赤、白、黄色。 ようやく咲き始めた花を見て、イルカが微笑んでいればいつものように突然現れた声。 「綺麗ですね〜アカデミーの子達が植えたんですか?」 「ええ。種から蒔いて…ようやく咲いたんです」 子供達が毎日一生懸命に世話をしていたことを思い出していると、カカシはイルカの隣に来て、プランナーの中で咲く花を見下ろした。 「こういう小さい花もいいですけど、一輪の大きな花も見応えがありますね」 こうドンと〜なんて言うカカシに同意を示し、イルカの記憶にあるいくつかの花を思い出す。 「ところで、先生はどんな花が好きなんですか?」 イルカのことを一つでも多く知りたい。そんな邪な思いから聞いた質問だったが、イルカの答えにカカシは戸惑う。 「そうですね…俺の好きな花は『焔(ほむら)の華』かな」 …ちっ!しくじった!! 闇に包まれた森の中を走るイルカは、肩から胸にかけてつけられた傷を押さえ駆け抜ける。 胸が熱く、どろどろとしたなま暖かいものが手に触れているが、それを手当している余裕はなかった。 後ろから追いかけてくる殺気。怪我をしているせいでスピードが落ちているのか、振り切ることができない。 「…くそ…」 黒い面の下にある顔は、己の迂闊さと怪我による影響を徐々に見せ始めていた。必死に目を開き、唇を噛みしめなければ、今にも意識を失いそうだ。先ほど、あまりに酷い出血を補う為に、増血丸を口にしたがそれが効いたとも思えない。 まさか、あんな所で木の葉の忍と会うとは思わなかった。 イルカは「黒の部隊」の単独任務を終え、里へと帰還する途中にこの森に入ったのだが、そこで襲われている仲間を見つけてしまう。 「黒の部隊」の存在は、広めてはならぬものだと知っていたから、彼らに気付かれぬよう、物陰から窺うだけに止めていたのに。 だが、すぐに木の葉側の状況は悪くなり、彼らは敵に追いつめられ始める。こちらは中忍、相手は上忍ばかりの部隊となれば、それも当然だっただろう。結局見捨てることができず、彼らの前に飛び出したしまったイルカだが… 「それで怪我をするなんて…情けない」 敵の狙いが巻物だと知ったイルカは、自らそれを懐に抱き、敵と戦った。しかし、敵は一部隊ではなく、後から次々と現れ、しかもそれが皆上忍ばかり。これにはさすがのイルカも危険を感じ、この場から離れたのだが、その一瞬の隙をつかれ切り裂かれた。 おまけに中忍達を逃がすため、幻術を振るに使いチャクラの量も少ない。イルカの頭に危険信号が走る。だが、自らその足を止めようとは思わなかった。 背に抱いた刀がチャリンと鳴った。単独任務で働いてもらったせいか、少し切れ味が鈍くなってしまった刀。里に戻ったら、研ぎ師の元へ出さなければと思っていたが、できるかどうか。 「最後までつき合ってくれな」 イルカが「黒の部隊」に入る前から一緒だった、父親の形見。任務が激しくなってきてからも、いつもイルカを守っていてくれた。 刀が答えるように、再び鳴る。 イルカは大きく息を吸い込むと、刀を手にした。 馴染む感触を感じる前に、イルカは今にも追い付きそうだった敵へ自ら飛び込んでいく! 「ぐわっ!?」 今まで逃げの一手だったイルカが急に攻撃してきたことに、一人が驚く。だが、クナイを構えるまえに刀で一双し、地面に落ちる音が響いた。しかしイルカにそれを聞いている時間はない。 囲まれた。 自分を包み込む殺気の壁に、イルカは止まることを余儀なくされた。ようやく追いつめたと感じたのか、敵の一人から嘲笑の声が挙がる。 「礼をしないとな。ずいぶんと…やってくれたからな!」 ひゅっとイルカの耳元で風音が響く。鋼糸だとイルカがそれを刀で弾いた瞬間、炎の塊をぶつけられた。横腹から漂う焼けこげた臭い。腹に強い衝撃を受けたがイルカは刀を手放さず、目の前に迫っていた敵を刀で斬りつける。 「このっ!?」 これだけの人数に囲まれても、怯むどころか刃向かい続けるイルカに、敵の忍は一斉攻撃をしかけてきた。 ギィン…!バキッツ! 「!?」 「終わりだなっ!!」 最初の刃を防いだイルカの刀が、真っ二つに折れた。寿命だったのか、それとも傷が入っていたのか。形見の刀が折れたことにイルカはショックを受け、前が無防備に曝される。 頭に過ぎった、仲間や両親…そして金色の子供。 自分は死ぬのか。そう思った瞬間。 見えたのは、刃ではなく赤い華。 高く高く空に舞い、イルカの視界を覆う。辺りから聞こえる悲鳴を遠くに感じたまま、闇夜に浮かぶ赤の煌めきを見続けていた。 「間に合ったかなぁ…」 屍の中に立つ背の高い忍がそう呟いた。 イルカと同じ黒い面を付けて。 「大丈夫?イルカ」 初めて会う人だ。聞き覚えのない声に、イルカは戸惑う。だが、見知らぬ人に呼び捨てにされたというのに不快感はなかった。 「ああ。ごめんね、自己紹介もまだなのに呼び捨てして」 その忍が刀を治めた瞬間、赤い陽炎のようなものが見えた。忍が迷いもなく面を取り、素顔を惜しげもなく曝した。穏和そうな、少し下がった目尻。ほんわか。そんな言葉が似合う青年の額には、一本の紐が巻かれている。 五色の紐。 どきりと胸が鳴った。 「初めまして。私が「黒の部隊」の【シキ】。よろしくねイルカ」 朽ち果てた東屋の中で、イルカはシキの手当を受けていた。 冷たい水が傷口を抉りイルカを唸らせたが、シキの前でみっともない所は見せられないと、歯を食いしばって声を殺す。それに気付いたのか、シキは微笑んだまま、薬草を塗りこみ、包帯を巻いた。 「これで良しと。どう?きつくない?」 「はい、ありがとうございます」 「礼を言われるほどじゃないよ。それよりもお疲れさま。任務が終わった早々ご苦労だったね」 そう言われて、イルカははっとシキを見返した。 「…もしかしてシキ様がここに来られたのは…」 「そう、火影様が式神を受け取った時、偶然その場にいてね。暇だった私が来たんだよ」 中忍達に紛れ込ませた式神は里へついてくれたらしい。ほっとイルカが安心の溜息をつくと、シキはイルカの隣に座り込んだ。 「ちょうどその任務に情報漏れがあったことに気づいてね、こちらから誰か派遣しようと協議していた最中だったんだ。偶然とは言え、イルカが通りかかって良かったよ。でなければ、あの任務についていた忍達は生きていなかっただろうから」 「情報漏れですか…だからあんなにしつこかったんですね」 「ああ。彼らの奪った巻物は、どこかの秘術が記載されていたものらしいく、こちらに渡ったことに慌てたのだろう。中忍達を先に里へ帰したのは正解だった。彼らでは相手にならなかったから。巻物はイルカが持っているんだよね?」 「はい。彼らの任務に口出すのはまずいとも思いましたが、敵の執着があまりにすごいので、俺が持った方が良いと判断しました。それに、木の葉の忍達はあれ以上戦えなかったでしょうし…案の定敵はこちらにターゲットを絞って追いかけて来ました。しかし…シキ様が来て下さらなかったら、俺の方も危なかったと思います」 刀が折れた瞬間、自分は生きることを諦めた。自ら死に急ぐことだけはしないと両親に誓ったはずなのに。 折れた刀をぼんやりと眺めるイルカを、シキは静かに見下ろしていた。無意識なのだろうが、折れた刃を何度も指でなぞっている。何を見てるのか、その瞳には力がなかった。 よほど大事な刀だったのか。シキが口をつぐんだままでいると、唐突にイルカが口を開いた。 「ありがとうございました」 「何を言うんだか。仲間なら当たり前だろう?」 ぽんぽんと頭を叩かれ、イルカは子供扱いするシキを気まずそうに見返した。シキと目を合わせると、思いの外優しい眼差し。あの時死を覚悟した自分を責めるのもなく、叱るのでもなく、逆にわかっていると包み込んでくれる暖かさ。 彼の持つ包容力に、ふと…亡き父を思いだした。 …この人が【シキ】様。 「そろそろ行こうか」 「はい」 黒い面を付け直す前にイルカに見せた笑み。それだけでイルカは強い安心感を感じるのだった。 ザンッ… 振るうたびに咲き乱れる赤い花は、見ている者の思考を消してしまいそうだった。 再び敵に襲われた2人だが、シキの刀裁きの前には敵う者はおらず、次々と相手の体を沈み込ませる。イルカは彼の後に続きながら、懸命にクナイを振るうものの、シキには全く及ばない。 すごい… 愛用の刀を振るう度に生まれるのは赤い花。 静かに、儚げに、見えぬ風に乗り、敵の間を走れば落ちるのは声もなき屍。 その場に生まれた厳粛な雰囲気に、見ている方も刃を向けられている方も息を飲む。 咲き乱れるのは焔の華――― そうレツヤとサヤカが言っていたのは決して膨張ではなかった。 夢に出てきそうだ。 面の下で苦笑しながら、イルカは闇に煌めく刃を目で追い続ける。 俺もあんな風に刀を振るえたら。 シキの姿を見ている内に、父親の刀を失ったショックは和らいでいた。この世でたった一人しか咲かせぬ華に…いつの間にか魅了されていたのだと、後になってイルカは気付いた。 「イルカ先生?何ですか?その花」 昔に浸っていたイルカは、カカシの声ではっと我に返る。仕切にその花を知りたがるカカシに、イルカは内緒ですとそれ以上教えなかった。 だって…もったいないでしょう? それにあの華を口で現すことなんてできない。実際に見たものしかわからない美しさなのだから。 「お見舞い、イルカ」 「………は?」 思いの外重傷だったイルカを見舞いに来たシキは、怪我の具合などを一通り聞いた後、突然それを差し出した。ぽやっと笑うシキの手には、彼の愛刀が握られ、あろう事か差し出されている。 「……えーと」 「だから、お見舞いだってイルカ」 「…お見舞いって普通果物とか花なんじゃないですか?」 現場を認識できないせいか、妙なことを口走る。だが、シキは見舞いは人によって違うんだよ、とあっけらかんと言う。それを見て、これが冗談ではないことに気付き、イルカは大きく首を横に振った。 「頂けませんっ!!!そんなものっ!!!」 シキの持つ刀は名刀と言われるほど、価値のある一品だ。父親が刀を大事にしていたせいもあり、イルカも多少ならその価値がわかる。シキの持つ刀が、その名刀の中でも高い位置にあるものだということに。 「君なら大事にしてくれると思うから」 「え…?」 「刀は道具だ。けれど振るう者によって、それを正とも負とも、光とも闇ともさせるもの。それは私達も同じさ。里の道具たる忍も…でもね。私はそのどちらにも心があると思っているから」 だったら、少しでも心を持った人に使って欲しい。自分の愛刀だから尚更そう思う。 愛しんで欲しいと。 「そうすればこの刀も答えてくれる…イルカの刀が命を失う瞬間まで守り通したように」 君を守ってくれるだろう。 そう差し出された刀を、イルカは拒もうとはしなかった。 鞘から抜き、光にかざすと刀身が僅かに赤い。血がついているわけではなく、赤いオーラのようなものを纏っているように見えた。 「気位が高い刀だからね。がんばって」 「…はい。この刀に見合うような忍になって見せます」 イルカの上気した頬を満足に見て、シキは立ち上がった。 「ああ。そうそうその刀の名前は焔(ほむら)って言うんだ」 そう笑って言った彼の形見となってしまった刀。 二度と見れない焔の華。それでも、脳裏に焼き付いているあの華を忘れることはないだろう。 「…イルカ先生。冷たい」 「ええ?いきなり何を言うんですか」 教えてくれないと、ぶちぶち文句を言う上忍に、イルカは苦笑するしかなかった。カカシの機嫌を取るために、晩酌の誘いをすればすぐに復活するから面白い。 「それじゃ行きましょう!!」 「え!?何言ってるんですか!俺はまだ仕事があるんです!終わってからに決まっているでしょう!!!」 ぐいぐいと引っ張るカカシに悲鳴を上げるイルカを、そよそよと揺れる花が見送っていた。 焔の華 ・完(2004.1.19) (2004.1.26) |