「ナルト!」 そう叫んで、目の前を歩いていた黒い尾が走り出す。自分の傍に居るときとは違う、別の笑顔。その先には、金色の髪をした小さな子供がいた。 「にーちゃん」 ナルトは目の前の小さな膝に抱きつき、嬉しそうに顔を上げた。それを否定されることなど思わない、警戒心のない瞳で。抱きついている少年にだけ向けられる無垢な目。 「ナルト、今日はね、俺の友達を連れてきたんだ」 イルカがそう言い、振り返る。途端、輝いていた青い目が歪み、野生に生きる小動物のようになった。 「…だれだってばよ」 その声に含まれていたのは非難。イルカはそれを感じ取り苦笑する。 「サイって言うんだ。サイ、こっちが…」 「ナルト、だろ」 何の感情も込めず、そう言うとナルトの体は強ばった。大丈夫だと言うように、イルカが彼を抱き上げる。ナルトはイルカの首に手を回しながらも、警戒した眼差しを解かない。 「サイ」 「うるさいんだよ」 不機嫌さを隠さない声で言い返せば、案の上、イルカは眉を寄せたし、ナルトの緊張が高まる。だが、そのどちらにもサイは謝るつもりは無い。 「…行くよ」 不機嫌さの理由を知っているだろうに、イルカはサイを開放しなかった。ナルトはそれが不満そうだったが何も言わない。だからサイもそれについていくしかなかった。 普段、ナルトは火影の屋敷の離れに住んでいる。それは、九尾というものを内に封めているナルトを色々な意味で守るためだった。 誰もいない、滅多に人も寄りつかない場所。普段は暗部の護衛もついているらしいが、今日だけはそれを解かれている。自分達の他に気配がないことを確認しながら、サイは一人縁側に出て柱に寄りかかる。ぼうっと対して手入れされていない庭。何も変化のない、見ていても面白くないもの。それでも、サイはその場所から動こうとはしなかった。そんな彼を、ナルトは僅かに戸惑い、イルカは溜息。 「今日何して遊ぼうか?」 イルカの問いに、ナルトが嬉しげに声を上げる。 それを耳の端に聞きながら、サイは目を閉じた。 ぐらり。 ゆらゆら、揺れる、長い髪。 ぱさりぱさりと広がって、ふわふわと舞いながら、ゆっくりと地面に落ちていった。 呆然と、それを見送るしかない自分の傍を駆け抜ける影が、それを受け止め叫ぶ。 声が出ない。何も出ない。 何もできない。 わかっていたのに、わかっていなかった。 それを理解してるのに、理解できなくて。 叫んだ。 傍に気配を感じて、眠りの中に入っていたサイは目を開けた。 「っ…!!!」 ざっと、畳を擦る音がして、サイは無意識にそれに手を延ばす。 「!離せってばよ!」 「…何だお前か」 自分に害を与えるものではないとわかっていても、体が勝手に反応してしまった。小さな手首を持つ子供へと目を向ければ、怒りと恐怖に色を染めたナルトがいる。サイが、溜息をついてその手首を開放すれば、ナルトはうなり声を上げるような顔をしながら、その体をサイから離す。だが、サイはその行動に何の興味を示さず、再びぼんやりと庭を眺めだした。 そんな彼の様子に、ナルトも何か可笑しいと感じたのだろうか、警戒しながらもサイにじりじりと近づいていった。 柱に背を預け、だらりと手を床に放り投げている。生きる力というものを全く感じない、生気のない目。何も写していない、その目にナルトは手を伸ばした。 「…何?」 「!!!」 はっと我に返ったナルトが、自分の行いを非難されたと感じたのか、傷ついた顔になる。 この子は自分が誰かに触ったり、話したりすることが好まれないと知っているのだろう。だからこそ、一つ一つに臆病で、警戒して、自分を責める。 「…イルカは?」 「に…兄ちゃんは、じぃちゃんのところに行ったってばよ!食事俺と食べるって言いに!」 「…ふぅん」 話しかけられたことに驚いたのか、ナルトは一気にそれを述べ、真っ赤な顔になる。はぁはぁと息を吸ったりしているから、今まで息を止めていたのかもしれない。なんて不器用な子供。ちらりとサイは目を向けたが、すぐ興味を失ったように庭を見る。 そんなサイと、微妙な距離を保ったナルト。 だが、先にそれに絶えられなくなったのはやはり子供の方で。 おずおずとナルトが話しかけてくる。 「に…兄ちゃんは、イルカ兄ちゃんの友達なのかってば?」 「あ…?ああ…」 「えっと、えっとサイ兄ちゃんって呼んでもいいてっば?」 「ああ…」 けれど、何を聞いてもああとしか答えてくれない。次第にナルトは楽しくないと、ぶうっと膨れ始める。 「兄ちゃんは眠いってば!?ちゃんと寝ないとだめだってばよ!」 「…ああ…」 「ああってそればっかり!ちゃんと俺の話聞いてるのかってばよ!」 ぐいっと、ナルトがサイの右袖を引いた途端、サイの顔が歪み、ばしっとナルトの腕を弾く。 「!!!」 拒絶された。 ナルトは、そのショックに泣きそうな顔になり叩かれ痛む手をぐっと握りしめた。 イルカの友達と聞いたから、いつも大人達から向けられる顔と違うから、ついイルカと同じように接してしまった。だけど、彼は皆と同じだった。皆と同じく、自分は受け入れて貰えない。そう思ったが。 「っ…」 「に…兄ちゃん?!」 たらりと袖から落ちてきた赤い色。 それを見て、ナルトがサイに駆け寄る。 「怪我してるってばよ!?兄ちゃん!イルカ兄ちゃん…」 「呼ばなくて言い!これぐらいなんでもない!」 「でっ…でもっ、兄ちゃん痛そうってばよ!」 ぷわりと青い瞳に涙が溜まる。袖ではなくサイの服の端を掴むナルトに、彼は安心させるよう反対の手で金色の頭を撫でた。 「ここに救急箱とかあるか?」 「う…うん!すぐに持ってくるってばよ!」 ぱたぱたと、走り去る足音。ほうっと息を吐いて、その痛みに耐えるよう空を見上げた。 こんな痛みなんて。 痛みなんて、幾らでも耐える。 これは罰。自分の力を過信して…仲間の忠告に耳を貸さなかった自分への… たらりと、なま暖かい血が手のひらを濡らす。床へと血だまりができて、それが広がっていてもサイはぼんやりと庭を見続けていた。 こんな腕など、何の役にも立たない。本当なら、切り落としてしまいたいぐらい。だけど、それをイルカは許さなかった。だからこうして付けたままにしているが…このまま使い物にならなくなるのも良いのかもしれない。 このまま血が流れて、死ぬのも… 「サイ兄ちゃん!!!」 ぼうっと自分の内の思考にふけっていたサイは、悲鳴のような声を聞いてそちらへと顔を動かす。 「…ナルト?」 「何やってるんだってばよ!兄ちゃん!兄ちゃん!しっかりしてよぉ!!!」 嫌だ嫌だと首を振って、ナルトは血だまりの中に落ちている右腕を拾い上げる。途端に真っ赤にナルトの服が染まり、ナルトはぼろぼろと涙を流した。 「手当っ…手当っ…しなきゃってばよ!」 子供が抱えるには大きい救急箱を開け、包帯を取り出す。しかし、彼はどう使って良いのかわからないまま、ぼとりと血の中に落としてしまった。 じゅわじゅわと、血に染まる包帯。 ぼうっとしたまま、それを眺めるサイ。何でだとナルトが叫んだ。 「兄ちゃん止めてよ!止めなきゃ!!じゃないと死んじゃうってば!!!」 ぼろぼろと涙を流すナルトに、サイは自虐的な笑みを見せる。血の付いていない手で、流れ落ちる涙に触れて。 「ナルト」 何も知らずに、腕を案じる子供に、サイは教えてやる。 「この腕はね」 こんなものに涙を流す必要はないのだと。 「仲間を殺した腕なんだよ」 「…え?」 この言葉に止まってしまった涙に。 「己の力を過信して、その結果何もできなかった…もう必要のない腕なんだ」 こんな腕はいらないんだと、教えてやる。その言葉に、ナルトはびっくりしたように目を開いた。 だから、俺に構うな。 そう告げて、目を閉じる。 そうすると、しばらくの間静かになった。諦めたかと、ナルトの気配を探れば… 「…だってばよ…嫌だってばよ!!!!」 そう叫んで、ナルトはサイに飛びつく。ぶんぶんと落ちてしまいそうなほど首を振って、サイの言葉を否定しようとして。 「嫌だってば!嫌だってばよ!サイ兄ちゃん!手当してよ!」 死んでしまう。死んでしまう。 自分を否定しなかった人が、このままだと自分の傍からいなくなってしまう。 その恐怖にナルトは無意識のうちに怯えて、サイに縋った。血が無くなれば、人は死んでしまう。全く止まる様子のないサイの血。 嫌だ。嫌だ。 嫌だーーー!!! 「!!!」 サイは、ぐっとナルトを胸の中に抱き込んだ。抱きしめられる形になったナルトが、びっくりと目を開き、きょとんとサイを見上げる。 「…ナルト、俺にしっかり捕まっていろ。いいな」 「わ…わかったってばよ」 緊迫感を漂わせたサイに、ナルトは素直に頷くと、彼の首へと腕を回した。 だんっとその場から飛び上がると、そこへいくつものクナイが突き刺さる。 サイを追うように、気配がサイへと近づいてくる。 3人か…! くるりと、宙で回転して、サイは家の壁を蹴り、庭へと降り立つ。それを追うようにクナイが刺さり、サイはナルトを抱いたまま走り続けた。 …っイルカの奴何してるんだ! はぁっと溜息をついて、サイは右腕を動かそうとして、怪我をしていることを思い出した。 「あ〜くそっ」 「サ…サイ兄ちゃん?」 攻撃を受けているというのに、余裕を見せるサイ。ナルトを抱き、すいすいと攻撃を避けるサイを見て、ナルトは戸惑いながら、彼の首に回している手に力を入れる。 トンと、家の屋根で止まれば、姿を消していた敵がサイを囲むように現れる。 「さぁて、聞こうか?何、あんたら」 「…それを渡せ」 「里のもんじゃないなぁ。どっから入り込んだんだか」 何も刻まれていない額当てを見ながら、サイはじりじりと距離を詰める彼らの前に立っていた。 「それを渡せ」 「渡せってね。何でこんなちーーさな子供狙うのさ?火影の命でも狙うならともかく…」 「…サイ兄ちゃん…」 呆れたナルトの声を無視して、ねぇ?と首を傾げて見れば、男がふんと鼻を鳴らした。 「そのガキはここにいらないんだろう?俺達が有効活用してやるよ」 その言葉に、びくりと金髪の子供が震える。小さな手に力が入り、ナルトはサイの胸へ顔を埋めた。 こいつら九尾のことを知ってるのか? ナルトの中に九尾が居るというのは、里に居る者なら誰でも知っている。だが、それを他国の忍などにいちいち告げるものはいないだろう。なのに、彼らが知っているとすれば、故意に誰かが話したのだ。ナルトのことを。 忌々しい器を、売ったのかそれとも厄介払いをしたかったのか。 短絡的思考。それが、里から出る危険性をわかっているのか。そして、そうされる子供の気持ちは… 「ったくえげつないったら、ありゃしない…」 「何ぶつぶつ言ってるんだ。命が惜しかったらさっさと…」 「お前らにこの子はもったいないよ」 「何!?」 気色ばんだ男達に、ふんと鼻を鳴らしてなぁ?と顔を上げた子供に問い返す。 「お前ら見たいな、人を物扱いする奴らに、この子の優しさはもったいないって言ってるんだよ。そっちこそ見逃してやるから、さっさと消えろ。うざい」 「なんだと貴様っ!!!」 「俺らに囲まれて逃げれると思ってるのか!!」 「はぁ?逃げる?何でお前ら見たいな屑に、背中むけなきゃいけないのさ。そんなことやったら、笑われて一生顔上げられないぜ」 「んだとっこのガキっ!!!」 「そんな手で何ができるっ!!!」 男の言葉に、ナルトははっとして、サイの右腕を見た。真っ赤に染まったままの手。 「サイ兄ちゃん!!!」 「ん?大丈夫だ。ハンデだよハンデ」 「このガキっ!!!」 一斉に向かってきた忍達に、サイは笑みを見せて。 「ナルト、しっかり捕まってな」 ピィンと弦を弾くような音が響き、サイはナルトを自分の胸の中に埋める。それを聞いた途端、ナルトの意識が沈んだ。 「「「ぎゃぁぁぁぁっ!!!!」」」 全身を鋭い刃物のようなもので貫かれた忍達は、一瞬で絶命した。 逃げ回っていると見せかけて、術を使っていたことに全く気づかなかったらしい。屋根や柱の所々についている、赤い手のひらの痕。怪我をしていた右腕は、無理矢理腕を動かしたせいで、先ほどよりも血が滴り落ちている。 「また無茶したなぁ。お前」 「遅いんだよ。イルカ」 「そういうなよ、こっちだって忙しかったんだからさ。火影様の所に行けば、いきなり襲われて…」 「裏切り者?」 「消したよ。ちゃんとね」 イルカは、眠っているナルトを受け取り、服に血がついているものの、怪我一つないナルトに安堵した。 「…ナルトは…」 「見せてないよ。その前に眠らせた。まだ人が殺されるところを見るには早すぎる」 「そっか」 屋根から飛び降りて、イルカはナルトを布団の上に寝かせた。そうしている間に、屋根には複数の気配が現れ消える。死体の後始末に暗部が来たのだろう。イルカもサイもそれには注意を払わなかった。 「ほら、手出せよ」 「…はぁ」 「はぁじゃない。そのままじゃ、部屋汚れるんだよ。ナルトだって気にするんだからな」 しぶしぶ上を脱いで、右腕をイルカに差し出す。そこには血まみれで、先日受けた傷が再び開いた手があった。何度言っても、ろくな手当もせず、医者にも行こうとしなかった。その痛みを、いつまでも得続けることを望んで。濡れた布で血を拭き取り、薬を塗って包帯を巻く。 「はい、終わり」 「………どーも」 全く感謝の込められてない言葉に、イルカが肩を竦めると、小さなうめき声を発しながら、ナルトが目を開けた。 「起きたか?ナルト?」 「あ…イルカ兄ちゃん…あ!そうだっ!サイ兄ちゃんは…」 「そこにいるよナルト」 よっと、手を挙げたサイに、ナルトはがばりと起きあがると、彼に飛びついた。 「うわっ!?」 「よ…良かったってばよ〜サイ兄ちゃん生きてる!!!」 「あ?」 ナルトは、良かった良かったと繰り返し、ぎゅうぎゅうとサイに抱きついた。そして、ちゃんと手当してある手を見て、ほっと安心の溜息をつく。 「ありがとう、サイ兄ちゃん。俺を守ってくれて!俺…気絶しちゃったってばよ」 「え…あーいや、あの後、俺も助けてもらったし。虚勢だよ虚勢。度胸だけはあったから…」 「それでも、サイ兄ちゃん俺を守ろうとしてくれたってばよ!この腕で」 包帯が巻かれ痛々しい、腕にそっと触れて、ナルトは笑う。 「この腕は俺を守ってくれた腕だったばよ!だから、必要ない腕じゃないってばよ!」 ね?と自分のことのように誇らしげに言うナルトは、サイの腕にありがとうと言った。 …ナルトを守った腕。 ぼんやりと、自分の腕を眺めて、ナルトが言ったことを頭で繰り返す。 仲間を守れなくて、もういらないと、ろくに手当もしてなかったのに。自分の中でももう入らない一部だと切り捨てていたのに、この腕は痛みを与えながらも、動いてナルトを守った。 …守ってくれた。 「サイ、俺にもその腕は必要だよ」 「…イルカ?」 「その腕は、俺にとっても相棒なんだから」 これからも世話になるんだと、腕によろしくというイルカを見て、サイは呆れる。 「…お前ら、俺に言えよ俺に。腕じゃなくてさ…」 「だって、助けてくれたの、サイの『腕』だもんなぁ。サイじゃないもんなぁ?ナルト」 「うんだってばよ!」 「お前らっ!この腕はな!俺のなの!俺の一部なんだよ!!!」 そう叫んだサイに、イルカは静かな笑みを見せた。 「じゃぁ、大事にしろよな」 もう要らないなんて言うな。 イルカの視線に、サイは無言で頷いた。腕を自分のものだと認めた途端、ずきずきと痛みがマシ、まるで反省しろと言われているよう。 「…後で医者に行くよ」 「勿論だ!な!ナルト!」 「早く直して、遊ぼうってばよ!サイ兄ちゃん!」 やれやれと溜息をつけば、イルカとナルトが顔を見合わせ笑っている。 …任務途中、腕を傷つけられて自分を庇った仲間が一人死んだ。 あの時、腕を怪我しなければ、自分の力を過信しなければ、死ぬことはなかった人。「黒の部隊」で1,2を争う術使いの持ち主だと、自惚れていた結果だった。 こんな腕に頼るから。 そして、必要な時に使えなかった腕が。 悔しくて、悔しくて。 もういらないと、こんなものがなくても俺は強くなれると、切り落とすことを許してくれない仲間達に、それならばこのまま使い物にならなくしてやると思っていたのに。 憎んだ腕は、それでも自分を助けてくれて。 ナルトを守ってくれだのだ。 全く…俺はどうしようもない、甘えた馬鹿だ。 腕のせいにして、仲間が死んだことを自分のせいだと認めたくなくて。 子供でもやらない、駄々をこねて…そんなことをしても、何も戻らないというのに。何も変わらないというのに。 そのことを反省するならば、もっともっとこの腕を磨いて、戦闘経験を積んで、二度とあんなことを繰り返さないようにしなくてはならないのに。 もう一度性根を入れ返さないとなぁ。 「黒の部隊」に入る時…いや、忍になろうと思った時の気持ちをもう一度思い返そう。そして、新たに刻もう。 イルカとナルトがじゃれ合う姿を見ながら。 大切なものを守れるように、そして共に戦い抜くために。 「…もう一度…よろしくな」 そっと腕を撫でながら、駆け回る2人のもとへ腰を上げた。 もう一度・完(2003.10.17) |