「う〜ん…どうすっかな」
先ほどとあることを思い出したサイは、頬を掻きながら職員室に向かって廊下を歩いていた。思い出したというは今日がイルカの誕生日であったということだ。男同士で誕生日を祝うのもなんだが、今朝見たイルカの様子に少しばかり罪悪感を抱いた。
(…何しろ色々と押しつけたからなぁ)
この時期、アカデミーは行事が詰まっているのだが、臨時教師ということをかこつけて、自分に回ってきた仕事を密かにイルカに押しつけていたりした。何しろ子供達のことになれば、必要以上に真剣になるイルカ。面倒だばかり言っているサイに任せておけないと思ったに違いない。 お陰で、サイは一人定時に帰えれたのだが、その結果、イルカの目の下には隈がくっきり。
…ツバキとサガラに知られたら殺される。 さて、この事実をどう葬るか、そんなことばかり考えていたものだから、イルカが火影に呼び出されたことをサイは知らなかった。 そして。
「イルカはどこ?隠すと為にならないわよ」 「…クナイ突きつけて言うな!てめっ!!」 「答えないと切るわ」 「…お前が言うと洒落になんね〜…」
背後から首にクナイを突きつけられているサイの頭に、天罰という二文字が浮かんだのだった。
「?イルカ?任務らしいぜ?」 「は?それまた急な…」 「まったくだよ。イルカがいないとこの書類が終わらないのによ〜指名だってんだから仕方がないけどさ」
ツバキに脅されながら、イルカの居場所を同僚達に聞いていたサイは、あまりにも突然すぎる任務の依頼に首を傾げた。しかもだ、里を離れるならば自分に一方を入れる筈。
…里内の任務か。 だが、あんな状態のイルカを火影が出すだろうか(それが自分のせいだというのは置いといて)。これは何かあるなと、裏の匂いを感じたサイだったが、まぁいいかと、忙しそうに走り回る同僚に礼を言って、その場を離れる。火影が関わっているならば、大丈夫だろうそれよりも今日ぐらいは残業をしていくかとそんなことを思っていたが。
「で?どこなの?」 「…自分で探せよ」
廊下に出た途端近寄ってきた上、背中にクナイを突き立てる。一体何で自分に絡むのかと、ツバキを振り返ればギラギラと異様に光っている目と合った。
「…ところでさ、お前なんで帰って来たんだよ。任務終わったのか?」 「そんなの関係ないでしょう」 「…任務の途中で抜け出したなんてばれたら怖いぞ?」 「用が終わったらすぐ戻るわよ。で、イルカは?」 「指名の依頼でどっかに行った」 「どこよ」 「知るか」 「殺すわよ」
知りたいなら火影に聞きにいけっ!そう怒鳴りたかったが、さすがに人目があるので、それもできず、サイはツバキを睨むだけに押さえた。まったく何なんだ。ツバキの行動は理解できないことも多いが、今日はそれに拍車をかけている。式などを使っていないところを見ると、急な用件でもないのだろう。
「…いい加減に…」 「あれ。お前も帰って来たのか?ツバキ」 「レツヤ…ってお前もって何だ?」
珍しい取り合わせだなと、片手をあげてやってきたレツヤは、サイの問いに首を傾げた。
「や。だってよ、さっき会ったし」 「…誰と?」 「お前の大好きな小言を言う奴」 「はぁ!?何であいつも…」 「何ですって!?」
サイの疑問に答える前に、ツバキがレツヤを振り返った。その拍子にクナイがサイの背を引っかけたのだが、彼女は気にせずレツヤに詰め寄った。
「何時!?どこで!?何分前!?」 「え。え〜と…20分ぐらい前だったか…」 「くっ!何て奴!!任務中の癖にっ許せないわ!!」
お前もだろうという突っ込みは無視して、ツバキはぱっとその場から消えた。散々脅かされた挙げ句、服に穴をあけられたサイは、怒りの対象が消えて、呆然としていた。
「…」 「…」 「今日招集でもかかってたのか?」 「んなもんねぇぞ」 「なら何であの二人が居るんだよ、ここに。今日何かあったか?」 「今日?」
まさかと呟いたサイは、何故か疲れた顔で廊下の壁に向かって溜息を吐いていた。
「…眠てぇ」
陽気に誘われるよう、ふわぁぁと豪快な欠伸をしながら歩くレツヤは、どこを見ても平和な里になんだかなぁと頭を掻いた。任務に出ている場所と里の中は何故こんなにも雰囲気が違うんだろうか。里に戻ると何時も眠たくなるレツヤは、ぼぉっと空を見上げてまた欠伸。 その時、見知った、そしてこの場所に居る筈のない気配を感じて目を細めた。
「何かあったのか?」 「昼間からずいぶんな欠伸だな。毎日何をやっているんだか」
屋根の上から降りてきたサガラは、笑いを浮かべながらわざとらしく溜息をついた。必ず嫌みから始まる挨拶の言葉には慣れていたため気にはしなかったが、彼が里に居る理由がわからずレツヤは訝しげな視線を送り続ける。それに気付いたサガラは珍しくも、言いにくそうに明後日の方向を見ている。
「…さぼりか」 「お前と一緒にするな!」 「だったら、何でここにいるんだ?任務中だろ?それとも何かあったか?」 「あったといえばあったな…ってお前忘れてるのか?」 「?何を」
やれやれと、首を傾げるレツヤに呆れた眼差しを送るサガラ。任務中よりも優先させる事項があったのかと、考え込んでも答えはわからなかった。
「まぁいい。別のお前が思い出さなくても、俺が覚えていればな」 「…ずいぶんな台詞だな」 「忘れている方が悪い。この調子だとサイの奴も覚えているのかどうか…ではな、レツヤ。お前もいい加減花街通いばかりしてるなよ」 「余計なお世話だ」
ぎろっと彼を睨んだが、すでに背を向けていたサガラはそのまま手を振って屋根の上へと消えていく。折角の陽気だというのに、気分が悪いとレツヤはしばし憮然としていたが。
「…今日は何日だっけ」
それすらも覚えていないレツヤは一人で唸り、アカデミーに向かって歩き始めた。
久しぶりに入ったアカデミーの中は、思ったよりも狭く、静かだった。下忍や中忍の頃は頻繁に来ていたこともあったが、暗部、そして『黒の部隊』に移動になってからは、殆ど出入りすることもなくなっていたからだ。二人の人物を捜し求めて廊下を歩いていると、彼等が居るらしき場所に近づく度に喧噪の声や、複数の人の気配を感じ、忍らしかぬ足音を立てている者まで居るようだった。
(忙しそうだな…)
何か行事でも入っているのだろうか。 なるべく人目に付きたくないな〜と思いながら歩いていれば、おやっとレツヤは立ち止まった。そこには捜していた人物の片割れと、サガラ同様ここに居るべきではない筈の人物の姿。二人は何を話しているのか、こちらには気付かず背を向けたままだ。
「あれっ。お前も帰ってきてたのか?ツバキ」
声をかけると、サイがぽかんとした顔で驚き、ツバキはクナイを突きつけたまま、こちらを振り返る。何で物騒なことをしている奴らなのかと、サガラのことを話せば、何故かツバキはサガラに敵愾心を露わにしてその場から消え去る。
「…」 「…」 「今日招集でもかかってたのか?」 「んなもんねぇぞ」 「なら何であの二人が居るんだよ、ここに。今日何かあったか?」 「今日?」
まさかと呟いたサイは、何故か疲れた顔で廊下の壁に向かって溜息を吐く。結局何がなんだかわからないレツヤだったが、面倒なことが起きそうなことには気付いたようだった。
「…誕生日ねぇ…ってか、この年になって祝われて嬉しいか?」 「いや、全く」
きっぱりと否定して、レツヤの言葉に同意したサイはこのためだけに任務を放り出し帰ってきた二人のことを考えて頭を抑える。
「…まぁ、あの二人の部下は上司の奇行になれてるから大丈夫だと思うぞ?」 「そうだな。案外その方が任務もすんなり行っているかもな」
自分達も癖のある上司だと言うことに気付いておらず、うんうんと頷き合った二人は、今後の行動をどうするべきか決めかねていた。
「イルカにプレゼントでもやって帰るなら静かに終わるだろうけどなぁ…そんなスムーズにことが終わった試しはないからな」 「そうだけどよ…ってかイルカはどこに行ってるんだ?忠告にしろ報告にしろ、アイツの居場所がわからないと仕方がないぜ?」 「ああ。火影様からの任務でどこかに行ったらしんだが…俺は聞いてはいないからな、里に居ると思うぞ」
うんと少しの間首を捻ったが、それよりも火影に聞いた方が早いと踏んだ二人は執務室に向かって歩き出す。
「準備しておいた方がいいかねー」 「だな」
絶対に何かが起きる。そう確信している二人は、火影室へと重い足を運んで行く。のどかな小鳥の声がどこからともなく聞こえてきた。
「どうしたのだ」
音もなく火影の前に降り立った二人。彼等の表情をみてか、それともこれまでの経験故か火影は眉を潜める。だがそれは二人にとっても同じ事。
「サガラとツバキが帰ってきてます」 「…何故だ。任務の終了報告は受けておらんぞ」 「…今日がイルカの誕生日なので」 「………」
火影との間に流れる奇妙な連帯感。ずきずきと痛み始めた額を抑え、火影はやっかいなと呟く。
「同意します。して、イルカはどこに。任務を受けたと聞いたのですが」 「…任務と言えば任務なのだが」 「?」
サイとレツヤは顔を見合わせ、もう一度やっかいだと呟いた火影に首を傾げる。だが、火影が教えてくれた任務内容を聞いて二人は火影と同じ言葉を口にする羽目になってしまった。
「…それは…なんとまぁ…やっかいな」 「やっかいすぎるどころじゃねぇよ。俺らまた巻き込まれてるんだぞ。あいつらに」
いい加減にしてくれよと、ぐしゃぐしゃと己の頭をかき回すレツヤだが、それはサイも同じ気持ちだった。ただ、そうしてもことが変わらない為しないだけだが。
「…二人のことはまかせる。ただ願わくばイルカの『任務』が邪魔されぬようにしてもらいたい」 「…まぁ俺もそうしたいんですが…」
奇妙なイルカの『任務』は、サイにとっても歓迎するものだ。だが、あの二人が出てくるとなるとそうも行かない。サンタよろしく、プレゼントを置いてさっさと消える輩でもないだろう。
「で?どうするんだ?」
最初は愚痴っていたレツヤも、どうせ巻き込まれるならと腹をくくり対策の方へと頭を切り換えたようだ。サイは腕を組み、しばし思考の中に埋もれる。
「こっちの強みは、イルカの任務内容と依頼主を知っているところだな。そして俺とお前が『守り』に強いことだ」 「そういうことか。ま、いいだろ。久しぶりに楽しめそうだな」
にやりと笑ったレツヤは、仕返しできる絶好の機会とばかりに楽しそうに鼻歌を歌い始めた。火影が里人に迷惑をかけるなと忠告したが、軽く聞き流されてしまう。
「とわかったら、早速罠を仕掛けにいくか。何か試したいものとかあったら遠慮なくやっていいぞ」 「あの二人に情けは無用だしな」
サイが式神を飛ばしイルカの居場所を探り当てる間、ずっとレツヤは嬉しそうだった。そういえば、最近部下が実験につきあってくれないとぼやいていたことを思いだしたサイは、自分は何を仕掛けてやろうかと考え込む。火影の前でそれぞれの思考に耽る二人に、自分は知らんと煙管をふかす火影であった。
ぬかったわ! 屋根を飛び越え、木々の間を駆け抜けるツバキは、目にも留まらぬ速さで移動しながら、イルカを探し続けていた。自分しか覚えていないだろう。サイとレツヤは予想通りだったが、サガラは遠出の任務に出ていると油断しすぎた。
「…まさか、この日に会わせて帰ってくるなんて!なんて奴なの!」
自分と思考回路が同じだったことに気付かない彼女は、任務をこなす以上の真剣さを持ってイルカを探し続ける。なんとしても、サガラより先に見つけなくては。
「イルカの誕生日を一番に祝うのは私よ!!」
負けないわっと闘志を燃やす彼女の感覚に触った気配。それを感じ取ったツバキの目が鋭くそちらへ向いた。
レツヤと別れたサガラは比較的のんびりとイルカの姿を探し続けていた。レツヤと会う前にアカデミーを訪れ、イルカの不在を確認していた彼は、火影の使いにでも出ているのかとぶらぶらと里内を回っていたのだった。任務が途中なのに一人ここにいることを心苦しくは思うが、自分がいなくても優秀な部下は任務をこなしてくれるだろうし、サガラにとってイルカの誕生日を祝うことの方が重要だった。
なにしろ、イルカの誕生日は年に一度しかない。当たり前のことだが、昔から目をかけていたイルカを表だって可愛がれるのも今日だけなのだ。
「ん…?」
すごい速さで辺りを飛び回っている気配が一つ。それに気付いたサガラは、その人物がここに居ることに眉を潜めた。
「何故ツバキがここに…」
そう呟いたものの、答えはすぐに頭に浮かびサガラの顔は険しくなった。
「どうやらのんびりしている暇はないようだな」
強力なライバルの出現に、サガラはその場から消え去りイルカを捜し始めたのだった。
とある昼下がり。 道行く主婦を引き留めようと、店屋の主人があれこれと声をかける中、電柱の上で睨みあう者が二人。
「邪魔よ」
敵意むき出しでツバキが言い放てば、それを受け取ったサガラはにっこりと笑う。
「ツバキこそ」
笑ってはいるが、どけという無言のオーラを放つサガラだったが、ツバキの方も負けていない。口よりもチャクラで相手を威嚇する二人は、地上で気分が悪くなり倒れるものや、風邪を引いたかもと薬屋に駆け込む人々に気付いていなかった。イルカの居場所を捜していた二人が、彼の行きそうな所で顔を合わせるのは当然のことだった。お互いを牽制しつつも、相手がイルカを見つけていないことに安堵しながら二人は背を向ける。
負けるものかっ!!
ライバルより先にイルカの元へたどり着く!意地だか、プライドだかを賭けてそれに挑む二人は、それを密かに見ていた人影に気付くことはなかった。
バサリと空の中から聞こえた羽音。 それを見たサイはにやりと笑う。
「始めるぞ」 「おう」
お姫様の元に行くには、試練があるのさ。
それは楽しそうに笑う二人だった。
里の中心部を殆ど散策したツバキは、これだけ走り回っているのに全くイルカの気配を感じ取れないことに苛立ってきた。
「もっとアイツから聞き出すんだったわ」
ちぃっと舌打ちする彼女は己の失敗を悔やんだが、今更アカデミーに戻ってもサイが居ないことは予想がつく。その時、ツバキの頭上を横切るいち羽の鳥。見覚えのある鳥にツバキの笑みが広がった。
「全くどこに隠れたんだか」
その頃のサガラも里を散策しきったのに、イルカが見つからず少し不機嫌になっていた。道ばたに立ち、さらりと落ちてきた髪を掻き上げると、偶然それを
目にした女性が赤くなっていたりする。それに笑みを返したサガラは、聞き慣れた羽音に視線を上げた。
「…黒葉?」
それはサイがイルカとの連絡用に良く使う忍鳥だ。もしかしてイルカの所に向かってるのだろうかと都合の良い幸運に少し怪しんだが、それを追い掛けるツバキを見た途端その心配はどこかに消えた。サガラの笑みを受けた女性が小走りにやってこようとしていたが、サガラはさっさと黒葉を追い掛け始めた。後に残ったのはぽかんと口を開けた女性が一人。数分後、道ばたで罵倒を零す女性の姿が目撃されたとか、しないとか。
ツバキは背後から追ってくる気配に思わずクナイを投げた。
キィン!!
「…いきなり何をするのかな、君は」 「るさいわね!ついてくるんじゃないわよ!」 「これは心外だな。私が追っているのは君なんかじゃない」
バサリと羽音をたて、黒葉がくるりと旋回し飛ぶ方角を少し修正していた。二人はちらりとそれを目で追い、同時にそちらに向かって走り出す。だが、ただ並んで走っていたのではない。二人は相手より一歩でも前にでようと、クナイは勿論、手裏剣を投げつけたり、足払いを仕掛けたり。わざと枝を折って進路を妨害しようとしたりと、ねちねちとした攻防が繰り広げられていた。
「しつこいわねっ!」 「それはこちらの台詞だな!」
いらいらの募ったツバキが術でもお見舞いしてやろうかと、すうっと息を吸い込んだ瞬間。
キィィィィン。
耳障りな音を感じ取り、二人は足を止め辺りを伺う。気付けば自分達以外の気配が消えていた。冷え冷えとした緊張感が肌を覆っていた。僅かに感じる息苦しさに、己の迂闊さに内心舌打ちしたい気分だった。
「幻術に捕らわれるなんて、間抜けよね」
互いばかりを意識していたせいだったのか、それとも相手の腕が良かったのか。幻術の中心部に来るまで全く気付かなかった自分にツバキはイライラとクナイを握りしめた。
こんな時に邪魔するなんていい度胸してるじゃないのっ! そう思ったのはツバキだけではないらしい。サガラもどこか苛立った様子で辺りを伺い視線には任務時に近い目に変わりつつある。
「さっさと出るぞ」 「当たり前よ!」
いつの間にか協力体制を取っていた二人は、静かに目を閉じ幻術の弱い部分を探り始める。だが、余程強い術者なのか、隙間どころか綻びさえ見つけることができない。これは一筋縄ではいかないと、サガラは気を引き締めた。その時ふわりと、柔らかい花のような香りが漂ってくる。
次第に甘さが増し、鼻を麻痺するような強さになってきた。一瞬でも気を抜けば、感覚が狂わされ幻術の海に沈んでしまうだろう。それでも二人は目を瞑り、冷静に幻術を探り続けている。そして再び香りが増した。
ぴくりとサガラの手が動き、カッと目を開きクナイを投げつける。それにツバキが続き、サガラがクナイを投げた場所へ思いっきり蹴りを入れる。
パァンとガラスの割れるような音が響き、辺りの空間が揺らめき出す。やっと解けたかと、むせかえる匂いに辟易したサガラが早々にこの場から後にしようとした時、その香りが渦巻き始めた。
「何?」
目に見えたわけではないが、香りが風のように動きサガラの動きを封じ込める。ガクンと足が地面に吸い付いたように動かなくなり、次に握っていたクナイを取り落とす。麻痺系の毒を喰らった感覚に眉を潜めながら、冷静にまだ体の動く場所を確認していると、草を踏む音とともに、誰かがこちらに近づいてくる影が見えた。
敵かとサガラが正面を睨む中、現れたのは一人の女。 地面につきそうなほど長い黒髪に、幾重も重ねた色とりどりの着物。真っ白な肌に浮かべる薄ピンク色の唇は愛らしく、長い睫に縁取られた瞳は、夜の闇を映し出すように煌めいていた。まるで物語にある天女と見まがうべき女は、サガラに笑みを浮かべたまま、ゆっくりと近づいてきた。
「……何者だ」
警戒するサガラに臆することなく近づいてきた女は、美しい顔の中に無邪気さを讃えたままサガラに向かって手を伸ばす。女の衣からは、先ほどまで嗅いでいたのとは違う心地よい香りが漂い、美しい女の視線に捕らわれたように、サガラの目は女に釘付けになった。
何故こんなところに女が居るのか、先ほど自分を閉じこめた結界は何なのか。 そんな疑問は女の香りを嗅ぐたびに薄れ、頭が朦朧となってくる。思考が思った通りに働かず、サガラの目がうつろな状態になり始めた。
どうでもいい。 考えることが面倒になり、近づいてくる女の顔をただ待ち続ける。
「貴方を天の楽園へと誘いましょう」
初めて聞いた女の声は姿同様、麗しく、サガラの胸に響いた。頬に添えられた手に導かれるように瞼を降ろし、唇に女の吐息がかかる。あと少しで、柔らかいものが重なろうとした瞬間、サガラは呟いた。
「消えろ」
ボンッと女の足下から破裂音が鳴り、女が炎に包まれる。ギィィィヤァァァと天女に似つかわしくない悲鳴を上げ、女はサガラから離れた。しかし身を焼く炎は消えることなく女を焦がし、助けを請うように両手を天に向かって差し出すが、彼女の求めるものは来なかった。
「…幻術に幻惑の香の二段構え。そして最後は…」
炎が消え、黒ずみになったものが地面に横たわっている。だが、それはサガラ見ていた女の姿ではなく、巨大な花と人の腕以上もある蔓がついた醜悪な植物だった。それを一瞥した後、サガラは女が手を伸ばしていた方角を眺め、目を細める。
「やってくれたな」
その声には隠しようもない怒りが含まれていた。
うっとりとした目でツバキはそれらを眺める。目の前に広がる光景に満足しながら、背後から襲ってきた殺気にクナイを振るった。
「ぎゃあっ!!」
盛大な血飛沫を上げて倒れた敵。なま暖かい血がツバキの頬に飛び散り、彼女はそこに指を乗せた。
「ふふ…いい温度。でも物足りないわねぇ…」
戦闘の興奮に身を包みながらも、ツバキは辺りをよく観察していた。結界を破ったと当時に、再び増した甘い香り。その原因を突き止める前に襲いかかってきた無数の敵は、当然ツバキの敵ではなかった。だが数が尋常ではなかった。ツバキが一息つく間もなく次々と現れ、襲いかかってくる。戦闘に喜びを見いだす彼女は、最初は楽しんで相手をしていたが、一撃で屠ってしまうことにつまらなくなっていた。弱い敵を何人も倒すより、強者を相手にして、死線ぎりぎりのところで戦うことが面白いというのに。
「飽きたのよねぇ…」
くるくるとクナイを回しながら、ツバキは薄暗い空を見上げる。その時巨大な影がツバキの頭上に現れ、何だろうと振り向いた彼女の目に写ったのは、巨大な爪だった。
爪になぎ払われたツバキの身体が血しぶきを上げながら宙に舞う。そんな彼女の顔を満足そうに眺めた獣は、地面に落ちた身体を食らう為にゆっくりと足を進めていく。生暖かい血の臭いに、獣の喉が嬉しそうに鳴った。鋭い牙に覆われた口の中から出た長い舌が、血を舐めとろうと出された瞬間。
獣の首がごとりと落ちる。
「食事を邪魔してごめんなさい?」
くすくすと切り落とした獣の頭に乗ったツバキが笑う。ツバキの死体だった筈のものは、先ほど倒した敵の身体に摩り替わっている。
「…あら」
ふわりと煙のようなものが漂い、視界を覆いつくした。チャクラの途切れる気配を感じた彼女が静かにそのときを待っていると、今しがた倒した獣は勿論、自分が築いたはずの死体の山も消え去っていることに気づく。残っているのは醜悪とも言える植物のみ。
「どうやら終わりのようね」 「…ずいぶんと楽しい時間だったようだな」 「そうでもないわよ」
サガラが現れたことにも驚かず、そう返答したツバキは幻術の解けた一体を眺め、とある位置に視線を向けた。物騒な気配を感じたのだろうか、そこに潜んでいる者が僅かに身体を揺らす。
バサバサ…
その時、まるでそれを助けるように聞こえた羽音。二人が追いかけていた黒葉が何かを見つけたように急降下していく。
「行くか」 「ええ。こっちは後でゆっくりとやればいいものね」
そんな言葉を残して去った二人を見送った者は、彼らの姿が消え去った後、黒焦げになった植物の元へと降り立った。
「ま、こんなところか。ちょっとぐらいは引っかかったが、あいつらにはこれが限度ってことかね?」
レツヤはぼりぼりと頭をかきながら、二つの植物を見下ろし火遁の印を結ぶ。あふれ出た炎が勢いよく地面を這いずり、醜悪な植物を焼き尽くしていった。
とある国に出向いたときに見つけた植物。葉に含まれた成分は、獲物に幻覚と麻痺を与え、抵抗する意思がなくなったところを花に見える口が食らうという。葉から取り出した成分を調合し、人間相手にどのぐらいの時間が持つのか実験したかったレツヤは、躊躇なく未知の毒をサガラとツバキに振りまいたのだが、あの二人相手ではデーターを取る暇もなかったかと、ちょっとうな垂れる。
「でも相手にとって苦手なもの、あるいは好きなものを見せるってのは本当のようだな」
二人の様子でそれを確認できたレツヤはこれで満足するかぁと、歩き出す。ドコンと聞こえた音は、レツヤが張ったトラップだろう。後で何分で抜けたかサイに聞かないとなぁと呟きながら、レツヤはこの場を後にした。
隠しトラップは勿論、幻術の二重重ねは当たり前。至るところに結界が仕掛けられており、それを迂回しようとすればまた別のトラップが発動するなど、今二人が通っている場所はトラップのオンパレードだった。
「鬱陶しいわね!!」
二つほどのトラップを一度に断ち切り前に進むツバキ、それを側面から支えているサガラは前方にある結界術に向かって印を結んだ。
「一点突破だ!」
結界術と同等の力をぶつけて相殺していくサガラの荒業。どれも二人のレベルなら難なくクリアできる代物なのだが、あまりにも仕掛けられたトラップが多い上に、時間ばかりかかり、何時までたっても目的の人物にたどり着けないことに二人は苛立ち始めていた。
「…どういうつもりだあの二人」
このトラップを仕掛けたのがレツヤだということを見抜いていたサガラだったが、当然これにサイも関わっているだろう。だが、二人が何故自分達の邪魔をするのかわからないとの呟きを聞きとめたツバキは、小さく鼻をならした。
「何言ってるのよ!そんなの嫌がらせに決まってるじゃない!あの性格悪い二人のことよ!!」
サイとレツヤがこの場に居たら、お前だけには言われたくないと反論しただろう。何しろ一番に問題を起こすのはいつもツバキだ。その後始末にサイが何時も走り回っていることを知っているサガラは、思わずツバキの言葉に口を噤んだ。
「むかつくったら!何時もイルカと一緒にいるくせにっ!少しぐらいこっちに寄越しなさいよ!!」
サガラが黙っている間もツバキの愚痴は続いていたらしい。しかもいつの間にかイルカと居られないことの不満を口にしていたが、それには賛成だとサガラは頷いた。
「今日ぐらいイルカを独占しても文句を言われる筋合いはないな。さっさとここを出るぞ」 「あったり前よ!」
しゅっと投げたクナイが、最後と思われるトラップを破壊した。ざっと同時に森を抜けた二人の目に、翼を下ろす黒葉の姿が見えた。そして黒葉が降りようとしている木の下に居るのは…
「「イルカ!!」」
ようやく見つけたと、二人の顔に笑みが浮かぶ。捜していた彼にやっと会えた。その喜びの為か、二人は一つのことを失念していたのだ。
ギシリと身体が動かなくなり、その場から足が一歩も動かなくなる。驚いたツバキが声を上げようとしたのだが、口はパクパクと動くだけで声が出ない。いつの間にかチャクラで紡がれた太い縄のようなものが、二人の体をがんじがらめにしていたのだ。
「はい、ご苦労さん〜ここから先は通行禁止〜」
ガサリと近くの茂みから出てきたサイは、身動きのできなくなった二人に残念でしたと呟く。だが、そんなことで諦めるような二人ではない。散々探し回った挙句、レツヤには邪魔され、トラップの山をやっと抜けてきたのだ。ギリギリと殺気を漲らせる二対の目に睨まれたサイだったが、それに怯む様子はなかった。
「ちなみに、イルカは今任務中。それを邪魔すると減給だから」
サイの言葉にはぁっ?目をむいたサガラの横で、ぶちりと何かが切れるような音がする。おやと視線を落とした先には、口の拘束をチャクラで破ったツバキが食ってかかって来た。
「人の邪魔を散々しておきながら任務って何よ!第一あれが何の任務だってのよ!!」
拘束術が破られることも考慮し、結界を張っていたのは正解だった。ツバキが幾ら声を張り上げても木の下に居るイルカは動かない。頭に血が上っているツバキの横で眠っているのだろうか?と首を傾げるサガラが見たのは…
「「写輪眼のカカシ!!」」
何かを感じたのだろうか、イルカの方へと視線を戻したツバキは、サガラと同時にイルカの横に居る銀髪の上忍を見つけてしまう。こくりと頭を垂らしているところから、彼も寝ているのだと思うが…ツバキと同じように口の自由を取り戻したサガラは、ツバキとともに説明しろとサイへ凄んだ。
「「何でアイツが一緒に寝てるのよ!」んだ!サイ!!」 「ん〜多分お前達と同じ理由だろうな」 「は!?どういうことよそれっ!」 「いやだからさ、誕生日プレゼントなんだと」
突然火影の前に現れて、イルカの時間を借りに来たと良いに来たカカシ。一体どういう意味だといぶかしんだ火影にカカシは誕生日プレゼントなのだと説明した。子供達に言われましてね〜と少し面倒な素振りは見えたが、確かに休みが必要だと火影も思っていたのでそれを任務として認めたという。
「よってイルカの任務を邪魔しようとする奴は排除しないとね」 「サイ〜〜〜!!」
お前達の傍だとイルカは休めないしというサイの言葉に、ギラギラと睨み付けるツバキ同様、サガラの目もどんどん冷たい殺気を放ち始めている。ちょっとやだな〜と思いつつも彼等の拘束の手は緩めない。というか緩めるなど危なくてできない。そんな彼等を余所にイルカは目を覚ましていた。しかも…
「あっ!!」
ツバキが気付いた時には、イルカはカカシと共に夕暮れの中に消え始めていた。待って!とツバキが叫ぶも彼女の声は届かず…
「ちなみにこの後はナルト達との誕生会だ」 「「サイ!!殺すっ!!!」」
ぶちりと力業で拘束術をぶち破った二人はサイに飛びかかるが、クナイを投げつけられたサイは煙とともに消える。影分身かっ!と叫ぶサガラとツバキはイルカの誕生祝いを出来なかった恨みをぶつけるべく、憎っきサイの姿を求めて里へ向かっていった。
「おおこわっ〜」
そんな彼等の後ろ姿を見送る鳥がいち羽。二人が黒葉と思って追って来た鳥は、首を垂らし深い溜息をつく。その横へ、先ほどのデーターをメモしながら現れたレツヤ。
「当分人間の姿に戻れないな、サイ」 「…お前も当分里に戻らないつもりだろ…」 「勿論、逃げ場があるってのはいいよな〜」
カカシからの誕生日プレゼントを守る為とは言え、ずいぶん高い物を送る羽目になったものだとサイは遠くを見つめる。今日は家に帰れないな。 一晩中とある人物の姿を求めて走る影と、一晩を木の上で過ごすことになった鳥。
カァカァと夕日の中を飛ぶ鴉が目に痛かった。
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