幻ではない背に

黒揚羽


何もかもが色あせて見えていた。
何故どうして自分がここに居るのかわからなくなる。毎日楽しいこともない、辛いと思うこともない、ただ流れる時は自分に取って何の価値もなく。初めは何かを求めて右往左往していたが、それすらの気力も失い毎日を過ごす自分は。

一体何?と問わずにはいわれない。

そんな時、偶然にも見た光景は、自分の何かを刺激した。煌々と照らす闇の光が彼を包み、すべてを従えさせるような圧力で辺りを支配する。自分は勿論、その傍に居た者達は一歩も動けず自分の命が狩られるのを待っていた。やがて、すべての生き物の臭いが消え、後は自分だけ。近づいてくる刀の光が、異常に眩しかった。

「……子供か」

冷たかった声は、少しだけ意外そうにしていた。恐らく潜んでいる敵だと思っていたのだろう。しかも忍の訓練も受けていないただの子供だったことが、自分の命を救う結果になった。

「…迷い込んだのか」

自分の親も忍だから、目の前に居る人物…暗部装束を着た者の任務を見てしまうことが、どれだけ危険なものか聞いている。内容が隠密というのもあるのだろう、だがそれ以上に戦闘時の興奮状態で、敵味方の区別を付けにくいというのが一番の理由だった。しかし彼は意外なことに、その刀を納める。そして物珍しそうに、じっと自分を見下ろし続けていた。

何故だか怖くなかった。

辺りには血の臭いが満ち、敵の屍も視界を掠めているというのに。それは、もしかしたら彼の気薄な気配のせいだったのかもしれない。瞬きをしたらもうその姿が消えているような気さえする。

存在が揺らめいている。

それはどこか自分に近いものだった。自分の居場所を見つけられない、それと。

「…アンタは…」

すっと手を伸ばした自分を見て、彼は不思議そうにそれを眺めた。一体何をされるのか、何をしようとしてるのか、疑問と好奇心に負けたのか彼は小さな自分に合わせるようその場に跪く。別にどこを触ろうか考えていたわけではないが、伸ばした先にあるものが偶然面だっただけ。コツンと固い感触が指先にあたり、そこで初めて彼の目と見つめ合った。

「…ここにいるよな」

嘘や幻ではないことに、安堵した言葉に彼の瞳が揺らいだ。好奇心の入り交じっていた瞳から、何かを苦悩するような色に変わり、それを近くで見てしまった自分は少し動揺する。

「…ここにいるのか」

そう問われて、自分はもう一度面を指先で叩いてから、頷いて見せた。

「…いるよ。俺もアンタも」
「……そうか」

彼は一度目を伏せて、再び自分を真っ直ぐに見る。そして不思議そうに首を傾げて見せた。

「怖くはないのか」
「?何がだよ」
「…俺も後も」
「…う〜ん気にしてなかった。でもアンタは怖くないよ。何でかな」

自分でもわからなかったので、逆に聞き返すと彼はくくくっと笑い始める。面白いと呟かれ、むっとしていると彼はゆっくりと立ち上がった。

「…殺さないのか?」
「何故?」
「暗部の任務を見た奴は死ぬんだろ。だから気をつけろって言われたから」
「親が忍なのか」
「ああ。でもまだ死にたくないけど」

命乞いではないと気付いたのか、彼は止まったまま先を促すようにその場で待っていた。自分が思いだしていたのは、彼が敵を殲滅するために使っていた術だ。まだ術は早いとクナイ程度しか持たせてもらえない自分には、それが酷く新鮮に見えたから。

「あの術。面白そうだなと思って」
「…なら教えてやろうか?」
「え?」

思わぬ提案に驚いた自分の声は、少し裏返っていた。だが素早く回転した頭は、どう答えるのか導き出しており、それを拒む理由も見つからなかった。

「いいのか?他のも知りたいって言うぞ?」
「興味があるならば。そしてついてこれるならな」

面白い。
それがどちらの言葉だったのか、自分でもわからない。ただ、今まで真っ暗だった自分の中に、真っ白い風が吹き抜けたのを感じた。着いていくことを許してくれた彼の後を追う。屍の間を通ることも、足下に血が付くことも気にせずに。

自分は彼の背を追い続ける。まるで闇との間に立ち塞がる、彼の背中だけを見つめて。