一番最初に知った人の感情は憎しみ。 どす黒くて、ギラギラしていて、息が詰まるような。 何故そんな目で自分を見るのか、何故そんなものを向けられるのか一向にわからなかった。 声を出そうとすれば五月蠅いと、黙っていれば目障りだと、部屋の隅で小さくなっていれば邪魔だと。 何をしても自分の存在は疎まれている。その考えに行き着いた時、自分は人の顔を伺うことを止めた。 自分が努力しても何も変わらない。ならば、それを気にする必要はないのだと、その時の自分は何かを切り捨てたのだ。しかし、それを捨ててしまえば心はとても軽くなった。答えの返らない疑問を抱え込まないことが気持ちの良いものなのだと初めて知った。 だからもう平気だった。 どんな目で見られても。 だが、日が経ち年が経つに連れて、今度は別の欲求が生まれる。 外の出たい。 どこを見ても暗く締め切った部屋は、本を読むのには良かったが、体を動かすには不便な所だった。それに飛んでも届かない窓の外から聞こえる音に興味があったからか。ここから出てみたい。そんな望みが生まれるのも当然だった。 唯一人として認識している老人にそれを伝えると、老人は渋い顔をしたものの、駄目だとは言わなかった。逆にそろそろかと呟き、近いうちにと約束してくれた。だが、日を決めてはくれなかった。ただ老人の言葉を信じて待つしかなかったのだ。 約束を交わしてから、どれだけの日が昇り夜を迎えたのかわからない。その頃の自分は、日を数えることも知らなかったし、その必要もなかったからだ。部屋にある本を読みあさる日々。変わらぬ日常がただ繰り返されていた。 そんなある日。とてもベタベタとした寝苦しい夜のこと。自分は唐突に目を覚ました。 目が暗闇に治るのを待って、辺りを伺うがあるのは散らかした本だけ。 「…?」 気のせいか。自分の勘が外れたことに違和感を持ちながら、それでも用心の為にと身を壁に寄せた時。 「へぇ。悪くないね」 見知らぬ声が響く。 ギクリと体を動かしながらも、相手の姿を暗闇から探し出そうとするが闇が深すぎて見つからない。なのに、相手はそんな自分が見えているのか、くすりと笑った。 ぼうっと火が灯り、燭台が照らされる。目を痛める明るさではなかったが、急に視界が明るくなったのでつい目を細める。そんな自分を待つかのように、相手はその場から動かなかった。ようやく目が慣れて相手を見ることができるようになった自分は、彼の姿に目を見張る。 「やっぱりこの姿はやばかったかな。急いで来たんだけどね~」 間延びした声を出しながら、彼はへらりと笑う。いや、笑ったというのは正しくない。彼の顔は額当てと覆面によって殆ど隠されていたからだ。しかし異様なのは顔だけではなかった。何故今まで気付かなかったのか、彼の服はどす黒い色で染められていた。 血だ。 むせかえるような匂いが部屋を包み、思わず咳き込みそうになった。だが、相手に弱みは見せたくないとぎっと睨み付けていれば、彼はくすりと声をだした。 「いいね。気に入ったよ。任務を終わらせて帰ってきたかいがあった」 彼はしゃがみ込み、自分の視線を合わせてきた。一体何のことだと眉を潜めていれば、彼は満足げな顔をしたまま。自分に対しこんなことをしてきたの者は初めてだったので、戸惑いの方が大きかった。そのことに気付いているのかいないのか、それどころか血まみれの手をこちらに延ばしてくるではないか。 「俺はねぇ…カカシ。はたけカカシって言うんだよ。お前は?」 べたりと血まみれの手が頬を濡らす。その温かさに嫌悪感を覚えるものの、触れられるのが嫌だとは思わなかった。初めて名を尋ねられた。初めて自分を真っ正面から見てくれた。絶えず注がれていた憎しみや、怒りの色はなく、ただ彼は自分を見ていた。 自然と名前を呟いていた。 それを聞いたカカシは、唯一見える右目を満足そうに細める。彼は自分の頬から手を離し、宙でそれを止める。 「俺ならここから出してあげられるよ。お前が知りたいもの、何でも教えてあげる。お前が望むものを何でも上げるよ」 手を差し出しているのだと気付いたのは、少し時が経ってから。 「ねぇ。行こう。俺は迎えに来たんだよ」 戸惑いや、警戒を取り去った最後の言葉。ここから出たいと思っていた自分にとっては、とても魅力的な言葉だった。 彼を信じていいのか。そんな疑惑が頭を掠めたことは否定しない。しかし、このままここに居ても、外に出て殺されるのも同じ事だと思った。血まみれの手に手を乗せる。彼の手についていた血が手の平を汚した。 「じゃぁ行こうか」 カカシは立ち上がり、自分の手をゆっくりと引いた。急に抱き上げられ驚いたが、カカシはそのまま部屋の外に向かって歩き出す。 ベストについていた血で、全身も汚れる。 カカシと同じく赤くなる自分。 同じ。 カカシと同じ。 不安定な体勢を支える為に、カカシの首に手を回す。満足げに笑うカカシと目があった。 血まみれになった自分が嬉しかった。 同じく染まった自分が嬉しかった。 その日初めて自分は笑った。 |