「いらっしゃい、カカシ先生」 にっこりと、そう笑って迎えてくれたのは数分前だというのに。 今、その人は目の前にいなくて、カカシは深いため息をついていた。だからだろうか、妙に暇で、いつもは考えないことを考えてしまう。テーブルの上に顎を乗せて、一つため息。所在無さげに、膝にある両手が何故か侘しい。カカシはぼんやりとイルカの部屋を見回した。 人一人いないだけで、こんなに寂しいのだろうか。 カカシは、もう何度も来ている部屋を眺める。 カカシはイルカの家が好きだった。イルカは忍なのに暖かくて、優しくて、本人はそのせいで非情さが足りないと嘆いている時もあったけれど、アカデミーで笑うイルカには、これであっているように思う。 確かに、忍には、任務を遂行する上で、非情さというものもなくてはならないと思うが、それだけでは駄目だとも思う。 ただ、任務をこなすならば、感情のない人間を作れば良い…そう、霧隠れの里のように。 だが、この里は、その道を選ばず、あくまで人としての忍道を選んだから、あのような人も忍にいるのだ。それは、誇れることだとカカシは思っている。だが、その人は、自分が気に入っているのを同じ理由で、沢山の人たちにも気に入られているから… 「邪魔…入るんだよなぁ」 どこかに出かけても、必ず声をかけられ、立ち往生。おばさんたちに囲まれているのを、30分以上眺めていたこともあるし、受付所に報告書を出しに行けば、隣が開いているというのに、ずらりと列ができているし(自分もその一人なのだが)。それでも、こうやって家に上げてくれて一緒に食事を取ることができるのは、自分以外にナルトぐらいだろうし…ちょっと得意になっていたのだが、それを邪魔するように、いつも厄介事が持ち困れるようになった。 アスマ曰く。 「イヤガラセだろ。てめぇの普段の行い、これに凝りて反省すんだな」 とか、タバコをふかしてぬけぬけと言い放つし(後で、近くの甘味どころに行く同伴者を求めていたアンコに差し出してやったが)、紅に愚痴を言えば。 「そもそも、あんたにイルカ先生なんてもったいないのよ。あれは火影様に里の宝まで言われてるのよ?」 このセリフに、火影様も裏で関わっていることを知って(まぁ、予想はついていたが)、後で彼にちょっと釘をさして置いた(火影が大事にしていた、イルカの少年時代の写真をすべて奪って来た)。 その後、あの暑苦しい男がいつものように、勝負をしろとかなんとか抜かしていたような気もしたが(通行の邪魔だったので、その辺に投げ捨てた)、それでも、今日は大丈夫だと思っていたのに。 にっこりと、出迎えてくれたところまでは順調だったのに、まさか。 「イルカ先生、お願い!お見舞いに行って!!」 そう子供達が言いに来るとは。 家に来たのは、隣のクラスの子供達だと言う。何でも、アカデミーの授業中に怪我をして子がいて、その子が病院に入院しているのだが、怪我したことを落ち込んで、誰とも会おうとしないという。その子がイルカ先生のことを大好きだと言っていたのを思い出した友人達が、そう頼みに来たのだ。 「あの…カカシ先生…」 「かまいませんよ、行って来て下さい」 何よりも、子供ののことを大切にする人だから、入院している子も頼みに来た子供達も無下にすることはできない人だから、いい人ぶって送り出したけれど。 「暇…だな…」 留守番するのも、虚しくて。ここにあの人がいないという事実を、突きつけられているような気がして… テーブルの上に乗っている、料理とか、伏せられている二つのコップとか。 「イルカ先生〜早く帰ってきてよ〜寂しいよ〜」 きゅうんと子犬の泣き出しそうな声で呟きながら、カカシは目を瞑った。 「お…遅くなりましたっ!!!!」 落ち込んでいる子供と話し、ようやく見舞いを終えたらもう8時をすぎていた。慌てて、家路を走りながら、折角来てくれたのに、留守番させる羽目になったカカシに申し訳なさで一杯のイルカは全力疾走で戻ってきたのだが。 「…あれ?」 真っ暗な、電気のついていない部屋。誰の気配もない(というより、カカシはいつも気配がないのだが)、自分の部屋を、イルカは呆然と見てしまった。 …帰っちゃったのかな…そうだよな…きっと… イルカの方から誘っておいて、その上こんな時間まで待たせて、きっと怒ってしまったんだ。 イルカは唇をぎゅっとかみ締めた。 いつもいつも、誘ってくるのはカカシの方からだった。最初は戸惑い、ナルトが何かしたのかと思ったのだけれど、口には出さないが、ただ、彼が友人のような付き合いを求めているのを知って、密かに嬉しかったのだ。自分の家で食事を取るのも結構な数になるのに、一度もこちらから誘ったことがないことに気づいて、勇気を出して誘って見た。 「カカシ先生!今日お暇ですか!」 廊下で会った時に、勇気を出してそう聞いたら、彼は驚いた顔をした。自分でも顔が真っ赤になっていたことに気づいていたが、それを取り繕うほどの余裕もなく、最近わかってきた、微妙な感情を表す右目をじっと見ていた。 「今日、その…お時間あれば、ご一緒に食事でもどうかと…と、言ってもいつものように俺の家でですが…」 うわずった声で、おそるおそる彼を伺えば。 「喜んで」 にっこりと、優しく右目が笑って。早く仕事が終わらないかと、一日中何故かどきどきしていて、終了の合図とともに、アカデミーを飛び出して、彼が好きだろう秋刀魚とか、奮発して、気合いれて、仕込んでいて、彼がチャイムを鳴らした時、万全の体制で迎えたのに… 「なのにこれはないよなぁ…」 いくら人の良いカカシでなくても、怒る。イルカはため息をついて、履物を脱ごうとしたが。 「…あれ」 そこには、自分のものではない、一揃えの履物が綺麗に並べられていて。 まさか。 履物を脱ぎ捨てて、部屋に入れば、いつも仕事を終え、帰ってきた誰もいない部屋。テーブルの上には、今日のために用意していた料理と、コップ。そして… 窓に頭をよしかかるようにして、眠る人。 「…あ…」 最近では、部屋に来たと同時に外すようになった覆面。額宛はつけているものの、今も当然のようにそれを外し、めったに見られない端正な顔をさらけ出し、眠りの中に落ちている。 はじめて見る、彼の寝顔を、待っていてくれた喜びから、イルカの胸はどきどきと鳴った。起こさないように、そろりと近づき、彼の寝顔を覗き込むと、いつも余裕の感じられる彼とは違う、少しだけ幼い顔。ここまで近くにいるのに、起きる様子のない彼に少しだけ不安になる。 俺…信用されてるって思っていいのかな… いくら里だからとは言え、彼が他人にこうも無防備な姿を見せることはないだろう。それは上忍という特殊な職業のせいだと思うが、イルカには少しそれが悲しい。彼らに、本当の安堵できる時間はないのだと、いつも里にいるイルカには、わからない彼らの闇を見せられているようで。だから。 「…本当なら…すごく嬉しいよな…」 「…何が嬉しいんですか?」 「え!?」 突然返って来た返事に、ぎょっとなれば、そこにはイルカを見返すカカシ。 「?どうしました?」 「え!?いや…すいませんっ!!!」 ばっと勢い良く離れて、イルカはとりつくるように、部屋の電気をつける。暗闇にいたので、眩しさがイルカの目を掠めたが、それに慣れた時には、もうカカシは起き上がっていた。 「お帰りなさい、イルカ先生」 「え…あ、すいませんっ!!!俺っ…自分で誘っておいて…」 恐縮し、何度も頭を下げるイルカに、カカシがイルカ先生と声をかける。その声が、何故か怒っていないようなので、ゆっくりと顔を上げれば、何故か上機嫌なカカシ。 「お帰りなさいって言ったら、ただいまですよ?」 その言葉に、心がほわっと温かくなる。 「た…だいま、カカシ先生」 「はい、お帰りなさい。じゃ、食事を行きますか、これ暖め直していいですか?」 「えっ!?あ、俺がっ!!」 「いいですから〜イルカ先生は座っていてくださいって」 今にも鼻歌でも歌いだしそうな彼の様子に、イルカは呆然とする。そんな彼をよそに、カカシは上忍らしい早さで(そんな時に上忍らしさを出してどうかとも思うが)、瞬く間に暖かい料理が出揃っていた。 「それでは、食べましょ」 「は…はいっ!!」 どこか立場が逆転しているような気がしないでもないが、とりあえずイルカは箸を持つ。いただきますと、いい終えたカカシが、ぱくりと白米を口に含み、幸せそうに笑った。その彼の様子が可笑しくて、イルカは苦笑しながら問い掛ける。 「カカシ先生って、本当にいつも幸せそうに食べますよね」 たいした料理でもないのに、いつも美味しそうに食べてくれる彼に、思わずそう言ったら。 「もちろん。一人より、他人より、貴方と食べた方が何倍も美味しいですから」 臆面もなくそう言った彼に、毒気を抜かれて、イルカは手から箸が落ちたことも気づかず、彼を眺めてしまった。そんなイルカに、カカシはにっこりと笑い返す。 ボッ。 「お…俺も…一人より、カカシ先生と食べた方が…美味しいです…」 「本当ですか?嬉しいなぁ」 顔を真っ赤にしたイルカと、上機嫌なカカシ。 貴方がいれば、それで十分! それは、どちらが言った台詞か――― (2003.8.16) (2003.8.20) |