ここにいるのに


[  \


[

ここまでは順調かな?
イルカは華の宮家に用心棒として雇われた一軍に無事潜り込み、軽く息を吐いた。腕試しでもするのかと思っていたが、以外にもそれはなく、ある人物との面接で合否が決まった。

まぁその相手もただ者じゃなかったけど。

面接したのは、60代の大柄な男性とまだ30代ほどの男性だった。眼孔の鋭い男性とは違い、若い方はいかにも興味半分で見に来ている風だったが、イルカの目にはこちらの方が腕が立つのを見抜いていた。どうやら、それに気づいた者が合格らしい。イルカが若い男性を意識した途端、合格を言い渡されたから。すれ違いざま、にやりとおもしろそうに笑った顔が可笑しかった。
そうやって選ばれた護衛はイルカもいれて3人ほど。いくら人手が足りないからと言って、手当たり次第雇うことをしてないのはさすがだと思うが、こんなことをしていたらいつまでも必要な人数は集まらないだろう。

さて…どうやって近づくかな。
イルカの目的はあくまで華の宮家の当主とその妹を守ることにある。悪いが、この家の周りを守る一団にいつまでもいるわけにはいかない。

「こっちに集まってくれ」

集合の合図をかけた人物の元に行きながら、向こうはうまくいったかなと文句を言っていた親友に苦笑した。


「しぶどいな…あの若造も」
「ええ。本当に。しかし、それも時間の問題かと」

にやりと笑った男に笑い返した中年の男は、ぶくぶくと腹の出た体を揺すりながら笑う。

「素直に我らの仲間になればいいものを」
「身分がいいからと鼻にかけていた結果。自業自得です。保守派の大名達も身動きが取れない状況…もうここ辺りで決めた方が良いかと」
「無論だ。なぁにすでに刺客ははなっておる。忍のな」
「それは…さすがでございますな」

若い男の賛辞に気を良くした中年の男は、かかかと大きな声で笑った。

「すべてそなたのおかげだ。のう?【闇霧】」

中年の男に静かな笑みを見せ、若い男はその場を立ち去る。今までいた部屋から上機嫌な声が響き、店の主に芸者を呼ぶよう告げていた。

「…こちらも、ずいぶんと稼がせてもらいましたよ?」

男の目がすっと冷たく細まった。そんな彼の傍へ、よってきた芸者の女。

「…わかっているな?」
「はい。そろそろ潮時ですか?」
「ああ。あまり深入りすると木の葉の忍が出てくる…あの里の忍にはやっかいな奴がいるからな…俺の気配を感じればあいつがでてきてしまう」
「そんなにご心配される必要はないのでは?あなた様の力なら、忍の一人や二人瞬く間に消してしまえるでしょうに」
「ふ…お前はあいつを知らぬからそう言えるのだ」

ついと男の手が女の顎を掴む。真っ正面から男の目を見てしまった女は、恐怖で少し震えた。

「だが…いつかは戦いたいものだ。今はその時ではない」

女に口づけして、男はゆっくりとこの場を立ち去る。明日になれば、自分の天下を疑わない男は自分のことをすっかりと忘れている。そして…

「一週間後には何も言わぬ屍…」

それまでせいぜい楽しむがいい。男は闇に昇る月を従え、消えていった。



ひたり。

ぶるりと身を震わせ、水螺は目を開けた。
眠っていたのか…
柳が床についてから、水螺にかかっている負担は大きかった。兄の代わりにこの華の宮家を取り仕切る…わずかにとは言え、兄の手伝いはしていたが、それは外堀程度だったと今更痛感する日々。それでも、やっていけるのは、長年、自分たちを支えてくれている家老がいるからだろう…
ふと、兄の顔が見たくなった。こんな真夜中に…
水螺はそっと廊下にでる。すると、自分を警護している家臣が居眠りをしていた。人が少なくなったため、彼らにかかる負担はかなりのものなのだろう。決して不満は漏らさない、彼らの優しさが心にしみる。

すぐに戻ればいいわね…
そっと廊下に踏み出して、足音を立てないよう気をつける。
水螺は歩き慣れた廊下を小走りにかけ、兄のもとへと向かった…


来た…
イルカは自分の持ち場として与えられた門で、その気配に気づく。

「ちょっといいか?」
「ん?ああ」

トイレに行くとでも思ったのだろう、今日一緒に合格を言い渡された男が、ひらひらと手を振る。イルカは彼の視線が自分から離れたのを感じると、物陰に隠れ印を切った。
ぼわんと煙に包まれ、現れたのはもう一人のイルカ。

「頼むな」

影分身の自分が頷き、門へと戻っていく。イルカはそれを確認する前に、すっとその場から姿を消した。

あの二人は殺させない…カカシ先生のためにも。
城に近づく多数の気配。イルカは一番近いその気配へと向かっていった。


「水螺様!」
驚いた家臣達が、供も連れず来たことに非難の声をあげた。それにごめんなさいと、軽く笑い、いたずらをしでかした子供のように笑うと、彼らの顔が少し緩む。
大切な二人の兄妹に彼らはずいぶんと手を焼かされたものだった。しかし、彼らが成長してからというもの、それも治まり、わずかに寂しいなどと思っていたのだが…

「怒らないであげて、負担ばかりかけて申し訳ないと思っているの。兄の顔を見たらすぐ帰るから」
「わかりました」

水螺が未だ油断できない柳へと近づく。その苦しげな顔に眉を寄せた時…

ぐわっ!!!

「!?」

聞こえてきた悲鳴にその場にいた全員が体をこわばらせる。だが、家臣達の動きは早かった。

「水螺様!柳様の傍に!!!」

一斉に刀を抜き、二人を守るよう円陣を組む彼らは、冷たい汗を流しながら、敵の襲撃に備えた。
その間にもどんどんと大きくなる声…

「侵入者だ!!!忍だ!!!」

びくん。
水螺の手が握りしめられる。とうとう…刺客に忍が来てしまった。もうここで決着を付けるつもりなのだろう…柳を…
水螺は泣き叫び、震えはしなかった。もちろん怖い。ここで死ぬかもしれないが、自分たちを守ってくれている家臣達にそんな姿を見せるわけにはいかない。
結果がどんなことになっても、自分は彼らの誇る主でいなければ。
それは動けない柳も同じこと。
命乞いなど絶対にしない。

ただ…最後にあの人に会えなかったことだけが心残りだったけど。

(2003.5.28)



\

「行け」

城へ忍び込んだ忍の一団が、闇と交わりながら駆けていく。彼らは里に属する忍ではなく、抜け忍の集まりだった。里に属する忍とは違い、彼らに依頼される仕事は危険で汚い仕事ばかり。だが、これを成功させれば、これを依頼した大名が新たな里を作るのに手を貸すと約束した。
だから何としても成功させねばならない…
どんな手を使っても。

一人の忍が小さな瓶を取り出す。その中には致死量の毒が入っていた。それを井戸の中に入れようとした時、シュンと風が鳴る。
そしてその忍は絶命していた。

「!?」

ぽろりと転がった瓶を持ち上げる手。

「忍だと!?そんな情報はっ!!!」

ないと言おうとした忍がどさりと倒れた。敵と思われる忍は一歩も動いていないのに…
ひゅるん、生き残った忍が、慌ててその場を飛び退くと、すっぱりとその場所にあった木が倒れた。

「糸!?」

きらりと細い筋が幾重も取り巻いていた。忍がそれに気を取られていると、背に鋭い痛み。

「!?」

彼らの背に手裏剣が刺さっている。糸は囮だったのかと、敵忍を探せば、そこに姿はなく…

目の前にいた。


「次で最後か」

四方から一斉に進入した忍をどうにか片づけたイルカ。だが、後からもう一つ、一直線に城の一番固い部分に向かっていた忍達がいた。真っ先にそれを叩きたかったが、撹乱のために散った忍をも放っておけず、自分を雇った目を持つ若い用心棒を信じた。

それに…
そろそろ彼も来る頃だ。イルカは目を細め、最後の忍達を叩きに向かった。

「うわぁぁっ!!!」
「ここから先は絶対に行かせるなっ!」
「ぐわぁっ!」

倒れる音、悲鳴、刀の打ち合う音。水螺はそれに必死に耐えながら、家臣が必ずそれを撃退してくれることを願う。

「う…」
「兄上様!?」
「柳様っ?!」

こんなさなかに、柳の意識が戻る。水螺は視線を彷徨わせる彼に自分の顔が見えるよう、位置を動かした。

「水螺…?」
「私がわかりますか!?ああ…良かった」
「水螺…この音は…?」

柳の問いに、水螺は唇を噛みしめ、無理矢理笑みを作る。

「気にしないでください。大丈夫ですから…」
「うわぁぁっ!!!!」

今までで一番に近く聞こえた悲鳴に、水螺の体は強ばる。そして、柳も熱にうなされながら、尋常でないことが起きているのを感じ、起きあがろうとする。

「駄目です!兄上…!」
「水螺…何が…起きている…説明…しろ…」
「兄上…」
「しまった!!!」

ズバッ!!!

部屋の扉が乱暴に切られ、そこに刀を持った忍が現れた。

「忍…?刺客か…?」
「柳様をお守りしろ!」

血に濡れた刀を持つ忍に、家臣達が一斉に飛びかかる。だが、忍はすっと姿を消し、気づけば、柳と水螺のすぐ傍にいた。

「水螺!!!」
「柳様っ!水螺様!!!」

え、と振り返った水螺が見たのは…

顔全部を覆う覆面の隙間から見下ろす、血に飢えた目…

「水…螺っ!!!」

柳の目が見開かれた。

「ぐ…ふ…」

しかし、忍の手が彼女に掛かることはなかった。

一体何が。
どさん。倒れた忍の後ろに人がいた。

「え…」

それは…銀色の髪を持つ忍。

水螺が息を飲む。

「何奴…」

家臣が銀髪の忍に向かう後ろから、再び別の忍達が現れた。ぎょっと身を固めてしまった家臣達だが、彼らが倒れることはなかった。

銀色の光が部屋に舞う。それはまるで銀の軌跡。闇に走る光。
その動きを捕らえきる前に、現れた忍はすべて倒れ、絶命していた。

「そなたは…」

家臣の一人が何か言う前に、銀髪の忍は姿を消した。
何が起きたのか、夢ではないことを証明するように、刺客の忍達が倒れている。

「兄上様…」
「………」

水螺は自分の手のひらをを胸の前で抱きしめる。

来てくれた…
それはとても暖かくて、優しい。ずっとずっと昔から知っていた。何も変わっていない、あんなにひどいことをしたのに。
水螺の目には、ちゃんと銀髪の忍がつけていた額当てに刻まれていた木の葉のマークが見えていた。

「カカシ兄さん…」



「終わりましたか?」
「ええ、カカシ先生早かったですね」

城にある、一番高い木の上に立っているカカシに、イルカは笑いかけた。

「貴方がここにいるということは?」
「勿論、麻薬のぬれぎぬを晴らしてあげました」

イルカが、城に潜入している間に、カカシは麻薬の罪を着せた 改革派の大名を捜し出し、その証拠を火の国でも力のある保守派の大名に渡してきたのだった。これで、一連の事件はどうにか収まる方向に動くだろう。

「あとは彼らに任せるだけですね」

自分たちが救いたかったのは、あの兄妹。麻薬事件を解決するのはあくまでそれに付く副産物でしかなかった。

「帰りますか」
「…いいんですか?」

木の上から降りようとしたカカシにかけられる言葉。カカシは振り返り、ええと頷く。

「行きましょう。イルカ先生」

あの兄妹が助かった。それだけでいい。それ以上のものは求めない。
もう二度と会えなくても、言葉を交わすことがなくても。
あの二人が無事だった。それでもう自分は満足だ。

「はい」

イルカも、それ以上は何も言わず、二人は里へ向かって走り出した。



「今回はご迷惑を…」
「いやいや、頭を上げられよ。柳殿。まだ傷に触るであろう」

ようやく起きあがることができるようになった柳の見舞いに訪れた彼は、改革派と保守派の騒動を治めた人物だ。表だって糾弾されたのは、自分が麻薬を取り扱っていたくせに、その罪を保守派に押しつけたものだけにすんだ。
その裏でどのような取り決めが行われたのかは知らないが、これで改革派は当分大人しくなるだろう。

「あなた様が私のために忍を雇ってくださったとは…」
「そなたの父上とは懇意の中だったからな。それぐらいはさせてくれ。何にせよ、良かった。水螺殿もご苦労だったな」
「はい」

嬉しそうに微笑む水螺に、彼は満足そうに頷いた。

「にしても、最初は驚きましたな…いきなり現れたのですから」
「はは…すまぬな。家老。敵か味方かわからぬで混乱させてしまっただろう?」
「ええ。でも、もしその忍を敵だと思い、斬りかかってもかすりもしなかったでしょうな」
「ほう?」
「銀の光が走ったと思ったら、我々の後ろにいた忍がすべて倒れていて…まさに一瞬」
「…そうか」
「にしても、私は銀色の髪を持つ人間を始めて見ました。あんな色もあるんですね。まぁ覆面をしていたので顔はほとんと見えませんでしたが」

何気なく家老が言った言葉に、彼が目をむく。

「銀色の髪…まさか『写輪眼のカカシ』が来たのか…!?」
「え…?」

『写輪眼のカカシ』。始めて聞いた言葉に、水螺も柳も不思議そうに彼を見返す。

「知らぬか?木の葉の里でも二人といない、一流の腕を持つ忍だ。彼を指名して雇うとなると、どれほど金がかかるか…そうか、それほどの忍が来たのか…道理で被害がそれほどなかったばかりか、解決が早かったわけだ」
「そ…そんなに有名な忍で…?」
「そうだぞ。家老。滅多に拝めぬ忍だ。…だが、その分他の忍より、命の危険がある場所に赴くのだろうな。力があるからこそ…」

柳の手がぎゅっと握りしめられた。水螺はそれを目の端で捕らえていた…



「イルカ先生ーおはよってば!」
「うわっ!?急に飛びつくな!ナルト!」

笑いながら怒るイルカに、えへへとナルトは笑い、サクラが怒る。

「ふん…馬鹿が…」
「んだとっ!サスケっ!!!」
「こらっ!ナルト!サスケ君に何するのよっ!!!」

ぎゃあぎゃあと始まった騒ぎに、イルカとカカシが苦笑する。

「やれやれ…すいませんね、イルカ先生」
「構いませんよ」
「なーなーそういえば、何でここにイルカ先生がいるんだってば?」
「そういえば…それにカカシ先生今日の任務は…?」
「ん〜それがね、俺も知らないのよ。イルカ先生が案内してくれるってことしか」
「イルカ先生が?」

三人の子供達の目が、イルカに集まる。イルカはにかりと笑い、歩き出した。

「よし、それじゃ行くか。今日の任務先へな!」


「ここは…?」

イルカが案内したのは、里から離れた大きな家だった。きょろきょろと辺りを見回す子供達。

「今日はな、ここで療養している方のお世話をするのが任務だ」
「療養?病気なんですか?」
「いや、怪我をしていて、その傷を治すために来られたんだ…カカシ先生?」

イルカ達のより少し下がった所で硬直しているカカシ。子供達もどうしたのかとカカシに目を向けた時…

「お待ちしてました」

黒髪の美しい女性が現れた。

「今回この任務を依頼した水螺と申します…」

子供達がよろしくと挨拶している中、彼女はふわりと微笑んだ。


縁側に腰掛け、庭を眺める男性は、ゆっくりと傍に来た忍に向かって顔を上げた。

「お久ぶりですね…」
「ああ…」

彼の顔をちらりと見て、カカシは晴れ渡った空を眺める。そんなカカシをしばらく見ていた彼、柳はカカシと同じよう空を眺めた。

「…傷はいいのか…?」
「ええ。大分。でもちょっと動くとまだ痛みがありますが」
「そうか」

また沈黙が流れた。カカシは心の中でため息をつく。
何故彼らがここにいるのかわからない。そして、自分に会うのかも。
二度と会わないと、そう言った。彼らが。何故、自分から…

「カカシ兄さん」
「!?」

もう二度と呼ばれることがないと思っていた名。カカシが目線を下ろすと、柳は目に涙を溜めながら、無理矢理笑っていた。

「柳…」
「呼んでも」
「え?」
「また、呼んでもいいですか」
「柳…?」
「いえ、呼ばせてください…カカシ兄さん俺は…俺は貴方にひどいことを言った…!!!」
「柳!」

ぐらりと彼の体が傾き、カカシはそれを慌てて支える。柳の手が、ぎゅっとカカシの袖を掴む。

「ごめんなさい…」
「柳…」
「ごめんなさい、ごめんなさい…!!!俺は俺はっ!!!自分のことばかりで、何も知らないで、貴方に…貴方に…!!!」
「柳…」
「あの方はっ…俺達に優しかったから…父を亡くした俺に優しかったからっだから…許せなかった…その人を殺した貴方を」
「………」
「その優しさが偽りだったとも気づかずに!!!あの方が華の宮家を潰そうとしていたことにも気づかないで!!!」

後で知った。その人が、自分達にしていたことを。甘い言葉と、優しい笑みにだまされて、何も考えずに、ただ頷いていた。

もう少しで、華の宮家が潰されそうだったというのに。

「後で聞きました…そのことを。でも、でも俺はあの優しさを嘘だと思いたくなくて、俺達にそんなことをしたと認めたくなくて…貴方を。その手で命を奪った貴方を。恨んで問題をすり替えて…そうして、俺は…」
「…もう、いいよ柳」
「俺は…本当に俺達を思ってくれた人を…傷つけてしまった…」

あれだけ慕っていたのに。会うことができない寂しさから、すぐ手に届く偽りの笑みに手を伸ばして。
本当にさしのべていた手を、たたき落として。

「なのに…なんで…貴方は…」

俺達を助けに来てくれた。

「貴方は…馬鹿ですよ…」

しがみついて、離れない柳の背をカカシは優しく叩く。
それは昔から変わらない、小さな時から不器用だったカカシが、自分達をなだめるのに使っていた仕草。

「本当に…馬鹿ですよ…」

…馬鹿なのは自分。愚かなのは自分…
たった、たったこれだけで、自分は安心して、ほっとして、嬉しいと感じるのに…
なのに…

「あいかわらず…泣き虫なのは変わらないな。柳。水螺に笑われるぞ?」
「…いいんですよ。こんな姿を見せられるのは、もうカカシ兄さんの前だけなんですから」

目元を真っ赤にして笑う、柳に、カカシは笑い返す。

「全く…仕方のない弟と妹だよ」




屋敷を駆け回る子供達の声。
どたばたとうるさい足音を聞きながら、イルカは屋敷を辞しようとしていた。

「イルカ先生」

そんな彼を追ってきた、カカシはありがとうと頭を下げる。

「俺は何も礼を申されることはしていませんよ」
「…それでもです。礼を。ありがとうございました、イルカ先生」

ふっと優しく微笑んだイルカ。
カカシにはわかっていた。いくら自分達の命を助けたからと言って、木の葉の里で療養するという決心を彼らだけで決められたわけはないと。
恐らく、イルカが水螺の元へ行き、何度も何度も話し合ったのだろう。だからこそ、彼らも決心してここに来られた。
カカシの言葉に、お節介かなと思っていたイルカも安心できた。自分のしたことが正しかったのだと、カカシのためになったのだと、思えて。

「イルカ先生。また飲みに行きましょう」
「ええ、喜んで」

うわぁぁぁぁ!!!

屋敷の方から、ナルトらしき声が響いてくる。何か失敗をやらかしたのだろうか、続いて聞こえてくるサスケとサクラの怒号。

「やれやれ…」
「何をしてるんだか」
「それじゃあ、イルカ先生」

カカシが手を挙げ、ゆっくりと屋敷に戻り始める。

礼なんて…本当にいいんですよ。
そう、ただ自分は、いつものカカシに戻ってもらいたかっただけなのだから。
隣にいるのに、その存在を見てくれない、気づいてくれない彼に。
自分はここにいますと。
ただ、それだけを…


「やばっ…急がないと受付の時間だ!!!」

ゆっくりし過ぎたと、イルカは慌てて走り出す。アカデミーへと走るイルカの顔には、笑みが広がっていた。

ここにいるのに・完(2003.6.6)