はぁ…めんどくさい… ようやく任務を終えて、里へ帰って来た男は、忌々しげに空に我が物顔で上る太陽を睨みつけた。 任務後の気だるい疲労感。その余韻に浸るように、木の上で身体を休めていた男は、ふいに聞こえてきた楽しげな声に自分のいる木の下を見下ろした。 「ちっ…」 思わず出てしまった舌打ち。 そこには、何人もの子供達が、大声を出しながら集まって来ていた。だが、子供とは言え、自分と通じる部分があるのを見、彼らが忍者アカデミーの子供達であることに気づく。 「よりにもよって…」 普段なら、彼らが近くにいること事態を気にすることのない男も、今はいて欲しくなかった。 わき腹に手を当てると、じくりと染みるもの。 そう、男は怪我をしていた。任務中に追った血が止まるまで、ここで身体を休めていたのだ。 自分でもわかる、戦いの余韻と血の匂いから感じる興奮。 いつもは、任務が終わればすぐに治まるこの熱が、血のせいかなかなか静まらない。溢れ出しそうになる殺気を沈め、子供達が通り過ぎるのを男は必死で待っていた。 はやく… どこかへ行って欲しかった。この熱が再び再燃する前に。しかし… 「こらーーー!!!お前らっ!!!さっさと並べっ!!!」 突然聞こえてきた怒号に、子供達はびくりと顔をあげ、一斉にどこかへと集まっていく。思わず男の視線がそれを追うと、子供達は一人の忍の前に集まっていた。 「お前達!!今日は遊びに来たんじゃないんだぞ!!!わかってるのかっ!!!」 忍の言葉に子供達は黙るも、その顔に反省の色はない。忍もそのことはわかっているようで、額に青筋を立てながら、深くため息を吐いた。 「ともかく!今日は薬草の授業だ!!!昨日やった授業は覚えてるなっ!!!教科書は持ったか!?2人一組なって、書いている絵の薬草を探してくること!」 どうやら、今日は先日ならった授業の実戦らしい。いくら知識があっても、本物を見るのとでは、また別の話。忍の言葉に子供達が一斉に散っていく。忍は、それを厳しい顔で見守っていたが、子供達の顔が真剣になるにつれ、顔をほころばせていった。 …なにあれ 思わず男が忍の顔を見て、あっけに取られる。 子供達を見守る、穏やかな目を。 あれ…本当に忍なわけ…? 男が見たのは、彼の知る『忍』という文字には相応しくないもの。 必要のないものだった。 初めて人を殺めたのは、5歳の時。それ以来、自分の手が血に濡れることを当然だと思っていた。いや、自分だけではない、仲間もそうだっただろう。 任務のために、感情を消し、人の命を奪うもの。 それが、忍びというものだと。 非情さをもたなければ、生きてはいけない。それができなければ、忍などやってはいけない。 里に必要なのは、任務を遂行できる忍。そのためには、感情というものは男にとって不要のものだった。なのになんだ。あの忍は。 子供達を見て笑っている。 黒髪の鼻筋に傷を持つ男。なるほど、アカデミー教師というぬるま湯につかっていそうな、人のよさそうな顔をしている。 実戦を離れ、死という場所から遠ざかった彼ら。男の笑みが皮肉気に歪む。 血の匂いを忘れた忍など、もう忍ではない。 ふんと男が小さく鼻を鳴らした時。 「あの…大丈夫ですか」 突然真横からかけられた声に、男は驚きクナイを握り締めた。 「あ!申し訳ありませんっ!!!」 男の動作を見て、声の主は何度も謝る。殺気がなかったとはいえ、相手の気配に全く気づかなかったことに男は自分の迂闊さを呪う。男が声の主を見れば、それは先ほどのアカデミー教師。 「申し訳ありません!!あ、私、アカデミーの教師をしている、うみのイルカと申します。失礼かと思いますが…お怪我をされているのですか?」 自分の名を丁寧に名乗った挙句、そんなことを聞いてくる相手に男は唖然となる。だが、その忍…イルカは男の様子を知ってか知らずか、男のわき腹を見て、眉を寄せた。 「お怪我をしているようですね」 「…関係ない」 関わるなと、わずかな怒気を込めたが、驚いたことに彼は怯まなかった。 「私ごときが、口を出すことでもありませんが、幸いここには生徒達が怪我をした時、手当てができるようにと器具が揃っています。どうか、私に手当てをさせてください!お願いします!!!」 がばりと、木の上という不安定な場所で、頭を思いっきり下げたイルカに、男は何と言っていいのかわからない。しかも、黙っていれば、再びお願いしますと頭を下げられた。 「…いいけど」 思わず呟いた言葉。無意識に出てしまい、慌てて訂正しようとしたが、イルカは顔を輝かせながら顔をあげた。 「ありがとうございます!!!」 しかも、礼まで言われて。…男はもう何も言えなくなった。 「こちらへどうぞ」 一端姿を消したイルカが、人目につかない場所へと男を誘導する。子供達の声が遠いことから、ここならば人がこないと踏んだのだろう。 男は、木の幹に座るように促していたが、何故か素直に従うのはしゃくだと、ゆっくりとその場所へと向かう。 「失礼します」 腰を下ろした途端、彼の手が自分の体に伸びてきて、男はのけぞった。 「あの…」 「自分でできる」 いくら同じ里の忍だとはいえ、他人に体を触られるのは嫌だった。それを肌で感じたのか、イルカは包帯や血止めの薬を取り出す。 「っ…」 体を少し曲げた途端、激痛が走り思わず男の口から悲鳴が漏れた。それを敏感に聞き取ったイルカは、男が止めるまもなく相手の服をまくり上げた。 「よくここまでご無事で…」 深く抉られた刀傷を見て、イルカが感嘆のため息を吐いた。何故だか、嫌悪か恐怖で顔を歪ませるのだろうと思っていた男は、彼の表情に少し驚く。 「下手に手当をすれば、肉が変に塞がってしまいます。申し訳有りませんが、私に手当させることをお許し下さい」 と、男が反論する暇もなく、てきぱきと彼は傷に薬を塗ったり、ガーゼを当てたりし始めた。あまりの手際の良さに驚いていると、そんな男の視線に気づいたのか、イルカが苦笑する。 「よく子供達が怪我するもので」 「………」 思わずおい、と突っ込みたくなったが、その前に手当は終わり、イルカが満面の笑みでそれを告げた。 立ち上がってみても、違和感はなく、邪魔にもならない。 「後で病院の方へ行かれた方が良いですよ」 その言い方が、子供に対するようなもので、少しむっときたが、これ以上このアカデミー教師に関わりたくないので何も言わなかった。だが、礼ぐらい述べても良いだろう。男が口を開きかけた時。 「イルカーー!!帰るぞーーー!!!」 「あ、やばっ。それでは!お大事に!!!!」 ぺこりと頭を下げて、走っていく。その彼の姿を男は見送った。脇腹に触れ、アンダーの下にある包帯の感触を感じる。 忍らしくない、感情の起伏を持っていた教師。おまけに鈍いのか、自分を見て少しも驚かず、挙げ句のはてには手当をさせてくれと頭まで下げてきた。 「やれやれ…」 それでも、手当の仕方は迅速で丁寧。手慣れていたのは子供達の為だけでなく、それを得意とするからだろう。 「あんな忍もいるんだね…」 男は溜息をつき、この場から消えた。 「お前…良く無事だったなぁ」 「は?何が?」 「何がじゃねぇよ…前から鈍いとは思っていたが…そこまで鈍かったのか?だってあれ、暗部だろう?」 イルカを呼びに来た同僚が、ぶるりと肩を竦める。任務を終えた忍が怪我をしてるようなので、手当してくると消えたイルカ。だが、その相手を遠目で見て、同僚は息が止まるかと思ったのだ。 白い仮面を付けた忍。 暗部の姿に。 「そうかぁ?普通だったけどなぁ」 「お前らしいよ。こらーー!!そこーー!!!ちゃんと並べっ!!!」 列を乱す子供達に怒鳴り声を上げながら、ずかずかと進んでいく同僚。イルカは彼の言葉を聞いて思わず振り返ったが、そこにもうあの忍はいない。 暗部…か… 忍の中でも 精鋭揃いの、忍の中の忍。同じ忍でありながら、全く別の場所にいる彼ら。だからこそなのか。怪我をしていると、差し出した手を振り払う手追いの獣。彼の存在に気づき、手を差し伸べようとしたのは、今にも殺気を出し下手をすれば子供達にも手を出すかもしれないと思ったから。だが、イルカが思ったより、彼は理性を残していて助かった。 仮面の下に隠されて、彼の表情はわからなかったが、体格から見て自分とそう変わらないだろう。 そういえば…珍しい銀色の髪だったな。 また会えるだろうか。何故かそんなことを考えている自分に、イルカは苦笑していた。 忍びというもの(2003.9.8) |