「なんでさっさと殺さないのよ!」 そう叫んだことは正しい。間違いなんかじゃない。いえ、その方法を取らないこいつの方が可笑しい。そう睨んだ私を見てアイツはため息をついた。
それをツバキが知ったのは本当に偶然。 でなければずっと何も知らないままで里を後にしていたに違いない。意図的に隠されていた憤りを内に秘めて、ツバキはアカデミーを歩く。するとようやく待ち望んでいた相手に会えた。だが、彼はツバキを見て嫌そうに顔を歪める。しかも。
「何しに来たんだよ」 「…誰が好き好んでアンタの顔なんて見に来るのよ」 「あーそうですか、それはすみませんね。うっとうしい顔で。さっさと退散しますので、お好きなようにアカデミーを見学していて下さいな」
そう言って、ツバキの横をすり抜けようとするサイの腕を彼女は掴んだ。
「…ふざけるんじゃないわよ」 「離せ」
ギリ…とサイの腕を握る力をツバキは手加減しなかった。幾ら女性とは言え、『黒の五色』に身を置き、その刀で人を一刀両断できる腕を持つツバキである、それは男の非ではない力だろう。現にサイの顔は苦痛の色を見せたが、ツバキは勿論、サイも無理やり離そうとはしなかった。
「お前には関係ない」 「なんですって…?」 「お前には関係ないって言ったんだよ、ツバキ」
思わず殺気を放とうとしたが、ここがアカデミーであることを思い出し、なんとか留めたツバキはその代わりとでも言うように、サイをこれ以上にないぐらい睨みつけた。彼女の激しい瞳は、敵でさえも一瞬動きと止めるといわれるほど、恐ろしいものではあったが、昔からその視線を注がれていたサイには通じず、冷たい瞳で見下ろされるだけだった。
「…なんで殺さないのよ。それがアンタの仕事のはずよ」
イルカに近づこうとする危険人物は殺す。それは『黒の部隊』の秘密を守るためにも、それを統括する【シキ】を守るためにも必要なものだ。なのに、目の前に居るこの男は何も動こうとしない。敢えて危険を放置しようとしてるとしかツバキには写らなかった。
「アイツに近づくものをすべて殺せと言うのか、お前は」 「ただの同僚なら何も言わないわよ…!」
イルカと同じ職場の者ならば、ツバキだとて何も言わないし口出ししない。だが、今回の相手は違う。 はたけカカシ。写輪眼のカカシなのだ。 その辺の上忍とは違う、里でも指折りの、最強クラスの忍なのだ。そんな者に近づかれる危険を…サイはわかっていないのか。それともわかっているのに、放って置くのか。
「
…お前は何時もそうだな。お前からしか見ない」 「なんですって?」 「お前は自分の視点からしか物事を見ないんだよ。特に頭に血が上るといつもそうだ。その危険性を前に教えてやった筈だけどな」 「私に偉そうな口を利くんじゃないわよ!」
ついに耐え切れなくなったツバキは、声を荒げる。サイを掴んでいる腕にも力がかかり、サイはその痛みのためかチッと小さな舌打ちの音を響かせた。だが、怒りに支配されたツバキがそんなことを気にかける筈もない。
「…ここで殺気を開放したらどうなるかわかってるのか?そんなに強い殺気、上忍は勿論なり立ての下忍でさえ感じ取るぞ?特別上忍程度のお前が、そんな殺気を隠し持ってたなんて色々目をつけられるんじゃないか?」
サイの言葉にはっと冷静になったツバキは、爆発しそうだった殺気を瞬時に消す。その拍子にサイは己の腕を取り戻し袖をまり、くっきりとついてしまった手形を見て、当分半袖になれねぇと呟いた。
「サイ!」 「…アカデミーがとっくに終わっていて良かったな?もしかしてそれを狙って今頃来ていたのか?お前にしてはずいぶんと気の聞いたことをしたもんだ」 「私を馬鹿にするつもりなの?」 「褒めてやってるんだよ」
青い手形の残った腕の恨みか、いつも以上にサイの口調は容赦がない。しかし、ツバキはそれを悪いとも思わず、話をそらしたサイを睨みつけた。
「なんでわからないのよ。アンタの判断がいかに危険か!間違っているのか!それともその頭はお飾り?アカデミーに引っ込んでいる間に退化した?」
うっすらと笑みを浮かべてはいるが、その目はぎらついており、肉食の獣が獲物を前にした舌なめずりのようだった。彼女にとって、イルカという存在は何よりも優先されるべきことであり、それを害するならば、仲間として長年の関係を気づいているサイなども容赦なく屠るだろう。そんなツバキを見て、サイは面倒だというように舌打ちする。
「だったら、聞くが。消した後はどうするつもりなんだ?」 「仕方のないことでしょ。そして、いなくなっただけだわ」 「任務に出たわけでもない、この里で?」 「そんなの幾らでも何とかなるじゃない」 「…唯一の導き手を奪って?」
興奮すると、前しか見えなくなるツバキだが、彼女の頭が鈍いわけではない。それは、主語のない会話も続けられ、一瞬にしてサイの言いたいことを把握したことからもわかる。
ただ見えなくなるのだ。 彼を守ろうとするあまりに。
何かを消すということが、どれだけ回りに影響を受けさせるものなのか。イルカが無事であれば、『黒の部隊』の秘密が守られれば後はどうにかなると思っている。だが、それは間違いだ。
イルカに近づいたはたけカカシ。 彼は里でも指折りの上忍で、国外にも名を響かせる忍だ。実力重視の忍の世界。それがただの噂でないことは、ツバキも十分知っている。だからこそ、彼女はカカシがイルカの正体を暴くのではないかと、その為に近づいたのではないかと疑う。そして、そんな危険はすぐに取り去ってしまえばいいと言う。イルカから引き離し、それが無理なら殺せと。
本当にそれをしたらどうなる?
里は守り手でもあり、稼ぎ手でもあるカカシを失えば損失は多大なものとなるだろう。しかも、任務ではなく里の中で死ぬ。それは内部の不穏を伝えるものであり、それを隠そうと上層部は要らぬ手をかけなくてはならない。幾ら口止めしようとも、有名な忍の死はあっという間に里内に広まり、彼の死に疑問を抱いたり、果てには木の葉の里に不信を抱く者も現れるかもしれない。
そして、一番の問題は、カカシが上忍師だと言うことだ。 それも、木の葉で一番憎まれているナルトの。彼は他の者達と違って、ナルトを九尾と同一視しない数少ない人間だ。他の下忍と同じように扱い、同じように守り、同じように導こうとする。それが本心なのかと聞かれてもそうだと言い切ることはできないが、少なくとも他の上忍なら彼のようにナルトを接することはない。
イルカが何よりも慈しんでやまないナルト。 その導き手を奪うことを、イルカが許すと思うのか。ナルトが悲しむことをイルカが容認すると思うのか。
「お前は殺されたいのか」 「…」
仕方がないとツバキを許すと思うのか。 そう問われ、ツバキは何も返せなくなった。ようやくサイが何故静観を決めたのか、そして様々な要因を頭の片隅においているのかツバキはようやくわかった。
何も放置しているわけではない。すべての可能性をすべて考え、見守っている。イルカしか見ていないツバキとは違い、イルカを『黒の部隊』を果ては里のことまでも考えて、サイは見ているのだ。そして、もしカカシが最悪の可能性をたどるとするならば。サイが考え付く限りの方法を使って、カカシという存在を消すだろう。確実に、疑われぬよう、里の最小限の損失にして。
イルカも恐ろしいが、彼の右腕と言われるサイも、別の意味で恐ろしい者なのだ。そのことを思い出して、ツバキは唇を噛んだ。
「…もうすぐイルカの受付も終わるぞ」 「え?」 「どうせ、夜には行くんだろ、久しぶりに顔を出してやれば?」
ひらひらと、手を振りサイは何事もなかったように廊下の奥へと消えていった。気を使ったのかと、ツバキは感謝するより苦々しい思いでサイを見送ったが、彼の提案に否を唱える理由もなかった。
「…様子でも見てくるわよ」
どんな顔で迎えてくれるのか予想はつくけれど、それを実際見るのと見ないのでは心の感じが違うのだ。しゃくだが、今はサイの言う通りにしてやろう。だが、彼から許可が出た場合…はたけカカシを殺すのは自分だ、そう心に決めた。
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