下げる。
「急がしそうですね。先生」 「ええ、そうなんですよ。いきなり明日までに仕上げないといけない仕事ができて…これから残業なんです」
イルカが職員室を振り返れば、そこ辺りから残業への恨みの声がいくつも響いている。
「俺たちは今から飲みに行くんだが…終わったら来いというのは無理そうだな。ま、がんばれよ」 「ええ。申し訳ありませんが、ありがとうございます」
頭を下げたイルカは、一瞬アスマと目を合わせた。カカシはふわぁと欠伸をしていたので気付かなかったようだが…
「それじゃな、行くぞカカシ」 「ん〜はいはいと。イルカ先生またね」 「はい」
去って行く二人の上忍を見送り、イルカはこうしては居られないと、急いで書庫へ向かったのだった。
(2003.5.3)
V
「ふーやっぱこれがないと一日が終わったとは言えねぇな」 「んー、そうだねぇ」
始めは乗り気でなかったカカシも、いざ店にくるとそうでもなくなったらしい。酒の進み具合も好調のようだ。 アスマとカカシの付き合いは長い。上忍になる前からの知り合いなので、静かに酒を飲む沈黙も彼らにとっては心地よいひと時。カカシがいつもしている覆面を、降ろしたままにしていることが、アスマへの信頼の高さを示していると言えるだろう。
「で?何の用なのさ」
ただ、飲みに誘ったわけではないだろう。眠そうなカカシの目に、アスマはまぁなと呟き、ひじきのつまみを口に入れた。
「イルカに言った」 「……は?」
唐突に、しかも予想もしてなかったセリフに、カカシはぽかんと口を開けて固まった。そして、その意味を理解すると何っ!?と詰め寄る。
「言ったって、お前っ!!!まさかっ!!!」 「おお。カカシは虫除けにイルカを使ってますってな。目的のためなら嘘も平気でつきますよってな。怒ってたぜぇ、顔真っ赤にしてな」 「何で!?余計なこと言ったんだよ!!!」 「決まってるだろう。馬鹿な奴に利用されている姿があまりにも哀れでなぁ…」 「馬鹿って俺のことか!?」 「それ以外誰がいる。つーことで報告終わり」 「終わりじゃねぇだろうがっ!!!この野郎!!!」 「へっ、自分に纏わり着く蝿ぐらい自分で払えよ」
ぷか〜とタバコを吸うアスマに殺気を込めて睨んだが、ふと冷静になる。
「…?でも、さっき会った時そんな様子見えなかったぞ?」
普通に声もかけてきたしと言うカカシに、そうなんだよなぁとアスマは言う。
「人が良すぎるんだよな。全くよ…」 「?何だよそれ?」
やれやれとため息をつき、アスマはじっとカカシを見返した。
「心配してたぞ」 「は?何を?誰が?」 「お前を」 「は?俺?」 「イルカが」 「……はぁぁ???」
それは一体どいうことなんでしょうとカカシが言うが、アスマは知るかと一蹴してしまう。それじゃあ、何もわからないかと憮然とすれば、アスマが探るような目つきでこちらを見てくる。
「…何」 「”心ここにあらず”」 「え…?」 「イルカが言っていた言葉だよ」 「………」
黙り込んでしまったカカシに、アスマはイルカの言っていたことが真実だったと確信した。 何か、何かを。 カカシは…何かを悩んでいる。
「カカシ…」 「アスマ」 「んあ?」 「お前さ…人に大嫌いだって言われたことある?」 「…ねぇよ。幸にも。だが、誰からも好かれる奴なんて居ねぇだろう」 「だけどさ、自分がそいつのことを好きだったら?」 「…あ?」 「好きだったら…どうする?」
自分に目を合わせないようにしているが、彼が真剣に話していることだけはわかった。だから、普段はちゃかすアスマも彼に答えを返すため真剣に考える。
「…どうもしねぇよ。好きなんだろ?だったらずっと好きでいればいい。それだけだろ?」 「………」 「お前の言っている「好き」がどういう意味かは知らねぇけどな。俺なら…嫌いと言われてもあきらめねぇよ。ずっと好きでいるだろうさ」 「…そうか…」 「ああ」
カカシがじっとテーブルを見つめていた。 うつろな、そこにあるものを写していない瞳。
これが、イルカの言っていた心ここにあらず常態か? 確かに…こんな状態のこいつを見れば気にしない奴はいないだろうな…
「好きか…ずっと好きでいていいか…でもさ…好きなら…何かあった時、何かしてやりたいと思うよな…助けてやりたいと…思うよな…でも…」 「カカシ…?」 「…でも…」 「遅くなったわぁ!まったく…アンコの奴に捕まっちゃって…あら?どうかした?」 「んー?いや、別に?アンコに捕まったのか。それは災難だなぁ」 「でしょ?全く…」
紅が来た途端、カカシはころりと表情を変え、いつものカカシに戻った。今まさにカカシが気にかけていることを聞きだせるところだったアスマは、小さく舌打ちする。 文句を言っている紅を宥めるカカシには先ほどまで見せていた、うつろな目はなかった。完全に自分の思いを心の中に押しやり、封じ込めてしまっていた。
くそ…紅の奴…
「?何よアスマその不景気な顔はっ!」 「んでもねぇよ!!!!」
一気に酒をあおり、アスマは空になった杯に再び酒を注ぐ。その乱暴な仕草に、酒がはねると文句を垂れる紅。それをカカシがにやにやと笑いながら見ている。ただ、唯一見える右目の中に、少しだけ、少しだけ心の中を写したような虚無感だけが広がっていた。
二度と俺の前に顔を見せるな!!!
お前なんて…大嫌いだ!!!!!
悪口を言われることはなれていた。 …わずか6歳で中忍になった自分の力を妬み、羨み、その結果その憤りを自分にぶつける奴ばかりいたから。だが、無視していれば気にならないし、実際自分が睨むと奴らは慌ててどこかに言ってしまうから。 その分、影で叩かれる言葉は酷いもので。普通の人間が聞けば、卒倒するかも知れないほど、汚くて、愚かな言葉も沢山あった。 でも、自分はそれを聞いて笑うだけ。 力のない奴が何を言うかと笑ってやる。
だけど…
その言葉だけは違って、ぐさりと自分の胸に突き刺さった。 思い返すたび、またぐさり。 ぐさりぐさりと見えない傷が広がって行く。
一向に収まらない血。消えない刃。
これ以上自分が傷つかないように、心の奥底に、その一部だけを切り取って、別の箱に封じ込めていたのに。 忘れようとしたのに。
白い、一枚の紙がすべてを無に消し去った。俺の努力を一瞬で消し去った。
そして、そこに書かれていたことに、すっと蒼白になった自分を見つける。その紙をぐしゃぐしゃにしたい気持ちを抑えて、唇を噛締めて、血が出たのにも気付かないで。
助けて。
そう書かれていたことに。何もできない自分が歯がゆくて、情けなくて。
どうして俺は忍なんだと、初めてこれまでの自分の人生に後悔して。
後悔して。後悔して。
それでも…何もできない自分に。
…知らないうちに絶望していた。
(2003.5.7)
W
ぽたりと雨が降る。いつの間にか、空は曇り辺りの風景を一変させていた。 カカシは、誰も居ない慰霊碑の前にずっと立っている。昨夜、アスマ、紅と別れ、気付かぬうちにここに居た。そして、朝、一睡もしないでカカシはここに立ち続ける。
解らない…解らないんだ…
「…俺はどうしたら…いいんだ?」
答えてくれない友人達に、そう聞いた。
「…俺は…どうすればいいんだろう?」
何度聞いても、答えは一向に返ってこなかった。
「まったくひどいってば!カカシ先生!!!」 「?ナルト?」
ぷんすかと、怒りながらアカデミーにやってきたナルト達第七班。イルカの前だからか、大げさな文句は言わないものの、その思いはサクラとサスケも同じようだ。
「どうしたんだ?確か今日は任務が無くて修行するって言ってなかったか?」 「そうなんですけど、突然中止になっちゃって…」 「カカシ先生の忍犬がそう言って来たんだってば!俺たちずっとー雨の中待ってたのにってばよ!!!」 「え!?でもお前達濡れて無いじゃないか?」 「…近くの民家の下で…その後そこの家の人に傘を借りました」
サスケの説明に、彼らが風邪を引くのではとひやひやしていたイルカは、ほっと胸を撫で下ろす。そして、身勝手なカカシの行動にふつふつと怒りが…
「でも…カカシ先生最近変よね?」 「ああ…いつもよりぼーーっとしているな」 「そうかな?」
一人首を傾げるナルトに、鈍すぎというサクラとサスケの視線。彼らも気付いていたのかと、イルカは息を飲んだ。
そうだよな…俺よりずっと一緒にいるんだから… 周りの気配に聡いサクラとサスケなら、そのことに対して不安を感じていたのかもしれない。
「先生?何か知ってますか?」 「いや…俺も気付いてはいたけど、そこまで…」 「そうですか…」 「?何でイルカ先生が知ってるんだってば?サクラちゃん?」 「え?だってカカシ先生とイルカ先生って仲いいんでしょ?」 「えっ!?そうなんだってば!?俺全然知らなかったってばよ!!!」
本当なのか!?と目を丸くするナルトに苦笑しながら、まぁ飲みに行く程度だけどなと答えを返す。
「へぇぇ…全然気付かなかったってばよ」 「そりゃ、大人の付き合いって奴よ」
物知り顔で説明するサクラに感心するナルト。それを見ていたイルカの横にサスケがやって来た。
「先生…」 「ん?何だ?サスケ?」 「…あいつがぼーっとしてたら…困るんだ…その、に、任務にも支障
がでるし…」
顔を真っ赤にしながらぼそぼそと呟くサスケ。カカシを心配してるなど、死んでも言いたくないのだろう。だが、自分にはどうしようもなくて、仕方がなくイルカに相談したと言った所だろうか…
カカシ先生…貴方はこんなに心配されてるんですよ? そう言って、教えてやりたい。
「わかった、聞いてみるよ。カカシ先生に」 「…すみません」
いくら元担任とは言え、イルカに迷惑をかけるのを申し訳なく思ったのだろう、サスケが小さく頭を下げる。気にするなと笑いかければ、無口な少年に珍しく笑みが浮かんだ。
「ほらほら、いつまでも騒いでいないで!」
イルカが解散命令を出せば、三人は、はぁいと声を上げ、仲良くアカデミーを去って行った。
「さてと…」
カカシ先生とどうやって会おうか。 今更ながら、彼の家を知らなかったことに気付くイルカだった。
「えーと、ここを真っ直ぐ行って…」
なんとか、カカシの住所を探り当て、そこへ向かっているイルカは、きょろきょろと辺りを見回した。カカシは上忍が住むアパートに住んでいるらしい。そんなところに行ったら迷惑だろうかと思ったが、彼と会う方法はそれしかないのだから、仕方がない。
「…にしても、寒いなぁ」
もう夏へ向かっているはずなのに、雨が降っているせいなのか、体が震えそうになる。夕方のせいもあるのだろうか、薄暗くなる景色がそれに一層拍車をかけた。
バシャン
「あ…!すいませ…」
余所見をしていたら、イルカの足が水溜りに突っ込んだ。しかも、傘で気付かなかったが、近くに人がいたらしい。 水をかけてしまっただろうかと、慌てて謝り顔を上げれば、そこにいたのは…
「?イルカ先生?こんな所で何を…」 「…カカシ先生!?」
突然大声で名前を呼ばれて、びっくりするカカシをよそに、イルカは驚きと怒りで真っ赤になっていた。
「アンタ…何をやってるんです!?」
思わず言葉遣いも忘れてしまうほど、イルカの目の前にいる人は、全身ずぶぬれ状態で、遠くから見れば妖怪と見まがうほどの姿で。
「あ…ああ、ちょっと外に出たら…」 「ちょっとでそんなになる訳ないでしょう!?家!!!家どこですかっ!?」 「え?あそこですが…」
ぐいっと手を掴まれ、ずんずんと歩くイルカに驚くカカシ。
「せ…イルカ先生?」 「早く行きますよ!!!このままじゃ、風邪を引くでしょう!!!」
いつもと違う、立場の逆転した二人は、雨の中すごい勢いで階段を上がり始めた。
「早く風呂でもシャワーでも浴びて来てください!!!!」
カカシの家に入ったと思ったら、ぐいぐいとイルカに背を押され、何が何だかわからぬ間にカカシは風呂場に居た。
…ここって俺の家じゃなかったか…? そう問い掛けたくとも、今日のイルカには何だか逆らわない方が良くて、とりあえず、戸を介しても感じられるイルカのチャクラをこれ以上増大させないようにカカシは湯の蛇口を捻った。
まったく何をやっているんだ!!!あの人はっ!!! イルカは雑巾を探し当てると、カカシが歩き水溜りになった床を拭いていく。その作業を終えて、ふっと一息ついたとき、はたと自分のしたことに気付いた。
……俺は何をやっているんだぁぁぁ!!!!???? 上忍をどなりつけ、勝手に人の家に上がりこみ、家の主を風呂場に押し込んだ自分の所業に真っ青になる。
…逃げた方がいいかな? 今さらながら、とんでもないことをしたと思っていると、まるで地獄の裁きの時間のように、がちゃりと風呂場の扉が開く音がした。
「?どうしました?イルカ先生」
取りあえずシャワーで体を温めたカカシが出ると、床に座り込み(しかも正座)、顔を真っ青にしている中忍。カカシが声をかければ、びくりと肩が大きくゆれて、すいませんと頭を下げて来た。
「俺…!!!!先生に失礼なことを…!!!!」
やっと自分の行動に気付いたのかと、半ばあきれ顔のカカシだが、もともと怒るつもりもなかったので気にしないで下さいと言ったのだが、イルカは謝り続けていた。 このままでは埒があかない―― そう思ったカカシは、取りあえずバスタオルだけの姿から着替えるべく、彼の横を通りタンスを開けた。
「あのね…だからいいって言ってるでしょう?いい加減やめて下さいよ…その詫びの連呼」 「す…すいませんっ!!!!」 「………」
やれやれ。 カカシは肩を竦めて、あまり使わない台所の前に立った。ヤカンに水を入れ、ガスにかける。
「ほら、先生顔を上げてくださいよ。それじゃあ、俺が何か悪いことをした見たいじゃないですか。先生はずぶ濡れだった俺を心配してくれたんでしょう?感謝こそすれ、怒るわけないじゃないですか」 「で…ですが、俺のした行動はあまりに失礼だったのではないかと…」 「あー、鍵を出しなさい!!!と言われた時はびびりましたけどね」 「うわぁぁぁぁ!!!!すっ…すいませんっ!!!」
再び謝りだしたイルカを見て、これじゃあからかえもしないと思う。そうこうしているうちに、ヤカンがぴーっとなって、カカシはカップを二つ取り出した。
「先生、コーヒーは飲めますよね?」 「え?はい?」
ずっと頭を下げていたイルカは、場の違う質問に戸惑い、少しだけ顔を上げた。そこに差し出された暖かいもの。
「え?」 「どうぞ。貴方も冷えているでしょう?」
目の前に、差し出されたコーヒーが入ったカップを受け取ろうと、無意識に手を差し出したイルカは、上半身を起こして固まった。
「…?どうしました?」
手を伸ばしているのに、それ以上動かないイルカをカカシはいぶかしむ。
「カっ…カカシ先生っ!!!」 「?はい?」 「かっ…顔っ!!!!」 「え?」
ぱくぱくと口を動かし、自分の顔を凝視しているイルカにああと頷き返す。
「まさかシャワーを浴びるのに覆面したままじゃいけないでしょう?」
くすりと笑うと、イルカがそうですねと真っ赤になった。
(2003.5.9)
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