藤の夜


T  U  V


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暗闇しかない夜。
照らすのは、雲の間から見える月の光のみ。
生き物の息遣いも聞こえぬ暗闇の中、光るのは白い残劇。
目に止まらぬほどの一瞬で、生と死の行方が決まる。


ドサリ。


もの言わぬ人であった者を見下ろすのは一人の男。
血の滴る忍刀を横に垂らし、無言のままそれを見据える。
彼の顔には動物の面がつけられ、その顔は愚か表情さえ知ることはできない。
腕には炎のような型の刺青。
闇に生きる忍びのさらに裏にいる者達の証し。


「…終ったのか?」


どこからともなくかけられた声に、男は頷く。
きらりと月明かりを受け煌く刀。
ようやく動いた男の長い黒髪を束ねる五色の紐が、その動きに添い揺れる。


「では、戻るぞ」


遠くにいる仲間の気配を感じながら、男は再度頷いた。
そして二人の気配はそこから消えた。





そんな男の足を一瞬止める香り。
怪訝そうに、懐かしそうに振り返れば、そこにあるのは、銀色の月に照らされた紫色の藤の花。
こんな場所があったのかと、驚きつつ、それを見上げると、白い月と藤が重なり、幻想的な光景を見せる。

…このまま

ずっとそれを見ていたかったが、ついてこない男を呼ぶ声。

「シキ」

あきれの含んだ声に、男は面の下で苦笑した。
ふいに、どこからか感じる視線。ちらりと目を向ければそこには自分を見つめる男が一人。
ただ、暗闇に姿を隠しているためか、相手の姿をはっきりと見ることはできないが、こちらに放たれぬ殺気と、ここはもう自分の仲間がいる場所だということに相手が敵ではないと告げている。
だとしたら、彼が自分を見る理由は一つ――

相手に背を向け、自分を呼ぶ声の元へ向かう。その時、そっと面に指を触れながら…

木の葉の里の暗部がつける面。決して自分の正体がわからないように、つける面…
だが、自分の…いや、自分達のつける面は少し違う。

自分の面は同じ動物でも色が黒い。

それは―――


「シキ?」

前を走る男が振り返る。自分の心境を感じ取ったというように…
あいかわらず聡い男だと思いつつ、軽く首を振ると男は何もなかったように走り出す。

「これで俺たちの仕事は終わりだ。戻ろう」
「そうか…」

仲間の集まっている場所を遠くで見つめ、男が少し力を抜く。そこで初めてシキと呼ばれた男が声を出した。
ずっとつけていたままの面をはずす。ふわりと夜の冷たい風が頬に触れ、これで自分の役目が終わったのだと感じることができた。

「はぁぁ…疲れたな…早く帰って眠りたい」
「あいかわらずだな…疲れた疲れたって…」
「本当だからな。お前もだろう?シキ」
「まぁね。でもソウほどじゃないよ。若いし」
「…同い年だろうが」

軽口を言い合う二人には、もはや忍びというイメージはなく、その辺のどこにでもいる若者と同じだった。いや、実際彼らは若い。
端から見ても10代だろう。

「帰るか」
「ああ」

二人は夜風に体を包ませると、その場から消え去る。ひゅうっと風が何もなかったようにその場所で揺れた。




「恋人になってください」
「………はぁ?」


突然そう言われて、何と返せると言うのだろう?


それはうみのイルカの正直な感想だった。



はたけカカシ。


木の葉の里でも指折りのエリート忍者。 彼のいつも隠されている左目には、写輪眼というすべてを見通す目をもち、元は暗部に在籍していただけあって、腕も確か。
里の誰でも知っている、木の葉の里の誇れる忍び。実戦にあまり出ない中忍のイルカでも知っている、すご腕の忍者。


それが彼だけでなく、里の人全員の認識だろう。


だが、その彼とイルカはひょんなことから会話を交わすようになった。それはイルカの教え子である、うずまきナルトが無事下忍に認められ、そのスリーマンセルの上忍となったのが、カカシだったからだ。そのお陰か、すれ違えば挨拶したり、最近増やされた仕事である受付所で顔を合わせれば簡単な会話をする。
特に親しくなる訳でもなかったが、とにかくそんな関係だった。


なのに。



「イルカ先生、ちょっといいですか?」
「はい?」


授業が終わって職員室に戻ろうとしていたイルカを呼び止め、手招きする彼に、疑問に思いながらもついて行く。空いている教室に入った彼の後を追い、扉を閉めると、カカシは唯一見える右目でにこりと笑ったようだった(というのもそれ以外は覆面と額当てで隠されているので、イルカにはよくわからない)。


「あの…それで何でしょうか?」
「ああ、実は大したことでは無いんですが、イルカ先生にお願いがあるんですよ」


飄々と何でもないことのように言うカカシ先生。だからか、イルカもお願いと言っても、大したことでないのだろうと思っていた。


「何ですか?俺にできることなら…」
「本当ですか!いや〜ありがとうございます」



深く考えず受付で見せる営業スマイルを浮かべながら言ったイルカは、すぐ後悔することとなる。 …自分の性格が恨めし苦なるように…


そして、冒頭に戻る。


「恋人になってください」
「………はぁ?」


これ以外の言葉が言えるのなら、、誰か教えて欲しかった。



…………しばらく訪れる沈黙の間。


「イルカ先生?聞こえてます?」


ひょいっとカカシ先生が固まったイルカの顔を覗き込んできた。
目の前で揺れる銀色の髪にイルカははっと我に返る。
…どうやらあまりに予想外の展開に、頭がついていけなくなったようだった。


「…冗談ですよね?先生」
「いえ」


にっこりとだが、密かに額に青筋を立てながらイルカが言うと速攻カカシは否定する。
…人が折角冗談で流そうとしたのに…
イルカはぎりぎりと歯を鳴らしそうになりながら、カカシの真意を測りかねる。
何考えてるんだ!?こいつはっ!?


その前に、イルカは同性愛者とかに偏見を持っている方ではない。
忍者という家業をしていれば、任務へと出かけたときいつも女性がいるとはかぎらない。だから、そいうことが起こるのも知っているし、それは暗黙の了解でもある。
しかし!それに自分が巻き込まれるのとは別問題だった。


じーーっとカカシの顔を見ていると(恨みの篭った眼で)、何が可笑しいのか彼はにこにこ笑っている。どうやらイルカの返事をまっているらしい。
…すごいムカツク…


無論、即効断ろうとしたイルカだが、それを口に出す前にふと思う。
…お願いと言っていたよな…
普通、恋人というのは、互いに好きあった者同士がなるものだろう。ということは、別にお願いされてなるものではないはずだ。


「…何をお考えなんですか?カカシ先生」
「あ、やっぱりばれました?さすがイルカ先生!」
「…誉められても全然嬉しくないんですが」


ぱちぱちと拍手するカカシをじと目で見て、無言で説明を求めると、彼はさらりとこんなことを言ってきた。


「いや、俺今恋人いないんですよね〜すると女、男が寄って来て五月蝿いんですよ〜だから恋人ができれば少しは静かになるかなと思って〜」

…一度死ね。
彼は…いや大半の人がそう思っただろう。…現在恋人のいないイルカに堂々と言うセリフだろうか?
イルカは目の前の男が腹立たしくなった。


「だから、ね?お願いしますよ。先生!」
「嫌です」

馬鹿馬鹿しい。こんなことにいつまでも付き合ってられるか。
イルカが即効断りの言葉を入れた途端、カカシの不満げな声。
ってか!何でだよっ!!!


「何で駄目なんです?先生今恋人いないでしょ?だったらいいじゃないですか!」
「嫌だったら、嫌です。…第一何で俺なんですか。別の人に頼んでくださいよ」
「何でって…先生ならいいよ〜って言ってくれると思って」
「(怒)いいません!!!!すいませんが、これから受付なので失礼させてもらいますっ!!!」


何でカカシが、イルカに恋人がいないこと知ってるのかは不明。
彼のことだから、調べたのだろうけれど。しかし、頭に血が上っているイルカは、それ以上考えることはできず、 もう上忍を相手にしてるとという意識は吹っ飛び、カカシの言葉をそれ以上聞かず、さっさとその場を後にした。



「…何やってるだ?お前…」

あきれたような声にカカシが振り向くと、そこにはアスマがタバコを吹かしながら立っていた。
とうにその気配に気付いていたカカシは別段驚くこともせず、うるさいよと返す。


「うるせぇじゃねぇだろうが。何だぁ?今のは」
「アスマには関係ないでしょ〜ほっといてよ」
「そりゃ関係ないがな。…あのセンセイを好きなわけでもないくせに、何であんなこと言ったんだよ」


不可解なカカシの行動に、頭を掻きながらアスマは机の上に座っているカカシを眺める。


(ったく、何を考えているんだか…)

いつも考えていることがわからない奴だった。忍者の腕は確かで、任務をこなす上ではこの上なく頼りになる男だが、何を思っているのかはさっぱりわからない。
しかも、カカシがちょっかいをかけたイルカは、最近知り合ったばかりで、自分が知るかぎりでも仲が良いとも思えない。鼻の上に一筋の傷をつけた温厚で真面目なアカデミー教師。人が良く、同僚や子供達からも受けがいい中忍の…
そんな相手に恋人になれだなんて…


(イルカが怒るのも当たり前だろうが)

いつまでも自分から視線をはずそうとしないアスマに根負けしたのか、カカシはため息をついた。


「だってさ。あと腐れなさそうじゃない」
「………それだけで選ばれたイルカはとてつもなく不幸だな」
「しょうがないじゃない〜イルカ先生しかいなかったんだもん」
「だったら、マジで恋人作れよ。そのほうがお前にとってもイルカにとってもいいことだろう」
「……好きな人なんていなーいよー」
「…?おい?」

最初の間が気になったアスマだが、それを問い返す前にカカシはもう話は終わりとばかりに、すいっと姿を消した。なんとなく割り切れない気持ちのまま、アスマはめんどくせぇと呟いた。

(2003.2.21)






U

信じられられない…!!!
何が俺ならいいよと言うだっ!!!
怒り心頭のまま、イルカは受付所に行き、思わず机の上にバンと書類を置いてしまう。


「お…おい?どうしたイルカ」
「あ…」

普段あまり怒らない彼の姿に、同僚はもちろん報告書を出しに来ていた人たちが驚いてこちらを見ていた。注目を集めてしまったことに気付いたイルカは、かっと顔が赤くなるのを感じながら、いいやと同僚に返す。

「ならいいけどな。びっくりしたぞ。珍しいな。お前がそんなに怒るなんて…」
「は…はは…まあ、俺も人の子だしな…」
「けど、忍者がすぐ感情を表に出すのはよくないですよね〜」
「!!!」

ぐりんとイルカの首が回った先には、今最も遭いたくない人物の姿があった。
さっき会ったばかりなのに、こんにちは〜とか言い、手を振るムカツク上忍。
…誰のお陰でこんなに機嫌悪いと思ってるんだよ!!!
イルカは歯軋りしそうになる己を必死で抑え、受付所の椅子に腰掛ける。

「はい。これ」
「………お預かりします」

カカシから渡された報告書を受け取り、イルカはできるだけ彼に意識を向けないようすばやくチェックする。
どうやら、ミスはないようだ。イルカがが結構ですと言おうとした時。


「先生、先ほどのこと考え直してくれません?」
「嫌です。というかこんな所で止めて下さい」
「?どうしてですか?」
「………(怒)」

わかってるくせに、不思議そうに問い掛けてくる上忍にイルカは本気で殺意が芽生えてきた。持っていた鉛筆がぼきりと折れ、備品は大事にしなきゃ〜とぬけぬけと言う目の前の男をこれ以上見ていなくない。

「報告書は結構です。次の方どうぞ!!」
「ねぇ、先生」
早くどけよっ!!!
一刻も早くこの状況から脱出したくて、イルカは思わずカカシ先生をぎろりと睨む。いつも笑っている彼からそんな表情を見せられたのがよほど以外だったのか、カカシは少しだけ目を丸くした。

「……邪魔だ。どけ」
「…アスマ」

天の助け!!!
カカシを押しのけ、ずいっと報告書を出すアスマにイルカはほっと息をはき、いつも以上の笑みを見せる。途端、アスマが無言になった。
…あ、やば。引いてるよ。
イルカは慌てて報告書を受け取り、丁寧にそれを見る。横で押しのけられたカカシが不機嫌そうにしていたが知ったこっちゃない。 しかも、どっかいけとおっぱらってくれてる!!!
は〜いい人だなぁ…
アスマに対するイルカの印象が数倍アップした。

「おい。先生いいのか?」
「あ、はい!ご苦労様でした!!」

イルカの声にそうかと呟き、アスマはカカシを連れて出て行った。


「…大丈夫か?」

ぐったりとしながらもにやにや笑っているイルカに同僚が不気味な目を向けてきた。
平気さ、平気だけど…これからのことを考えると頭が痛い…
はぁ。
イルカの受難の日々の始まりだった…






俺が一体何をした…???

「イルカ先生ーおはようございます!」
「………おはようございます………」
あの日から、カカシはマメと思われるほど毎日毎日、イルカのいる所に顔を出す。
職員室、受付所、休憩時間。
これで任務ができるのか!?と思うほどだが、出された報告書を読んでみれば一応、大丈夫のようだった。

「あれ?先生お疲れですか?」
「……はぁ……ちょっと………」
ってか!!誰のせいだよ!誰のっ!!!
そうどなり返す気力も、もはやイルカにはない。
最近では、イルカの周りにカカシが現れる度、同僚達がずざっと離れ、こちらを遠巻きに見るようになった。おまけに、お前がカカシのお気に入りかと受付所で言われた時、イルカの心に湧きあがる殺意はどんどんと膨れ上がるばかり。
…そう…カカシは実力行使というものをしだしたのだ。
色よい返事を返されぬなら、行動を起こすことによって周りに認識させるという方法。


いつも一緒のカカシ先生とイルカ先生。



どうやら二人は付き合っているらしいよ―――



―――違うっ!!!!

同僚からそんなことを聞かれたイルカはすぐさま否定した。
一緒にいるのは、カカシ先生が勝手に傍にいるからで、俺は一度も望んだことなどない!!!と。
だが、表面はそうかと言うものの、誰も信じていないのはあきらかで。イルカの気分はずんずんと下に落ちて行く。
…まるで、底なしの穴に蹴落された気分…
それは強ち間違いでもないのかもしれない……

そして、腹立たしさを通り越し、もう泣きたくなるような言葉をかけられた。

「媚び売りやがって」

何でそんなことを言われなきゃならん!!!
憤慨するも、反論する暇もなく。
お陰で平和で地味な日々を送っていたイルカの生活は180℃変わってしまった。

すなわち。

顔も知らぬ上忍からは興味深々で見られ、女性達からは棘のある眼差し(自分でモテルと言っていただけはあって、数は半端じゃない。ただ、その中に一部男性が含まれているのはちょっと嫌だ)。唯一、彼の本当の状況を知ってくれているのは、同じアカデミーの同僚達。しかし、彼らと飲みに行こうとしても、どこからともなくやってくるカカシに逆らうのはさすがに無理らしく、やがて彼を誘う奴も人もいなくなった(くそ〜)。

ということで、イルカのストレスはたまるばかりで。
日々目つきが悪くなるのも仕方がないだろう??

「お前こえぇ」
「……サイ」

しばらく任務で里を離れていたイルカの親友が帰ってきて早々言った言葉。昔、彼と任務を組んでから気が合い、付き合うようになった。きっと同じ中忍という気安さもあるのだろう。イルカも彼になら何でも言える。

「何だよその目。ギスギスしてさ。近寄りたくねーって感じ?」
「……だったら近寄るな」

理由もわかっているくせにそう言う彼にむかついて、イルカはぷいと背を向けた。だが、サイは気にすることなく後を追ってくる。

「それじゃ、皆引くぜ?お前子供達の前でもそんな顔してるんじゃないだろうな」
「……それは大丈夫だと思うけど」
「せんせー最近怖くない―?と言われてたりしてって、怒るなよ」
「……………」

はあっとあきれたようなため息。長い前髪を邪魔そうに横に振って、肩を竦める。

「俺が言いたいのは―お前の機嫌の悪い理由は子供達や他の奴らには関係ないってこと。他の奴らを不愉快にさせんなよ」

…イルカははっと息を呑んだ。
そう…彼の言う通りだ。
イルカが不機嫌や、腹立たしいことは、子供や他の人たちには関係ないことで。何もしていないのに、そんな顔をされて、気分がいい人はいないだろう。
自分のことが精一杯で、そんなことも忘れていたことに、イルカは反省した。

「…悪い…」
「俺に謝るなよ。これから気をつければいいさ」
「ああ!わかった」

ぽんとサイがイルカを慰めるように肩叩いた時。どこからともなく聞こえてくる声…


「イ〜ルカ先生っ!」
「じゃあな!イルカ!がんばれよ!!」
「って、お前もかぁぁぁ!!!!」

親友に罵声を浴びせるも、サイはダッシュで逃げて行った。さわらぬ神に祟りなしである。

「うぐ!?」
ドンと肩にかかる重み。ぎろりと振り返ると、そこにはにこりと笑う右目。

「重い!!どいてください!!」
「いやです〜俺任務終ったばかりで疲れているんですよ」
「俺は今から受付所なんですっ!!!」
「じゃあ、一緒に行きましょう」

一人で行けぇぇぇという声は届かず、イルカはカカシに引きずられながら受付所へと向かったのだった…


「最近疲れているようじゃな」
「…火影様」
誰のせいでとも言えず、そんなことはありませんと言ったイルカを見ながら、火影はふーーっと長いため息をついた。恐らく告げ口のように理由など述べないイルカ。だが、そこは火影。原因となる人物をちゃんと知っていた。

「…ここに巻物を届ける簡単な任務がある。気晴らしにいってみんか?」
「え…ですが…」
「お前の足なら3日ほどで戻れるじゃろ。久しぶりに体を動かせ」
「…はいわかりました。…ありがとうございます」

火影の気づかいにイルカはぺこりと頭を下げ、去って行く。
それを見送りながら、火影はふーーっと長い息を吐く。

「全く何を考えているんじゃ、あやつは…」

彼の行動に目を丸くしたのは火影も同じ事だった。
普段から、特に興味もなく執着という言葉は無縁の彼が、あろうことか、自分のお気に入りであるイルカに目をつけた。
さりげなくその辺りを探ってみれば、別にイルカのことが好きだということでもないらしい。だったら、何を目的にあれにひっついているのか…

「困るのう…」

いつもストレスをためがちなイルカにさらなる負担をしいる、心配のための言葉。
だが、その裏に隠されていることがもう一つあった。

「困るのう…」

そうもう一度呟いて、火影はとある書類を眺めた。

(03.02.23)





V

「え〜イルカ先生いないのぉ?」
「は…はぁ、急に任務が入ったとかで…」
「任務ぅ?んで?いつ帰るの?」
「3日ほどかと…」
「ふぅーん…」

つまらなそうに呟いて、カカシはぺいっと投げ捨てるように報告書を渡した。イルカがいなければこんな所に長居はしないという態度がありあり。
さっさと受付所を出て、上忍専用の休憩所へ向うと、そこにはぷかぷかとタバコをふかせた大柄な同僚がいた。
彼はカカシに気づくと、おやという顔を見せる。

「振られたにしては、はぇぇな」
「失礼だね。そんなわけないでしょ」

アスマの隣にどさりと座り、ふんと鼻を鳴らす彼にやれやれと呟く。

「任務だってさ。なんで黙っていくかねー」
「ああ?バカかお前…」

機嫌が悪い理由は、イルカがいないこと。それもカカシの知らない間に任務に出てしまったことのようだが…そんなの聞かれるまでもなく、誰もが言うだろう。
お前と顔をあわせるのが嫌で行ったんだと。

(つーか、そもそもいちいちお前に言わなきゃいけないんだよ)

振られても振られても、あきらめることのないカカシ。
何が彼をそんな行動にかきたてるのか、未だに謎だ。

「アスマ…とあら、カカシこんな所にいたの」

がらりと扉を開けて、二人と同じくスリーマンセルの上忍となっている紅が、ちょうどよかったという顔をしたのを見て、嫌な予感に包まれたカカシ。

「…何」
「何って失礼ね。アンタのこと火影様が呼んでたわよ?」
「げー…」
「気持ち悪い声を出してないでとっとと言ってよ。折角伝えてやったんだからね」

しっしとまるで犬や猫を追い払うごとくの態度に、膨れながらもカカシはのそりと立ち上がり、消えていった。

「?任務か?」
「さあ?でも、上忍が何人か呼ばれていた見たい」
「ほーまぁ、ごくろうなこったな」
「あ、忘れてたわ。アンタも呼ばれてたんだ」
「…それを早く言えよ。てめぇ…」

めんどくせぇと言いながら、去っていくアスマに紅はひらひらと手を振った。



「はぁ…お土産までもらっていいのか?」

無事任務を終えたイルカは、闇にまぎれながら、木の間を駆け抜ける。
往復3日という、かなり余裕のある日程の任務は、イルカをそれほど疲れさせるものではなかった。いや、それどころか骨休めになったと喜んだ方がいいのかもしれない。

「草野のご隠居様もお元気そうだったし…」

帰る日まで、自分を側から離そうとしなかった人を思い出して苦笑する。

今回、イルカが受けた巻物を届けた相手は、かねてから火影と親しいとある大名のご隠居だった。
情報のやり取りから始まり、次第に交流を深めた一人なのだが、いかせん、裏表をうまく使い分ける人たちということで、相手をするのはなかなか骨が折れる。
気に入らない相手には、それが火影の使いであっても、容赦なく小言を言うため、お陰で命のやり取りをする任務ではないのだが、誰もやりたがらない。しかし、元来人柄も良く、教師という立場のせいか色々知識が広いイルカは彼らに気に入られ、逆に彼をよこせと火影に注文を入れるしまつ。しかし、イルカは彼らのことをそれほど苦手でもなく、逆に検分を広められると喜んだので、こういう任務はイルカにまわされることが多くなっていった。

「…任務が終わったのはいいけど…気が重い…」

確かに今回のことはいい休みになった。日々ストレスの溜まる一方だった現在では特に。
だが、なんとなく黙って出てきてしまったことに、最近まとわりつくあの男が嫌味を言うのは確かなことで。それだけで胃が痛みそうだった。

「はぁぁ…」

次第に見えてきた里の明り。
それを見ればいつもほっとするのに、今日はどこか憂鬱だった…



「火影様。只今戻りました」
「おお。ご苦労じゃった」

家に戻る前に火影の前に顔を出したイルカは、草野の隠居から預かった手紙などを渡す。火影は軽くそれに目を通すと頷き、ごくろうじゃったとねぎらいの言葉をかけた。それに軽く頭を下げたが、ふいにイルカは怪訝そうに首を傾げる。
火影から退出許可がでないのだ。

「…火影様。何かありましたか?」
「…うむ」

何か悪いことでもあったのかと、ふいにナルトのことが浮かんだが、火影の顔から見てそうでもないようだった。

「…お前が任務に出た日。Aクラスの任務が出た。…抜け忍の残党が近くに潜んでおるとな。最初はたいしたことでもないと思われたが…予想以上にてこずっておる」
「規模は?」
「10人程度と聞いておったが。…奴ら近くの山に仲間を潜ませておったらしい。実際は30人ほどいたようじゃ」
「…それで、こちらは…」
「上忍を3名。じゃが、すぐに中忍を10人ほど向わせた」
「中…忍ですか」
「お前の言いたいことはわかる。役不足ということじゃろう?じゃがな…まだ他の場所に潜んでいるらしいとの暗部から報告を受けて、戦力を避けれぬ」
「…そうですか。わかりました」
「すまんな」

頭を下げたイルカにかけられた言葉。彼は小さく笑い首を振る。

「里を守るためならば。それに今回の任務はいい休みになりましたので」
「そうか…それでは「あいつ」と共に行け」
「え?いるのですか?」
「無論じゃ。お前を待っておったのじゃから」

はぁ…とすまなそうに鼻筋の傷をさわり、イルカは申し訳なさそうに笑うと、彼はすいっと姿を消した。

「さて、これで向こうは安心じゃの…とあやつがいることを言うのを忘れていたが…」

まぁ大丈夫だろうと、火影は煙管をゆっくり吸った。



「いいかげん、うっとおしい!!!」

ざんとカカシが手を動かすと、悲鳴とともに、血の匂いが充満する。倒れた敵の生死を確認する間もなく、次から次へと襲い掛かってくる敵に、彼は舌打ちした。

「援軍役にたってるわけ?こちらばっかり負担かかってるような気するんだけど」
「文句言ってないで手を動かせっ!!!雑魚ぐらいは片付けてくれているだろうよ!!」

すぐ側で聞こえたアスマの声に、ため息をつき、写輪眼を動かし、敵の次の行動を先読みしてクナイを振りかざす。

(まったく…)

抜け忍の討伐、ランクはAクラスだが、人数は10人ほどと聞いていたので、一日もあれば十分終わると思っていたのに。
誘うように近くの山に逃げ込んだと思えば、うらうらと人数が膨れ上がり、カカシ達は慌ててその場から一時撤退すると援軍を求めた。それに答えて来たのは、中忍。正直そんな奴らがあまり役立つと思わなかったが。
しかし、そんな心配をする暇もなく、カカシは敵と戦闘にはいる。これがまた抜け忍のくせに、腕が立つものだから忌々しいことこの上ない。

(あ〜今日イルカ先生帰ってくるはずなのに)

自分に黙って行ったことを責めて、うまくいけば目的が達せられるはずだと内心ほくそえんでいたのに。

(これじゃ、水の泡だよ…)
「ぼやっとすんじゃねぇっ!!!」
「はいはい…」

アスマに注意を受けたが、カカシが手を休めることはなかった。何しろ相手は自分と同じ上忍。油断できる相手ではない。しかし、腕はカカシの方が上だった。
次第に相手が焦り始め、どうやら仕留めることができそうだと、カカシが一歩踏み出した時、予想外のことが起きる。

「くそっ!!!」

突然、自分達の傍に二人の男が飛び出してくる。敵かと思ったが、それは戦闘中の敵と味方。どうやら自分達の戦いに夢中で、自分達がカカシの前に飛び出してしまったことに気付いていない。

(ちっ…!!!)

お陰で相手を仕留めそこなったカカシは舌打ちする。そんな絶好の機会を相手が見逃すはずもなく、敵はその場から姿を消していた。
ぎゃあっと聞こえてくる悲鳴。立ち上がった姿から、味方が勝ったようだが、カカシのいらいらは収まらない。

(状況判断のできない奴を送ってくるなよな…!!!)
「逃がしたのか」
「ああっ!そうだよっ!!!」

アスマに指摘されて、カカシの機嫌は悪くなる。味方だと思ってこちらへやってくる忍びを、カカシはぎろりと睨んだ。

「っ!?」

上忍の殺気に彼は怯んだ。アスマが落ち着けと肩に手を置く。

「仕方ねぇだろうが。怯えさせるなよ」
「………」

自分が何をしたのか分かっていない中忍らしい忍びは、その場に立ち止まったまま、おろおろと視線を彷徨わせている。

「おい。まだ戦闘は終わってねぇんだ。ぼやっとするな」
「は…はいっ!」

アスマに声をかけられて、ようやく呪縛が解けた中忍はほっとした顔でこちらへ向かってくる。その顔になんとなく見覚えがあるな…とカカシが思った時。ぞくりとする感覚が彼を貫いた。

(03.02.23)