忘れないで






「サイ、暇?」

仲間が持ってきた土産の饅頭をぱくついていたサイは、もぐもぐと口を動かしながら振り返った。
そこには、相棒でもあり、親友のイルカが立っている。
今戻ったのだろうか、イルカの姿はまだ暗部服だった。珍しく別の任務につき「黒の部隊」の隠れ家に一足先に戻っていたサイは、首を傾げイルカの言った言葉の意味を少しだけ考える。

イルカとサイは、明日から3日ほどの休暇が与えられていた。別にすることも行くところもないので、ここでだらけてすごそうと思っていたが、イルカが当然のように里に戻る予定でいたのは聞いている。
お目当ては、あの小さな子供だろう。イルカに誘われて2,3度は会ったものの、得にどうしても会いたいわけでもないサイは、自分から里に行くとは言わない。それは、他の仲間のようにあまり里に戻りたがらない自分を気遣ってのことかもしれないが。

しかし。

な〜んか、変だな。
いつもなら、一緒に里に行こうなとか、こちらの意見など全く聞かず、強引に話を進めるのに、今回に限って暇か?なんてこちらの都合を聞いてくる。
サイは本能的に首を振った。

「いや…俺…」
「暇だよな、じゃあ明日里に一緒に行こうな」

にっこりと笑って踵を返すイルカ。

「…なんだ、いつもと同じかよ」

心配して損したと、溜息をつくサイに、土産を持ってきた仲間が諦めろと笑った。

「ほら、次は木の葉パイだ」
「…俺、砂糖を使ったもんより、餡類の方が好きなんですけど」
「そんなに甘くないって、ほらほら」

食え食えと、次々と土産を出す先輩に、サイははぁっと溜息をついた。



いつかはこんな日が来るのではないかと思っていた。
けれど、それはずっとずっと先で、その時は自分が決めるだろうと思っていた。
可能性はあった、けれどそれは低いと勝手に決めつけていたから、平気で居られたのに。

あの子供をこの手から離す時が来るなんて。


…自分の意味が無くなるのではないかと、それだけが何よりも怖かった。


『忍になりたいと申した』

突然呼びだしに赴けば、火影はイルカの顔を見るなりそう言った。
すっと息を飲んだイルカに、火影は重々しく頷く。

『お前や…サイにような忍になりたいと…あの子は見ているからの。お前らの戦い方を』
『火…影様…』
『じゃがな、イルカ。お前達が普通の忍として、あの子の傍にいたのならば問題はない。しかし、お前達は違う。お前達は普通の忍より遥かに強い存在だ』
『………』
『お前達の戦い方をナルトに覚えられていては困るのじゃよ』

ナルトがイルカを覚えていて、何も知らずに彼はどこにいるのかと、誰かに問い掛けてしまったら。
世間には広まぬよう、闇に生き闇で動く彼らの存在を暴こうとしてしまったら。

「黒の部隊」の意味はなくなるのだと、火影は告げていた。

『イルカ』

真っ直ぐにイルカを見る目は、選べと語る。
お前に、これからのナルトの未来を選べと。

ずっと慈しんできた子供の未来を潰すのも生かすのも、イルカ次第。

悩む必要などないのだ、いや悩んではいけないのに。言葉は口から擦れた音を出すだけで。

だって。

それを言ったら、自分は。


理由がなくなる。


「黒の部隊」に身を置く理由が…



「何ぼーっとしてるんだってば?イルカ兄ちゃん」
「え。いや…別に何でもないよ」

にっこりと笑いぎゅっと抱きしめれば、うきゃっと言いながらも喜ぶ子供。
温かい、絶望の中にいた自分をすくい上げてくれた強い光。守ってあげたいと、その為なら何でもしてもせると、いつもいつも思って。

「…ナルトが窒息するぞ。イルカ」
「え?うわぁっ!!!ナルト大丈夫かーー!!!」

青白い顔をしているナルトを必死で揺するイルカ。いつもナルトを可愛がりすぎるイルカの癖だが…今日はいつも以上に力が入っている。その様子にサイは訝しむ。

「そうだ、ナルト。新作の和菓子買ってきたんだ。取って来てくれるか?」
「わかったってばよ!」

なんとか無事だったナルトが、襖を開けて駆けていく。最近手伝いをしたがるナルトは、サイに頼まれたことが嬉しいのだろう。小さくなる足音も心なしか弾んでいるように聞こえる。

「…で?何を悩んでいるんだ?」
「……ナルトと離れるのは…嫌だ」

ナルトの消えた先をじっと見て。イルカは唇を噛みしめる。

「失いたくない」
「…火影様に何か言われたのか?」
「ナルトが…俺達のような忍になりたいと言っていると。「黒の部隊」の忍は影の存在。それを覚えられるているのは…よくないと」

選べ。
お前がナルトの未来を。


お前と会える代わりにずっと閉じこめられ「九尾」の器として生きる道と。
お前のことをすべて忘れて、普通の子供と同じように忍に憧れそれを目差す道と。


お前が選べ。


「前者を選べば…俺はずっとナルトと会えて、傍で守ってやれる。けれどナルトの自由はなくなってしまう…しかし、後者を選べば、俺は二度とナルトと会えなくなり、そしてナルトは一人で戦って行かなければならない…蔑まされて、排除されて、軽蔑されて…そんな闇の荒波に一人で立ち向かって行くんだっ!!!」

里の心はまだ癒えていない。きっとナルトは苦しむ。
悲しむ顔なんて見たくない。
ずっとあの笑顔を守りたい。
傍にいたい、会えないなんて嫌だ。ナルトは…何よりも大切な自分の光なのだから。

黙ってイルカの話を聞いていたサイはふうっと溜息をついた。そして俯く彼に一言。

「お前が望むのは、ナルトの未来かそれともお前の未来か?」

…答えなど始めからわかっている。
ただ、自分が耐えられなくて、理由を付けていただけ。心配だと言いながら、怖かったのは自分の方。離れたくないのは自分。

ナルトは一人でも立っていける。
傷だらけになりながらも、自分を心配してくれた小さな手。
あの強さがあるならば、ナルトは決してへこたれないだろう。何があっても、何が起きても、何を言われても。

「サイ兄ちゃんっ!!!あんなところに置かないでってばよ!!見つけるの大変だったってばよ!!!」

ぷんぷんと怒りながらやってきたナルトに、サイは形ばかりの詫びを述べる。むかつくってばよ〜!!!そう叫ぶ子供は、それでも楽しそうだった。

「はい。イルカ兄ちゃんの分!多めにしといたってばよ!!」
「…ナルト。俺が買ってきたのにどうして、俺の羊羹はこれっぽっちなんだ?」
「お仕置きだってばよ!!!」

小皿の上に乗っている、夕日色の羊羹。本当だ綺麗だねと、ナルトに微笑めば、にぱっと笑った。
沢山話して、遊んで、お菓子を食べて。
ナルトの笑顔を沢山見た。
やがて空には太陽が落ち始め、別れの時を告げる。

「またねってばよ!兄ちゃん達!!」
「あ〜はいはい。じゃあな」
「そのめんどくさそうな返事は止めるってばよ!!サイ兄ちゃんっ!!!」

最後までナルトを怒らせたサイは肩を竦めながら歩き出す。

「…元気でな。ナルト」
「勿論だってばよ!イルカ兄ちゃんも!!」

ぎゅっと抱きしめれば、太陽の臭いがする。思わず震えそうになる手をどうにか押さえて。イルカは笑った。

「…イルカ兄ちゃん?」
「大好きだよナルト。いつまでも、これからもずっとずっとお前は俺の光だ」
「…どうしたってばよ?イルカ兄ちゃん…」

不安そうな青い瞳。イルカはその両目に手を当てた。

「さようなら」


イルカの手を掴んだ小さな手が落ちる。くたりと意識を失った子供を支え、イルカはもう一度抱きしめた。

「…ナルトをよろしく御願いします。火影様」
「うむ」

いつから見ていたのだろうか。後ろに現れた火影へナルトを渡す。手を離そうとしたイルカの袖が引っ張られた。

…握りしめられた小さな手。その中にあるのは…イルカの服。

「行くぞ。イルカ」
「…ああ」

サイに促され、背を向けた。


「大丈夫だ。ナルトはお前のことを忘れない。絶対心のどこかで覚えてる。自分を一番好きになってくれた奴を忘れるわけはない」

ぼろぼろと。
落ちる涙を止められない。それがわかっているのか、サイはイルカの前を歩いて振りかえることはなかった。

血が流れるほど唇を噛みしめて、漏れ出しそうになる声を押さえて。

「また会えるさ」

頷くたびに涙が地面に落ちた。
真っ赤な夕日がすべてを赤く染める。

ナルトと後ろから聞こえた小さな声を、サイは聞こえなかった振りをした。

忘れないで・完(2003.4.17)