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春の日差しが心地よい。 イルカは眠くなる目を慌てて擦り、グラウンドを見回した。そこには、きゃっきゃと遊ぶ忍者の卵たち。アカデミーの生徒達が次の授業のためじょじょに集まり始めていた。
…危ないなーこんな所で寝たら何を言われるか それよりも、立ったまま寝る方がすごいと思うという突込みを自分で入れながら、苦笑したイルカに下からかけられた声。
「先生どうしたの〜?」 「ん?何でだ?」 「だって笑ってたから〜ね〜」 「ね〜」
二人の女の子が顔を見合わせ、そうだと互いに同意していた。イルカは罰の悪い気持ちで、ぽりぽりと頬を掻くまねをする。
「あったかくなってきたら、眠くなるなと思ってな」 「あ!それ私もわかる〜」 「そうそう、日差しが気持ちいいのよね〜」 「だからって授業中に寝るなよ」 「そ、そんなことしないもん〜」 「そ…そうよね〜」
慌てて否定した少女に笑いかけながら、そうかと呟き、彼女達の頭を軽くなでると二人は嬉しそうに笑った。いつの間にやら騒がしくなったので、辺りを見回すと、イルカの授業を受ける子供達がほとんど集まっていたようだ。
「よし。お前達も並びなさい。これから課外授業の説明をするからな」 「「はぁ〜い」」
元気のいい声を上げ、ぱたぱたと皆の所へ走って行く少女達を、イルカは微笑んで見送った。
親友以上恋人未満。 そんな関係をカカシと初めてから1週間がたっていた。 だが、そうなったからと言って、二人は特別なことをしているわけではない。 朝、カカシと挨拶し、時間があれば昼休みに顔を出しにくるカカシと昼食を取り、夜は一緒に帰る。その後時々飲みに行くようになったが、毎日二人がしているのはそれだけだった。
だが、人の目とはなんとおもしろいことか。
たったそれだけのことをしているだけで、周りは二人が親密な関係になったと思う。 いつも一緒にいるせいかもしれない。だから恋人なのかと聞かれることもしばしば。その時、イルカは笑って誤魔化しているが、カカシの方が何と言っているかは知らない。 お陰で、女性からはきつい眼差しを受け、一部の上忍からは生意気な奴だと見られるようになった。幾分堅苦しい思いをするはめになったが、それこそ二人が望むもの。
なにしろ、二人はそう見えるよう振舞っているからだ。
男や女からモテて仕方がないから、恋人になってくれと言われた時は、イルカも怒り狂ったものだ。 だが、彼が本当に好きな人を探していること、そしてその覚悟を皆に見せたいと、イルカに頭を下げて頼んできたことにイルカは感動した。そして、親友以上恋人未満のようなら、ということで了承してしまう。
最初は、何をすればいいのか全くわからなくて、しどろもどろだったイルカも、別に特別なことはしなくていいですと言われ、安心した。 何だこんなことでいいのかと、拍子抜けしたぐらい。しかし、自分の教え子達にその辺りを指摘されるのは、教師という立場から色々あるので、なるべく広めないようにはしてもらっているが…
…ん?
ふいにイルカは視線を感じて、思考から我に返る。彼の周りには、課外授業で薬草と毒草を積む生徒達の姿。二つを見つけたらイルカの元に持ってくるように言ってあるので、生徒かとも思ったが、ぐるりと見たところ、まだ二つを見つけた生徒はいないようだった。
だとしたら、今のは誰の視線だろう?
そう言えば、最近そんな視線を感じることが多い。あまり気にしていなかったが、このまま放っておくのもまずいなと思い始めてきた。
見張られているようで、いい気もしないしな…
「先生!見て!!」 「お〜見つけたか?」
ようやく最初の生徒が来て、イルカは笑いながらそれを検分し始めた。
「視線ですか?」 「はぁ…気のせいですかね?」
何気なく、会話の一つとして、口に出してみたが、案の定カカシはそれほど興味を持たなかったようだ。イルカの言葉にうーんと唸っているものの、あきらかに気のせいでしょうという態度。 …やっぱ、話すんじゃなかったな… 誤魔化すようにくいっと杯を空ける。そんなイルカを、カカシはきんぴらを突付きながら見ていた。
まずかったかな…? 視線を感じるから何だと言うのか。正直なカカシの感想だったが、それを口にするほど馬鹿でもない。 そんなことを言って、冷たい奴だと思われたり、へそを曲げられてこの関係を止めましょうと言われてはもともこもない。 どれぐらい影響があるものかと思った、恋人のような関係だったが、これが予想以上の成果をもたらした。 いつも一緒にいるよう心がけているので、自分に声をかけてくる人は減ったし、付き合ってくれなんて言われても、イルカを出しにして簡単に断ることができるようになった。 …なんだ。もっと早くすれば良かった。 イルカが聞いたら怒り出しそうなことをカカシは考えつつ、そのお礼のつもりもあって、時々酒をおごる。最初は恐縮していたイルカも、慣れたのか一つ返事で付き合ってくれるようになったし、その後はすぐ別れて終わり。…なんて都合のいい関係。
「?何にやにや笑ってるんですか?カカシ先生」 「別になんでもないですよ〜」
…危ない危ない。 にこりと笑ってさあどうぞと酒を勧めると、すいませんと言って、イルカはそれを受けた。少し赤くなった顔を見ると、どうやらそれで誤魔化されてくれたらしい。
「でも、何かをされたって訳でもないんでしょ?」 「え?ああ、さっきの話ですか?まぁ…そうなんですが、気持ち悪いでしょう?逐一見張られているようで…」 「うーん、もう少し様子を見たらどうですか?それでも何かあるようなら、俺も協力しますから」 「そうですね。そうします。あ、もうこんな時間だ。そろそろお開きにしましょうか」
赤い顔をしているが、立ち上がったイルカが酔っている気配は無い。二人は勘定を済ませ外に出ると、いつものように別れた。
「…今日は月が綺麗だなぁ…」
春になったとは言え、まだ夜の風は冷たい。しかし、少し火照ったこの体にはちょうど良い冷たさ。 家々の間を縫うように、顔を出す月を見上げながら、いい気分で家に向かって歩いていると、視線を感じた。
昼間と同じあの視線。
…誰だ? 折角のいい気分が台無しだ。 ちくちくと自分に注がれる誰かの目を不快に思いながら、イルカはそれに気付いたそぶりも見せず歩き出す。 殺気は感じられないが… イルカは家の角を曲がるとふっと気配を殺し、家と家の隙間に身を隠す。
………
すると、こちらに向かってくる誰かの気配。 一体誰だろう。イルカは息を殺してその人物を待つ… 暗闇の中、人影が見えた。イルカを探しているのだろうか。相手がきょろきょろと辺りを伺って…
「…サイ?」 「え!?」
びくりと相手の肩が飛び上がり、聞き慣れた親友の声が耳に届く。もはや隠れている理由もなくて姿を現したイルカだが、何故彼が自分を見張っていたのかわからなくて、自然と責める目を向けてしまう。
「…何してるんだ?お前」 「え!?え。いや!偶然!だろっ」 「嘘つけ」
ごまかそうとした努力はイルカに切って捨てられる。じーーっと自分を見るイルカの視線に耐え切れなくなって、サイはがっくりと肩を落とした。
「さて?理由を話してもらおうか??」 「あ〜悪かったよ」
近くの公園まで引っ張って、真正面から向き直ると、サイは簡単に謝ってきた。
「別につけようとか思ってたわけじゃないけど…まぁ結果的にはそうなったか」 「何か用事があったのか?」 「ああ。ちょっとお前に話があったんだけど…ま、明日でもいいや」
怒っているイルカが怖いのか、サイは早々に立ち去りたい気配をにじませる。やれやれとイルカはため息をついて、しょうがないなと肩をすくめた。
「ったく驚かせるなよ。話があるならすぐ言えよな。誰かわからなかったから昼間からいい気持ちしなかったぞ」 「は?昼間?何言ってるの?お前。俺は店から出たお前を見つけて追いかけただけだけど」 「え?だって昼間からずっと誰かにって…サイじゃなかったのか?」 「…何で俺がそんな覗き見ないなことをしなきゃならん。だったら、その時声かけてるだろ」 「そ…それもそうだよな…だったら…」 「何?お前誰かに見張られてるわけ?」 「ああ…はっきりしないけど、実は数日前からなんとなくそれらしきものが…」
だったら余計俺なわけあるか!と怒鳴り返そうとしたサイは、自分達の他に近づいてくる気配を感じ取った。
「…お客さんみたいだけど?」 「らしいね」
ぐるりと自分達を囲む複数の人に、イルカはようやく視線の犯人を見つけたのだった。
(2003.3.3)
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「お前考え直せよ」 「…そうしようかな…」
サイの言葉に素直に頷きながら、イルカは彼と並んで歩く。先ほど、自分達を囲んだのは、自称カカシの親衛隊だった。カカシのように世間に名を広めている忍びには、彼に憧れる忍びたちが作ったファンクラブみたいなものがあると聞いていたが、実際それを見たのはイルカも初めてだった。 彼らは、突然カカシの側になれなれしくいるようになった中忍、すなわち、イルカをどういう人物か監視していたらしい。 そして、大してとりえもないのに、カカシの側にいることは許さぬと、人数を集め闇討ちを決行―― まぁ、それはイルカとサイによって打破されたが。
「くっ覚えていろ!!必ず後悔させてやるっ」
悪者らしきセリフを吐き、消えた複数の忍―― どうやら集まったのは、中忍や下忍だったので二人で返り討ちにすることができたのだが、なんとなく、捨て台詞の中に不穏な物を感じるのは二人の気のせいではないだろう。
「次、上忍とか出てきたりして」 「……しゃれにならないよ…サイ…」 「自分で蒔いた種だろうが」
カカシと恋人の振りをする限り、こんなことが続くのかと思えば、自分の未来に不安を覚える。 …冗談じゃないぞ…
「じゃーな、イルカ」 「ああ…ありがとう、サイ」
送ってくれた友人に礼をいい、イルカがくるりと自分の家に続く階段を昇り始めた時。
「遅かったですねぇ」 「!?カカシ先生!?」
知らないはずのイルカの家の前に、先ほど別れたカカシが待っていた。彼は、去っていくサイを不機嫌そうに見ながら、じっとイルカを見る。
「どうしたんですか!?何か…」 「何かって…アンタが言ったんでしょう?誰かに見られてるって。気になって来て見ましたが必要なかったようですねぇ」
ぶすりと相手を非難する口ぶりでカカシは言った。
いつものようにイルカと別れたカカシだったが、なんとなく気になって、イルカの家へと進路を変えた。 イルカの家は前に調べて置いたので、こんな時に役に立ったと自分の下調べの完璧さに感心したぐらいだ。 だが。
「あれ?」
イルカの家は真っ暗だった。追い越してしまっただろうかと首を傾げたが、別れた時間を考えてみると、とっくに家に着いているはずだろう。寝ているのかと中を窺っても人の気配もしない。どうしたんだろうと思った時、こちらに近づいてくる2つの気配。 一つはイルカの…もう一つは…
「…イルカ先生の親友だっけ?」
確かサイと言った。 こちらに気付くことなく、何か親密そうに話している二人。 …なんとなくおもしろくなかった。 確かに、自分達の関係は見せかけだ。だが、あんなにくっついて話さなくてもいいではないか。 そんな気持ちがあったせいか、イルカに話す言葉にはどうしても棘が含んでしまう。 しかし、自分の言葉にイルカはむっとしたようだ。
「ええ。そうですね。十分な歓迎を受けましたからね」 「え?」
思わぬ言葉に目を見開けば、イルカはじろりとカカシを睨んできた。
「カカシ先生は人気あるんですね。先生のファンクラブに囲まれて困りましたよ」 「ファ…ファン?なんですそれ」 「おや。お知りになってませんでした?じゃあ非公認なんですね。なんでも知っている先生のことだからてっきり知っていると思ってました」
…どうやら、自分のファンクラブとやらに囲まれてイルカは襲われていたらしい。好きで遅くなった訳でもないのに、カカシに文句を言われる覚えはないと言っていた。
「……はぁ…それはすいません…」 「なんとかしてくださいね。でなければこちらの身がもちませんから」
でないとこの関係は終わりだと言われ、カカシは神妙に頷く。 カカシの真剣さを感じ取ったのか、ようやくイルカは笑ってくれた。それにほっとして、カカシはそれじゃあ帰るかと歩き出す。
「お帰りになられるんですか?」 「え?はぁ…もう用はないので」
中でお茶でもどうですかと言いそうになったが、帰ると言うなら合えて止めはしない。ファンクラブのこと、どうぞよろしくお願いしますと頭を下げて二人は今度こそ本当に別れたのだった。
「たかがアカデミーの教師があの方の隣にいるなんて!」
そう叫んだのは女の声。暗闇にいるため相手の顔は見えないが、どこか聞き覚えのある声だった。油断無く辺りを伺えば、自分達を囲むのは圧倒的に女性が多いようだ。女性の嫉妬と怨念のような殺気に、イルカはもちろんサイもげんなりとしてしまう。
「第一アンタ男じゃない。男同士で恋人?気持ち悪いったらないわ!!」
…そんなこと言われても…それを望んだのは俺じゃない。 そう言いたかったが、言えるわけもなく、イルカは肩を竦めて見せる。そんな態度に相手はさらに殺気立つ。
「俺まで巻き込むなよな…」 「悪いな」
10人ぐらいか。冷静に自分達を囲む人数を数えるイルカ。大人数に囲まれているというのに、まったく動揺も冷静さも失わない二人に、彼らは次第にいらだってきた。
「少し痛い目に合う必要があるわね!覚悟しなさい!!!」
ひゅっと誰かがクナイを投げつけた!
だが、その時もうその場に二人の姿はない。
「な…!?」
いつ消えたのか、まったく見えなかった。二人を探す暇もなく、後ろから次々と上がる悲鳴。そして、どちらが言ったのか。
「俺たちに喧嘩を売るなんて無謀だね」
放たれた殺気に女は失神した。
「さて、今日も一日がんばるか!」 「元気だなぁお前は」
イルカの言葉に、職員室にいた同僚達が笑う。そうかな?とイルカが笑い返すと、がらりと戸が空いて、入って来た女性が一人。
「おはようございます。ミサキ先生」 「!!!お…おはようございます…!!!」
イルカに声をかけられて、ミサキと呼ばれた女性教師は、恐怖に引きつった顔をした後、こそこそと自分の席へと行ってしまう。
「なんだよ。イルカ何かしたのか?」 「お前じゃあるまいし…そんな訳ないだろう?」
この春から教職についたまだ20代前半のミサキ。挨拶はするものの、別の学年のくの一を担当しているため、イルカは対して話したこともない。ただ、彼女はカカシに憧れているようで、時折イルカに殺気がかった視線を送っては来ていたが…人目を避けるように、身を縮めどこかおどおどとしている彼女に職員室にいた全員が顔を見合わせていた。
「おはようーさん」 「あ。おはようサイ」
臨時の教師となって、体術を教えているサイが入って来た途端、ミサキがこれ以上耐え切れないというように立ち上がる。そして、忍らしく、ひゅうっと給湯所へと消えてしまった。
「…?何だぁ?」 「さぁ…?」
いつも五月蝿いぐらい明るかった彼女の態度に、職員室にいた全員が首を傾げたのだった。
最初の受難・完(2003.3.5)
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