暖かい昼の太陽は、ただでさえ眠気を呼び起こす。
「………ふわ」 思わず大口を開けそうになるのを寸前で止め、イルカはきょろきょろと辺りを見回した。今日はシフトの関係で今仕事が終わり帰るところなのだから、欠伸を咎める者などいないだろうが、大欠伸最中の顔を見られるのは恥ずかしい。 「良かった…誰も」 そう呟こうとしたイルカの目に留まるもの。 「………」 人の腕。 ついでに片足も。 それを見た途端、この眩しい朝日さえも乾いた風ごとくに思えた。 (なんでだ!?俺の日頃の行いはそんなに悪いってのか!?) 思わず神という神すべてに怒鳴り散らしたい心境になりながら、イルカはその腕らを睨み付ける。だが、睨み付けて数分たってもその腕がそれ以上動くこともなく、そして攻撃してくるだろう声もやってはこなかった。策略かと思いつつ、イルカが気配を殺してそこに近づくと、イルカの記憶から抹消したいその人物は、木の幹との間に体を横たえながら眠っているようだった。 (……馬鹿かこいつ) これだけ近づいても目を覚まさないカカシに、イルカは油断大敵だと薄ら笑みを浮かべる。今ここで彼を刺し殺したらどうなるだろう。死体を上手く隠し、誤魔化すことはできるだろうか、そんな考えを頭に過ぎらせながらイルカはカカシの顔を見続ける。 そういえばこんなふうに男の顔を見るのは始めてかもしれない。 別にじっくりと見たいと思ったことはなかったが、顔を合わせれば地位を笠にきた嫌味を吐き、横柄な態度を取る彼のことなどすぐさま思考から閉め出すイルカにとっては、珍しい出来事だ。額当てと口当てのお陰で顔の造形しかわからないものの、女に好かれる顔立ちということだけはわかった。 (間抜けなツラ) 長い睫をちらりと見て、イルカは背を向ける。折角早く帰れるのだ、こんな無駄な時間を費やす暇はない。だが、その時ぞくりとする寒気が背中に突き刺さった。 (…!?) ばっと振り返ったが、カカシはまだ眠ったまま。辺りにも怪しい気配は感じられない。だが… (この気配は…?) 氷の気配。先日の任務でカカシが放っていたものと同じ。 どこか狂ったような、底冷えするような気配。そんなものを持つ者は… 「…あれ。何」 はっとカカシを見れば、彼は起きあがってイルカを見下ろしていた。まだ寝ぼけているのか、目は半分閉じられて(普段とも大して代わらないが)いたが、そこにいたのはいつもの(憎たらしい)カカシで。 (もう消えてる…) まるで蓋を閉じたかのように、ピタリと治まってしまった気配。現れた時も突然で、消えるのも突然だった。 「…ちょっと人を…」 「何だ。珍しい組み合わせだなぁ…おい。まさかまたやり合ってたのか?お前ら」 「アスマ。失礼なことを言わないでよね〜俺はそんなに馬鹿じゃないよ」 「けっ。てめぇが言うなってんだ。なぁ?イルカ…イルカ?」 「え?」 唐突に現れたアスマのことも気付かず考え込んでいたイルカは、名を呼ばれて我に返った。そして目の前にいたアスマに慌てて頭を下げた。 「どうしたんだ?何かあったか?」 「い、いえ。ちょっとぼうっとしていただけなので…」 こいつ大丈夫か?という顔をしているカカシに対し、アスマは少しだけ眉を潜めたがそれ以上何も言わなかった。ちょうどよく話が途切れたのを幸いにと、イルカは二人に(本心はアスマだけに)頭を下げてそそくさとその場を後にする。 「何だろうねぇ…あの人。お疲れすぎなのかな?」 微塵も心配していない口調で言ったカカシだったが、アスマが何時までもイルカの背を見ていることに首を傾げた。 「ちょっと、どうしたのさ、アスマ」 「……いや、なんでもねぇ」 つんつんと肩をつつけば、ようやくアスマはカカシの方を向いたが、何故かその顔は顰められたまま。何かを気にしているようだが、それが全くわからぬカカシはつまらなそうにため息をつく。もう視界にも入らぬイルカのことを頭に浮かべ、そういえば彼も変だったことを思い出す。 (ま、俺には関係ないね〜) 「さて、俺行くわ」 「…ってちょっと待て。何でお前を迎えに来た俺が、置いていかれなきゃなえあねぇんだ!!」 「さぁ?」 「さぁ、じゃねぇっ!!」 こいつはっ!額に青筋を立てるアスマを後目に、カカシは枝から下りると歩き出す。後ろからぶつぶつと文句を言いながらアスマがついてきたが、カカシは気にせずマイペースに進み続けるのだった。 「火影様。聞きたいことがあります」 「な、なんじゃいきなり(突然現れて人の心臓を止める気かこいつは)」 仕事の合間の僅かな時間を、ゆっくりとくつろいでいた火影は突如現れたイルカに動揺しつつ、何とか火影という対面を繕いながら無表情にこちらを見返すイルカを見た。また任務をくれとでもいうのかと思ったが、彼の口から飛び出したのは意外な言葉。 「あの男は何なんです」 「あの男…?まさかカカシのことか?珍しいの、お前が…」 「火影様の興味に付き合う暇はございません。私はすぐ帰って眠りたいのですから」 「…では何で目の前に現れる」 さすがにむっとした火影だったものの、二人の関係を知っていてからかうような言葉を発しようとしたのは自分の方かと、大人の余裕をもって許すことにした火影は、何を聞きたいのかと眉を潜めた。 「…先ほど、あの男に会いました。余程暇なのか、アカデミーの近くの木の上で馬鹿のように眠りこけて…まぁあの男がどこで寝ようと、間抜けな姿を曝そうと興味はありませんが」 「…(ならわしにも関係あるまい)」 内心はそう思ったものの口に出さなかった火影は、何を聞きたいのかさっさと言って欲しいと心底願う。それがわかっていながらも、そんな気遣いをするつもりのないイルカではあったが、長々とカカシの話題を続けるのも時間の無駄かと思い直し、ようやくその疑問を口にした。 「…先日、任務の時のあの男の状況をお話したと思いますが、その時の気配を再び感じました」 「…何?」 火影の目が見開かれ、すっと目が細まる。そこには里人に慕われる彼の姿ではない、非情な任務も里の為ならば容赦なく下す上に立つ冷酷な支配者のものであった。 「それでどうした」 「あの男が目覚めたと同時に、その気配は消え去りました。もし、先日のことが無ければ私もあの気配があの男のものだとはわからなかったでしょう。一体あれは何なのです」 丁寧な言葉を使っているが、イルカの目を見ればさっさと吐けという無言の言葉がにじみ出ているようだった。そんな視線を受ければ、いつもの火影は口を濁しながらも彼の望みを叶えてくれるのだが、今日の火影は違った。 「それはお前が気にするべきものではない」 一刀両断。力強く吐かれた言葉は、それ以上の興味を許さなかった。不快げな顔をしたイルカに対し、火影はこれ以上は何も言うまいと手を振り、イルカを下がらせようとする。 「火影様。私はあの男が嫌いです。言っておきますが、先日のようなことがあれば…」 「それはお前の落ち度であろう。部下の躾ができないお前のな」 再び同じ事があれば次は容赦しない。その言葉を火影は再び切り捨てる。そしてそれは同時に、サクラに何かあっても仕方がないという意味でもあった。 すぅっと部屋の温度が下がる。鋭利な気配が立ちこめ、睨みあう火影とイルカの前にそれは今にも爆発しそうだ。 「言っておく。あいつに関わるな。お前の部下もだ。先日のようにちょっかいを出せばお前の部下は隊から外す」 「…この私から引き離せるとお思いか」 「嫌なら言い含めろ。責任を持って監督しろ。お前の部下を死なせたくないならば」 氷の棺を開けてはならぬ。 ざくりと足下の砂が鳴る。眩しい太陽を見上げるイルカの目は空を睨み付けているようだった。 (氷の棺…?一体何だそれは) 口を堅く閉ざした火影が唯一教えてくれたもの。一体それが何なのか、そして開けるというのはどういう意味なのかイルカには全くわからない。あの男のことを気にするつもりはない、だが、それがサクラとシカマルに関わるのならば話は別だ。 (何か知っていそうなのは…) あの状態を止めたたった一人の人物。いや…止められるのは彼だけか。だが素直に聞いても話してはくれないだろう。イルカの予想では、多分彼はサクラとシカマルと同じ位置にいる。 (さてどうするか) 面倒なことに関わったと思うと同時に、久しぶりに頭を巡らせていると不思議な高揚感が沸いてくる。それを感じるたびにああ自分は忍なのだなと確認するイルカは、小さく微笑みながら家路についた。 黒揚羽(2006.7.3) |