「ワン!!!」 明け方、ようやく里に戻ったカカシが家に向かっていると、突然背後から吠えられた。 まだ任務後に漂う殺気を敏感に感じ取ってしまったのだろうか。眠たくて溜まらないカカシは、当然のごとく機嫌が悪くわんわんと吠え続ける犬をそれ以上無視することができず、黙らせようと振り返った。 「ワン!」 だが、カカシが思っていた視線の先には犬の姿はなく、あれっと思っている間にカカシの足にすり寄る暖かいもの。 「・・・・・」 「ワン!ワン!」 ぴょっこり立つ小さな尾を、ちぎれんばかりの振っているのは、まだ生後3ヶ月ほどの子犬だった。 結局家まで付いてきた子犬をカカシは追い出すことができず、家へと迎え入れた。 ここって動物禁止じゃないよな… 五月蠅くしたらどうしよう。そう思っていたカカシだったが、不思議なことにカカシが家に上げてくれるとわかった途端、子犬はぴたりと大人しくなった。しかも、玄関先で座り込みそれ以上上がろうとしない。 「…?どうしたんだよ。お前」 しつこいほど自分にまとわりついていたのは見間違いか。そう思うぐらい、子犬は頑固に動かない。そこが好きなのか?とも思ったが、子犬の目はカカシが離れようとするたび、すがるような目線を向けてくる。 「何なんだよ…」 「キューン…」 子犬は小さくないて、自分の足の裏を覗き込むようにした。それでようやく玄関に泥だらけの子犬の足跡が沢山ついていることに気付く。 「もしかして…お前汚れを気にしていたのか?」 「ワン!」 まるでこちらの言うことをわかっているように子犬は一声。 汚れた足を拭いてやれば、子犬は当然のように家に上がり、中を物色し回っている。やがて、寝室に入るとじっとベットの上を物欲しげにみつつ、子犬は傍に丸くなった。 「………」 子犬が動かなくなったことを確認して、シャワーに入り、冷蔵庫を開けその辺にあったものを腹に収める。そして、子犬を起こさないようベットに潜り込もうとしたが。 じっ。 「……何だ起きていたのか」 じーーーー。 「…何だよ」 じーーー。 ぱたりぱたりと振られる尾。 カカシが僅かに体を動かせば、子犬はベットに飛び上がって丸くなった。…どうやら中に入りたかったらしい。 ぽすぽすと座り心地の良い場所を足で踏みながら、ぴったりと寄りかかってくる子犬。 それに呆れつつ、カカシは子犬を見て始めて笑う。 「…変な犬」 いつもなら、任務後の高ぶりで眠れないというのに、顔の傍にある毛の温もりを感じるだけで穏やかになった。こんなことは始めてだ。くぅっと眠ってしまった子犬を見続けていると、いつの間にかカカシも眠りの中に引き込まれていた。 そして翌朝。 べろべろと顔を舐められながら目を開ければ、子犬の前足がぽすりと顔に当たる。 さっさと起きれということなのだろうが、カカシはまだ眠っていたいと無視をした。途端にあがる悲しげな声に。 「……わかったよっ!!!」 ベットから這い出れば、床に降りた子犬が目をきらきらとさせてカカシを見上げている。カカシが台所へと行けば、親鳥の後を追う雛のように尻尾を立てて付いてくる。 めんどくさいなぁと呟いてはいるものの、その顔の浮かぶ笑みは隠しきれなかった。 「…四代目?」 机の上でつまらなそうに消しゴムを転がしている金髪の青年に、護衛の暗部はつい声をかけてしまった。ここに三代目がいれば、目の前に積まれている書類の山をさっさと片づけぃ!!と雷のような説教があっただろうが、生憎この暗部にそんな度胸はなかった(例え、理想像を壊されようが目の前にいるのは火影なのだから)。しかし、それが更なる災厄を引き寄せてしまったことに、暗部は後悔する羽目になる。 「最近さ〜構ってくれないんだよね〜」 「…は?」 「いつもならさ〜さぼってたら、何だかんだ言いながら怒鳴ったり、小言を言う癖にさ〜殺気だよ、殺気!問答無用で殺気向けてくるんだよ!!」 「…」 「無言の圧力!?さっさと仕事を終わらせろ!ってあれだよ!その間口も聞いてくれないんだよ!?その癖、終わらせたらとっとと消えるし…ね〜酷いと思わないかい?」 暗部の脳裏に浮かび上がったのは、一人の少年。四代目が唯一担当した元スリーマンセルの少年を、護衛として傍に置くほど四代目が気に入っていると同時に頭の上がらない存在だとも聞いていたが。 …そんなこと愚痴られても。 はっきり言って困る。というか、この後に続ける言葉など何もない。いや…少年が正しいと主張したいぐらいなのだ(それほど、四代目は仕事を溜める)。しかしここでそれを言えば、必ず彼は… 拗ねる。 「…でしたら、仕事を終わらせ会いに行かれては?」 「ん?」 「することをした後の貴方の行動を非難する者はいないでしょう」 「…そうか!そうだね!さすが!!いや〜相談して良かったよ!」 満面の笑みになって仕事に取りかかる四代目。それを見ながら、暗部は密かに心の中で謝った。 結局、カカシに彼を押しつけたことを。 「くぅん」 「…?何だ?お前も見るのか?」 巻物を開いているカカシの膝によじ登り、同じように覗く子犬にカカシは見やすいようにそれを広げてやった。一瞬犬が文字を読めるのかとも思ったが、思いの外子犬は頭も良いし、覚えも早い。案外聞かせれば理解するのではないかと、カカシは思い始めていた。 どうして子犬がカカシに懐くのかはわからない。しかし、任務が終わった後、家に帰れば玄関で待ちかまえている子犬がとても愛おしい。例えその手が血に濡れても、命を奪った後だったとしても、子犬がカカシに与えるのは無事を喜ぶ目。自分のところへ帰ってきた。それだけを本当に喜んでくれている目。 それだけで救われる。 「…どうした?」 不意に、子犬が小さく痙攣し始めたた。小さな体を丸めて、苦しそうにあえいでいる。突然の出来事に、カカシはパニックになり子犬に声をかけるしかなかった。 「おい!?しっかりしろっ!!」 「こんにちは〜カカシ〜遊びにきた…」 そんな時に顔を出した四代目は、子犬を抱きしめて縋るような目を向けたカカシに息を飲む。すぐさま状況を理解し、子犬の体に触れようとした瞬間。 子犬の大きな目がカカシを写し。 くたりと息絶えた。 里を一望できる眺めの良い場所に子犬の体を埋めた。 普段は景色などろくに見ないカカシが思いついたのはここしかなかったから。 「…何で…」 子犬を埋めた隣に座り込み、膝を抱えてカカシは呟く。 どうしてお前はあの時俺に声をかけたのだろう。 優しそうだったわけでもない、餌を与えようとしたわけでもない。動物達が本能で怯える牙の臭いを纏わせていたというのに。 何で自分の所に。 「…あの子犬ね、生まれながらに心臓が弱かったみたいだよ」 知り合いの獣医に子犬の亡骸を見せると、その獣医はよく生きてたなぁと呟いた。普通なら三ヶ月も生きていないと、生まれてすぐ死んでも可笑しくないほど心臓が弱かったのに。 「その子犬はきっと自分の命が短いことを知っていたんだろうね。なのに…カカシと出会った。考えてみれば、そんな夜に子犬は一匹で歩かないよ」 もしかしたら、死に場所を求めていたのかもしれない。生まれたばかりなのに、捜して捜して彷徨って。その時にカカシを見つけた。 「…すごい…頭良かったんだ…アイツ…俺の言ったことは一度で覚えて…いつも俺を待っていて…」 「放って置けなかったのかな。お前を。頭が良かったからわかったんだよきっと」 殺気を漂わせていると同時に、己の手で殺めた命に落ち込んでいたカカシを見て。 放ってはおけないと。 そして、きっと自分もひとりぼっちで死にたくないと…そう思ったのかも知れない。最後にカカシを見た大きな目は、とても幸せそうに見えた。 他の生き物になんて目を向けたことはなかった。ろくに言葉が通じない相手など役に立つわけがないと、口寄せをする仲間を見てそう思っていたが。あの子犬との間に生まれた絆には確かに暖かいものが生まれていて、仲間に向けるのと同じぐらいの信頼も生まれ始めていた。 もっと一緒に居られたら。もしそれを望んでくれるなら。 共に戦場を駆け抜ける、パートナーに慣れるかもしれないと思い始めた矢先だった。 忍には、戦いの技術とそれに準じる感情以外のものは不要。 自分やスリーマンセルだったあの二人に出会ったことで少しは変わったものの、カカシの中にあるその言葉は固くて、なかなか細くならなかった。でも、この子犬と出会い、待っている者のいる嬉しさや、共に学ぶ楽しさも覚えた。こういう形で別れてしまったことは残念だけど、その感情を引き出してくれた子犬に四代目は感謝する。 「忘れるなよ」 「…忘れるわけないだろ」 真っ白な小さな小さな子犬。まるで雪のように舞い落ちて、溶けて消えてしまった。それでも、雪が降ったことは覚えているから、子犬と会った記憶はなくならないから。 絶対に忘れない。 雪のような記憶・完(2004.7.6) |