…どんなに身体を重ねても。 いつも頭の片隅で囁いている自分の言葉。 どんなに愛されると呟かれても。 いつも心の片隅でそれを自嘲している自分の思い。 愛している。 愛している。 俺は貴方を愛している。 だけど、俺は貴方を信じることができなくて。 貴方の口から聞くあの人を。 俺がどんな風に思っているか、貴方は知らない。 …知って欲しい。 俺がどんなに浅ましいか。 その人に嫉妬しているか。 …否知らないで欲しい。 こんなに醜い自分を。 貴方の誇りのように語るあの人を嫌いだなんて。 貴方を失いたくない。 だからいつも、自分は微笑む。 嬉しそうに、でもその奥で胸に燻っている嫉妬の嵐。 苦しい。 苦しい。 でも誰にも言えない。 苦しい。 苦しい。 ああ気が狂いそうだ。 苦しい。 苦しい。 …もう逃げ出したい。 それを私が知ったのは、本当に偶然だった。 「身の程を知りなさいよ!!!」 パァンと、甲高い音に、アカデミーの廊下を歩いていたサクラはぎょっとした。 驚き、止まったのは一瞬だったものの、すぐに回転した頭は冷静に受け止めて、それは誰かが叩かれた音だと理解する。 本来ならば、すぐに立ち去ってしまった方が良いこの状況。 だのに後悔すべきは、幼さからくる好奇心。 故に。 サクラは音が聞こえた方へとそろそろ移動し、物陰からひょいと顔を出す。 「たかが中忍が、はたけ上忍と吊りあうわけけないでしょう!貴方はね、一時の遊び!じゃないと、あの人が貴方と付き合うわけないじゃない!」 上忍のくの一らしき人の言葉の内容と…その相手に。 今年の春、はたけ上忍率いる7班の一人、春野サクラは固まってしまった。 「…イルカ先生?」 それは、同じスリーマンセルの一人、うずまきナルトの敬愛する教師であり、サクラの尊敬するアカデミー教師。 中忍のうみのイルカだった。 呆然としていたサクラの前で、無言をつきとおしていたイルカに痺れを切らしたくの一は、先ほど述べた言葉をもう一度繰り返すとどこかに消えてしまう。 まだ下忍でしかないサクラの気配に気づかなかったのは、彼女も興奮していたせいなのか。 だが。 「とんだところ…見せちまったなぁ…」 困ったように鼻の傷を掻いて、イルカは振り向く。 この場面を見られてしまったとは思っているものの、否定の言葉を言わない彼に。サクラは嘘でしょう?と呟き出そうになる言葉を飲み込んだ。 「…びっくりした」 ぽろりと出た、だけどこの場に相応しき本心。 それに、嫌悪も侮蔑も込められていないことを、イルカは敏感に感じ取ってくれたようだ。 「そうか」 苦笑して笑うイルカは、サクラの知っているイルカ先生そのままだった。 「はぁ〜」 思わず出てしまったため息。 今日で何度目? 30までは数えたけれど、いい加減馬鹿馬鹿しくなって、サクラは数えるのをやめた。だからと言ってため息が止まるわけもなく、自分でもうっと惜しいと思うのに、止められない。 そんな彼女を遠巻きに見る男性陣。 「…サクラちゃんどうしたってばよ?」 「…そんなの知るか」 「う〜ん、きっと年頃だろうからねぇ」 勝手なことをほざく男共に、サクラの頭がぶちりと切れそうになる。 ぎろりと、振り向けば、さっとあらぬ方向を見て、今日の任務である草むしりを続けていた。 (これもこれも皆〜!!!) 誰のせいでこんなになっているのだと、銀髪の上司へ殺気を込める。 自分を見る目が強まったのを感じ取っているだろうに、里一番の技師とも言われる『写輪目のカカシ』は、そ知らぬ振りをして「イチャイチャパラダイス」という、怪しげな本を読み続けていた。 そのとばっちりを受けている、ナルトとサスケは、背をびくっと揺らしていた。 「…何かなぁ?サクラ君?」 「別になんでもありませんわ。カカシ先生」 サクラの視線がうるさくなったのか、カカシがにこりと右目を細めて聞いてくるが、サクラの口調は嫌味気に返すだけ。 (はぁぁ…わかっているのよ、わかっては。私が何も言うべきことじゃないことは!) 男同士の恋人だとかに、偏見を持つつもりはないが(サスケに害がなければ)、それでも自分の上司と敬愛する先生ともなれば、すんなりと心が収まってくれない。 何かもやもやとした複雑なものがあって。 子供の自分が口を出すことではないとわかっていても、何故か不満。 そう、不満。 それが、昨日からサクラがため息を続ける理由。 何故、不満だと思うのだろう。 偏見を持っていないと言いながら、やっぱり彼らを気持ち悪いと思っているのだろうか? …否、違う。そうではない。 なぜなら、イルカから聞いたとき、驚いたものの、素直に喜ばしいと思ったのも事実なのだから。 おめでとうございますとまで、自分は告げたではないか。 あんな状況で、いくら頭が良いと言われているサクラでも、すぐに取り繕うことはできなかった。だから、あの言葉も思いも本心だった。 なのに。 家に帰りながら、もやもやしていたものが心に生まれていたのも感じていた。 …一体何故? 「ねぇ、カカシ先生」 「ん〜?」 「不満ってどういう時に思うもの?」 サクラの唐突な質問に、カカシならず、ナルトとサスケも驚いたようだ。だが、何かを悩んでいるらしき、サクラに誰も聞き返すことはしなかった。 「不満ね〜ま、気に入らないってことでしょう?自分の意見が通らなかったり、納得できなかったり、自分の感情と反対なこと、そういうことだと思うけどサクラ?それがどうかした?」 「気に入らない…」 そうだ、気に入らないのだ。 気に入らなかった。 …でも何に? そこまで考えて、サクラは答えがでないことにまたため息。 ナルトとサスケが心配して声をかけてきたが、首を振ることしかできなかった。 そしてカカシにも。 相談できるわけはなくて… サクラは答えを求めて、元凶となった人のところへ赴いた。 愛してますと、昨日も彼は耳元で囁いた。 俺もですと、返しながらも心は空虚だった。 彼がどんなに優しく自分に触れても、自分がそれに溺れていても、心が。 心が寒い。 泣きたい。 いつもいつも、泣きたくて。 この苦しみを、誰かに聞いて欲しかった。 (まさか、サクラに聞かれるなんてな) 職員室で、とんとんと教科書を机でそろえていたイルカは、ふうっとため息をついた。 自分とカカシが付き合うようになって、もう半年ほど経つ。 始めは、気難しい上忍と思っていたのに、案外彼は気さくで優しく、すぐに親しくなりたいと思った。 その内に、好きだと告白されて、最初は驚いたものの最終的にはそれを受け入れた。 今では自分もカカシを失うことはできないと思う。 …昨日のような上忍やくの一からの忠告は、何度も何度も受けていた。それでも、言葉だけですんでいるのは、手を出せばカカシからの報復が待っていると知っているからだろう。 手を出してこない代わりに、彼らは言葉でイルカを傷つける。 お前など、相応しくないと。 遊びなのだと。 今に捨てられるなど。 さすが忍。 人が気にしていることをついてくると、イルカは笑った。 それでも別れないのは、彼が自分を愛してくれていると知っているし、何より自分が彼を好きだから。 …だから、どんなことがあっても耐えられると…そう思っていた。 その場面を見てしまったサクラは、驚愕の事実に言葉を失ったが、すぐに祝福してくれた。 『これは、秘密なのよね?先生?』 無邪気に笑いながら、彼女は嬉しそうに約束してくれた。 『こんなこと言うのも変だけど、おめでとう先生。カカシ先生は変人だから大変よ?』 『変人?』 『そ!だ〜って、いつもエッチな本読んでるんだもの。それも女の子の前でよ〜!信じられる!?』 カカシ先生らしいと、笑えばサクラは機嫌を損ねて膨れた。悪いと、謝って、ピンク色の頭をそっと叩けば、サクラは機嫌を直してこう言った。 『幸せなんだね。先生』 …幸せだねと。 「イルカ先生」 「えっ?」 聞き覚えのある声に顔をあげれば、そこには桜色の髪をした少女。 ぺこりと軽く頭を下げて、職員室の入り口でイルカを待っている。 「どうしたんだ?サクラ」 「…先生。相談があるんだけど…いいですか?」 何か思いつめた彼女の様子に、イルカはもちろんだと頷き、これからある受付を同僚に変わってもらう。 何かあったのか。 昨日とは打って変わったサクラの肩をイルカはぽんと叩く。 「それじゃぁ…」 「先生。屋上がいいな。そこで聞いて欲しいの」 「ん?わかった」 どこかの空いている教室でも使おうかと思ったけれど、サクラは滅多に誰も来ない屋上を選んだ。よっぽど聞かれたくないのかと、イルカはサクラの悩みに、不安を覚える。 「行こうか」 こっくりと頷くサクラをつれて、イルカは屋上へと向った。 もう夏も終わり、これから寒くなる。 朝、同僚とかわした言葉を思い出し、イルカは屋上から見える景色を眺めた。 「それで?どうしたんだ?サクラ、俺に…」 「先生。私わからないの」 言葉を遮るように、サクラは顔をあげる。 わからない? 今年卒業した、くの一でも一番といわれるほどの頭脳を持っていたサクラが、何をわからないのだろう。 しかも、現上司であるカカシに相談せず、自分のところに来ているのかもイルカはわからない。 だから、続きを待つしかなかった。 その後に、自分の隠していた事実を暴かれることなど露知らず。 「先生。私…昨日のことを聞いてから、変なの。嬉しいと思っているのに、嬉しくないの」 「サクラ…?」 「祝福する気持ちは本当なのよ!あの時、本当にそう思って今でもそう思ってる。なのに…心から喜べないの。私ずっとずっと考えてたの、今日の任務も集中できなかったぐらい考えちゃって…何が不満なのか。何故そう思うのか」 聞きたくない。 聞いてはならないと、何かが告げる。 しかし、サクラを止めることはできなかった。 「…私は不満だった…そう…幸せなんだねって言った後、イルカ先生の顔」 隠していた事実が。 「先生…幸せそうじゃなかった。すごい…悲しそうだった」 誰にも言えなかった苦しみが。 「辛そうだった…どうして?先生」 突きつけられた。 がくりと肩を落としたイルカを見て、サクラは自分の言った言葉が彼を傷つけたと、真っ青になった。 気になっていたのは事実だった。わからないことが嫌で、イルカなら答えてくれるだろうと、勝手なことを考えて、サクラは後悔した。 (…私…!!) 尊敬する先生だからと、勝手にプライバシーに踏み込んだ。確かに、彼は先生だ。だが、それを離れれば一人の人間。 カカシとのことを自分が何も言う資格なんてなにのに、気になるからと。 「ご…ごめんなさい!!!イルカ先生!!!」 ただ知りたくて、好奇心丸出しにして。 それがイルカを傷つけるなんて、考えもしないで。 サクラは、顔を下に向けているイルカに、必死に謝る。 「私、私…!!そんなつもりじゃなかったの。ただ…私…ごめんなさい!イルカ…」 「…いいんだよ。サクラ」 いつの間にか目の前に来ていたイルカは。 (あ…) 酷く疲れたような、悲しみの篭った瞳を持っていて。 だから、後悔したばかりなのに、サクラは言ってしまう。 「先生…?私にできることなら何でも言って。だから…そんな泣きそうな顔しないで」 ぽろりと、イルカの目から一筋の涙が流れて、サクラは自分の思いが間違ってないことに気づく。ぽろぽろと泣き始めたイルカは、もうイルカ先生ではなく、何か苦しい思いを抱えた、一人の青年だった。 さくら(2003.10.14) |