憧れ故の恐れ

黒の五色:サガラ編



それを見た時、胸の奥でざわりと何かが囁きだした。
自分に気付かず歩いていく二つの影。その姿が見えなくなっても、奇妙な声が静まることがなかった。


愚痴混じりに聞いたツバキの話しに眉を潜めたものの、それほど心配はしていなかった。
イルカに関することではサイを多少信頼しているサガラは、酒を抱え八つ当たりをする少女に何とか付き合いながら、任務より疲労感の増す今が早く終わることだけを願っていたのだ。ただ、その相手がカカシということが気になった。それはツバキの心配とは違い、昔見た光景を思い出したからだ。

仲間の為ならば、己の身を押しても守ろうとする。自分の死よりも仲間の生を選び、迷いもなくその身を躍らせる。何て危険な綱渡りをする男なのか。そう思い、彼の考えにサガラは共感できなかった。

あの男がイルカに近づいた。
酒で唇を湿らせたサガラは、そのことだけが何時までも頭から離れなかった。
嫌悪感さえ抱いたあの男。
はたけカカシの名がずっと頭から離れなかった。

それは里に戻ったことでより大きくなり、笑い合う二人を見て、胸がざわめいて仕方がなかった。あの男の傍に置いたらイルカが駄目になる。その恐れは日を追うごとに強くなり、サガラはそれに耐えることができなくなった。


ひゅぅぅと頬を掠めて行く風。まだ朝も開けぬ時間、アカデミーの屋上から見る里は、深い眠りの中に居る。動物さえも目を覚まさぬ静かな時を、サガラは一人ここで待っていた。

「もう立つのか?」
「…ああ」

珍しく里から支給されている忍服を着込んでいるレツヤは、ベストの襟を邪魔くさそうにひっぱりながら、サガラの隣にやって来た。相変わらずぼさぼさの頭は、風に吹かれてなお乱れ、落ちてきた前髪を邪魔に払っていた。

「…すまなかったな」

己のしたことがどんなことだったのか、一番理解しているいのはサガラ自身。カカシを消した時、どんな影響を及ぼすのかわかっていながら、止められなかった。そして…仲間にまで刀を向けて。イルカを…いや、【シキ】の怒りを買って。

「…俺は一体何をやっているんだろうな…」
「ま、たまには吐き出すのもいいんじゃねぇのか?」
「レツヤ?」

まさか呟いた言葉を肯定されるとも思わず、サガラは驚いたようにレツヤに顔を向けた。しかしレツヤは、屋上の柵に背を預けて、まだ肌寒さを感じさせる空を見上げながら、勘違いするなと言い置いた。

「お前のしたことを許したわけじゃねぇよ。お前のしたことは裏切りだ。独断で行動し、俺達の忠告も、制止の声も聞かず、【シキ】が何て言うかわかっていながら、アイツの意に反することをしたんだ。あの時、その場で制裁を受けても可笑しくなかった。そして俺達も止める気はなかったんだからな」
「…ああ」
「…でもな、俺には何となく…お前の気持ちもわかった。いや俺だけじゃねぇな。サイの奴もわかってる。お前が持った危機感を感じながら、アイツは何もしない。何もせず…現状維持を選んだ。何をどこまで考えてるのかなんて…サイしかわかんねぇ。アイツの頭の中は解剖してもわかりそうにねぇしな」
「それは認めているがな」
「素直じゃないねぇ、サガラさんは」

レツヤは腕を組み、憮然としているサガラを見てくすくすと笑った。イルカの言葉には殆ど意を唱えることなく従うサガラは、一見イルカを信頼しているか、可愛がっているように見えるが、実は己とイルカの立場との距離をきちんと線引きしているのだ。サガラより後から入り、彼の同意も得た上で【シキ】の地位についたイルカは、『黒の部隊』の指導者であり、火影を除けば自分の上司。自分が認めた者には服従するサガラに取って、イルカは逆らってはならぬ相手。しかし、サイは違う。

サガラと同じ「黒の五色」ので同列の地位に居る彼には遠慮などする必要はない。だから、言いたいことも言うし、不満を容赦なくぶつける。先輩だと言う意識もあるのだろう、顔を合わせるたびに小言を言われるサイに取っては迷惑だろうが、それはサガラなりの信頼の証なのだ。

サイならば、何を言ってもどうにかしてくれる。それはあちらも無意識の感じ取っていたのだろう、嫌な顔をしながらも一応サガラの意見は聞いていた。なのに、今回サガラのしたことは。

「そこまで気にするな。言ったろう?アイツもわかってるって…ただお前は一人で抱えすぎたんだよ」
「…一人で?」
「ああ。はたけカカシに対する不安をお前は一人で解決しようとした。俺達に吐露することもなく、どうするべきかを考えて…あそこまでいっちまった。その前に一言、サイにでも小言を吐いていれば良かったんだよ。いつも五月蠅いぐらいにサイの奴に言うのに…お前は何も言わなかった。いや…そのことだけじゃねぇな、お前は自分のことはいっつも抱え込む。いつも…な」
「…」
「言えばいいんだよ、自分が気に入らないこと、愚痴、素面で言えないなら酒の力を借りてでも。それは恥ずかしいことじゃねぇよ、サガラ?」
「…」
「それですっきるするなら、付き合ってやるさ。何しろ顔を合わせるたびに、お前達の愚痴に付き合わされる俺だ。慣れてるぞ?知ってるか?サイの愚痴。普段イルカにやられている分、すごいってなんの…」
「そんなにか?」
「ああ。苦労してるんだな〜って同情するぜ」

その状況が思い浮かんだのか、ぷっとサガラは吹き出した。それを見たレツヤも大声で笑い、屋上はしばし二人の笑い声が響き渡った。

「…では、今後から頼もうか。レツヤ」
「ああ。何時でもどうぞ〜でも俺の文句は聞かねぇぞ」
「いつも女の所ばかり通って部下の鍛錬を見ないとかか?」
「…言うな、サガラ」
「く…まぁ今日は止めといてやろうか」

お願いしますと頭を下げたレツヤに、仕方ないと偉そうに胸を張る。ようやくいつもの様子になったサガラの顔を、昇ってきた太陽が染め上げた。

「…さて、時間だな。後は頼むレツヤ」
「ああ…そうそう、気を付けてってイルカが言っていたぞ、一応サイも」
「…お前に伝言を頼むなんてアイツらも偉くなったものだな」

トンと柵の上に上がり、一度レツヤを振り返るとサガラは身を躍らせた。