さくら

第51話:雛の旅立ち



まるで餌を強請るように、ぴぃぴぃと五月蠅い雛達を地に沈めたヒサメは、彼等を軽蔑したように見下ろした。そこら中からうめき声が漏れ聞こえ、それがうざったいとばかりに、彼は汗でべたついた髪を一度振り背を向ける。

「くそ…」

雛達の誰かが呟いた。ヒサメはそれを聞き取った途端、声の主を見つけてその腹部に足を降ろす。

「がはっ…!!」
「ガキが。生意気な口を聞くな。お前達は黙って堪えていればいいんだよ」

足に力を入れると、足下の人物から声にならぬ悲鳴があがる。しかしそれを止める者も止められる者もいない。それは木の上で見物していたイルカも同じで。

「少しは身の程をわきまえることを覚えたかな」

苦笑しながらも、その目は冷たかった。



雛。
彼等は『死鴉の森』に招き入れられた忍達。
様々な理由で里を見限り、しかし愛着を捨てられない木の葉の忍びを、どういう基準で選ぶのか、その森に住む鴉達が迎えに行き、体、心を休める場所として彼等に与えるのだ。その中の一部の忍達が、表の忍とは違った形で集団を作り、自らを『闇鴉』と呼ぶようになり、独自の方法で木の葉を守る為に動き出したのが始まりとされている。

しかしその『闇鴉』に入ることができるのは、その集団に認められた者だけ。
大概、雛達は木の葉でも実力のある忍が多いのだが、誰でも『闇鴉』に入ることができるわけではない。何を基準に、どういった理由で選ばれるのかは『闇鴉』に居る者しかわからなかった。


「お疲れ、ヒサメ」

スタリと自分の隣へと上がって来た若者の労を労うと、若干汗はかいているものの、疲れなど全く見せない様子でヒサメは首を振った。

「疲れようにもあんな程度で疲れることなんでできませんよ」

皮肉と侮蔑。
声を潜めることなくヒサメは、木の下で今だ地に伏している彼等をそう言い切る。
それを聞いた幾忍かの者が、ヒサメへ殺気を送ってきたが、無様な姿をさらす者達の殺気など、そよ風程度と気にも止めない。

「今の雛は外れか。残念だ」
「口先ばかりの連中など、入りませんよ」
「そうだね」

イルカは同意を示し、視線を落とす。
ヒサメが倒した忍は六人。年齢も忍のレベルも様々だが、皆まだ年若いヒサメに全く敵わなかった。この森に招かれたということは、それなりの経験値も摘んでいるだろうが、イルカの目からすればまだまだ甘い。いや『闇鴉』の目からすれば、と言う方が正しいか。

イルカ達は定期的に、雛達から『闇鴉』に参加したい者達を試験し、仲間として迎えてきた。だが、ここ数年は『守座』の不在や、火影の交替等があり、その試験を行う暇がなかった。その間も鴉達は森に忍を招き入れていたのだろう、久しぶりに来た森では予想以上の雛達が暮らしていたのだが、人が多くなればもめ事も起こり、そして不満も燻る。
それがようやく来たイルカ達に向かって放たれたものだから、ヒサメの不機嫌さは増した。

安全で、静かな森に嫌気をさしていた者達が、自分達も『闇鴉』に参加する資格があると、生意気な口を聞いてきた。己の実力に自信も持っていたのだろう、自らの力が役に立つと信じて疑わない彼等に、イルカは眉を潜め、ヒサメは容赦なく蹴散らした。

「そんなに暇なら、森を抜けようとして鴉達に殺されるか、抜け忍となって俺達に殺されるか選べよ」

結局は一つの選択しかないのだとヒサメは言い切り、その威勢の良い台詞にイルカは笑うしかない。

(夕闇がいたら、台詞もなく殺してそうだけどなぁ)

鴉達は森に住む者達を守る。だが、『闇鴉』に居る者達の意志を最も尊重する。だから、ヒサメがこうしても、最悪、夕闇が彼等を屠っても、鴉達はただ見ているだけで、止めようとはしない。
薄暗い森の中から時折聞こえる羽音。きっとどこからか自分達を見ているだろう。

「さて、どうしますか夜斗様」
「気が削がれたからこのまま帰ってもいいんだけど…」

イルカの提案に、ヒサメはそうしたい気配を見せたが、そうもいかないだと肩を竦めた。

「覚眠が面倒なことをするつもりらしいから、少し選りすぐらないといけないんだ」
「面倒?ですか?」

バサリとイルカの肩に『夜斗』が止まる。彼はカァと一声鳴き、羽を毛繕いし始めた。

(今言ったら怒りそうだかれあ、後にしよう)

訝しげなヒサメを取りあえず笑顔で誤魔化して、イルカはその場から飛びだった。




面をつけてもう一度、その場に立つと来訪を告げる鴉達が鳴く。
その声を聞きつけて、先ほどと同じように森の中から忍達が集まってくる。だが彼等が完全に自分達の前に姿を見せることはなく、こちらを伺う気配だけが伝わってきていた。

(やれやれ、二度手間だったな)

要件を告げる前に、自信過剰な雛達が詰め寄ってきたので、言葉よりも実力行使をを選んだイルカ達はあの場所に彼等を引き連れ、身の程を教えてやったのだ。あんなことがなければ、今日来た要件は一度で終わったのにと、ため息をつく。

『闇鴉』に入るまで、この森で暮らしていたのだから、面をつける意味はないのだが、イルカの場合は部隊を率いる者としての地位を示す為につけていた。肩に乗る『夜斗』もそれがわかっているように、ぴんと首を伸ばしているところが可愛いと、イルカはこっそりと笑う。ヒサメはイルカの後に控え、話し出すのを待っている。恐らく覚眠からの知らせが気になっているのだろうが、何も言わない。だが、性格上黙っているのは苦手の筈だから、あまり長引かせるわけにもいかない。

「今日来たのは、長らく滞っていた『闇鴉』の入隊希望を募りに来た。この森から飛びだとうと思う雛が居れば、申し出よ。その資格をこの『死鴉の森』に住まう、鴉達に見せるがいい」

何人かの息を飲む気配がする。
先ほど連れて行った者達で、入隊試験は終わりだと思った者も居たのだろう。若干の戸惑い、そして困惑が森の中に漂ったが、それは僅かな間。森での生活を選んでいる者達は、鴉の鳴き声が聞こえようと滅多に家から動かない。ここに来た者達はこの森に来たばかりか、『闇鴉』に興味のある者達ばかり。イルカの言葉から先ほどの者達のその後と、入隊の機会を得た意味を読みとった彼等が、姿を現し始めた。

そして彼等の表情を見て、イルカは微笑む。

「ヒサメ、もう一つ運動してもらおうか」
「…承知しました」

強い敵を前にした顔。
今目の前に居る者達は、叫くしか脳がない雛とは違う。
気を抜けば、餌をかすめ取られるぞと、イルカはヒサメに忠告した。



入隊希望が予想以上に多く、雛達を三組に分けイルカは見物を決め込んだ。
入隊の決定権はイルカにあるのだから当然なのだが、ヒサメは三組も相手にするのかと少しうんざり顔。それを見越していたわけではあるまいが、その後第一部隊の『闇鴉』が数人来たので彼等にも手伝って貰うことにしたので問題は無くなった。

(…何匹かいいのがいるな)

元々実力を兼ね備えている者達。どこの戦場にいっても存分に動いてくれるだろう。だが、『闇鴉』にとってその部分はさして重要ではない。一番大事なのは、『闇鴉』にどれだけ忠実になれるか。

我の強いのも結構、自分勝手もまぁある程度なら認めよう。だが、部隊長が下した最終的な判断に従えない雛は入らない。どんなに不満でも、納得できなくても、その部分だけは必ず従う。それができないのは、『闇鴉』には不要。

『闇鴉』は翼。
自分達はそれを形作る羽。
根本的なその部分を理解できない者は、『死鴉の森』に守られて生きていけばいい。

「夜斗様。大方終わりました」
「ああ、お疲れさま」

戻ってきた部下達に労いの言葉をかけ、イルカは息をみだしながらもまだ立っている雛達を見下ろす。するとどこからか飛んできた数羽の鴉が、己の羽を抜き数人の雛達の元へ降り立った。

「どうやら、今回は彼等の方が厳しい」

苦笑したのは、羽を受け取った雛が、たった三人だけだったからだ。最低五人は入れても良いと考えていたイルカは、これも『守座』の効果かと肩を竦める。

鴉達は余程『守座』を、サクラを大事に思っているようだ。きっと、覚眠が目論んでいることも知っているのだろう。

「さて、どうやら鴉達のお眼鏡に適ったのは、今羽を受け取った三人だ。我ら『闇鴉』は君たちを歓迎する」

カァカァと、巣立つ雛へ鴉達の見送りが始まる。
森が動いたのではと思うほどの鴉が空を舞う。

その中に混じった一つの白。


『守座』も雛たちを歓迎していた。

さくら 2007.6.26)