気付かぬ気持ち


T  U  


T

顎を撫でた細く長い指先。
まるで指の魔力に捕らわれてしまった自分は、動くことができない。
禁忌とされる黒い面をずらされ、外気に触れた己の唇。
その指から避けようとした自分を更に捕らえた赤い瞳。

完全に捕らわれて。

なすがままに相手の唇が触れる。
冷たくて優しい。
寒いのに暖かい。

唇の柔らかさに沈みそうになる………




「ーーーっわぁぁぁぁぁっ!!!」




バサバサバサ…

窓の外から飛び立つ小鳥の音。
アラームが鳴る前の時計。
ぜぇぜぇと汗を掻き、真っ青な顔で目を覚ましたイルカはしばらく起きあがったまま動けなかった。ゆっくりと自分の部屋であることを確認し、何故か誰も居ないことも確かめて、イルカはがっくりと首を落とす。

「……なんて夢見てるんだよ。俺…」

あの日から、気を緩めるたびに見てしまう夢。その度に悲鳴を上げて起きるなど、まさに悪夢としか言いようがない。ううっとうめき声を上げ、寝癖のついてる髪を乱暴にかき回す。今自分がどんな顔をしているかなど考えたくなかった。

「…起きよ」

ようやく音を立て始めた目覚ましを止めて、イルカはベットから出た。取りあえず顔を洗うために洗面台に向かったが、そこで鏡を見てしまい少しばかり後悔する。

少し疲れたような、そしてどこか赤い顔。

「…しっかりしろ、俺」

そう励まして蛇口を捻ると、勢いよく飛び出した水に悲鳴を上げたのだった。



アカデミーへ向かう道すがら出てしまう溜息は、止めたくても止められない日課となりつつある。これはすべて己の鍛錬不足と叱咤するも、体の鍛練より困難な精神の修行はなかなか成果を現さない。このままでは、サイあたりにばれるのも問題だと、内心冷や汗ものなのだ。

「…ったく、若い女性でもあるまいし…」

たかが唇が触れたぐらいで…と思うものの、相手のことを考えれば素直に喜びも、嫌悪もできないところがイルカを苦しめているのかもしれない。尊敬もできるし、最近は友人としての付き合いも深くなっている相手。

はたけカカシ。
彼が相手でなければ、こうも悩まなかったかもしれない。
そして…相手が自分だと知らずにしたことが。

イルカの心に波紋を巻き起こす。

『黒の部隊』を統率する【シキ】の唇に触れたカカシ。
あの時の状況で、それを戯れと納得させて良いものなのか、イルカにはわからない。イルカに見せる彼とシキに見せる彼は違うから。

…そう違うんだよなぁ。
さして強くもない日差しを避けるように、手を挙げてイルカは指の隙間から太陽を見る。
延ばした先にある太陽と手によって出来た影。
忍や里、守りたいものや使命。それによって光とも影としても生きる自分。
どちらも同じなのに、見方によっては形も姿も存在意義さえも変わってしまう…二つの顔を持つ己。

何故こんなにも気が重いのだろう、別の名を持つことが苦しいのだろう。
その答えをイルカはまだ知らない。



「あっ!イルカ先生だ!」
「…ナルト?何だお前こんな時間にもう任務なのか?」
「修行だよ!修行!俺って早く一人前になりたいからさ!」
「へぇ〜がんばってるんだな」
「当たり前だってばよ!」

へへんと得意げに笑うナルトはどこで修行をしていたのやら、泥だらけになっていた。アカデミーの頃、あんなに悪戯小僧だったナルトが、早起きをして修行をするまでなるとは、下忍となったことで彼にも忍の自覚がでてきたのだろう。その成長ぶりにイルカは嬉しくてたまらない。

「なぁなぁイルカ先生。今度俺の修行に付き合ってくれってばよ!」
「…?なんだぁ突然。修行ならカカシ先生が居るだろ?」
「カカシ先生は駄目だってばよ!いっつも遅刻はするし、任務中はさぼってるし…終わったらすぐ帰るし!休みの日は見つからないんだってばよ!何か言っていて腹が立ってきたってばよ!」
「…カカシ先生も忙しいんだよ。多分」

何とかカカシのフォローをしたつもりだったが、あの言いようでは効果なしだろうなぁと思うイルカ。現に、だからさぁと言ってくるナルトは、イルカの返事を期待して目をきらきらと輝かせている。

その顔を見て、うっと詰まるイルカ。
何しろ他人に言われるまでもなく、自分はナルトに甘いと認めているイルカである。ナルトの頼み事には弱い。アカデミーでは、他にも子供達が居たし何とか自制できていたが、二人だけならばその決心も消える。というか、実際自分も見てやりたいと思っているから尚更のことだろう。

しかし。

「…ちなみに聞くがどういうことを教えて欲しい?」
「勿論!すっげー術だってばよ!それで、サスケは悔しがるし、サクラちゃんは俺を見直すってばよ!」

ニシシと笑うナルトに、それが理由かとイルカは溜息。まだまだ己の強さより、身近な二人に認められたいという気持ちが強いナルトに、こいつらしいなぁと苦笑するしかなかった。

「あのなぁナルト。すごい術なんて俺は知らないぞ?そういう方面はやっぱりカカシ先生だろ。俺ができるのは、お前の苦手な基礎訓練を見てやることぐらいだぞ?」
「ええっ!……う〜〜」

何故か非常に悩んでいたナルトだったが、それでもいいってばよ!とイルカに頼み込む。理由はどうあれ、向上心は本物らしい。ナルトの粘りに仕方ないなぁと言えば、ナルトは満面の笑みを浮かべて飛び上がった。

「じゃあじゃあ、いつ頃ならいいってば!?今日!?」
「今日は急すぎだろお前…俺は残業だ。でも明日は休みだからな、お前の都合も合えば…」
「んじゃ!明日!決まりってばよ!」
「おう。そうだ、場所は…そうだなあそこにするか」
「あそこ?あそこってどこだってばよ」
「おう。俺が昔、修行に使っていた所があるんだ。ちょっと森に入るんだけどな、あまり人も来ないし騒いでも苦情もない。そこはどうだ?」
「いいってばよ!場所はイルカ先生に任せるってば!んじゃんじゃ!明日!」
「って待てナルト!お前場所知ってるのか!?」

今にも走り出しそうなナルトの襟元をひっつかむと、ぐぇっと奇妙な音が響きいつもの癖でそこを掴んでしまい、イルカは慌てて手を離す。

「ひでぇってばよ…イルカ先生」
「わ…悪いナルト。って場所は…そうだな。これを渡して置くか」
「?なんだってば?」
「式だ。任務が終わったら、ここをこう折って、息を吹きかけろ。そしてら居場所に連れて行ってくれるから」
「へ〜すげぇってばよ!」
「…式のことは授業で教えて筈だがな」
「そ、それじゃ、明日ってばよ!イルカ先生!」

説教が来るとても思ったのか、ナルトは渡された式を大事に仕舞いながら走り出す。ぶんぶんと大きく手を振って消えていくナルトを見守り、イルカは小さく笑った。

「…って遅刻するっ!!」

時計を見て顔を青ざめたイルカは、ぎゃーっと叫びながらアカデミーに向かったのだった。



「ふんふんふ〜ん」
「「………」」

いつものように退屈な子供達の今日の任務は草むしりだった。何度言っても変わらぬカカシの遅刻にも文句を言わず、鼻歌まで歌って草むしりしているナルトに、普段は無視を決め込むサスケも怪訝に思ったらしくサクラと顔を見合わせていた。

「…ずいぶんとご機嫌ね、ナルト何かあったの?」
「え!?別に何でもないってばよ!サクラちゃん!」
「…その顔で何も無いって誰が信じるのよ」
「全くだ…ウスラトンカチ」
「んだと!サスケ!!」
「サスケ君に当たらないでよ!!」

今日は静かだな〜と呑気に傍観を決め込んでいたカカシだったが、子供達の声を聞いて最後まで持たなかったなと苦笑する。しかし、サクラとサスケの疑問はカカシも同じだった。何があったのか、今日のナルトは始終にこにことしていて(本人は隠そうと一生懸命だったが)、サスケの嫌みも三つに一つは無視をしている。珍しいことだと思っていた分、サクラの問いかけが聞こえたカカシも愛読書から目を上げ、下で草むしりをしている子供達に目を向けたのだった。

「ということだから!白状しなさい!ナルト!」
「白状って…サクラちゃん…」
「いいからっ!」
「はっ…はいっ!!」

惚れた弱みか、ナルトの口を割らすのはサクラが一番だなぁと思っていたカカシは、思わぬ人物の名が出たことに俄然興味を持つ。

「明日イルカ先生に修行を見てもらうことになったんだってばよ!」

イルカ先生?
思わず一度瞬きをし、ナルトの機嫌が良い理由に納得しつつ、そういえば、最近飲みに行ってないなぁ、忙しいのかなと昨日も受付で会った彼のことを思い出した。だが。

この頃イルカ先生何か変なんだよねぇ。
互いの仕事柄、二人は顔を合わせることが多いが、最近彼に違和感を覚えるようになった。何がと聞かれても答えることができないし、特に変わった様子も見られないのだが、イルカの態度に…何かを感じるのだ。
何かしただろうか?そう考えても理由は思い浮かばず、カカシは一人首を捻るばかり。アスマや紅に聞いても、はぁ?という顔をされ、挙げ句には年?何て言われる始末だ。

イルカ先生かぁ…
久しぶりにゆっくり話したいかも。そう考えていると、下の方ではぎゃあぎゃあと言い争う声が聞こえてきた。どうやらサスケとサクラもそれに参加したいと言いだし、サクラは良いがサスケは嫌だと言ったナルトにサクラが怒っているようだ。

「〜はいはい、君たちとにかく手を動かしてね」
「カカシ先生っ!」
「二人とも、イルカ先生と約束したのはナルトなんだから、勝手に決めたら駄目でしょ。ちゃんと頼みなさいよ。そしてナルト、二人だけで修行したいんだったら、話すんじゃないよ。教えてたら二人がそう言い出すことはわかっていたでしょ」
「別に嫌だってわけじゃ…でもサスケが俺も行く。場所を教えろって偉そうに言うし…」

しゅんと項垂れるナルトの頭に手をやって、カカシはわかってると軽く叩いた。
ナルトは決して底意地が悪いわけでもないし、馬鹿でもない。二人が参加したいと言うのはわかっていたし、案外誘うつもりだったのかもしれない。だが、素直に一緒に行きたいと言えぬサスケの言い方に反発して、何でお前までとなったのだ。サクラもどちらが悪いのか一目瞭然だったのに、二人を取り持つところか、サスケの味方をしてしまうのだから仕方がない。

三人がそれぞれ反省したのを見取って、カカシはほらと誰ともなく促す。するとサクラがおずおずと言った感じで、ナルトに問いかけた。

「私も一緒に行っていい?ナルト」
「も…勿論だってばよ、サクラちゃん」

ほっとするサクラといつものように笑顔を見せるナルト。今度はお前の番だよとカカシがサスケを促せば、わかっていると睨まれた。

「…俺も行くぞ」

どう言っても素直に頼むことができないサスケ。言い方は変わらないものの、口調の違いを感からサスケの詫びを感じ取ったのだろう、ナルトは仕方ないなとふんと横を向いた。
強情なのはどちらも同じか。

「んじゃ〜皆で行こうか!楽しみだね〜」
「楽しみって…何でカカシ先生が言うんだってばよ」
「…もしかして先生も来るんですか」
「え。だって三人もイルカ先生に任せるわけにもいかないでしょ〜」
「どうせ何もやらない癖にな」

カカシを非難することでチームワークを取り戻した三人は、嫌そうな顔をしつつ草むしりに戻る。時々またナルトとサスケが言い合いをしていたが、カカシは構わず木の上に戻り愛読書を広げて明日を楽しみにしていたのだった。

(2005.4.27)



U

休日は体を休める大切な日だが、イルカの場合はそうもういかない。
持ち前の真面目さからか、仕事は持って帰り一日それを眺めていることもよくある。だが、一番しなくてはならないのは、もう一つの仕事の方だろう。

「全く囚人の気分だな」

部屋には窓一つなく、無機質なコンクリートの壁だけが覆う。本棚には機密扱いの文書がぎっりしとあり、イルカは椅子に背を預けながら机の上に山積みになっている書類を読んでいた。

「まぁ…仕方ないんだけどなぁ…」

何しろここにあるのは、極秘中の極秘文書、しかも殆ど『黒の部隊』に関するもの。故に何重にも結界が張り巡らされ、許可が無ければ何人も入ることはできない。それだけ重要な場所であるのだが、こんな重苦しい場所に何時間も居ると、必ず愚痴がこぼれてしまう。

「まぁそれでもサイの奴がある程度処理してくれているから、楽になってるんだけどなぁ…」

そのサイも今日は、自分の部隊の所に行っていていない。彼の部隊は個々意識が強く、部隊長の彼でも纏めるのが一苦労らしい。問題があったとは言っていなかったから、それほど心配する必要もないと思うが。

「…でもあんまり一人にはなりたくなかったよなぁ…」

一人になるとまた考えてしまうから。
何故自分がそこまで気にするのか、そして彼の真意を掴みきれず。

「…俺普通にできてるよなぁ…」

受付でカカシの顔を見る度に顔が引きつりそうになる。表情を取り繕うのは得意な為ばれていないが、勘の良いあの人のことだ、このわだかまりを完全に封じるか忘れるかしないと、気付かれてしまう。

はたけカカシには細心の注意を。
そう言ったのは誰だったか。自分の口を押さえて、イルカは溜息をついた。その時、机の上に置いてあった一枚の紙がくるりと折り上がり、小鳥の姿に変えて鳴き出した。どうやら、ナルトの任務も終わり、式を動かしたようだった。

「さて、今日はこの辺にしておくか」

今まで悩んでいたのも忘れて、イルカはいそいそと部屋を後にする。結局朝から居て、昼を過ぎた今までイルカが処理した書類はたった一枚。後に、サイから大目玉を食らうことはこの時のイルカは知る由もなかった。



その場所に居た面々を見て、思わずどうしてと顔を引きつらせつつ、イルカは手を振るナルトに答えた。ごめんとナルトが謝ってきたが、サスケとサクラが居ることは予想がついていたので気にしてないと首を振ったが。

「いや〜すみませんね、俺も来てしまって」
「いえっ!構いませんが、カカシ先生がいらっしゃるなら、俺は必要ないのでは?」

というか、自分が居る方が不自然な感じがすると、イルカは場所を提供し帰った方がいいかもと思ったのだが、がしっとカカシに掴まれて何となく逃げ出す機会を失った気分だった。

「いいえ是非!アカデミー仕込みの教育を見せてくださいね〜」
「は…はぁ…???」

何だか妙にご機嫌のカカシだったが、イルカは掴まれている腕が気になって仕方がない。ナルトとサクラは怪訝な顔で上司を眺め、サスケは何か企んでやがるなと警戒する目つき。彼等の間に漂う妙な雰囲気にイルカは顔を引きつらせた。それを知ってか知らずかカカシはイルカの腕を放し手を叩く。内心ほっとしたイルカだったが急にカカシの顔がこちらを向き、ギクリと顔を強張らせる。

「で。ここはイルカ先生の修行場とお伺いしましたが…」
「え、ええ…昔良く使っていたんです。あまり人も来ないので、術の練習にもちょうど良くて…確か…」

思わず固まってしまった顔のことを追求されずほっとしたイルカは、一本の木に目を留め歩き出す。その木にあった小さな裂け目に手を入れ て何やらごそごそと動かしていると、ピィンと何かが張るような音が聞こえた。

「「「イルカ先生!!」」」

辺りの木から一斉にクナイが飛び出してくる。子供達は身構え、それでも冷静に自分達に向かってくるクナイを弾き飛ばした。敵の襲撃かと緊張を走らせる中、カカシののんびりとした声が辺りを包む。

「あ。なるほど〜トラップですね」
「ええ。こういう仕掛けを色々と作って、不意打ちの修行をしていたんですよ。気配も殺気もない敵の練習にはもってこいでしょう?ただ…」
「ただ?」
「始めは良かったんですが、この場所を知った友人達も来るようになってから、レベルが上がって行きましてね…かなり危ないトラップとかもあるんですよ」
「何だそんなことだってばよ!」
「ふん…上等だ」
「ふ…二人とも強気ね」

男の子特有の無謀さを見せる二人と、心配げなサクラ。
まぁ、術で封じているから大丈夫だろうとは思うも、トラップを仕掛け、それを破ることを競っていた二人を思い返せば安心できるものではない。今朝一通り見回って、チェックはしたのだが注意はしておこう、そう思ったイルカだった。

「んでは、早速始めましょうか〜」
「ですね。ちょっとこっちに来てくれ!」

子供達を呼び寄せ、イルカは小さな地図を渡す。

「これは、この森の簡単な地図だ。森の奥には俺が置いてきた巻物がある。お前達はそれを持ってくること」
「な〜んだ、簡単だってばよ」
「調子に乗るんじゃないわよナルト!」

黙って聞きなさいと言われて、ナルトは口を閉じたが、サスケは地図を見つめたままだった。

「最初はそうだな、三人で一緒に行ってみたらどうだ?そう行くかはお前達の好きにすればいい」
「わかったってばよ」
「そうね、情報がこれだけだし単独行動はしない方がいいかも」
「…ああ」

期待と不安に胸を躍らせながら、子供達は頷き合い森に向かって走り出す。彼等の姿が消えるまで、イルカは気をつけろよと心の中でエールを送っていた。

「さて、それじゃあ俺達は〜」
「はい」
「のんびりと話しでもしていましょうか」
「……は?ってか、カカシ先生!追い掛けないんですか!?」
「え。何でですか」
「何でって…」

てっきり今日来たのは、子供達が心配で付いてきたと思っていたイルカ。だが、カカシの様子から影から見守ると言った素振りも見えないことに、困惑する。

「あいつらなら大丈夫ですよ!イルカ先生だって、あいつらの実力程度のトラップしか動かしてないんでしょ?」
「ええまぁ、そうですが」
「ならあいつらを信じて待っていましょう」

隣に座れとでも言うように、ぽんぽんと柔らかい草の上を叩くカカシ。
じゃぁ、この人は一体何をしに来たんだろうと思いつつ、イルカはそれに従った。手の平一つ分空いた場所に腰を下ろしたのだが、それまで意識しないようにしていたカカシの存在が妙に感じられて、何とも居心地が悪い。視線も合わしずらく、リラックスしたように振る舞いつつ頭の中では緊張を感じていた。

「ねぇ、イルカ先生、こうやって話すのも久しぶりじゃないですか?」
「え?ああ…そう言えばそうですね、残業続きで参ってました」

あははと笑うイルカに、カカシはふ〜んと言いイルカの顔をじっと見る。別に嘘は言ってないぞと自分に言い聞かせるも、それが理由の一部しか閉めていないことに罪悪感が浮かぶ。近々アカデミーでの行事が立て続けにあり、残業が立て込んでいたのは本当のことだ。だが、カカシに会いたくないな〜と思っていたのも確か。何しろ彼の顔を見ると、あの悪夢を思い出してしまうのだ。受付で彼と会った時、どれほどの労力を使って平静な顔を、悲鳴を上げそうになる口からナルト達のことを尋ねていることか。ばれないようにしていたつもりだったが、やはりカカシを騙しきることは難しかったらしい。

「そうなんですか〜だからかな?受付で会った時、何か変だな〜と思ったのは」
「え?変でしたか?何か失礼なことを!?」
「いえいえ、そういうわけじゃなくてね」

今にも頭を下げそうなイルカを制して、カカシはじっとイルカを見た。その視線に居心地の悪さを感じつつも何とか見返していると、ふっと目が柔らかくなる。

な…なんだ?
思わずドキリと鳴った胸。何を言うつもりだろうと、期待と不安に鼓動が激しくなる。

「じゃぁ、近々飲みに行きましょう、イルカ先生」
「…え。はい…」

にっこりと目を細めたカカシはいつものカカシで、何を言われるのかと緊張していたイルカは拍子抜けしたようにぽかんとカカシを見返していた。そんなイルカの気持ちなど知らずに、カカシは約束しましたからねと、その場に横になった。

…何だったんだ一体。
カカシ相手に一人で緊張していた自分が馬鹿みたいだと、イルカは空を見上げて溜息をついた。青い空を見上げて、ふとカカシに対する緊張が無くなっている自分に気付く。

…もしかして、気を使ってくれたのかな。
やはりカカシに対するイルカの変化を彼は感じ取っていたのだろう。だがその理由を問いただすわけでもなく、いつも通りに接してくれたカカシ。もしかしたら今日彼が来たのも、イルカのことを心配したからかもしれない。

俺もまだまだだなぁ…
確かに【シキ】に対するカカシの真意はわからない。だが、それを【イルカ】で悩んではいけないのだ。【シキ】である時におきた事柄は【シキ】である時に考えなくてはいけない。では先日のカカシの件は、【シキ】ならばどう考えるだろう。

【シキ】の存在を暴こうとする様子もなかった、『黒の部隊』の探りを入れようとする様子でもなかった。任務も邪魔をするどころか協力を得られた。 自分達の害にはならない。だったら【シキ】はこう思うだろう…放って置くと。

横を見ると、カカシは気持ちよさそうに目を閉じていた。さわさわと銀色の髪が風に揺られて、彼の纏っている雰囲気も穏やかなせいか、安らいでいるように見える。【イルカ】に気を使って接してるカカシ。これ以上【イルカ】の心配をかけてはならない。

…結局は俺の未熟さが招いたことか…
何年『黒の部隊』に自分は居るんだ。二つの顔を持つ意味、難しさ、それを十分学んだつもりだったのに。たったあれだけのことで、【イルカ】と【シキ】を一つにしてしまった自分。こんなことでは…【シキ】に申し訳が立たない。目を閉じて、自分に何度もそう言い聞かせたイルカは、折り合いのついた心に満足して目を開けた。

長年【イルカ】と【シキ】の切り替えを上手くやっていたのに、何故崩れてしまったのか、知らずのうちにイルカは開きかけた答えに蓋をしていた。


ドォーン…

「何ですか?あれ」

子供達の向かった森から聞こえた音に、カカシが身を起こす。何かあったのだろうか、そう思ったが真っ先に顔色を変えるだろうイルカが動かないのでカカシは行動を起こさなかった。しかし、続いて聞こえたのはぎゃーっと言う悲鳴。
驚きや、恐怖ではない…嫌悪的な悲鳴に聞こえるような…そんなことを思っていたら、イルカが乾いた笑みを浮かべ始めた。

「どうやらあのトラップを発動させてしまったようですね…」
「…何か聞きたくない気もしますが、一応お聞きしておきますよ、イルカ先生…」
「…あのトラップに引っかかると、煙にまぶした香りが近くの虫を一斉に引き寄せるんですよね…」
「そ…それは何とまぁ…素敵なトラップですね」
「…俺もそう思いますよ」

自分が経験した時は、水の中に入るまで虫が追い掛けてきたものだ。サクラに怨まれるかもしれないが、良い経験になるだろうとある意味、鬼のイルカだった。

「…そんなトラップを考えたのは誰です?もしかしてサイ先生とか?」
「サイが喰らった時、アイツは仕掛けた奴に火遁を浴びせてました」
「…ちなみにイルカ先生は何を?」
「する前にサイがやってくれたので、自制しました」
「はーそうですか」

何となくこれ以上聞かない方が良いと悟ったカカシは、また聞こえてきた爆発音へと目を向けた。あれはナルトの声かな〜と思いながら、軽い欠伸を洩らしたのだった。


子供達が戻ってきた時、子供達は任務の時以上にぼろぼろでぐったりとしていた。それでもナルトの手には、取ってくるようにと言った巻物が握られており、修行は成功したと言えるだろう。サクラなどは、何事かぶつぶつと呟いておりちょっと怖いなと思うイルカとカカシ。

「で?どうだった?」

一応気を使って、にこやかにカカシが聞けば、返ってきたのは恨めしげな視線。カカシが仕掛けた訳でないことをわかっているのだが、八つ当たりしたい気分の子供達だったりする。

「…大変だったってばよ」
「…最悪…」
「…」

子供達の感想を聞いてイルカはもう少し簡単のにすれば良かったかなと後悔する。だが、あまり簡単過ぎても子供達の為にはならず、難しすぎれば命も危険も出てくると選択するのは難しい。

「だけど、次はもっと早くにクリアして見せるってばよ!」
「それまでに火遁系の術を覚えなきゃ…」
「次は一人でクリアする」
「俺だって!!」

しかし、もう良いと言わずまたチャレンジをするつもりなのは嬉しかった。かつて、自分達が修行した場所で子供達も修行をする。まるで、自分の歩いた道を辿ってくれているようではないか。そんなイルカの気持ちを理解してくれたのか、視線の合ったカカシも笑ってくれた。

「じゃあ、今日は帰るか!今度トラップの発動の仕方とか教えてやるよ」
「よろしくってばよ…イルカ先生」
「元気ないなぁナルト」
「さすがの俺も今回は参ったってばよ…イルカ先生、友達は考えた方がいいってばよ…」
「…俺もそうしたいんだがな…」

罠を外すというより、片っ端から壊していくツバキに切れたレツヤが考えたトラップは、術どころか呪術を組み入れた最悪のものへと姿を変えていった。そんなことをされればカッとなりやすいツバキが更に破壊活動に走ることを知っている癖に…

…火影様から謹慎を喰らうまでやり続けたんだよなぁ…あいつら…
その時のことを思い出していたイルカは、カカシが自分を見つめ安心していることに気付かなかった。


良かった〜いつものイルカ先生になってる。やっぱり今日来て正解だったな。
ナルトと話しているイルカからは、先ほどまで感じていた違和感が無くなっていた。原因がなにかは結局わからなかったが、それよりイルカがいつものように接してくれる方が嬉しい。

あの笑顔が曇ことなんて考えたくもないよね。
自分でもこんなにイルカを気に入るなんて以外だった。だが、それも悪くないと彼等の後を追ったのだった。

気付かぬ気持ち・完(2005.5.4)