貴方との距離

凛様☆リクエスト



「イルカ先生」
「あ、カカシ先生。終わったんですか?」
「ええ。先生は今から受付けですか?」

ぴらぴらと報告書を掲げ、やってくるカカシに頷き返し、二人は受付所までの廊下を並んで歩く。アカデミーの生徒はもう帰宅したためか廊下は静かだ。空を照らしていた太陽も少しづつ地平線に向かい、二人が歩く廊下はうす暗さと、オレンジ色の光がまざる不思議ながらも幻想的な雰因気をかもし出していた。

「今日はどうでした?」
「いやぁ…相変わらずですよ」

笑いあい、交わされる何気ない会話。
上忍と中忍というかぎりなく離れた立場の二人が、親しく会話をするようになってからどのぐらいの時間が過ぎたのだろう。
始めて会った時、上忍ということで緊張していたイルカも、気さくな態度で接してくるカカシに次第に慣れ、今では夜飲みに行くまでの間がらになった。上忍のはずなのに、中忍のイルカにも親切だし、威張り散らすということが全くない。今まで上忍は傲慢だという意識をどこか持っていたイルカは、自分の勝手な決めつけに恥ずかしくなったぐらいだ。

…だから、時々忘れそうになる。
上忍は上忍で…自分とは離れた距離にいるということを。


「はたけ上忍!」

後ろから、若いくの一が小走りにやってきた。とうに気づいていただろうに、ん?と今気づいたように振る舞う彼が少し可笑しい。

「何〜?」
「お忙しい所申し訳ありません。あの今夜の…」
「ああ、そうか…すいませんイルカ先生。ちょっと会議があるんでこれお願いしてもいいですかね?」
「ええ。構いませんよ」

何の会議かは言われなくともわかる。受付所と同じ笑みを見せながら、七班の報告書を受け取ったイルカは、それではと軽く頭を下げる。

「行きましょう。はたけ上忍」
「はいはい」

恐らく中忍だろうくの一は、時間がないのかカカシを急かす。だが、等のカカシは小さくため息をついて、いかにも仕方がないという風に歩き出した。イルカの隣にいた時とは正反対だ。
やれやれと、イルカが苦笑しながら、歩き出そうとした瞬間、イルカとくの一の目があった。

……え?
見間違いかと目を瞬かせるイルカ。だが、そのくの一はもうイルカに背を向けていたためそれを確認することはできなかった。

…気のせい…だよな?
怪訝な思いで二人を見送るイルカ。自分の目が少し変なのかとも思った。

…睨まれた気がしたなんて…
あのくの一とは初対面のはずだ。無論、自分が何かをした覚えもない。
やはり気のせいだ。そう思い直し、何をやっているのだろうと自分を叱る。

…何となく二人がくっついて見えるのも、気のせいだと思いながら。




「さっきさぁ、はたけ上忍見たんだけど隣にすごいかわいい子連れてたよ〜」

受付所の混雑が終わり、暇になってくると途端に始まるのが中忍達の世間話。ここで話されるのは井戸端会議のようなものだ。信憑性もない噂などは格好の暇つぶしになる。

「なぁ、イルカ知ってっか?」
「ん?かわいい子…?そういえばさっきカカシ先生を呼びに来ていたくの一がいたけど…その人かな?」

逆光のため顔は見えなかったが。

「何だよ。お前使えないなぁ。最近仲良い見たいだから知ってると思ったのに」
「お前なぁ。人を噂の情報源にしようとするなよ。第一何でもかんでも話す間からじゃないんだから」
「またまた、何言ってるんだよ!二人ともいい感じのくせに〜…」
「は?いい感じ?いい感じって何だよ?」

途中から首を突っ込んできた同僚の言葉が引っかかり、イルカが振り向くと、彼らだけでなく、受付業務をしていた中忍達が全員顔を見合わせていた。誰かが余計なことを…と舌打ちする声まで聞こえてくるほどに。

「な…何だよ?お前ら…?」

互いに言えよ、お前が言えと肘をつつきあっている。いつまでたっても誰も言わないことに、次第にイルカはイライラしてきて…

「…お前ら…俺に口割らされたいのか?」

目の据わったイルカに、全員がひぃっと叫び声をあげた。

「お…お前とはたけ上忍がつき合ってるって!忍の間じゃ有名な話だぞ!」
「………な………何だとっ!?」
「俺も聞いたぞ!はたけ上忍が夢中な中忍とか…」
「俺はイルカの方からだって聞いたぞ?」
「いや俺は…」

口々に自分の聞いた噂を話し始める同僚の耳に、ぶちっと何かが切れた音が響いた。はっと我に返った彼らが見たものは…

「………てめぇらそんな噂真に受けてるんじゃねぇぇぇぇ!!!!」
「ぎゃぁぁぁぁ!!!イルカ落ちつけぇぇぇっ!!!」
「うわぁぁぁぁっ!!!!」

ドゴンと受付所から響いた爆発音。駆けつけた忍達が見たものは、地面に伏す忍達がいる中、怒りに肩を振るわせた、穏やかで優しく面倒見の良いともっぱらの噂の忍が切れた姿だった…



「あいつらぁぁぁ何考えてるんだっ!!!」

受付所でチャクラを爆発させたイルカは、あの後火影の呼び出しを受けた。しかし、まだ怒り冷めやらぬイルカに火影はこれからは注意しろと一言言ったのみで彼を解放したのだ。どうやら、火影でさえも怒ったイルカは怖いらしい。それではと、目の据わったまま、その場を辞したイルカは同僚達に帰ってくれと懇願され、いつもより早い帰宅となった。しかし…

バキッ。

「…あ、やべ」

気づけばもっていたカップが割れている。くるりと台所を振り返ると、怒りの犠牲になった食器がずらり。

「………」

それを見て、さすがに段々と冷静になってくるイルカ。このままでは、家の食器が全壊してしまう…

「はぁぁ…頭でも冷やしてくるか…」

脱ぎ捨てたベストを着込み、イルカは外に出る。自分の気持ちを静めるために、そして家をこれ以上破壊しないために…


さわさわと草が揺れる一草原。誰もいない、あるのは地を見渡す月と夜風のみ。
風につられて頭の上でまとめている黒髪が揺れる。イルカは小さく微笑みながら、それをじっと見ていた。

やっぱり…ここは落ち着く…
幼い頃から悩みや悲しいことがあると、よくこの草原に来ていつまでも地平線に消える太陽を眺めていたものだ。それを見てると自分の悩みなど小さく、くだらないことだと思えてくる。
…のはずなのに。

「だぁぁぁっ!!!何で頭から離れないんだぁぁっ!!!」

がくりとしゃがみ込み、はぁっとため息をつく。

自分は何を気にしているんだろう…ただの噂じゃないか!
そう、何度も何度も思うのに、どうしたことか、カカシとつき合っていると言われた言葉が離れてくれない。もしかして、あのくの一が睨んだのも…

「くそ…俺達はそんなんじゃねーぞ…」

第一カカシに失礼ではないか。
額当てを取って、ごろんと草原に寝そべる。…あのことが一向に頭から離れてくれないのは、帰り際呟いた同僚の一言のせいかもしれない。


「だってお前とつき合い出してから、はたけ上忍の夜遊びがなくなったって言うぜ?」


…その一言が。




「写輪眼のカカシ」
その名は里の中のみならず、国外でもビンゴブックに載るほど有名なのは誰もが知っている。自分の正体を知られないよう面を付ける暗部に在籍していても、その名が有名すぎて面の意味などないほどに。
中忍のみならず、上忍にもその強さに憧れる者も多い。現に自分もその一人だった。
…だから、教え子を引き継ぎする時に会えると聞いて胸が踊ったことを覚えている。

始めて見た彼は、その噂とは裏腹に、非常にのんびりとして、唯一見える右目はいつも眠たそうにしており、一瞬本当にこの人があの有名な人かと疑ったものだ。
だが、ナルト達に対する態度はやる気のなさそうに見えていても導くべきところは導き、教え、守っている。それが短く交わすようになった会話とナルトの話からわかり、やはりここが中忍と上忍の違いかとも思ったものだ。

そして、夜偶然帰りが一緒になったのをきっかけに、互いに飲みに行くようになった。まぁ、大体、仕事の遅いイルカにカカシが会わせてくれるのだが…自分の仕事の終わりを見計らって現れるカカシに、待たせることを申し訳ないと思う気持ちと、自分を待ってくれる人がいるという気持ちで嬉しくなる。

「無理…させてたのかなぁ…」

ふっとため息をついて眼を閉じると、ある日見た光景が眼に浮かんでくる。

それは、校庭の一角で見た光景。
上忍と思われるくの一とカカシがくっつきながら、何か楽しそうに会話をしていた。

…カカシは非常に良くもてる。他国まで知られるその実力と名声、そしてその姿に心踊らせる女性は多いのだろう。顔の半分以上は隠されているが、居酒屋に行った時覆面を取った顔を見て、そのあまりに整った容貌に思わず箸を止めてしまった。と、同時にこれじゃもてるはずだと、感心までしてしまった。
しかし、カカシは決まった人というものを作らないらしく、いつも違う女性を連れていたようだ。一夜限りというのも多く、それを誤解した女性が浮気したと詰め寄れば、カカシに冷たくあしらわれるという…

それを聞いて、自分の知るカカシとは全く違うと、イルカは首を捻ったものだが。

だが、火のないところに噂は立たず。真実がどこにあるかは知らないが、女性にもてることだけは確かだった…そして…男にもてるのも…

「あ…あれを聞いた時マジびびった…」

それはカカシを取り合って「男」の上忍が人情沙汰を起こしたという…

上忍の考えることは理解できん。
その手のことに興味がないイルカはそう思った思ったが…あれだけ綺麗な容貌をしていれば、そうなってしまうのかもしれない。現に…あまり人には言えないし、認めたくないが…時々自分も見惚れてしまう時があるのだから…

「う…何考えてるんだ俺…」

その気はない!といくら思っても、頭に浮かんでくるのは…
カカシの細長い指とか、小さく笑った笑顔とか…

「だぁぁぁ!!!ここに来た意味ねぇだろうがっ!!!!」

がばりと上半身を起こし、一人誰もいない草原で叫ぶイルカは、そよそよと自分の体を吹き抜けていく風の音に、何だかむなしくなってきた。

「…第一…ありえねぇけど…そうなったら…後悔するのは俺だろうに…」

立てた片膝に肘を乗せて、ぼんやりと草を眺める。
もし、自分がカカシのことを好きになってしまっても…それが決して報われないだろうことは、よくわかっている。
カカシが自分とつき合っているのは、ナルトの元担任であることと、彼の知り合いにいなかったタイプだからだろう。

「先生見たいな人始めてですよ」

ある時酒の席でそう言われて、何か変なのだろうかとも思ったが、彼は笑ったまま答えてはくれなかった。ただ、後から考えてみれば、脳天気で大雑把で、任務より子供と接している方が好きだという忍らしくない自分が珍しいということなのだろうと、そう理解した。

…自分とつき合ってくれてるのは…そいうことであって…決して恋愛の対象になどはならなくて…
眼中にも入ってないだろうし…
もし、そんなことを一言でも言えば…

「中忍のくせに身の程知らずですね」

きっとそう言われて、見たこともない冷たい目で見られて。
後ろを振り向きもせずに去っていって…

二度と彼と話すことなどないだろう。

今まで楽しかった時間がすべて消えて…




そして…カカシを失うのだろう…




「…何言ってるんだろうな…」

お前は考えすぎだとよく言われるが、こんなことまで考えてどうするんだろう。

「俺とカカシ先生は…ただの友人。…いや俺が勝手に思っているだけか?ま、そうだろうなぁ。カカシ先生は上忍。中忍風情の俺がこんなことを思ってるんなんて迷惑もいいところだろ。まったく…」

自嘲気味にそう笑って、ぽつりと呟いた。

「上忍は上忍…距離が縮まる可能性なんて万に一つもない」




「…それ、本気で言ってるんですか」




「!?」

がばりと振り返ると、誰もいないはずの草原に、月を背にした一人の男が立っていた。きらきらと光る銀色の髪。斜めにつけた額当て。

「カ…カカシ先生?」

どうしてこんな所にいるのか…驚き眼を見開いたままのイルカの傍に、カカシは静かに歩み寄る。
彼はイルカの傍にくると、座り込んでいるイルカを見下ろした。そして、何も言わない。

「あ…あの…」
「…本気ですか」
「え?」

まだ思考がまとまりきっていないイルカに、カカシは先ほどと同じ言葉を告げた。一瞬、イルカは何を言われているのかわからなかったが、その意味を理解すると顔を真っ青にする。

聞かれてた…!?
誰も居ないと思っていた。だから、思ったまま、考えたまま、何気なく口に出していた。それを、カカシは聞いていたのだろう。

…上忍は上忍…距離が縮まる可能性なんて万に一つもない…

その、言葉を。


「あっ…あれは…」
「…貴方は上忍とか、中忍だからとか…気にしない人だと思っていました。そんなことで差別しない人だと。だけど、それは俺が勝手に思っていたことなんですね」
「それはっ…!!!」
「俺が上忍だから何なんです?中忍風情ってどいう意味ですか?俺はそんなこと一度も気にしたことありませんでした。だけど貴方は違ったんですね。毎回、仕方なくつき合ってくれていたんですか?上忍に言われたから?だから、笑って、楽しそうなふりをして、話を合わせて…」
「カカシ先生!!!」
「すいませんでしたね、ご迷惑おかけして。もう二度と誘いもしませんから、安心して下さい」
「ちょ…待って…!!!」

イルカの言葉など聞かずに消えたカカシ。イルカが伸ばした手は何も掴むことはなかった。

「違う…違うのに…」

本気で思っていた訳ではない。ただ…ただ口にだしていただけ…
意味も何も考えずに。

「俺は…」

壊したくないと、失いたくないと。
くだらない噂のせいで二人の関係が消えるのはいやだったのに。

なのに…

「俺は…馬鹿だ…」


自分で壊した。


カカシを傷つけて。


「最低だ…」




そして失ってしまった…



あの日から3日たった。
謝りたいと何度もカカシの姿を探し、受付所で待ちわびていたのだが、彼が現れる様子は一向になかった。

…避けられてるんだろうな…
今手元にあるのは、七班の報告書。自分のいない時に出しに来ているらしく、それがカカシの怒りを示しているようで、ため息がでる。

自分が悪いのはわかっている…だから謝りたいのに…
言い訳も、聞いてくれないのだろうか。イルカははぁっとここ最近ずっと出しているため息を吐いた。

「どうしたんだ?イルカ?」

ちょっとびくびくとしながら、同僚が話しかけてきた。きっと彼の頭には3日前のできごとが渦巻いているのだろう、しかしあまりに顔色のすぐれないイルカを心配して、声をかけてきたと言ったところだろうか。

「…何でもない、大丈夫だ」

ふっと小さく笑った顔に、同僚はほっとしたようだ。それを見た他の人たちも、イルカに次々と声をかけてきた。

「その…この間は悪かったな…」
「本当に大丈夫か?無理するなよ?」
「ああ、心配かけて悪いな」

それまでどこか違和感のあった雰因気は消え、どこか暖かいものに変わっている。いつものようなくだらない冗談や、会話。しばしカカシのことを忘れ、それにつき合っていると、交替の同僚がやってきた。
中の雰因気に一度足を止めた彼だが、イルカに片手をあげられて、肩の力を抜いて来た。

「イルカ…この前は…」
「もういいよ。気にしてないからな」
「あ…そうか、良かった…」
「本当にもう気にするなよ。まぁまた変な噂が流れたら困るけど。それじゃ!俺行くな!後よろしく!」

てきぱきと片づけをして、受付所を飛び出したイルカ。今日はもう終わりなので、少しカカシを探そうかと思っているのだ。走らないものの、若干 の急ぎ足で職員室に向かっていると、今来た廊下からぱたぱたと小走りで駆けてくる足音が聞こえてきた。

「イルカ!」
「ん?どうしたんだ?今日変わってくれって言われても困るぞ…」
「違うって!そんなんじゃねぇって!」
「?何だ?」

じゃあ何なんだろう。首を傾げるイルカに、交替したばかりの同僚は口をごもごもとさせた。だが、何かを決心したように口を開く。

「お前さ…はたけ上忍とうまくいってないのか?」
「…はぁ?あのな…」
「ああ違うって!つき合いはつき合いでもそっちの意味じゃなくて…友人としてだよ!」

わずかに眉を上げたイルカに、慌てた同僚は、イルカの言葉を聞く前に話し始めた。

「そのさ、最近はたけ上忍お前のいない頃見計らってくるだろ?んで、昨日それ俺が受けたんだけど…何かすごい機嫌も悪そうで…もしかしたら、あの噂のせいで気まずくなったのかなって…俺達面白半分でからかったりしたし…」
「機嫌…悪かったのか…」

やはりまだ怒っているのだろう。
ずきんと胸が苦しくなった。

「いや…お前らのせいじゃねぇよ…それは関係ないし…」
「そう…か?それならいいけど…喧嘩でもしたのか?」

純粋に心配してくれる気持ちが嬉しかった。でもそれを彼に言う訳にはいかず、ちょっとなと言葉を濁し首を振った。

「俺が口出しすることじゃないけどよ…ちょっと心配になったから」
「そうか、悪かったな…心配かけて」
「いや!そんなこと…あ、今飛び出したのもしかして、はたけ上忍を探そうと思ってか?あ〜なら、今日は止めといた方がいいと思うぞ」
「え?どうしてだ?あ、任務とか?」
「い〜や、ほらこの間言っていたかわいい子と腕組んでどっかに行くとこ見たんだよ。きっとつき合ってるんだろうな〜羨ましい。だからさ、今日は探しても会えないと思うぜ?」

やっぱり、女遊びは止めてなかったんだな〜と言いながら去る同僚。その背を見送りながら、イルカはその場を動けなかった。

「…無駄…か」

ふっと肩の力が抜ける。
何だろう、この虚脱感は。カカシが誰とつき合うのは勝手ではないか…なのに…
何故…こんなにむなしいのだろう。

自分とではなく、誰かと一緒にいる。

そんなのは自分が関与することでもないのに、どうしてか、今はそれがすごく悲しかった。

もう、貴方は必要ありません。代わりは沢山いるのですから。
そう宣言されたようで。


「二度と誘いもしませんから」


ぐるぐると別れ際の言葉が頭の中を駆け抜ける。


もう…駄目なんだろうか…いや…駄目なんだろう…

自分が蒔いた種。自業自得。

それを…悲しいと思う資格なんてないのに…

イルカは泣きそうな目になりながら、小さく笑った。