「…はぁ、遅くなったな…」 届けるだけだから、すぐ終わると思っていたのに、どういうわけか相手に引き留められ、こんな時間になってしまったイルカは、やれやれと肩を叩く。すぐ終わる任務だと思っていたのに、まずったなぁとイルカはため息をついた。 今、イルカがいる夜の繁華街は昼間と違ったネオンで飾られていた。昼間と違い、至るところに腕を組むカップルや、店引きが道を歩く人々に声をかけている。 …早く通り抜けよう。 こういう場所が苦手なイルカだが、ここを通らなければ、かなりの遠回りになってしまうため、彼は仕方なく足を踏み入れたのだ。そんなイルカを引き留めようと、若い男や女が声をかけてくるが、イルカは曖昧な笑みを見せつつさっさと歩く。早く早くと呪文のように言葉を唱えながら歩いていると、ふいに彼の目にある色が目に入った。 「…あ…れ?」 見間違いだろうか?でも… 込み合っている人通りに目をこらすと、それが幻ではないように銀色の頭が揺れているのが見えた。 …!!!カカシ先生!!! 人混みのせいでイルカにまったく気づいていないのか、するりするりと人を交わして進んでいく。思わず立ち止まったイルカに誰かがぶつかり、それでようやく我に返った。 …ど…どうしよう… 悩む必要なんてないことは十分わかっていた。だが…もう会うことはないと、自分の中でそう終わらせたはずなのに… だんだん遠くなっていくカカシ。 このままで…いいのか?このまま、カカシを見送って。 …これ以上嫌われたくないから、もう怒らせたくないから、自分でもカカシに会わないようにしていた。でもそれは本当に正しいこと? それは…とても卑怯なことではないか? 謝るべき、怒られるべきしたのは自分の方。なのに、自分は目を反らして、それから逃げようとしている。…いつも悪いと思ったら謝りなさいと、生徒に教えている自分が! ぐっと拳を握って、イルカは歩き出した。 …罵倒されてもいい、冷たい目で見られてもいい… それでも自分のするべきことは一つだ。 謝るんだ。 その結果で自分が傷ついても、卑怯者になるよりはいい。 するするとどこかに行く銀色の頭を見失わないように、イルカは人混みを抜ける。だが、その距離はなかなか縮まらなかった… 「あ…れ?どこ行ったんだろう…」 ふいに小道へ曲がったカカシをどうにか追ったはずだが、そこには誰もいなかった。一本間違っただろうか。後ろを振り返れば、がやがやと騒がしい人の声が聞こえる。もう一度あそこに戻るのかと思えば、げんなりとしてきた。 裏道通って帰ろうかな… 表通りと違い、このように一本はずれれば寂しい所ばかり。忍とは言え、任務でもないかぎり、あまり足を向けたくない場所だ。 「はぁ…結局駄目かぁ…折角決心したのになぁ…」 がっくりと肩を落とし、大通の方へ戻ろうとした。 「………」 「ん?」 人の気配と声が聞こえた気がする。イルカは迷いながらも、静かにそちらに向かって歩いていった。 一つ角を曲がり二つ角を曲がり… 自分でも、どうしてそんなことをするのかわからない。次第に聞こえてくる…言い合いらしき声。自分には関係ないだろうと思うのに、何故か足は止まらない。 ぼんやりと薄暗い街灯が、イルカの目に入ってきた。そして、その下には二人の男。 その一人を見て、緊張でイルカの胸が鳴った。 カカシ先生…! 「待てよ!!!カカシ!!!」 「…馴れ馴れしくさわらないでよ」 ぺしっと自分の腕を掴んだ男の手を払い、カカシはくるりと背を向けた。それに男の怒気が膨れあがった。 「触るなだと!?散々良い思いをしていたくせに…!!!」 「あ〜?それはそっちもでしょ。お互い様。アンタに怒られる理由なんてないよ〜」 「何だと!」 カカシの傍にいる男は上忍らしい。男はカカシの肩を掴み、彼を壁にダンッと押しつけた。 「…何するのさ。離せよ」 「俺はな、お前のために里に戻って来たんだ。くだらない任務をこなしてやっとここに帰れた気持ちがわかるか?やっと会えたと思えば、お前はろくでもない中忍に夢中ときた…」 「はぁ?何言ってるわけ?あの中忍なんて関係ないよ〜」 早く離せと、カカシの声が苛立ってくる。だが、男はその手を離そうとしなかった。 「…一日でも男、女が手放せないお前があの中忍に会ってから、ぴたりと夜遊びしてねぇって言うじゃねぇか。あ?あの中忍とよろしくやってたんだろ?」 「…いい加減その口閉じないと後悔するぞ」 「あんな中忍のどこがいい!!!たかがアカデミーの教師だろうが!お前につり合うのは俺なんだよ!」 「はなっ…!!!!」 男がカカシに口づけし、その身を地面に押し倒した。大柄な男が急に体重を乗せて来たので、カカシはそれを突き放すことができず、ぐっと小さく呻いた。目を開ければ、にやりと笑う男の顔… その男の手がカカシの体に触れようとした時。 「…離れてください。じゃないとどうなるか知りませんよ」 男の後ろにできた影。その影は冷たく言い放ち、男の首にクナイを押しつけた。 慌てて男が振り向けば、そこにいたのは、温厚で有名な優しい笑顔を持つ忍。だが、今の彼はどうだろう。まるで任務についている時のように、冷たい殺気を放っていた。 「おま…」 「…離れてくださいと言いましたが。聞こえませんでしたか」 「………!!!」 上忍の男がその殺気に身を震わし、カカシの上から立ち上がる。呆然と、カカシがそんな自分を見ていることに気づいていたが、イルカの目は男から離れなかった。 男が完全に立ち上がり、少しづつ離れていく。その距離が5メートルほどになった時、始めてイルカはカカシに目を向けた。 カカシは上半身を起こしているものの、まだ驚いた顔をしている。だが、いつも覆面で隠されている顔はさらされ、ベストの前は開いていた。それを見て、何故かイルカの胸にふつふつと怒りが巻き怒る。 イルカは何も言わず、カカシの腕を掴み一気に引っ張り上げた。そして立ち上がったカカシの手を掴んだまま、すたすたと歩き始める。 男もカカシも何が起きているのかわかっていなかった。ただ、イルカがカカシを連れ行ってしまうことに気づくと、ぎりっと唇を噛みしめる。 中忍風情がっ!!!! カカシがあの中忍と連んでいること自体気に入らなかったのに、自分にクナイを向け、おまけにその殺気に怯えてしまった自分が許せない。 男がイルカとカカシに一気に詰め寄る! 手にクナイを持ち、生意気な中忍へとそれを突き立ててやろうと手を振りかざした。だが、その先にいるはずの中忍は、自分の後ろにいて… 「邪魔、です」 耳元で囁かれた声に、冷や汗を出し、がんっと頭に来た衝撃に意識を手放した。 ようやく繁華街を抜け、人通りもなくなった。草と虫の鳴く音しかしない道をイルカはカカシの手を掴んだまま歩いている。不思議とカカシも何も言わず素直にそれに従っていた。どちらも何も言わない。それがどのぐらい続いただろうか… 「どいうつもりです」 前触れもなく、カカシは立ち止まり、イルカの手を振りきった。イルカがカカシを振り返ると、彼はまだ覆面を戻さぬ姿のまま、じっとイルカを見ている。 「何黙ってるんですか、答えたくないんですか?余計なことしないで下さいよ」 ふんと鼻をならし、カカシはイルカを追い越そうとする。 「…すいませんでした」 「アンタが死ぬのは勝手ですが。死体の始末なんてやりませんよ」 「は?いえ、そんなことではなく…」 「…?そんなことって…」 じゃあ何を謝るのだと、振り返ったカカシにイルカは頭を下げた。 「この間カカシ先生に言ったこと…本当に申し訳ありませんでした」 頭を下げ続けるイルカは、カカシの視線がじっと自分に注がれているのを感じる。だがすぐに、ふんとあきれたような声がかけられた。 「ああ、もしかしてさっきのは罪滅ぼしのつもりですか。そうですか…それはそれは助かりました」 「カ…カカシ先生?」 「これで罪悪感薄れました?俺の方はすっかり貴方のことなんて忘れたていたんですけどね。ああ、でももうあんなことして下さらなくても結構ですから。自分のことは自分で面倒みられますし、貴方の手なんか…」 「…違います。俺はそんなつもりで…」 「言い訳してくださらなくても結構ですよ。わかって…」 「…嫌だったんです」 「は?」 「嫌だったんですよ」 ぐっと低い何かを押し殺したような声。イルカはまっすぐにカカシを見返した。 「俺の…勝手な言い分だとはわかってます。けれど…嫌だったんです。あの男が…触っているの…嫌だったんです」 カカシにあの男が触るのは。 とてつもなく嫌だった… ようやく見つけたカカシ。だが、カカシの傍にはあの男がいた。何か言い争っているらしい。聞く気はなかったのだが、自然と耳に入って来てしまった。 どうやらあの男と昔つき合っていた…そう思った時何故か胸がざわついた。しかし、こうしていても仕方がないと、今日は謝るのを止め、帰ろうとした時… 男が自分のことを話題に出して、そして無理矢理カカシに口づけしていた。それを見た瞬間、イルカの胸に冷たい怒りがわき起こった。 その後は自分でもよくわからない。青く、冷たい怒りに支配されるまま、クナイを突きつけてやった。男に囁いた言葉は…本心だった…そして、反撃されていたら… 自分はあの男を殺していただろう。 沈黙が流れ、それが段々息苦しくなってくる。イルカはぎゅっと自分の腕を掴み、それに耐えていた。 きっと…この後にくる言葉は… 「本当に…思っていたんですか」 「え?」 予想していた、侮蔑や問いの言葉ではなかった。カカシは何を聞いているのだろう。イルカの疑問に気づいたのか、カカシは説明をつけて同じ言葉を言った。 「上忍との距離は…縮まらないと…本当に思っているんですか?」 「そ…それはっ違います…!いえ、俺は少なくともそう思ってはいません!」 「でも先生そう言っていたでしょ。誰もいない場所で。そういう所って本音が出るって言うじゃありませんか」 「あれは…あの時は俺、混乱していて…」 「混乱?」 すうっと息を吸って気持ちを落ち着ける。許されないかもしれない、けれどここで言わなければ…自分の気持ちは一生誤解されたままだ。 「昼間…同僚達にその俺とカカシ先生がつき合ってるって忍達の間に広まってるって聞いて…何でそんなことになってるのかって…わからなくて…本当になんでそんなことになったんだろうって考えて…そうしたら、その俺の悪い癖なんですが、どんどんと考えすぎちゃって…もし、お…俺がカカシ先生を好きになったりしたらどうなるだろうとか…そんなことになってら先生に嫌われてしまうだろうなとか…そう考えていたら、ぽろりとあんな言葉が出て…」 一貫性のない言い訳じみた言葉。イルカは自分でも何を言っているのか訳が分からなくなってきた。あ〜とか、う〜とか唸りながら、その都度頭によぎった言葉を言い続ける。それをカカシは黙って聞いていた。 「俺はそのずっと先生と友人…でいたかったから、そんなことを考える奴らに腹立って…この関係を壊したくないし…でも、結局俺の不用意な言葉でカカシ先生を…失ってしまって…」 すっとカカシが息を飲むのが聞こえた。何かおかしなことを言ってしまっただろうか…そう不安になって話すのを止めてしまったイルカにカカシは聞いた。 「…先生。俺思ったんですけど」 「はっはいっ!!!」 ついに審判の時だ! イルカは緊張してごくりと喉を鳴らした。誤解だった、そんなことを思ってなどいなかった…その気持ちが正確に伝わったのか、自信がない。だが…言い直せと言われても無理だ。 会ったら謝ろうと沢山沢山詫びの言葉を考えたのに。実際こうなるとすべて水の泡だ… 許してもらうのは虫のいい話かもしれない。もう飲みに行くことなんてないのかもしれない。だけど…だけど… もし、願ってもいいのなら… 「イルカ先生は…俺のこと好きってことですか?」 「…は?」 間抜けな、声だと自分でも思った。だが…だって、いきなり何を言うんだ?カカシは? 「違うんですか?嫌いなんですか?」 「へ?ああ、いえ好きは好きですけど…」 何故かむっとした声のカカシに慌てて言いつくろうが、はて?とイルカは首を傾げる。 俺は今、謝っていたんじゃないのか?なのに何で好きとか嫌いの話をしてるのだろう??? すっと自分の顔に影がかかった。何だろうと目線をあげれば、すぐ傍にカカシが来ていた。訳がわからない。そんな顔をしている自分に、カカシは…静かに笑った。 そのあまりに綺麗な笑顔にイルカの胸がどきりと鳴る。いや、どきりどころじゃない。ばくばくとすごい勢いで鳴っている。カカシに聞こえてしまうのではないかと、ひやひやするぐらいに。 「ねぇ…先生。俺、今告白を聞いている気分なんですけど」 「へ?」 「だってそうじゃないですか?俺に嫌われたらどうしようとか…俺を失いたくないとか…それって愛の告白じゃないですか?」 「………え?」 イルカは自分の人生の中、一番と言えるほど、間抜けに口を開け、カカシを凝視していた。 嫌われたら…カカシを失ったら…もし冷たい目で見られたりしたら… 「……っーーー!!!?」 おっ俺は何てことを…!? がばりと口に手を当てて、イルカは夜目でもわかるほど顔を真っ赤にしていた。 驚きと羞恥で何も言えないイルカを、何故かカカシは嬉しそうに眺めている。 「おっ…俺っ…!!!」 何か言わなければと、しどろもどろの言葉を出したが、それはカカシの笑いによって止められてしまう。くすくすと鈴の音のように転がる声に、イルカが驚いていると、カカシが目をすっと目を細めた。そして…するりとイルカの首に抱きついた。 え…? 何が起きているのかわからない。カカシの手が自分の首に巻きついて、彼の顔がすぐ横にあって… イルカの頬に当たる銀色の髪が月明かりを浴びえて煌く。 「カ…」 「俺ね、あの男が言っていた通り、一日も夜のお遊び欠かしたことないんですよ」 カカシはイルカの肩に顔をうずめ、くぐもった声でそう言った。 「でもね、何故かな。貴方といるとそんなことしたくなくなったんです。貴方と酒を飲んで笑いあって、くだらない話に喜んで…そうるすと、ああ、もう十分だなって、満ち足りた気持ちになって安心してたんです。だから夜出かける必要もなくなって、ぐっすりと眠れるようになったんですよ」 「カカシ先生…」 「貴方の笑顔が側にあれば良かったんです。なのに貴方は…俺を上忍としか見てくれなかった…すごい傷つきました」 「!!!す…すいませんっ!!俺…!!!」 「いいんです。もう、あれが本心じゃないってわかりましたから。それよりも…先生が俺のこと色々考えてくれていたことがわかりましたから」 目線を上げて、カカシはイルカの目を覗き込んだ。もともと、綺麗な顔立ちの上に、人気もない夜道。…カカシの顔を照らす光と影にイルカは魅入られたように凝視していた。 「好きですよ。イルカ先生」 カカシの手がイルカの頬に添えられる。細い指がイルカに耳に触れ、イルカは動けなくなった。 そして気づけば…イルカの唇にカカシの唇が重なっていた。 カ…!!? 何か言おうとしても、カカシの唇は離れない。いや、離れてもすぐまた触れてくる。 何度も。 何度も。 確認するように、あるいは教えるように。 終わりなどないように、何度も… 始めは戸惑っていたイルカも次第に夢中になり、自分からもカカシの唇を求めるようになった。 そして二人は月が雲で隠されるまで、何度も何度も唇を重ねあった… 自分がカカシにそんな気持ちになるなど思ってもみなかった。だが、ずっと前からカカシに引かれていた気はする…それが恋だとかは知らなくて。 …いや、あんなことがなければ一生気づかなかったのかもしれない。 いつもカカシの姿を探して、目が泳いでいた。 それと同時に彼に否定されるのが怖かった。 そして…あの男が、いや誰かがカカシに触るのも嫌だった。 自分以外…誰も… カカシの背に手を廻し、強く抱きしめるとカカシが驚いたような顔をした。だが、すぐに綻ぶような笑顔になる。それを見て、イルカの胸はますます高まった。 ああ…なんだそうか… 「?何ですか?イルカ先生?」 きょとんとした顔でカカシがイルカの顔を覗き込む。イルカはそれに小さく笑いかけた。 距離を作っていたのは俺の方なんだな… 上忍だから、男だからと自分に無意識のバリケードを引いて、それ以上自分が行けないように、誰も入ってこれないように。理性とか常識という言葉で足止めしていた。だけど、それを取り払って見れば、素直に自分の気持ちがわかった。 「明日…どこかに出かけませんか?アカデミー休みなんですよ」 「え?本当ですか?じゃあどこに行きましょうか」 「そうですね…」 どちらが言ったわけでもないのに、二人は自然と手を繋ぎ、夜道を歩き始めた。その後ろを、再び顔を出した月が照らし始める。同じ速さで動く長い影。揺れ、時折重なりながらそれはどんどん進んでいき…やがて遠くに消えていったのだった。 (2003.5.10)貴方との距離・完 (2003.5.17) |