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体中に傷をつけ、それでも彼は引かなかった。息も絶え絶えに、それでいて最後のクナイを握りしめて、敵の前に立ちふさがる姿。どんなに敵が増えても、彼は引かない。逃げない。そんな彼の姿に、敵は自分達の状況が有利だというのに、恐れていた。
何故だ。 何故。立っていられる。そんなことをする。 いや…そもそも何故、お前がそんなことをするのだ。 そんなことをするべきではないはず… 違うのだぞ?わかっているのか?
お前が立ちふさがる理由と。
お前の価値は。
天と地ほど違いがあるのに。
嫌悪する。どす黒い何かが、体を支配し始める。
殺してやりたい。こいつを。何もわかっていない、愚か者を。
殺してやりたい。
「遅いわよカカシっ!あ!イルカ!」 「どうも、アンコさん」
2階に上がったイルカは、座敷の惨状を見て、顔を引きつらせた。
(…これが上忍かよ)
そこらじゅうに転がる酒瓶の数と、好き勝手に騒いでいる様は、アカデミーの子供と変わらない。上忍達のイメージが崩れイルカはここに来たことを後悔し始めていた。
「イルカ先生。それその辺置いて置いて。適当につまみ持ってきてくれます?」 「あ、はい」
カカシは自分が抱えていた一升瓶を片方だけ置くと(早速それをアスマが蓋を開けていた)、まだ使われていないコップを二つばかり掴むみ、当初飲んでいた隅へと歩いていく。イルカも、自分とカカシが食べそうなものを少しだけ装い、それについて行った。
「ここで、静かにやりましょう。ちょっと、周りが五月蠅いでしょうがね」
こぽりとコップに、水の音が落ちる。はいと、イルカは差し出された片方を恐縮して受け取り、かちんと互いのコップを合わせた。
「それじゃ、お疲れさま〜イルカ先生」 「え、はい。どうも…」 「堅くなる必要ないですよ?向こうは気にせず飲んでください」
そう言って、カカシはするりと覆面を下ろした。
え…? 思わず目を丸くして、その顔を眺めているイルカに、カカシはどうしましたと聞いてくる。
「え…と、カカシ先生!顔…」 「え?ああ、別にいいんですよ、見られても減るようなものじゃないですし」 「え?」
当然のようにそう言ったが、では何故今までイルカの前でそれを取らなかったのだろうと思う。そんな疑問が顔にでていたのか、カカシが笑った。
「だって先生。いつも興味ありげに見ていたでしょう?俺そいうの見ると、意地悪くしてやりたいんですよね」 「…先生」 「実を言えば、いちいち下ろしたり上げたりするの面倒だったんですよ。だからこれで安心しました」
…そんなに自分は顔に出していたのだろうか。 イルカは僅かに顔を赤らめながら、すいませんと呟く。よくナルトにカカシの顔を見たか聞かれていたから、気にするようになっていたのかもしれない。自分でも気づかなかったそれを見抜かれていたと思うと、イルカは何だかいたたまれなくなった。
「ま。もう気にしないで下さいよ。飲みましょう?イルカ先生」 「は…それでは」
初めてみる灯りの下でのカカシの顔は。予想通り整っていて、真っ正面から見られるとドキリとしてしまう。 素顔で彼が笑うと、いつも以上に彼が優しく見えた。
もったいない。 額当てと覆面で顔を隠しているため、彼は怪しい人物と言われているから、イルカは尚そう思う。
もったいないなぁ… もう一度そう思いながら、だが、それを見られる人たちの一員になれたことが嬉しいイルカだった。その後は、酔っぱらった上忍連中に無理矢理仲間に引き入れられて、カカシと会話することもなかったけれど、普段見ることのできないカカシを見られてイルカはこれ以上になくご機嫌だった。
…あんなにいい人なのに。どうして。 そう思えば思うほど、サガラのことが気になって。 いくら飲んでも酔えないイルカだった。
動けない連中は放って置いて、まだ理性の残っていた上忍達が帰り支度を始める。勿論その中にカカシとイルカも含まれていた。
「紅、しっかりしろよ」 「う〜ん、まだ飲めるわよぉ…」 「…やれやれだな」
紅を担いだアスマが溜息をつく。店で潰れている上忍達と同じくぐらい飲んだというのに、アスマの足取りはしっかりしていて紅を家まで送る余裕もあるようだ。
「まったく…ガイと張り合うことないだろうに」 「お前が相手してやらないからだろうが」 「冗談。すぐ勝負になるんだから遠慮しておくよ」
カカシはそういうと、うにゃうにゃと畳の上に転がっているガイを見た。
「そんじゃ、帰るか。イルカは大丈夫か?」 「はい」 「こう見えてもイルカ先生強いからね〜」 「そんなことありませんよ」 「ほう?じゃ、今度俺と飲みに行こうぜ?」
アスマの誘いだったが、イルカは恐ろしいことが起きそうな予感を持ち、乾いた笑いを浮かべるに止めた。
「んじゃぁな」
外にでれば、少し冷たくなってきた風が彼らを包む。しかし火照った体を覚ますにはちょうど良い温度。カカシ達と反対方向へ歩き始めたアスマを、カカシが呼び止める。
「アスマ」 「ん?」 「…え〜とさ、どうもな」
そう言って、すぐに背を向けてしまったカカシ。アスマはそれにふんと笑いを浮かべる。
「おごりならいつでもつき合うぜ」 「…アスマと飲むと際限ないんだよね〜ということで、イルカ先生。止めた方がいいですよ」 「え?え、あの…」
イルカが何と返答するか迷っている内に、アスマは紅を担いで行ってしまう。これが、彼らのつき合い方なのだと、イルカが何となく理解した時、カカシが行きましょうかと声をかけてきた。
「はい」
軽い足取り。 それは、カカシの機嫌の良さを示しているのだろう。 ずっと沈んでいた彼が、元気を取り戻せたのを見て僅かに後ろを歩くイルカは嬉しい。
「どうしました?イルカ先生」 「いいえ?」 「でも笑っていたでしょう?わかってるんですよ」 「それは、飲み会が楽しかったからですよ」
僅かに絡んでくるカカシは、酔っているのかもしれない。それが可笑しくてくすくす笑っていると、カカシが膨れたように無言になった。
「怒らないでくださいよ。カカシ先生」 「怒ってませんよ」 「いいえ。怒ってます」 「怒ってませんて〜しつこいですよ?」
イルカは笑いながら、こちらを見ないカカシを振り向かせようと手を出した時。
「!!!!!」
ぴんと、張った気配にイルカの目が鋭く細められた。前を歩くカカシも気づいたようで、ぴたりと足を止めている。2人は無言で戦闘態勢になると、油断無く辺りを見据えた。今まで酔っていたことが嘘のように、目が忍のものとなっている。
「…イルカ先生。先に行って頂けます?」 「…は?何をいきなりっ!」 「多分これ、俺に用があると思うんですよね〜ですから…」 「貴方俺を馬鹿にしてるんですかっ!?俺は忍ですよ!相手がどんな目的で来ようと、仲間を見捨てて逃げるほど臆病者ではありません!」
自分は頼りにされていない。 イルカはそれがわかり、悔しくて唇を噛んだ。だが、カカシがそういうのも理解はできる。殺気を向けている相手は上忍クラスの忍だ。ここに中忍がいても殺されるだけだろう。カカシは自分の巻き添えになることはないと、そうイルカに告げたのだ。
だけど。
ここにいたのがアスマなら、カカシはそう言わないのだ。背を預け共に戦うのだろう、相手がそうしてくれるのも知っているし、アスマも当然のようにそうする。そんな見えない絆が、今のイルカには羨ましかった。 それに…
わずかに漂うこの気配には見覚えがある。
サガラさん。
何故と、どういうつもりだとの思いがイルカの中で交差する。仲間どうしの私闘は火影の名において禁止されている。それを知らない彼ではあるまいに。
「イルカ先生!」
早く行けとの、カカシの声。だがイルカはそれに従うつもりは毛頭なく、耳をかすめたカカシの歯ぎしりに、イルカの胸は締め付けられた。
ギィン!!!!!
どちらかが動く前に聞こえてた鉄の音に2人は、身を固くする。そんな2人の前にふわりと落ちてくる一つの影。
暗部だと、カカシとイルカはその装いから同時に理解した。こちらに顔を向けず、身振りで行けと合図する。この場を引き受けてくれるという彼に、カカシはすまないと一言述べて、イルカの腕を取った。
「行きましょう」 「は…はい」
頷き返したイルカは、彼の左足太股に結んである紐を目の端で捕らえていた。
すまない…【セキシ】 小さく心で詫び、イルカはカカシの後を追う。
「おっと、悪いが通行止めだ」
その後を追う気配をさせた彼に、セキシはそう言った。ぎろりと、気配から自分を睨んでいるのを感じ取り、セキシは面の下で笑う。
「お見通しなんだよ。お前が我慢できなくなっていることは」 「…だったら、その場をどけ」
ようやく返って来た返答。それと同時にサガラは姿を見せた。他の忍と同じ支給されている忍服に身を包み、黒い衣を纏っているサガラ。【コウ】でなく、サガラとして来た彼は「黒の部隊」を汚すつもりはないと告げていた。だが、それは通じない。
「私闘は禁じられているはずだ。サガラ。獲物を引っ込めて、火影様の元へ出頭しろ」 「…どけ」 「サガラ。これ以上はやりすぎだ。お前の行動は目に余る」 「…何も知らぬくせに!!!どけっ!!!」
激高したサガラが、忍刀を抜く。 本気だ。 レツヤは、小さく舌打ちすると同じく忍刀を抜いた。
ギィン!!
闇の中、刃の光が炸裂する。 だが、時期にセキシが押されていった。
っくそっ…! 体格的にはセキシの方が勝るのに、サガラの細腕はそれを圧倒する。 このままでは、まずいと思ったセキシは力を緩め、後方に飛び図去る。しかし、それを見逃すサガラではない。
「ってめぇっ!仲間に本気で来るかよ!!!」 「ならば邪魔をするなっ!引けば相手にはせぬ!」 「そうですかって言うか!この馬鹿がっ!!!」
キィン!
先ほどより甲高い音が響き、2人はすぐに離れる。そして、サガラが印を結ぼうとしたことに、セキシは目を見張る。
「てめっ…!!!」
体術などより、術の方を得意とするセキシがあえて術を使わなかったのは、彼を倒す気がないことの証だった。それに術は目立つ。一度でも使えば、その異変はすぐさま火影に知れ渡り、暗部達が駆けつけて来るだろう。 いくら「黒の部隊」にいるとはいえ、火影の法を破るなど絶対に許されない。セキシ達がどんなに庇おうとも、彼が起こした罪は…
「やめろっ!!」
サガラの術が完成しようとした瞬間。
「!?」
バチンとサガラの腕が弾かれる。サガラ本人も何が起きたのかわからない中、ゆっくりと声がかけられた。
「何やってるんだか…いい加減にしろよ」 「ソウ!」
不機嫌な彼の声が、2人に落とされる。ソウはゆっくりと、サガラに近づいていった。
「お前には、封印術をかけた。術は発動しないぞ」 「いつの間に…!」
ソウの術、得に守護に属する術の腕は「黒の部隊」一だ。どんなに足掻いてもそう簡単に解けるものではない。サガラは歯ぎしりしながら、ソウを睨み返した。
「サガラ…お前自分が何をやっているのかわかっているんだろうな」 「黙れ!ソウ!お前に何がわかる!!!」 「お前の都合などわかるわけないだろう。俺がわかるのは、お前が【シキ】を貶めようとしていることだけだ」 「なんだとっ!!!いつ俺がっ!!!」 「いつ…だと!?ならば今お前がやっていることはなんだっ!自分の仲間に刀を向けて、挙げ句術まで発動させようとしたお前は!!!「黒の部隊」は一枚岩だ!それを崩そうとしているお前が、【シキ】に離反していないと言えるのかっ!!!」
言葉に詰まるサガラの腕をソウは掴んだ。
「申し開きは、【シキ】様の前で行え。来い」
有無を言わせぬ彼の迫力に、サガラは無言で従う。
やれやれ… セキシは溜息をつきながらそれを追っていった。
「イルカ先生はここにいて下さい」 「え?」 「俺は様子を見てきますから」
そう言って、来た道を戻ってしまったカカシを、イルカは見送った。もし、イルカがいなければ、セキシとともに戦う道を選んでいただろう彼。それでも、見捨てることができずに道を戻る。 イルカはうつむき、唇を噛みしめた。
「【シキ】様」
ざあっと吹いて来た風に呼ばれ、顔を上げればそこには3人の姿。暗部服に身を包んだ2人の男に挟まれるようにいるのは…
「…説明してもらおうか。【コウ】」
刃物のような声。 ひやりと3人の間に緊張が走る。しかし、それを…許さない。
「【コウ】」
【シキ】は許さない。 (2003.10.6)
[
「シキ様…」 「コウ、どういうつもりだ?お前の噂は日増しに酷くなるばかり。お前が【コウ】で無いときは上忍だ。それに相応しき姿を取れ」
「黒の部隊」は闇の中にいて決して表に出ない存在だが上忍は違う。忍の中でも最も最上の位置に君臨する彼らは里の顔とも言っていい。その行いや実力が、里の評価を上下させることを知らぬわけでもないだろうに。
「お前と、はたけカカシの間になにがあったのかはしらない。だが、相手を…仲間を暗殺しようという行為は許されない。説明しろ」
これほど冷ややかに、長く話すシキは初めてかも知れないと、ソウは思う。つねに「話す」ということそソウに譲り、寡黙を通している彼。それは【黒の五色】の間でも変わらない。つねに、相手の意見を聞き、個々の判断を尊重する彼が、説明しろと命令を出している。その姿に彼がどれだけ怒りを持っているか伺い知れた。
「はたけカカシは…殺すべき忍だ」
サガラは、冷や汗を掻きながらもしっかりとそう述べる。それに対するシキの目は冷ややかなままで、続きを促していた。
「自分の価値もわかっていない…愚かな忍など。貴方の傍にいるべき者ではないっ!!!」
その言葉に、シキのみならず、ソウとセキシの目が訝しげに細まった。
「あんな…忍が貴方の傍にいれば貴方をいや、我々を必ず滅ぼす!だから排除しようとした。貴方を守るために!」 「おいおい…それは本末転倒だろう。人のせいにするな、サガラ。シキ様を守るために、はたけカカシを殺す?わけわからなないぞ」 「あいつが俺らに何をしたって言うんだ。今まで大した接触もなかったはずだ。現に、あいつは何も気づいてはいないだろう」 「…お前達は知らないからそう言える!あいつを知らないから!!!」
ソウとセキシを振り返り、サガラは怒りをぶつけた。ぎりぎりと握られた拳は怒りのためか震えていて、それ以上握り続ければ手を傷つけてしまうだろう。
「あいつの戦い方を…見たことがなければわからない!あいつが…どんなに危険か!」
それは。 もう、何年も前のこと。ある任務に予想以上の犠牲がでて、「黒の部隊」の出動がかかった時。それに赴いたのが【コウ】だった。
Sランクの任務だとは聞いていたから、その任務がいかに難しいかは考えなくてもわかる。おまけに暗部が3部隊以上出動しているどいうのだから、尚更だ。 【コウ】の受けた命令は、敵陣に取り残された同胞を救い出すこと。 その途中、暗部のある1部隊が、他の部隊を逃がすために囮になったと聞いた。
もう生きてはいまい。 聞いて最初に思ったのは、そんな思いだった。それでも、火影の受けた命令だからと、無理をしない範囲で彼らを捜そうと思った。多数を逃がすために犠牲になる。それは、仕方のないことだと半ば諦めながら。
気が乗らない様子を悟ったのか、その任務を率いていた忍が、苦しげに呟く。
『諦める覚悟は出来ている、だが望みを捨てきれない』
何故そんな言葉を言うのかと、疑問に思い問い返せば、ある男を死なせたくないのだと言った。
写輪眼のカカシを。
その男の噂は聞いていた。暗部に所属しながら、顔を隠す意味もないほど知れ渡っている名。 里でも珍しい銀髪を持つ男。左目に写輪眼という血統限界を持つ忍を。 しかし、もう暗部を止めたと聞いていたのに、何故暗部を率いているのか。その疑問に指揮官が答える。 一名暗部が殉職したため補充と言う形で一時期それに加わってもらったのだと。
暗部と同等の力を持ち、癖のある彼らと一緒に行動できる忍など上忍の中にもそうは居ない。偶然一上忍としてこの任務に来ていたカカシにお鉢がまわってきたらしい。 暗部を抜けたというのに、難儀なものだと。少なからず同情しながら、コウは部下とともに夜の森を走る。そして一刻もしないうちに、彼らは出会う。
それは、走るのこともできないほど、全身に傷を負った木の葉の暗部。3人の腕には逃げ遅れ、気絶している木の葉の仲間を担いでいた。コウ達に気づいた暗部の一人が、かすれた声を上げる。
『頼む!あと一人…いるんだ。助けてくれ』 『自分達を逃がすために、ただ一人であの場に踏みとどまっている人を』
それが、はたけカカシだった。
逃げ遅れた最後の部隊を見つけた時、彼らは敵に襲われている真最中だった。その半数をどうにか仕留めたものの、絶えることなく現れる敵に、退却を選んだ。だが、それを振り切れるほど、敵も甘くない。
『行け、俺が留まる』
一人では無理だと、誰かが言ったが、彼は首を振るだけで。
『彼らを頼む』
カカシはそう言って、敵陣に一人で飛び込んだという。
コウがようやく彼を見つけたとき、カカシは屠った敵の中心に立っていた。おびただしい屍の中を、まだ彼を襲おうとしている敵に囲まれながら、ただ一人で、月の光を背にして。 別の色を見つけるのが難しいほど、彼の全身は赤く、それが敵のモノなのか自分のものなのか、コウにはわからない。
ガチャリ
血と油にまみれた刀を、カカシは真っ直ぐ持ち上げた。
まだ戦うというのか、そんな体で。 すでに彼が限界を超えているのはわかっていた。術を発動させるチャクラがもうないのか、刀のみで立ち向かうカカシ。だが、その刀を振るう動きに疲労は見えず、次々と襲いかかってくる敵を屠る。
『もうあきらめろっ!!!』
敵の一人が、そう言って飛びかかって来た。敵の刀を、忍刀で受けたが、カカシの持つ刀にひびが入る。バキンと、無情の音がなり、カカシは敵の刀に胸を切られた、ふらりと足が一歩後退し、胸から血が溢れる。ようやく仕留められると、敵がいきり立った。だが。
『…誰がお前らなんかにやられるかよ』
がちゃりとクナイを取り出して、勝利の笑みを浮かべていた敵に向かっていく。ひぃっと叫んだのは、誰なのか。 カカシは、絶命した敵を見下ろしながら呟いた。
『お前らなんかに俺の仲間は殺させない』
胸の傷を庇うことなく、真っ直ぐと立つカカシの姿。自分を照らす月がどうした、絶望しかねない敵の数がなんだ。そう全身で言っている彼の姿に。 コウは衝撃を受け動くことができなくなる。 かたかたと、震えそうになる指を強く握りしめ、信じられない光景に唇を噛しめて。仲間を逃がすためだけに、たった一人でこの場にあり続けることを選んだ彼の無謀さを。 そして、選ぶことのできる彼を。
憎んだ。
(2003.10.12)
\
「写輪眼という特殊な眼を持ちながら、いくらでも補充の効く忍を庇うために、たった一人でその場に留まった、あの男。あいつはわかっていない。自分がどれほど里に取って、使える忍かを。その場で死すべきものではないくせに、あえて死地へと踏みとどまる奴を」
これからも、ずっとずっと里のために戦わねばならないのに、そんな無謀な行動を取る奴は。 危険だと、同時に。任務を完了させるという一番大事なことを忘れ、仲間を見捨てられない彼の弱さを。
…私は憎む。
「そして、あいつが貴方と親しくなったと聞いたとき、私は駄目だと思った。貴方をあいつの傍に置いておくわけにはいかないと…あいつは必ず貴方に影響を及ぼす」
【シキ】が駄目になる。そうすれば自ずと「黒の部隊」も変わってしまう。
あの男は台風の目のようなもの。自分でも知らないうちに中心にいて、周りに影響を及ぼす男。 「黒の部隊」を変えてしまうかもしれない男だ。
「確かに…あの人は不思議なひとだよなぁ」
ぽつりとイルカが呟いた。その口調から、先ほどまでの殺気は消え、穏やかな顔を持つ中忍の姿がそこにある。イルカはサガラの言ったことを肯定して微笑んだ。
「まだ俺もあの人と知り合って日が浅いから、すべてを知っているわけじゃないけれど、今まであったどの忍とも違うよ」
姿を見れば怪しいの一言につき、それだけ見れば上忍、おまけに元暗部だったとは思えない。 けれど、指導者として、一人の忍としては最高の位置に属する人だ。 九尾の子として、人々にさげすまされていたナルトを、一人の子供として見てくれた人。やる気のなさそうでも、しっかりと子供達の特質を見抜き、それを高めていってくれている。自分と話をする時も、決して上忍風を吹かさず、対等につき合おうとしてくれる、優しい人。
イルカ先生!カカシ先生ってば、変だけど格好いいんだ!仲間を大事にしない奴は最低だって。 俺そこは見直したってばよ!
下忍になれた日にあったできごとを話してくれたナルトのその言葉に、イルカは心から同意した。
きっと、カカシにとって、仲間というのもは任務を一緒にこなるすだけではない、何か特別な思いがあるのだろう。だからこそ、仲間を見捨てることができない。自分の体を張ってまで助けようとするのだ。
だからこそ、イルカは思う。
「カカシ先生は…強い人だよ」
自分の心に忠実で、それを行える力も思いも持っている人。 自分にはないその強さに、イルカは憧れる。
「っ!!!」
サガラが顔を歪めて唇を噛んだ。静かに微笑みながら、自分を見るイルカに、サガラは眼を背ける。
「…私は認めませんよ。絶対に」 「…そうか」 「ええ…絶対…」
そう言い残しサガラは消える。もう何を言っても無駄なのだとサガラは悟った。あの男に必ず惹かれ離れられなくなってしまうという不安が、現実になった瞬間だった。 はたけカカシという男に惹かれ始めているイルカ。
だが、自分は…絶対にあいつの存在を認めない。 認めたくない。認めるわけにはいかない。
「…おい、こちらに向かって来る気配が…」 「ソウ、セキシ、後で火影様の所で」
イルカが2人に手を振って、気配のもとへと駆けて行く。残された2人は、同時に溜息をついた。
「…結局どいうことだったんだよ。サガラの奴は何であんなに…」 「自分に無い者を持っている相手に向けられる感情は二つ」 「あ?」 「それは憧れと、憎悪」
ソウはぴっと二本の指を立てた。暑苦しいと面を外したセキシは、ふーむと腕を組んで考え込む。
「素直に相手を尊敬することができるか、それとも嫉妬するか…俺達の仕事で振り返ることは許されない。任務の失敗であっても、作戦のミスでも…仲間を見捨てることでも。振り返えず、前に進むのみ。得にSランクの任務についている俺達には当たり前で…【黒の五色】として、部下を率いる立場にいる俺らには…当然のことだろう?」
セキシと同じく面を取ったソウは、軽く頭を振って、イルカの消えた方角を眺めた。
「だけど、はたけカカシは仲間を見捨てることだけはしない。それが例え自分の身を危険にさらすことになっても」
どんな理由があっても、それだけはしない忍。時には、仲間を切り捨てない時もあるというのに、それができない彼を。
「サガラは弱いと言い、イルカは強いという」
恐らく、カカシが取った行動と同じ場面に、何度も遭遇していたに違いない。だが、任務上、立場上、それをするわけにはいかなくて。 後悔して、苦しんで、悲しんで。 義務と良心の間に心は引き裂かれ続ける。 できるなら、この身を引き替えにしても、仲間を助けに行きたかった。 代わりになりたかった。
任務に殉職者が出たとき、彼は必ず数日消える。彼がどこに行っているのかは誰も知らないが、そこで一人心の整理をし続けているのだろう。
「…本当に羨ましいよ。俺もね」
カカシが、もし「黒の部隊」にいても同じ行動を取るに違いない。後でどんなに叱咤を受けようと、そのために、作戦に支障をきたす可能性があっても、彼はそれを修正し成し遂げる力も自信も持っているに違いない。
それでなければ、あんな無謀な行動にはでない。 自分は絶対に死なない。 それを心から信じられる強さに、感服する。
そこまで自分を信じられる強さに…イルカは憧れているのだろう。
「…つまり、羨ましいという嫉妬…?」 「まぁ…そういうことかもね」 「…はぁぁぁ…それだけでこの騒ぎかよ。何で…人騒がせな…いい加減にしてくれよ」
やれやれと一気に脱力したセキシに、ソウは笑いを浮かべる。
「仕方がない。2人のその思いに対する価値は違うんだかな。それをすごいことだと思えるイルカと、切り捨てられない弱さの現れだと思っているサガラには」
はたけカカシに対する憧れは。
「…そう聞かされると、本当すごい奴じゃないか?はたけ上忍は」 「だろうな。たった一人にかき回されているんだ。最強と言われる「黒の部隊」が」
くすくすと笑うソウに、セキシは肩を竦めるだけ。2人は風に乗って感じる二つの気配に背を向け、火影の元へと走り出した。
「イルカ先生!どこに行っていたんですか!」
姿の見えないイルカを心配したのだろうか、僅かに殺気を漂わせてカカシがイルカの元へと降り立つ。
「すいません…あの、俺達を助けてくれた人はどうしたんですか?」 「…それがですね、もう居なかったんですよ。気配も血痕さえも。ただ、戦闘はあったと思うんですがね〜一体どういうことなのか」
首を傾げるカカシに、イルカはそうですかと返し、彼が何も気づかなかったことに安堵する。だが、カカシは釈然としない様子で、首を捻ったまま後ろをじっと見ていた。
「…心配ですか?」
それを見てつい、洩らしてしまった。 イルカの言葉に振り返ったカカシは、しまったと口を押さえるイルカを静かに見ている。
「ん〜やっぱり、俺のせいだったらね…迷惑?かけたことになるし」 「そ…そうですよね、すいません。俺考えなしで…」 「いやいや、良いですよ〜」
ひらひらと手を振りながら、カカシは頭を下げるイルカに、軽く声をかける。だが、ふと互いの会話が途切れ、イルカが何か言おうと顔を上げると、そこにはまだ後ろを気にしているカカシの姿。
「嫌…なんですよね」 「え?」
聞き取りにくいカカシの呟き。 イルカが声をあげれば、カカシはこちらを見てもう一度呟いた。
「わかっていても、嫌なんですよ…何もできない自分は」
…カカシのことは、僅かなことしか知らない。 この春に知り合ったばかりで、彼の人となりを理解するのには時間が足りないだろう。だけど、イルカの前では彼はいつも飄々としていて、何も悩みがないように、唯一見える右目は笑っていた。 自分勝手な相談をしてくる彼に、憤りを覚えたこともあったけれど、その悩みが消えれば彼は思った以上に良い人だった。
だから、知らない。
こんな、眼をしたカカシは知らない。
笑顔の裏に、どれだけの苦しみや悲しみを経験したのだろう。わずか6歳で中忍となってからの彼は文字通り血の道を歩いていたに違いない。 それなのに、彼はそのつらさを一度も見せたことはなかった。だから、イルカもそのことを改めて考えたこともなかった。
けど…
こんな寂しげな彼を見たのは始めてで。
「カ…」 「あ〜あ、酔い冷めちゃいましたね。折角気分良かったのに、残念」
カカシがいつもの口調に戻って、ねぇと笑う。イルカはぎこちなく首を縦にふると、帰りましょうとカカシが歩き出した。
強い人。 自分の心に忠実で、それをやってのけることができるすごい人。
どうしてそうするのか、できるのか、一度も考えたことがないまま、彼の心の強さに憧れていたけれど…
その裏でこの人はどれだけ泣いたのだろう。
知りたい。 イルカは始めてそれを望んだ。 誰かの心を知りたいなんて、始めてだった。
知りたい…カカシ先生を。
それは、憧れから別のものへと変化する最初の瞬間だった。 まだイルカ自身も気づいていないその思いを恐れたのはサガラ。 だが、その心は誰も止められなかっただろう。
イルカが躓き、気づいたカカシが転びそうになるイルカを支えた。
「ドジですね〜イルカ先生。まだ酔ってたりします?いいなぁ、俺アルコール抜けちゃって…」
あははと笑うカカシを見ながら、この手をカカシの心に伸ばした時、受け止めてくれるだろうかと。
受け止めて欲しいと、イルカは願った。
憧れへの価値観・完(2003.10.22)
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