「ふわぁ…」 イルカは出てしまった欠伸を慌てて押さえ、誰も見ていなかったかと辺りを見回した。幸い、廊下の先にも誰も居らず、ほっとしたものの、気が緩んでると、自分を叱咤する。 いかん、いかん…アカデミーの中だぞイルカ! ぱんっと両頬を叩き、気合いを入れるも、目がトロンとしてしまうのは仕方がない。 …やっぱり、寝不足…かなぁ? その原因はやっぱり。 カカシ先生だよなぁ…はぁ… ここ最近、毎夜会っている上忍を思い浮かべて、イルカは深々とため息をついた。 カカシがナルト達を受け持つようになってから、イルカと仲良くなり、時々飲みに行く間柄になった。だが、いつも外で飲んでは、彼はいいかもしれないが、自分の懐は辛い。ということで、家に招いたのが失敗だった。 「イルカ先生料理うまいですね〜」 上忍の誉め言葉に乗ってしまった自分も悪い。 じゃあ、いつでも来てくださいなんて、どうして言ってしまったのだろう。 いや…来るのはいいのだ。来るのは。だが。 その時間が問題なのだ。 「イルカ先生〜お腹空きました〜」 トントンと窓を叩く音が聞こえ、すでに睡眠の中にいたイルカが、寝ぼけた顔で身を起し、カーテンを開ければそこには、銀髪の人。 「カカシ先生?」 「はい、イルカ先生。食事しに来ました」 窓を開ければ、さらりと言う上忍に、イルカは無言になった。 そのまま振り向いて、ベットの端にある時計を見れば、2時。丑三つ時と言われる時間。 「………」 「来ていいっていいましたよね?」 言った。確かに言った。だが。こんな時間に来るか?普通。 「ね?先生?」 「…はぁ…」 この非常識さにあきれながらも、イルカは取りあえず頷く。まだ頭がはっきりしていなかったせいかもしれない。 窓から彼を入れて、ふらふらと台所へ行く。上忍は当然のように、テーブルの前に座って、待っている。 「どうぞ…」 「はい、いただきます!」 むしゃむしゃと食べる上忍をぼーっと見ながら、食事を終えるのを待つ。…それで帰ればまだいい。だが、そうはしないのだこの人。 「駄目ですよ、イルカ先生寝たら!」 「はぁ…すいません…」 「でね、アスマの奴が…」 つらつらと、その日有ったことなどを話し始め、それが何時間も続く。真面目なイルカは、話の途中で寝ては駄目だとがんばるのだが、すぐトロンとしてしまう。 「もう、眠そうですね…仕方がないです。今日は帰りますね」 「すいません…」 「いやいや、いいですよ。じゃあまた今度聞いて下さいね」 何故かカカシに謝り、悪いのはイルカとなっている。 上忍が恩を押しつけるような台詞をはいて帰り、ほっとしたのもつかの間、外が明るくなり始めていた。 「………」 という日がもう一週間も続き、さすがのイルカもそろそろ限界に来ていた。 「イルカ先生〜」 「ん?ナルト?…と、サスケ、サクラもどうしたんだ?」 飛びついてきた金色の固まりを受け止め、後ろにいる元教え子達に首を傾げる。今年、下忍に合格した彼らはスリーマンセルを組み、任務にあたっているはずだった。 「だってさぁ〜カカシ先生まだ来ないから、依頼書を取りに来たんだってばよ!」 「え?来てない?」 何か急な任務でも入ったのかと聞くイルカに、サクラが違いますよと手を振った。 「いつものことなんです。カカシ先生の遅刻」 「…は?遅刻…?」 「最低でも2時間。あいつが時間通りに来たことなんて一度もありません」 サスケの台詞にイルカは絶句した。 「イルカ先生も何か言ってやっててばよ!!!俺達いつも困ってるんだってばよ!」 ナルトの意見に、サスケとサクラも大きく頷く。 「え〜とまぁ、カカシ先生にも色々あるんだろう、忙しい人だから…」 「もちろん!それが任務なら文句は無いですよ!でも!!!ね!?サスケ君!!」 「ああ。最低だ」 「どうしたんだ?」 「サクラちゃんとサスケが昨日見たらしんだってばよ!!べたべたと女の人と一緒にいる所!」 「………」 カカシ先生…何見られているんですか… イルカは情けなくて、肩を落とすが、取りあえず、先生も恋人とかいるんだし…とフォローするも… 「私が見たのは、昨日の6時頃なんです。その時、茶色の髪の綺麗な女の人でした」 「俺が見たのは、おとといの7時半頃。その時は黒髪の人だった」 「で、今朝いのに会ったんです。その時、あの子も見たらしくて…3日前の8時頃。その時は腰まである長い黒髪の女の人だったて言ってました」 「………」 これ以上カカシを庇えない。絶句してしまったイルカに、サクラは尚も言う。 「で!その時そこにアスマ先生がいたんですけど!アスマ先生、笑っていつものことだって言ったんですよ!」 「…いつも?」 「あいつは夜遅いからな〜って…最低っ!!!!」 憤るサクラに、ナルトはなんで最低なの?と一人首を傾げていた。 しかし、イルカの耳にはそれ以上、教え子達の会話は入っていなかった。 いつも…夜遅くまで女の人と… で…?その後俺の家に…飯を食べに来る… 散々楽しい思いをして…なのに、あんな真夜中に人を起こして、飯を作らせるだと…? んだと…ふざけるなよ…あんの…くされ上忍… 「イ…イルカ先生?」 雰囲気の変わったイルカに、ナルトは冷や汗を出し始めた。まだ、カカシの悪口を言っていたサスケとサクラも、イルカを見て、顔を青ざめ始める。 「ナルト、サスケ、サクラ」 「「「はいっ!?」」」 何故か背筋を正した三人に、イルカはにっこりと笑う。 「じゃあ、依頼書渡すから来てくれるか?」 いつもと同じ笑顔のはずなのに、イルカの背後からは、ブリザードが吹いていると感じるのは、気のせいでないに違いない。 何をしたんだカカシ(の奴)先生… 三人は、ぞっとしながら、元担任の背を追ったのだった。 「?今日イルカは休みか?」 任務を終え、報告書を出しに来たアスマは、いつもいる忍が見あたらないことに、首を傾げた。 「はぁ…いえ…」 何故か口ごもる、受付の忍。アスマは怪訝そうに眉をひそめた。 真面目で人当たりも良いイルカは、アスマのみならず、上忍に人気があり、可愛がられていた。 そのためか、アスマのように、気軽に話し合う間柄になることも多い。噂だが、特に古参の上忍に気に入られているらしいが。 ま、そういう日もあるさな。 いつも忙しい彼が一日ぐらいからと言って、不安がる自分もどうかしている。否、彼は働き過ぎなのだから、休みを取った方がいいだろう。 そう思いながら、踵を返そうとしたが、イルカと変わった忍が、アスマを引き留めた。 「あの…イルカと会わなかったですか?」 「?ああ、今日はまだ会ってねぇけど…だから聞いたんだろう?」 「あ、…そうですか…」 「んだ?何かあったのかよ」 「いえ、あったというか…見たんですけどね…」 次第に声を潜める彼に、アスマは耳を近づける。 「イルカの奴、暇が有れば上忍の方にお会いに行ってるんですよ。特に古参の方々に」 「…はぁ?どういうことだ?それ?」 「私も良くわからないんですが…横を通った時ちらりと聞こえたんですが…」 『自分勝手で、わがままで、人を人とも思わない方を懲らしめる方法ってないですか?』 「………」 「そりゃあもう、背筋の凍るような冷たい笑顔で。話を聞いていた上忍の方も、固まっていたんですよ…イルカにそこまで言わせるなんて誰でしょう?」 「………さぁな。じゃぁ、俺帰るわ…」 「あ、申し訳ありません。お疲れさまでした!」 ぷかりとタバコに火をつけて、アスマはため息をついた。 …何をやったんだ?カカシの奴… ふと、今朝文句を言っていた子供達を思い出す。あれが何か関係してるのだろうか? 「あ!アスマ先生」 と、そこへ噂のイルカが満面の笑みでやって来た。だが、何故だろうその笑顔にすごみを感じるのは。 「よ…よう」 「お疲れさまです」 ぺこりと頭を下げる礼儀正しさも、疲れを癒す笑顔も同じはずなのに。 何故こんなにも恐怖を感じるのだろう… 「アスマ先生、この後お時間ありますか?」 「あ…ああ…」 「では、少しお伺いしたいことがあるんですが」 …この状況で、断ることなどできまい。多分誰もがそう思っただろう。そして、アスマが聞いた言葉は。 「アスマ先生、自分のことしか考えず、人の迷惑などかまいもしない、常識はずれの最低人間を懲らしめる方法ってないですかね?」 「………」 俺が聞いた時より、すごいことになってる… アスマは顔をひきつらせながら、目の前で笑っている中忍を見た。 「帰るわ」 「ええ?ちょっと…」 引き留めようとする女の手を振りきって、カカシはさっさと家を出た。空を見上げれば、くっきりと晴れた夜空に月と星。 明日も晴れるだろうと思いながら、カカシは走り出す。 「さぁてと、晩飯と行きましょうかねぇ〜」 向かう先は、料理のうまい中忍。 ナルトの元担任だと言うことで、次第に話すようになったイルカ。 真面目だが人当たりも良く、話し上手。いつの間にか飲みに行く間柄になって、この前は家に誘われた。 まぁ、自分と懐具合の違う彼を、毎日のように誘った自分も考えなしだったが、彼の家に行って良かったと思うのは、彼の料理を食べられたことだった。 …おいしかった。 別に凝ったものとか、高そうなものだったわけでもなかったのに、思わずかき込むように食べてしまった。それを苦笑しながら見ているイルカ。何だか暖かくて、余計においしく感じられた。 今まで自分とつき合った女は、料理などしない。朝起きても、ヨーグルトだとか、野菜ジュースとか、腹の膨れなさそうな物ばかりで、一度それに不満を言えば、自分で作れと返された。…別にパン一枚でも良かったのに、いかにも面倒だと言う彼女の態度に、百年の恋もなんとやら(別に恋をしていたわけではないが)。すぐその女と別れたが、その後つき合った女もみんな同じようなもので。 こんなものなのかなと。 そう思っていた頃だったからこそ、イルカの作ってくれた料理が忘れられない。 女と一緒に居ても、今日の夜はなんだろうとか、そんなことばかり考えて、イルカには悪いと思うのだが、こんな時間に尋ねていってしまう。 一日に一度食べなければ気が済まなくて。 迷惑だと思っているのはわかっているけど、人の良いあの人は寝ぼけた顔だが、自分のために台所に行くのだ。 「でも、ああいう顔が可愛いんだよね〜」 とろんとした目で、ふらふらと寝癖のついた髪で歩き出す。その後ろ姿を見るのが好きだなんて、彼は知らないだろう。 「だけど…そろそろやばいかな?」 昨日会った時、目の下に隈ができていた。それは絶対自分のせいだろう。 食事が終わったらすぐ帰れば良いのに、このまますぐ帰るのがもったいなくて、話しにつき合わせてしまう自分。 「今日は何かな〜」 悪いとは思っているが、自分の優先事項にそれらは、カカシの胸の奥へ。 それがどれだけ自分勝手なのか、カカシは知らない。 …そして、大人しい人間を怒らせた怖さも。 この時のカカシは全く知らなかった… 静まりかえったアパートの一室。 カカシはいつものように、窓から入ろうとそれに手を伸ばした。 「ん?おわっ!?」 途端に、バリッと電流が流れ、カカシは慌てて手を引っ込めた。 「な…なんで?」 今、青白い火花が見えた気が… ちょっとぞっとしながら、カカシはともかく中にいるイルカへ呼びかけた。 「イルカせんせ…?!」 彼の名を呼びきらないうちに、カカシの上から千本が降ってきて、慌ててそれを避ける。 何故こんな所にトラップが!? そう叫ぶ暇もなく、とんと壁に手をつければ、そこからゴウッと火が噴きだした。 「んなっ!?」 紙一重で避けたのもも、下がった途端、ぼこっと穴が開いて、そこから大量のクナイが飛んできた。 「げっ!?」 …それはもう、足場の踏み場もないほど上忍仕込みのトラップが仕掛けられていて、静かな夜に、ひいっとか、うわっとか叫び声が響いているのに、近くの家からは誰も出てこない。 ただひっそりと息を潜め、夜が明けるのを待つのみ… 「ふわぁぁぁ…」 久しぶりにゆっくり眠れたイルカは、がらりと窓を開けた。 さあっと、彼の気分を示すように朝日が降り注ぎ、今日も良い天気だなぁと笑う。 …彼の笑みの下には、焦げた後とか、クナイの突き刺さった壁とかがあるのだが、彼には見えてないようだ。 「……イルカ先生…」 「おや?カカシ先生?どうしたんですか?こんな朝早く…まだ6時ですよ?」 泥だらけのぼろぼろ。朝のはずなのに、幽鬼のように現れたカカシに、イルカは受付スマイルを浮かべた。 「ああ、もしかして朝の鍛錬ですか?ご苦労様です」 いけいけしゃあしゃと言う彼に、カカシは無言。何故こんなにトラップが仕掛けられているのとか、アンタのせいだろう!とか叫ぶ気力ももうなくて。 「それにしても、昨日は来られなかったんですね。折角用意して待っていたのに」 「え!!!」 …そこでカカシは始めて気づく。いつものように、にこにこと笑っているが、今の彼の笑みには、すごみというものが加わっていることに。 たら〜りと、カカシの背に冷や汗が流れる。 …怒ってる…怒ってるよ…この人… 「まぁ、先生も「色々」忙しいんでしょうが…遅刻だけは止めてくださいね?ナルト達が文句言ってましたよ?夜が急がしすぎるのも、考え物ですね。それじゃあ」 ぴしゃりと閉められた窓。 あうあうとカカシはそこに立ちつくした。 …知ってる…知ってるんだ…この人。 自分が夜遊び回って、その後イルカを起こしていたことを。その後、眠って遅刻をすることを。 もう来るんじゃねぇ。 あの目はそう語っている。 「イ…イルカ先生〜!!!すいませんでした!もうしませんから〜許して下さい!!!」 ドンドンと窓を叩くも、中は静まりかえっている。それが数分続き、がらりと窓が開いた。 許されたかと思ったカカシの前で、この人は。 「近所迷惑です」 ぴしゃり。 「…イルカ先生〜!!!」 すがすがしい朝の中、哀れな上忍の声だけが響き、近くに住んでいる人は、それを目覚まし代わりにする羽目となってしまった… 「…まだ、許さないのか?イルカ」 隣でにこにこと微笑む中忍に、アスマはげんなりとため息をついた。 「何のことですか?アスマ先生」 後ろからくる、不気味な視線に、アスマはもう嫌だと首を振った。 「あ。そう言えば、醤油が切れていたんだっけ…」 と、イルカが呟くと、後ろの気配は瞬時に消えた。 「…イルカ」 「いやぁ、便利ですねぇ」 あれから、カカシはイルカに頼まれたことなら何でもするようになった。…いや、頼まれる前に。 任務はどうしてるんだと思うぐらいに、べったりと張り付き、彼の望みを一つも洩らさないようについてくる。資料が必要だと言えば、瞬時に目の前に揃ってるし、足りないものがあると呟けば、それを取りに行く。 原因の知っているイルカの同僚は、不気味で仕方がないのだが、本人は便利だと喜んでいるらしい。 「イルカ…」 「助かってるんですよ、慣れって怖いですね」 「………」 どうやら、まだ許す気は…というか、その便利さを捨てられなくなってしまったイルカ。 この状況は当分続きそうだと、アスマはタバコの煙を大きく吐いた。 (2003.7.04) (2003.7.10) |